ピーナッツ『配られたカードで勝負するしかないのさ…それがどういう意味であれ』

 皆さんは漫画『ピーナッツ』はご存知でしょうか? 日本においては『スヌーピー』という名前の方が有名でしょうか。人間並みの知能を持つビーグル犬、スヌーピー、そして身の回りの人たちの様子を描いた有名漫画ですね。
 さて、この漫画では、ときに考え込まさせられるセリフがでてくることがあります。それを子どもたちや、犬がいうからこそドキっと感じるのかもしれませんね。さて、今回はそんな漫画『ピーナッツ』からこの名台詞を分析してみたいと思います。

①概要

 記事タイトルに当たるこのセリフ『配られたカードで勝負するしかないのさ…それがどういう意味であれ』は、ルーシーという女の子に『時々、わたしはどうしてあなたが犬なんかでいられるのか不思議に思うわ』という言葉に対しての返事としてスヌーピーが言った言葉です。実際には犬なので発声はしていませんが。
 さて、この発言から考えるとスヌーピーは『犬』という種族で産まれて生きている以上『犬』として戦うしかないんだよという意味合いに取れると思います。さて、これはあくまで漫画の話ですが、この言葉自体はどんどん有名になっている印象を受けます。この言葉に肯定的な方、否定的な方、様々あると思いますが、ここでは私なりの解釈をもとにお話しできたらなと思います。



②配られたカードとは

 では、私たちにとっての配られたカードとはなんでしょうか。『富』『名声』『才能』色々思い浮かびます。家庭的なものや、そもそもが出生した国、それこそスヌーピーのように種族というのもあるかもしれませんね。

 ともかく、ここでのカードというのは努力そのものではどうしようもないこと、自身の力では覆ることが出来ないもの、ということにしておきましょう。


③肯定的意見と否定意見

 さて、この言葉を前向きにとらえるとすれば、もう始まってしまったゲーム=人生に対して文句を言ったところでどうしようもないのでその配られた手札で戦っていこうということです。実際この言葉は昔からのポーカーの格言を元としたものらしく(調べてみましたが出典は見つかりませんでしたので伝聞形式です)ポーカーでは手札が弱くても、強気に掛け金を増やしてみたりすることでブラフを仕掛け勝負に勝つ戦力もございます。(ここでテキサスホールデムルールについて話すと長くなりますので、一気に5枚手札が配られると思ってください。)

 現実社会においても、何の後ろ盾もない人物が一代で有名会社の社長となったりどれだけ障害を持ってうまれたとしてもそれを乗り越え活躍されている方々はたくさんいらっしゃいます。障害を持つ、後ろ盾がない、が手札の弱さに直結するかは分かりませんが、例えば足に重度の障害を持っていた場合はそれだけで自身の足で走って~というのはものすごく難しくなるため健常者に比べれば足という部分に関しての手札は弱くなるともいます。

 しかしながら、このような考え方もあります。いくらブラフをしかけて勝負を仕掛けてみても相手の手札がロイヤルストレートフラッシュなら? この場合はもはや相手は負ける要素などまずないだろうと思い、勝負から降りることはないでしょう。もちろん、ロイヤルストレートフラッシュより強い5カードのように見せかける方法もあるかもしれませんが……、そこにいたるまでにどのようなブラフを仕掛けて必死に考えて、その結果となると努力を必須とさせられる時点で平等ではないと考えられますよね。

 もちろん、どれだけ手札が良い方であったとしても努力は必要です。しかし、例えば貧富の差があったとして、24時間のうち睡眠や食事などの共通部分を除いて貧困家庭ならばアルバイトをする必要性が出てきた場合、勉強ができる時間が削られるのは確定してしまいます。そもそもが進学が出来るのかなどを考え出すと、どうしてもこの差は埋まらないことでしょう。貧困以外のどの部分にスポットを当てたとしてもこの埋まらない差というのは現れます。それは事実ではないでしょうか。

 ここでこのような意見も見かけます。『日本に産まれた時点ですでにいいカードである』というもの。確かに、日本は先進国の一つであり識字率はすごく高くなっています。言葉は悪くみえるかもしれませんが、ホームレスの方であったとしても文字の読み書きが普通にできる、これはすごいことです。紛争地域で産まれた方と比べれば明らかに強いカードを持っているように思えます。私もこの意見を聞いて確かにと頷いていたのですが、思考を続けているとピタリと止まりました。それはバトルしている地域についてです。

 世界各国から集まるオリンピックを見ればそれはよくわかると思います。国のレベルが違えばオリンピックに出場できるまでに必要なラインが変わってきます。例えばお笑い芸人としても活躍をされている猫ひろしさん。彼はカンボジアの代表選手として2016年にオリンピック出場を果たしました。もちろんですが、マラソン選手として優れた一面があったことは間違いないでしょう。しかし、日本代表では難しかったのは事実です。もしも、日本代表としてオリンピックに出る選択肢があったのであれば彼は日本国籍のままだったのではないのかと、これは邪推ではありますが。

とにかく、国や地域等、そもそもの闘うフィールドによって求められる強さは異なります。日本に産まれた時点で有利、これは日本の質の高さを感じますが周りで戦う他のプレイヤーも日本で育っているというカードを持っています。同じカードを多くの人が持っている以上それは何のアドバンテージにもなりませんよね。

 では、配られたカードが弱かったらそれだけで終わりなのか……となるとそこも私は違うといいたいです。どれだけ弱いカードでゲームがスタートしていたとしても戦い方次第で勝つことが出来るポーカーと一緒、うまい立ち回りこそ必要ですが努力次第でいくらでも輝くことが出来るのです。なぜなら人生はポーカーと違い”明確なカードの強さ指標も勝ち負けの指標もないから”です。

 確かに世界的な大成功こそしなかった、だけど幸せな生きることが出来たのならば……苦労もしたけど楽しい人生を送ることが出来たのならば、それは勝利といっていいと私は思うんです。結局のところ人生は決められたルールブックがない以上、自分の考え方、思い方で勝ちに持っていけるのではないのではと考えます。


④筆者の意見『ある種の諦め』

 ここからはここまで思考を続けた結果、私がこの言葉から考えた意見を述べたいと思います。それは『諦めてみる』ということです。

 いや、さっきさんざん舌触りのいいセリフを吐いておいて、と思われるかもしれませんが、これは後ろ向きな意見ではありません。

 私たちに配られるカードは完全にランダムです。そのカードに文句を言いたくなる気持ち、それはわかります。むしろ不幸な立場として産まれた人物に対して文句を言うなという方が苦でしょう。しかし、どうしようもないんです。どれだけ手札に文句を言っても、どれだけ勝負を投げ出そうとしても手札が誰かと入れ替わることは決してありません。それならばいったんそのことに関しては諦めて受け取りどのような立ち回りをすればよいかを考えるんです。

 先にも言いました通り人生において明確な勝利条件がありませんから考え方次第でいくらでも変わることでしょう。もちろん、努力も必要ですが。

 ただ、手札に文句を言い続けるだけよりも少しでもこの手札に対してよくなるように考えることでより良い人生を歩めるのではないのかと思うのです。

 諦めて受け入れるところは受け入れる、一見後ろ向きな考え方ですが、それはそれとしておいておいて別のところで思考をしてみる時間を持ってみる、ということです。

 私はこの諦める、もとい、いったんはその事実はあるということを受け入れてみる考えは複雑に絡まりあってがんじがらめになりがちな思考を整理するのに便利だと考えています。


⑤最後に

 偉そうなことを言っていますが、私自身もこの考えを実際にできているのかということに関しては、残念なことにできていません。自身の身体的特徴等の影響もあり身の丈に合わないことをやってみようとしたりもしています。どうして、と恨むこともあります。しかし……それについては諦めてみようと思うようにしています。どれだけ恨み言を言ったとしても私は私でしかありませんから。それならば少しでも得意なことを伸ばしてみることで幸せになりたいと思います。

 幸いなことに、私は文章を書くことが好きで恐らくは文章を書くことに関してはある程度秀でた部分ももっているのではないのかなと思っています。実際物語を作り上げる能力に関しては今まで全くしたことのない方に比べればあることでしょう。

 ただし、私はこの考えを誰かに押し付けるつもりは一切ありません。なぜか? それは努力だけではどうしようもないこともあるということを学べたからです。この思いを誰かに押し付けたり、努力次第でやり方次第でいくらでもどうにでもなれるんだよだなんて……本当に悲しい現実を持っている人たちにいうとまるでお前の努力の仕方が足りないからだと言っているように聞こえてしまいます。努力が足りないから花が咲かないのか? きっと違うと思います。努力をしても、そもそも努力をすること自体が難しい人もいるということを理解しなければこの素晴らしい言葉は人を傷つける刃へと変換してしまいます。

 結局はこの言葉に関しても立場によっては意味を成す場合、なさない場合もあります。しかし、少しでもこの言葉に感銘を受けたり、この言葉に引っ掛かりを覚えているのであれば今一度この言葉に関して考えてみてはいかがでしょうか。別にこの名言だけではありません。様々な有名人、偉人の言葉やことわざなどを今一度自分の人生観に当てはめてみて思考をしてみると様々な考えがでてくるかもしれませんね。


最後に調べてほしいことや気になること等、記事にしてもらいたい内容などがありましたら椿ツバサまでご連絡いただければ幸いです。ネタを募集しております。
 それではまた、別の記事でお会いいたしましょう。


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