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10年前の夏の日①

気づけばもう10年前、今はなき「ムーンライトえちご」を主に使って青春18きっぷで東北のローカル線を中心に乗り歩いた時があった。当時まだ常磐線全線再開の道は遠く南は広野駅まで、北は仙台から浜吉田駅まで、そして中間では原ノ町ー相馬が運行再開となっていた。結局これらの区間に筆者が乗るのは全線再開の日に常磐線を初めて走り抜けた「ひたち3号」乗車の折となったのだが、この話はいつかまたということで。

この時の目的は南東北・信越のローカル線を集中的に乗車し、いわき以北常磐線および只見線以外の乗車率を高めていこうというものだった。
日程(※全て2013年)は概ね
・8/5(月):羽越本線・奥羽本線(秋田以南)
・8/14(水):磐越西線・磐越東線・常磐線(いわき以南)
・8/19(月)★:御殿場線・身延線
・8/29(木):信越本線長岡ー長野(当時)・飯山線
・9/5(木)★:日光線・水郡線
・9/8(日)★:小海線
★が付いていない旅程はムーンライトえちごを利用するもので、前日深夜に出発して高崎線内で一旦改札を出てから青春18きっぷの利用を始めて高崎駅からムーンライトえちごに乗車したというものである。嗚呼学生時代の貧乏旅行、今となっては体力的には出来るにしても積極的にやろうとはあまり考えないものだ。
ちなみに5回利用のはずの青春18きっぷで6日目の旅程があるのはラストの小海線のみ友人と連れ立って行ったもので、彼の18きっぷの余り分を使わせてもらっている(精算はもちろん行ったが)。

1日目 羽越本線へ

まずは8/5の羽越本線、ムーンライトえちごで新潟に向かった後に接続する快速で村上、そこから羽越本線の普通列車を乗り継いで秋田まで着いたら奥羽本線の新庄行きで新庄まで南下。福島までは「つばさ」でワープして福島交通に寄り道しそこからは普通列車で帰るという予定だ。
ムーンライトえちごはこの時2回め、初回は同年3月だったがこの時はほとんど眠れずという有様だっただけにどれくらい眠れるものかと…結論越後湯沢を発車した頃の記憶はおぼろげながらあったものの長岡まで割としっかり眠ることが出来た。新潟からはE127系の快速、この車両も10年を経るまでもなく舞台を西あるいははるか南に移してしまった。

村上行き快速と弥彦線115系(別日撮影)

この快速自体元々はムーンライトえちごが村上行きとして運転されていた時の名残のもので、村上からは同駅始発の羽越本線酒田行きに接続する。ムーンライトえちごが廃止された現在でもこの乗り継ぎルートは新潟発としていまだ有効なものとして生き残っており、2023年11月時点でこのルートをたどると秋田着は11時37分で青森には16時25分、青春18きっぷオプション券ルートで函館に向かうのは不可能だが新青森16時45分発の「はやぶさ25号」やフェリーを利用すればその日の内に函館に行くことが出来る。

羽越本線キハ40系

初めての笹川流れを拝みつつキハ40系で羽越本線を北上する。なにしろ夏の18きっぷシーズンともなると相当数の乗客が似たような目的で乗っているはずで、海側の席が取れるか心配していたのだが幸い杞憂に終わりこの眺めをたっぷり目に焼き付けることができた。この区間も今ではGV-E400系となっているはずで、最新のインバータ音を聴きつつというのも乙だろうとは思うものの次この路線に乗る際は特急に乗ってしまいそうではある…

昔懐かしい原色「いなほ」

酒田駅では同駅始発になるはずの「いなほ」用485系が、それも国鉄色である上におでこの2灯は元々北海道初の電車特急「いしかり」のために造られた1500番台の証。何かと注目を集めた車両を思わぬタイミングで独り占めすることが出来た。既に役目を終え廃車になってしまったのだがこのクハ481-1508はそんな歴史の生き証人として新津鉄道資料館に収蔵されており、国鉄特急の歴史を今日も伝え続けている。

秋田色701系

ここからは初めての秋田所属の701系で秋田に、この旅から10年を経た今となってはすっかり馴染みの電車だがこれまでに乗ったのは仙台地域のもので同い年の基本番台はこの日が初めて。軽快な加速に驚かされつつあっという間に秋田に到着したというイメージが強い。

クハ700ボックスシート
折り畳みテーブル

新庄に向かう701系はちょっとした変わり種、後天的にボックスシート化改造が施された車両となった。元々この奥羽南線は701系がデビューした頃山形ー新庄・秋田を特急「こまくさ」が結んでいたのだが山形新幹線の新庄延伸に伴って快速格下げ、しかし特急が走るほどの距離にオールロングシートの701系ではいささか不足がある…ということでこの改造がなされた。新庄からはその山形新幹線で福島までワープ、ここも車両の代替わりが近い。

山形新幹線E3系
福島駅にて

福島からは福島交通線に乗車、この時からご無沙汰ということで現行車両に替わってからは乗ったことがないのでそろそろ再訪するのも良いかもしれない。横の阿武隈急行はこの2年半後に乗ることになる。

この後は東北本線を南下するのだが、大雨の影響で東北本線の黒磯ー新白河がストップする事態に。隣の那須塩原までなら無料振替があったのだがそれでは地元路線の終電に間に合わないのでこの時点で自腹で新幹線利用が確定してしまった。それならもういっそということで大宮までE2系に身を委ねての家路となった。思わぬハプニングとはなってしまったが、秋田の701系との初めての出会いはこうして幕を下ろしたのだった。

2日目 磐越横断

前回から約10日間経ち、今度は磐越西線および磐越東線が主な狙いだ。村上行き快速は乗ってもこの先の日程がその後の普通と変わらないため今日は見送り、新潟駅で115系を眺める。この1ヶ月ほど前にE129系導入(および南武線用E233系・仙石東北ライン用HB-E210系)が発表されたこともあり、しっかりと見ておかねばという時期に入りつつあった。

弥彦線115系
長岡行き2両編成

白新線の普通に乗ってから新発田で乗り換えていよいよ磐越西線の待つ新津に、羽越本線はこの時をもって完乗となった。貨物列車は比較的多く通る区間であり、また当時だとトワイライトエクスプレスの通過経路ではあったものの関東から日本海縦貫線に乗ろうとするとどうしてもいささか縁遠くなってしまう区間でもある。新津に着いてからはもうしばらく115系を撮ってからキハE120系で会津若松に向かう、結局今日に至るまでばんえつ物語号などには乗れていない…

クモハ114-502(S-13編成)を先頭とした115系6両編成
当時デビューしたばかりの展望グリーン車…旧塗装車両との組み合わせは1シーズンのみ
115系2+3両編成
L3編成(クハ115-2037)先頭の115系7両編成
同編成モハ114-105
同編成クハ115-551 元はモハ115-67
クハ115-551を運転台側から

会津若松からはそのまま磐越西線の719系で郡山に向かう、色は馴染みの仙台職ではなく赤と黒の「あかべぇ」カラーのものだ。この頃はそんな719系の置き換えとしてE721系が来る…までならまだしも指定席サービスが始まるなどとは思ってもいなかった。

「あかべぇ」カラーの719系
ちょうど郡山駅にいたEast-iD

磐越東線はキハ110系、そしてそこから常磐線はE501系の10両編成に乗る。さすがに日立付近のラッシュには頼れる10両編成にしても夏休みの昼間には有り余るキャパシティを持て余している感は否めず、乗客としては好きなところでゆったり座れるのだからもちろん大歓迎なのだが…

水郡線キハE130系

水戸まで着いたら水郡線の常陸太田支線を訪ねてから帰りに、本線に乗る予定は既に立てていたのでその前哨戦気分としての乗車となる。450PSエンジンと直結4段変速機による加速の鋭さに驚かされたのが印象的だった。次の回は一味違って東海道線を下り富士以東のJR東海路線の完乗を狙う。

10年前の夏の日②

10年前の夏の日③

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