『個性』
『個性的な写真を撮るにはどうしたら良いんでしょう?』
唐突に後輩のカメラマンから質問された。個性的な写真?
そんな事を考えてシャッター押したことが無い。
自分は物心がついた頃から『変わってる』『個性的だね』と悪いニュアンスを含む言葉を投げかけられていたので『普通』に憧れていたし『普通』になろうと思っていた。たしか小学3年生くらいの頃の出来事だ。スイカ割をしていて、右、右!と言われているのにどんどん左に進んでしまい先生から『あなた!小3にもなるのに右と左もわからないの?』と言われクラスメイトからも散々バカにされた。右と左がわからなかったのだ。左右の違いがわかるようになったのはなにかの授業で左の語源とされているのが日出る方角、東だと知ってからだ。
撮影のその瞬間、不思議と雑念が消える。目の前いる被写体をいかに綺麗に魅力的に求められた意図に沿ってアウトプットするか。そこの一点だけだ。
自分の個性?それがなんになる。ギャラが増えるわけでもなし言われた通り撮るだけだ。要求されれば他者のマネをすることもある。(打ち合わせの時、他のカメラマンの撮影したページを参考資料として見せられる)とにかく写真の消費者にとって『いい写真』を撮影することが自分の仕事だ。
そこに個性は必要ない。
「高橋さんの撮ったページ、一目みてわかるんですよ。僕もそんなふうになりたいんです」
「個性的な写真を撮ろうとか全く考えてないし編集者に言われたとうり撮ってるだけだよ」
後輩は納得していない様子だった。
しばらくしてその後輩が撮影したある雑誌のページを見かけた。大口径レンズを絞り開放(多分f1.2)で撮影してモデルの目にピントは合ってるがそれ以外は大きくボケている。その写真にはなんとか爪痕を残してやろうという意図が読み取れた。そこに被写体は写っておらず彼の苦悩だけが写っていた。それ以降、彼のクレジットが記載された雑誌を見ることはなくなった。
個性を追い求めているうちは個性は手に入らず、忘れた頃に自然と手に入るものなのだろう。寓話『青い鳥』のように。
ある撮影の帰り道、車の中で弟子に「個性、個性ってそんなに個性が大事かねー。そんな余計なことを考えずに被写体にただ向き合って撮ればいいじゃん!」と言ったら「高橋さん!普通の人は個性が大事って考えるものなんですよ!高橋さんは普通じゃないからそういうことが言えるんです」
そうかやっぱり普通じゃないのか。普通の人になりたいって願わなければ普通の人になれるかな。
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