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あいにいきます

この世にはさまざまな形の愛が存在し、感情に応じて使い分けられていますが、本当の愛とは何でしょうか?

なぜ私たちは愛し合い、そして愛が薄れて憎しみに変わることがあるのでしょうか?

今回のテーマは「愛」ですので、堅苦しさを避けつつも、「愛」について書いていきたいと思います。ご一緒にお付き合いください。

まず、この世の愛の形は多岐にわたります。好きになることから始まり、恋に落ちて愛に至るまで、その過程は心がキュンキュンと躍るものです。

片思い、初恋、下心丸出しの愛、相思相愛、略奪愛、相手を傷つける猟奇的な愛など、さまざまな形があります。しかし、何かのきっかけでその愛が失われ、苦しみや憎しみに変わってしまうこともあります。これは幻想の愛を追い求めるからかもしれません。

このような状況では、契約的な要素が必要になってきます。「あなたのことが好きなので付き合ってください」「うれしい♪」といった具体的な合意が結ばれます。結婚の場合も同様で、婚姻届を提出することで契約が成立します。

この契約の背後には「破った場合の結果はわかっているよね?」という束縛や見返りを求める考えが存在します。この世の愛には制約がありますが、それでも愛は美しく暖かく、純粋さを感じることができるのです。

さて、「大いなる存在」の元ではどうでしょうか?

言葉で完全に表現することはできないほどの状態です。キリスト教のアガペーに近いかもしれませんが、それを超えた壮大なものとしても解釈できます。

それは永遠に湧き出る愛であり、全てを救済し元の存在に還す機能だと私は感じています。変化や量の概念はなく、全てが一つなのです。一つから始まり、全てが救われていき、安らぎが満ち溢れるのです。

このような愛を理解することで、私たちは相手を想い、愛することができます。そこには不安や恐れ、見返りを持ち込む必要はありません。無償の愛を与え続けることで、自分自身も愛することができるのです。

「大いなる存在」とのつながりに気づくと、お互いに愛とのリンクが形成されます。そして、その愛によって引き合われるのです。まるで燃え盛るような情熱と能動性を持った愛が存在し、新たな生命が誕生するのです。

これこそが「本当の愛」の形であり、裏がなく「大いなる存在」と一つになる状態です。

本当の愛の状態では、不安や恐れ、見返りの概念は存在しません。全てが無償の愛であり、時には相手を突き放す愛もあり、相手に気づきを与えることもあります。そこにはただ愛しか存在しないのです。

しかし、この世ではうまくいかないこともあります。なぜでしょうか?

その答えは内側と外側、本当の自分と自我のズレにあります。

精神的にはつながっているのに、外見や性格に反発してしまうことがあります。これは自我の主観によるものです。見た目や性格にとらわれず、内面的な関係で愛し合える相手であるにも関わらず、自我が反発してしまうのです。

そして、同じパターンを繰り返すこともあります。「あの子、いつも同じような人と付き合ってるよね」とか「どうして私は同じような人と付き合ってしまうのだろう」という風にです。

これはなぜでしょうか?ここでも本当の愛が引き合っているからです。同じ波長の人と付き合っているだけであり、自我が反発しているだけなのです。厳しく言えば、あなたと同じレベルの人と付き合っているため、それは避けられないことかもしれません。

では、嫌いな人や付き合ってみたら嫌いになってしまったときに、自我とのギャップを感じないようにするためにはどうすればよいでしょうか。

まず、大切なのは「私で在ること」を受け入れることです。自分自身を完全に受け入れ、明らかにすることで、内側と外側、本当の自分と自我のズレを最小限に抑えることができます。

また、自己啓発や外見の改善も重要です。外見を整えたり洒落たりすることも一つの方法ですが、それにとどまらず、精神を浄化し「いまここ」に集中することも大切です。自我や思考を道具としてフル活用し、経験を楽しむことが重要です。

さらに、愛の力を感じることも大切です。愛を感じ、愛に触れ、愛を与え、愛を分かち合いましょう。愛は全ての源であり、私たち自身から溢れ出ています。そのことに気づくことで、私たちはより深い愛に包まれ、愛に引き寄せられた人々が私たちの周りに集まってくるのです。


全てが愛のなせる力なのです。


愛を感じましょう。


愛に触れましょう。


愛を与えましょう。


愛を分かち合いましょう。

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