「おすすめ」に引きずられる人々?
ウェブ上のコンテンツを全て享受することは最早ヒトの一生では到底叶わない。物理的にそうだというだけでなく、現実的に一般的な生活を営む人々であれば一日あたりウェブコンテンツに触れる時間はその三分の一程度が現実的な上限値だろう。
というわけで人々が利用するサイトのほとんど、もちろんこのnoteも含めてで「おすすめ」が用意されておりログインしているユーザの属性やこれまでの閲覧履歴を解析したりあるいはPVが伸びているようなコンテンツをユーザに提示して選択肢を誘導しているわけである。もちろんそれらが全て悪いわけではなく、ジャムの法則(あまりに選択肢が多く提示されてしまうとその中から選択するコストに堪えかねて、選択そのものをやめてしまうという現象)に嵌まることを防ぐためにも一定のマッチングが行われる事自体はサイトの運営者とユーザ双方にとって概ね妥当ではないだろうか。
しかしこれ、動画や音楽などではあまりにも多彩な選択肢における羅針盤となるのでいいのだがテキストベースのSNS、それこそXなどだといささか厄介ということを実感させられる人も多いのではないだろうか。定量的な評価が困難なものではあるが「なんでこれをピックアップするかなあ」というような感情的なものや極端に過ぎるような投稿が目立って辟易した人はこの文を読んでいる方の中でも少なくないはずだ。
ではなぜそんな嫌な気分になるようなものをピックアップさせるか、良きにつけ悪しきにつけユーザの目を引くことで少しでも長く自サイトに滞留させようという狙いだろうか(この結果に至ることをどの程度まで意識しているかはともかく)。滞留時間を長くし、物議を醸すような投稿が注目されれば書き込みが増えて、中にはそのテーマについてかくあるべしという意識を強く持つ人が積極的に発信し始める。そうなるとぜひ見なければならないというような意識を持つ人が増えてコミュニティとしては盛んになる。確かにサイトのあるべき姿であることは間違いないだろう、そこで飛び交う言葉が聞くに堪えないようなものや論理が滅茶苦茶なものが目立つということに目をつぶれば…という条件付きで。
これがけしからんという気持ちは分かるし個人としては大いに尊重したいものの、とはいえそれを詰ったとて変わるものではあるまい。SNS(あるいはその類似サービス)を名乗れるような規模で持続的に運営していこうとするなら何かしらの方法で収益を得ねばなるまいし、現代の生き馬の目を抜くような可処分時間の奪い合いの中で一定の地位を得るという目的を達成するために更に良い手段が普及した例もない。
…となると変わらなければならない、というよりは現実的に変わることができるのはサービスではなくこのような「おすすめ」に辟易した我々の方だという結論にたどり着く。もちろん変革を望むのは良いことだが変わらないSNSを見続けていてはそれまでにこちらが参ってしまうだろう。せっかくミュートなどの見たくない発言を表示されないようにする機能があるのだから、これらはどんどん使うほうがいいはずだ。なるほどモノの見方が偏ってしまうのではというのは真っ当な危惧だが、それは24時間365日常に2分間憎悪の臨戦態勢でいるべきということではないはずだ。SNS以外の方法でそういった意見を探してみるのでも問題あるまい。
筆者はそんな付き合い方というものの中でもおそらく最も安直な手を取り続けている、すなわちそれはX(旧Twitter)へのアクセス時間の減少だ。このnoteを始めてからの1年半概ねずっと筆者にとってのXのプレゼンスは下がり続けており、元々(アカウント開設の頃なのでもう14年前だが…)想定していた情報収集に立ち返ったような状況になってきている。もっともこれは「SNS疲れ」というよりはそれまで使っていたクライアントであるJanetterがちょうどこのnote開設の頃に使えなくなってタイムラインなどの更新がかなり億劫になり、その後もTwilog新規更新の一時停止等でだいぶモチベーションが下がってしまったといういわば「自爆」が主因ではあったのだが、そこでたまに見るおすすめが鼻につくようになるといよいよプレゼンスが下がっていくというわけだ。
ここまでは定性面、では定量面。
2023年1月の総ポスト数が2,766ポストに対して直近の2024年5月は641ポスト(今年全体の平均では665ポスト/月;6月分は2倍したものを暫定値として使用)、2020年の夏頃までは概ね3,500ポスト/月だったことを考えると漸減傾向ではあったのだがそこから底が抜けたようになっている。Xの利用を始めてからTwilogを使い始めるまで1年半程度のギャップがあったわけだが、その「先史時代」以来の発信の少なさになっている。その頃となるともう大学受験でそもそもTwitterどころじゃなかったりしていたタイミング。自由意志でそこまで減るだなんて4,000ポスト/月超えが当たり前だった2018~19年頃の自分が聞いたら耳を疑うことだったろう。
別に「心の平穏を保つため、それを望む人々はSNSを断つべきだ」などという気はない。ここまでの文章でこれを読んでいる皆さんにそのように訴えていると受け取られたとしたらそれは筆者の望むところではないし、きっと筆者の文章力のなさ故のものだろう。
筆者だってここまでXに批判的なことを書き連ねてはみているものの、まだまだ自分のコミュニケーションツールの一つとして相応の重要性を持っていることは疑う余地がないし、もちろんそんなツールを少なくとも自ら積極的に手放すつもりもない。
ただ、その向き合い方は「高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に」決めるものであったほうが良さそうだ。サイトの仕様が変わるのと同じように受け取る我々のメンタリティも常に変化していることを忘れてはならない。所詮ツールなのだからその中から自分が「最もよく生きる」ために必要なものを吸い上げる方法を講じればよいだけの話だ。
その中で過剰に感情を揺さぶるようなものを見続けることはおそらくあまり得策ではあるまい。人間は元々目に見える範囲の事象を汲み取るために進化してきた存在なのだから手元の光る板で地球の反対側の事象を汲み取るのは「動作保証外」と考えるのが自然だろう、そんなことを日常に組み込んでしまったら繊細で優しい人ほど参ってしまう。耳目を集めるために創られた「おすすめ」欄であることを踏まえて、その付き合い方を探っていきたいものだ。
…とここまで書いてみたところで、ここまで書いた文章をなんか蛇足感があって別記事にしようかと迷ったのだがAIに読み込ませてみる。評論文で使われるような文章というのは何かしら読み取りにくいところがあるものだという学生時代の教えに従って「それなら読解問題を創らせれば読み取りにくいところを客観的に炙り出せるのではないか」などと助平根性をたぎらせてみたのである。
うーむ悪いわけではないのだが、もう少し掘ってみたい。では「より難しい問題を作るとしたら、どのような点に着目しますか?」…雑なオーダーだな。
ちなみにこの問6,7についてCopilot自身はどう思うのか聞いてみようっと。
うーむちょっと意図していたところと違う気がする、特に問7。だってぼくいわゆる「SNS疲れ」は主因じゃなくって、その後のXが使いにくかった点を強調したつもりだったんだけどでもまあリアルヒューマンよりはだいぶ読解力あるよねBingくん。この辺は今のところまだGPT-4の限界とでもいうべきか、結局生成AI遊びに脱線してしまったあたりで今日のところはひとまずお開きということで。
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