最初の転職でわかった必要な能力と自信

自己紹介の通り、農業研究者を目指していたが挫折し、会社員を経て30歳ちょっとで経営コンサルティング会社に無謀な転職。
そのときの不安と葛藤を今でも思い出す。
「やっていけるか」、「泣きついて前の会社にもう一度拾ってもらおうか」、「そうは言っても今さら逃げ出せない」、毎日いろいろ考えながら1年間が過ぎた。
 
隔離された世界から出た
新卒で入った最初の会社は、ある意味で伝統あるしっかりした会社。同期入社はほぼ同じような経歴で、先輩や後輩も似たようなもの。
お客さんもしっかりしており、信用調査や債権管理には無縁な、言い方を変えれば隔離された世界だった。
そこから、経営コンサルティング会社に転職したが、当時も今も、このような無謀は転職は人にはお勧めできない。
何しろ、価格と利益、コストの区別がつかない、政治の季節に学生時代を送っていたため「利益追求」、「合理化」などの言葉には、なじんでいなかったこともある。
一番の問題は、仕事の内容と進め方はそれまでまったく経験していなく、休みの日も資料の整理と作成、そして基礎知識に習得に追われた。
隔離された世界から外に出るって、こういうことかと、刺激的ではあるが不安だらけだった。
 
仕事の進め方、仕事のお作法やローカルルール
ここまで無謀な転職でなくても、転職のときに大事なのは、どんなに期待されて入社してもそれまでの自分の知見をすぐに使ってはいけない。それをやったら、たぶん、1年後には次の転職先を探し出し始めるに違いない。
とにかく新入社員、新入社員の特権を最大限に活用するのが肝心。転職先の人、つまり先輩に自ら話しかけ、仕事の進め方やお作法、ローカルルールを学ぶことに尽きる。転職ハネムーン期間の半年から1年を最大限に活用したいもの。
そのあたりは無謀で無知な転職だったので、「知らなくて当たり前」と素直になれた。
いくつかのプロジェクトに参加し、いろいろな人にお会いし、なんとか1年間が過ぎた。 
1年間、なんとかやれたから、もう1年やれるかもしれない、とそのとき自分に言い聞かせた。2年やれたらもう2年、4年が視野に入ったわけだ。
 
国語ができる、人となんとか仲よく、そして健康の維持だ
わずかな自信が持てた。
1年間をなんと乗り切ったというのがその理由の一つ。
そして、もちろん仕事をしていくうえで専門的な知識やスキルは必要だが、基礎的な力があれば、最先進でなくともなんとか仕事や世の中についていけそうだということである。
読み書き算盤ではないが、国語が理解でき、上司や仲間を含めて相手が言っていることを理解し伝えられる。それは必要なことを学習し習得できることにつながる。
さらに人と喧嘩せずになんとかやれること、そして健康であり続けること。
最後の自分の健康の維持、日本男子は案外ここが弱い。言い過ぎかもしれないが、自己節制して健康を維持できる自立した日本男子は思いの外少数派である。
食生活、睡眠と休養、運動、自分にあったこれらの究極のバランスを、生活を記録しながらどう見つけるか。
                        その30:2023/07/24
 

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