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若年性レビーの初心者家族④


夫の両親のことなど

夫の入院は4月でした。コロナ禍でしたので夫ははじめ隔離病棟に入りました。そこで数週間過ごしコロナの症状が無いことを確かめてから閉鎖病棟へ移りました。
入院費は全て夫の両親が持ってくれました。お金の心配はしなくて良いと言ってくれて。正直私だけでは到底払えませんでしたので甘えさせていただきました。わが家の世帯収入が元々低かったため医療費の限度額が低かったことは幸いでしたが、それ以外にも食費や入院セットなど保健外の支出があり全て面倒見ていただきました。
後日夫が退院し保険がおりて返却した際、そのまま返金されました。

それだけではなく、私は将来のことを正直に2人に伝えていました。夫の両親は以前から子供の世話にはならないと言っていました。とてもしっかりした大人の人たちです。夫はいつか介護が必要になるでしょう。その時に3人を私1人ではみられません。
酷い事を言いますが、自分達のための資金を今ここで使わないでください。取っておいてくださいと言いました。そんな酷い事を言った嫁に2人は嫌な顔ひとつせずに「大丈夫、世話にはならない」と言いました。

夏が近づいた頃、私は心療内科を受診して適応障害と診断名がつきました。初めての受診日、先生が「ご主人の症状は薬で抑えられます。普通に戻りますから心配いりません。」と当たり前のようにおっしゃいました。夫の主治医は当然絶対にこんな事は言いませんでしたが、この時の私の先生の言葉がとても力強く感じられ私を支えてくれました。

適応障害はうつ病と似ていますが、その原因がはっきりしている物をいうようです。
死にたくなったり、何も手に付かなくなったり、何かしようとすると酷い不快感に襲われて動けなくなったりしていました。立って歩いても目眩がして、酷くふらつきました。
それでも仕事と夫の洗濯物交換だけは休まず通っていました。今思えばもうどうでもよくなっていたというか、なりふり構わず必要最低限だけこなしていたと言うか。
道を歩いていても、電車に乗っていても、仕事をしていても泣いていました。
別に泣いていても特に支障はありません。仕事中お客様にだけ気付かれなければ良いだろう。涙が出てくるのだから仕方ない。
死ぬのをやめて開き直ったのです。
死ぬ気になれば何でも出来るとはこの事。

心療内科でお薬をいただき、徐々にですが私も落ち着いて来ました。

4月中徹底的に調べものをしていた時、脳細胞の代謝を活性化させるために何か出来ることはないかとか、コウノメソッドの先生の動画を見て勉強していると脳の画像診断の読影が出来ちゃいそうになる手前でこれは違うと気付いたりww
混乱の中で障害者手帳や障害年金についても調べていました。

精神保健福祉相談でアドバイスをいただいたとおり、夫の担当相談員さんへ障害者手帳、障害年金も含めて今後何を準備すれば良いのか相談しました。
相談員さんは、障害者手帳は申請しても良いですよ。障害年金は申請してもおそらく通らないのでいりません。介護が必要になる病気ですがまだ先の事なのでバリアフリーの家へ引っ越したりは必要ありません。ネットをみると怖いことばっかりたくさん書いてあるけど、ご主人はまだ若いからそんな事ないですよ。という事でした。

確かにネットには平均余命6年とありました。若いから大丈夫なのでしょうか?逆に若い人程進行が早いと書いてあるサイトもありました。

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