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10年前の夏の日③

この記事の前編(連続性は特に無い)

2013年夏の青春18きっぷの旅、この記事では
・9/5(木)★:日光線・水郡線
・9/8(日)★:小海線
を題材とする。

5日目 意外な盲点

東武線を乗り継いで久喜駅に着く、本来なら大学への定期券のルートに合わせて柏からJR線を乗り継いで青春18きっぷ以外の交通費をタダにする魂胆だったのだが家を出る時間が遅れて所定の列車に間に合いそうもなくより速いルートを選択する羽目になった。10年を経た今であれば面倒くさいからとこのルート以外を選択する気もなかっただろうがこの頃としてはなかなか勇気のいる決断だったのである。

特急日光号を見送って宇都宮線、東武沿線から宇都宮線に乗る場合久喜あるいは栗橋からの乗り継ぎは何とも気楽なもので東武・JRとも空いた列車にコンパクトな駅から乗り込むことが出来るのは有難い。しかも乗り継ぎのタイミングでコンビニに行けるのも良い。そんなこんなで本来の予定であれば赤羽付近を北上していた時間に東鷲宮を発車していた。

この頃は烏山線がキハ40系
メインはこちらの白に緑帯

宇都宮駅に着いてしばし撮影、烏山線のキハ40は前年の11月にEV-E301系"ACCUM"導入が発表されており、じきに見られなくなるだろうと思うと積極的にファインダーに収めたくなるもの。駅前のライトレールはまだ目に見える変化をもたらしていない時期だったが、今思うとこの頃とは様相がすっかり変わっている。当時のこの近辺のローカル列車は京葉線での勤めを終えて編成短縮されて余生を送る元京葉線の205系が主力で、高崎の211系がそれに混ざるような状況だった。

211系
湘南色の205系

ここからは日光線の205系に乗って日光を目指す、何を隠そうJR日光線はこの時が初だった。家族で行くなら車、小学校の修学旅行なら東武線となると自分の意志で趣味として乗る他無い。かつてキハ55系が、157系が白帯やDRCとしのぎを削った路線だが、今でも関東近郊の学生の修学旅行などの役目を担い続けており見捨てられた路線とするのは早計だろう。終点の日光駅には団体用の出口が健在で、そんな務めの一端を垣間見ることも出来る。

日光駅に佇む205系
日光駅の団体出口

宇都宮線ローカルに用いられた205系ともっぱら日光線に用いられた205系では色が異なった。多分に過渡期の産物といった様相だが今になってみると不思議な気にもなる。2023年現在この地域を担っているE131系はこの頃の日光線色を引き継いだような(+「雷都」に因んで黄色強め?)カラーリングで統一されている。どちらも大所帯ではなかったのだし、205系の時点で統一されていても良かったような気もするが誤乗対策の意図もあったのだろうか。

10年後、上の写真と逆アングルからのE131系

宇都宮に戻り今後は水郡線に乗るべく北を目指す、黒磯まで乗るは211系だった。この頃は205系が主力だったものの211系もそれなりに入っており、時折E231系・E233系が乗り入れ。正直な話一番好みだったのは5両編成あるいは10両編成でグリーン車も選べるE231系やE233系だったのだが、211系はローカル用車両としては座席数が多い点が魅力的だった。

211系黒磯行き

この頃は黒磯駅の端の折返し用ホームが交流とされており、仙台方面からの交流電車はもっぱらそのホームに入っていた。そしてこの頃黒磯発の列車は多く郡山行き、欲を言えば現在のE531系も宇都宮から新白河あたりまで直通運転してくれると楽なのだが…黒磯からは701系、この電車を見ると東北に来たという思いが強くなる。郡山では磐越西線の719系との並びも見られた。

郡山にて701系と719系

この後水郡線の本線を乗りつぶして常磐線で帰ったわけだが、どういうわけかこの後の写真が全く残っていない。別にキハE130系に何か思うところがあるわけでもなんでもなく、あえて理由を求めるならば水戸駅での撮影が難しかったか億劫だったか…そして今回で青春18きっぷは5回目、ここで終わるはずだったのだが友人が2回分余らせているとのこと。この次の日曜日は急遽東海道線で名古屋にでも行こうかとなった。

6日目 まさかまさかの

この頃の野田線

9月8日、未明に2020年夏季オリンピックが東京開催に決定したという(2023年の我々からするといささか苦笑いがこみ上げてくるような…)ニュースが流れてくる中、相模線に揺られていた。この日JR東海管内で東海道本線がストップ、これでは名古屋に行けるわけもなく、それならばとやはり未乗だった小海線を目指して中央線に乗るべく移動していたのである。

臨時列車の115系
  • 高尾からの115系は1000番台の信州色、300番台のスカ色と比べればだいぶ新しいような印象だが今となってはこれすらもやはり懐かしい。この頃既に高崎線から211系はどんどん撤退しており115系の行く末が危ぶまれていた時期だ、今になって思うと貴重な時間だったことは間違いない。

信州色115系
キハ110の「八ヶ岳高原列車」

ここからの小海線は待っていたキハ110系の野辺山行き…を見送りもうしばらく待つ。この日のお目当ては後続のキハE200、言わずと知れたハイブリッド車両だ。直前の7月に東北本線・仙石線直通列車用にこの車両の成果を活かした量産型となるHB-E210系の投入が発表され思わずタイムリーな訪問ともなった。

キハE200系 しかもトップナンバー!
そしてキハE200-3

乗ってしまえば同世代のキハE120やE130…と大きく異なる点があり、エンジンの唸りとともにインバータ音が響くのが特徴。動き出しは静かだがそれ以上にハイブリッド車両の魅力と感じられたのが停車中の静けさ。停車時間中にエンジン音が響かないのは駅の環境を考える上でかなり魅力的なポイントになるだろう。

小諸駅前
「あの夏で待ってる」立て看板

ここからはしなの鉄道→信越本線代行バス、そこからは高崎線で家路に就く慣れたルートとなった。当時の自分は今と比べると驚くほど行動半径が狭く、これらも今となっては何気なく行くような範囲だが大冒険のような思いで取り組んだものだ。10年が経ち過去帳入りした景色も多く懐かしさに浸りながら筆を置くこととしたい。

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