見出し画像

「感情を言葉で示す」ということ

 先日、簡単なマインドフルネスのワークを受けた。ざっくりとした概念と呼吸法のエクササイズの体験、そしてその後に「感情ラベリング」とういう流れだった。ラベリング=感情や思考が湧いてきたら、そのラベルつけをする。ラベリングすることで、思考の連鎖を止めるという方法なのだが、ここで私の頭の中は『??』分からなくなった。
 呼吸していることに集中して、感覚で感じたことは山ほど湧いてくるけど、感情?思考?湧いてこないんですけど〜〜。他の受講者の方も「感情を言葉で表すことが難しい。」と発言されていた。講師は「感情を示す言葉のリストなど、ネットで検索すると出てくるようなので、そのワードを見てみるといいかもですね。」のようなことを話していたと思う。
 私も感情を言葉で示すことは難しいと思った。今度、感情ワードを見てみようと思いながらその部屋を後にした。

感情ワードを見てみた

 自宅で思い出して「感情」「言葉」「ワード」で検索してみた。すると、言葉のリストは確かにあった。そのリストを眺めてみたけれど、私の頭の中は『??』とどうにもスッキリしない気持ちでいっぱいだ。今の気持ち・感情をそのワードのリストの中から探せない。ピンとこない。
 感情ワードのリストの他にも、「プルチックの感情の輪」「感情イラスト」などがあった。「プルチックの感情の輪」の図は、ドラマ「オクト」で見たことがある。感情ワードを眺めているよりは、今の自分の感情を探しやすい気がしたので、その図を保存しておく。
 「感情イラスト」をいろいろ見てみる。私の頭の中は『💕💕』で、「なにこれかわいい」と思いワクワクした。イラストと言葉が一緒に書かれているものもあれば、イラストだけのものもある。私は楽しくなった。次から次へといいなと思ったイラストを保存していく。フリー素材ではないものもあるので、此処に載せることはできないのだけれど、この中から、今の気持ちを選ぶことはできるな!と思った。
 言葉の文字列だけを見ていてもピンとこないけれど、イラスト付きあるいはイラストを見ていると何かが近づいてきた気がする。これは、なんでなんだろうなと思いつつ、その解明はまた今度でいいかと思い、頭の片隅に置いておくことにする。
 そして、感情ワード、感情イラストなどをネット上で漁っていると、アレキシサイミアというワードを見つけた。なんかすごい興味をそそられる。

アレキシサイミアという性格特性

 アレキシサイミアとは、自分の感情を表現する言葉を見つけることが難しいという性格特性であるとのこと。(1972年、シオネオス提唱)
 私は、「ふーん。そんなに前からそんな概念があったのか。」と思いながら、説明サイトや記事を読んでいった。アレキシサイミアの特徴の中にある「想像力に乏しい」という点は私に当てはまらない気がするが、おおむねうなずきながら読んでいく。
 この特性を抱える人は、自分のことよりも他人や周囲に意識が向きやすく、ストレスを抱えやすい。しかし、そのストレスに気づきにくいため、身体症状に出やすいし精神疾患にもなりやすいらしい。
 「自分の感情の微妙な変化に気づき言葉にできることは、彩り豊かな精神生活を送り、スムーズな対人関係を気づくことにつながっている」(引用:www.e-healthnet.mhlw.go.jp 小牧元) らしい。そして、自分自身に意識を向けることを習慣化していく事で自分の気持ち・感情の理解につながっていくのだとか。

だからマインドフルネスなのか…

 私は、ストレスをストレスとして認識することが少ないが、頭痛は頻繁に感じる。
 私は、自分の感情を言葉にするということは意識してこなかった。感情ワードを文字で見ても、その言葉がさす心の状態を想像できないし、ピンとこない。
 私は、映画や音楽に触れて、思わず涙が流れることや、美術館で絵画を見て絵から押し寄せてくるものに耐えられなくなったりすることはある。その状況の私の心を表す言葉はあまり知らない。
 そんな私は、だからといってなんなんだ。そんな私なんだと思っていた。だが、動けなくなった。うつ病と診断され、仕事からも離れた。
 そういうことなんだ。私には、マインドフルネスな体験が必要ってこと。
私は、自分自身の感情に目を向けていないばかりか、自分自身にためていったストレスや疲労にも目を向けていなかったのだと気づく。
 まずは、自分自身に意識を向けよう。それを、習慣化するところから始めよう。
感じた感覚を感じよう。多分、感覚が過敏でたくさんのことが湧いてくると思うけど、自分の身体と心にしぼってみよう。自分に集中するって、そういうことだと思った。
 そして、感情ラベリングは急には難しいと思うけれど、「私は、今、〜〜と思った。(思っている)」と表現することはできそうだ。そうやって、思考を区切ってみよう。
 そうすることが、身体と心の観察なのだろうと思った。
 私は、今まで、起きたものごとにあれこれ反応することには何も困っておらず、出来事がたくさん起きても、これにこう反応して、あれにこう反応して…と、同時にたくさんのことを並行して処理していくマルチタスクが得意だった。
 その反面、疲労やストレスは、後々になって、大変だったんだなと気づくことはあっても、その時には気に留めてこなかった。だから、急にエネルギーが枯れて、エンストした車のように動かなくなったんだと思った。そのことに、私は、今、気づいた。
 感情を言葉にしようと立ち止まることで、思考や行動の流れを一旦とめて、疲労やストレスにも気づいて対応できれば、燃え尽きることもあるまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?