初めての養老牛丼

今ではすっかり見かけないが、昭和の終わりから平成初期には、養老牛丼の店舗が、各駅や様々な施設に入っていた。
養老牛丼、つまり養老乃瀧の牛丼屋である。
まだすき家は無く、松屋はあったが、今より店舗数は少なかった。
養老牛丼は、吉野家より安かったし、味も問題は無かった。
だから、養老牛丼は世の中を席巻して、吉野家は倒産に追い込まれた。今の吉野家は、この時倒産して再建された会社である。
吉野家倒産は、大きなニュースだったなぁ。
養老牛丼は、例えば後楽園の場外馬券場にもあった。俺は仕事サボって土曜日に仕事中馬券を買いに行った時には、養老牛丼を食べたから。
養老牛丼が広まったのは、昭和50年代である。俺は高2の時に初めて養老牛丼を仙台で食べたから。

新宿大ガード下のところにある牛丼屋、今はすき家だったかな?ここは昔は、養老牛丼だった。俺は新卒の時会社が西新宿だったから、良くここで牛丼を食べた。

初めて養老牛丼を食べたのは仙台だったが、地元の繁華街に養老乃瀧の店舗が開店した。
俺は高校生だったが、飲み屋の養老乃瀧と養老牛丼が別なのは知らなかった。
だから、飲み屋の養老乃瀧に友達と行って、牛丼を注文した。そしたら、うちは牛丼は扱ってないと言われた。
ま、まだ高校生だったから、焼き鳥とご飯を頼んでる、焼き鳥でご飯を食べたのだった。
今ならネット検索とか出来ているが、俺の高校時代はPCと言う言葉もなく、コンピュータと言えば、大きな機械だった。
個人向けには、まだWindowsも無くMicrosoftは MS-DOSの時代であった。
そして、個人向けの高価なコンピュータは、マイコンと呼ばれていた。
太陽にほえろで石原良純氏が演じたマイコン刑事のマイコンはここから来ている。

ま、検索手段などないから
飲み屋の養老乃瀧と養老牛丼の区別など知らなかったのである。
養老乃瀧には、高校の制服で、カラーを外して、襟を折って背広みたいにして、たまに学校帰りに食事しに行っていた。
勿論アルコールは飲まない。
コーラとか飲んで、焼き鳥やつまみ類を頼み、ご飯をそれで食べていたなぁ。

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