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になるもの

私たちは現在、不安や心配、混乱が蔓延する世界に置かれています。外の世界は先行き不透明であり、光が見えないかのように感じられるかもしれません。しかし、私たちが忘れてはならないことがあります。「大丈夫です」と軽々しく言えないかもしれませんが、私は断言いたします。大丈夫です。


私たちが存在できる場所は「いまここ」、そして存在できる時は「今ここ」に限られています。過去や未来に心を奪われるのは、恐れや不安、恐怖心から生じる自我の作用です。しかしその自我も、あなたそのものなのです。自我を「いまここ」に連れ戻すようにしてみてください。

自我は「いまここ」には連れていけませんが、私たちは「今ここ」に存在することができます。現在の状況が苦しいかもしれません。逃げ出したくなるかもしれません。あまりにも困難で、「死」を選択してしまうかもしれません。しかし、幻想に惑わされたり、翻弄されたりすることはありません。今こそ、行動する時なのです。

過去の状況なら何か理由をつけて行動しなかったかもしれませんが、選択肢は少なくなってきています。だからこそ、内なる世界の力を借りて、「今ここ」で少ない選択肢を見つけ出すのです。そのためには、自我を「今ここ」に連れ戻す必要があります。

私たちは、神に似せて作られた存在です。これがどういう意味か、お分かりでしょうか?私たちは神そのものではありませんが、似せられた存在です。ですから、神の力の一部を使うことができるのです。それは、どんな人でも同じです。

現在の状況を乗り越えるには、より深い気づきと神の力を使う必要があります。この時期において、私たちが必要としているのは、精神的な力強さです。しかし、神の力とは霊的なものだけではありません。私たちが日常で使っているものも神の力なのです。

前述のように、私たちは神に似せて作られた存在ですが、全てではありません。私たちが神と異なる点は、生まれることと死ぬことです。この点が私たちにとって四苦八苦となる運命です。これらを不幸だと思うかどうかは個人の問題ですが、神は生死を設定したのは、有が無に還るからなのです。

私たちが直面している困難な状況を乗り越えるためには、より深い気づきと神の力を活用する必要があります。私たちは外の世界に囚われるのではなく、内なる世界に目を向けることで真の力を発揮できるのです。

この時期、状況に翻弄されることは避けられないかもしれません。しかし、私たちは内なる自己にアクセスし、「いまここ」で存在することで、心の安定と平穏さを見出すことができます。自己観察を通じて、自我から離れ、より高次な存在としての私たち自身を体験しましょう。

皆様にとって、この挑戦の時期が成長と変容の機会となることを心から願っています。私たちは共にあり、共に進化していくのです。信じ、希望し、愛しましょう。

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