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  <連載小説> 沈み橋、流れ橋

―明治・大正・昭和 一族三代のものがたり―


第1章(18)

 明治四十(1907)年の暮れ、美津の妹のはまが祝言を挙げている。相手は三十になったばかりの正栄社社員、石島俊太郎である。大番頭、いまは副社長の佐助の手足となって会社の業務全般を学び、雑務は一手に引き受ける。明朗でよく気が利き、腰も低い。雑事も無難にこなしつつ、相手の懐に入って気持ちよくさせるお追従ついしょもなかなかうまい。佐助もその才覚を認めて自分のそばに置いている。
 石島は四年前、美津の兄の小三郎がブラジルに出立した日、社員総出で見送りに行った際に、御寮人さんの妹のはまをすでに見初めていた。夫婦になりたいという意志をそのときから佐助にそれとなく伝えているあたりも、抜かりない。
 石島の家は、正栄社が「近江屋」だった時代から代々お抱えの大工だった。俊太郎は小さい頃からじいさんについてきて、店でちょろちょろしては叱られながらも奉公人たちに可愛がられていた。はしこい俊太郎の姿を駒蔵も覚えている。成長した彼は長男のくせに、大工は嫌や、新しいことがしたい、正栄社に入りたいと言い出した。親父には叱り飛ばされたが、最後は駒蔵の鶴の一声で、採用とあいなった。小三郎の時と同じだ。「無鉄砲」や「新し物好き」というだけで、自分もそうである駒蔵は甘くなってしまうのだ。

 そのお気に入りの俊太郎が美津の妹と一緒になるというので、祝言は曽根崎新地一の料亭を貸し切りにして行った。社員も総動員である。新郎新婦のお披露目に続き宴も一通り盛り上がった頃、駒蔵は俊太郎の人事異動を発表する。誰にも言ってなかったから一同が驚いた。駒蔵の頭のなかには漠然とあったことだが、この婚礼の場で急に決めたのである。
「新郎・石島君には、廣谷鋳鋼所の庶務をやってもらう」
 そのころ、駒蔵の事業の軸足は、「正栄社」から「廣谷鋳鋼所」に移りつつあった。岡坂愛之助との共同経営も順調な鋳鋼所の事業に、より手ごたえを感じていたからだ。現在は、土木工事用の機械製作やセメント製造機などにも力を注入しているが、いずれは自らも土木業者になろうという目論見もあった。「これからは土木の時代や」という直感が、駒蔵の思考と行動を先へ先へと動かしていた。
 この配置換えも直感からでたものだった。石島の勘の良さ、人当たりの良さは、輸出の仕事よりは国内での交渉ごとに向いている。鋳鋼所の拡張にその能力を発揮してもらいたい、というのが駒蔵の考えだった。
 ぽかんとする当の俊太郎はじめ祝言の参列者を前に、駒蔵はやおら自分の妹の話をし始めた。駒蔵の生家、船場の砂糖問屋「神崎屋」から他家に嫁いだ、年の離れた妹、佐江さえのことである。

「私の妹はな、あの櫨山はぜやま一族に嫁いだんですわ。櫨山ゆうたら名門でっせ。ほれ、今年、西宮の夙川しゅくがわ香櫨園こうろえんゆう大きな遊園地ができましたやろ。阪神の駅もできて。それ作った櫨山家ですわ」
 社員の何人かが大きく頷いた。確かに今年、風光明媚な西宮の夙川沿いに、それは大きな遊園地が開園した。池にボートを上から滑らせるウォーターシュートと呼ばれる娯楽設備が目玉で、動物園や音楽堂まである。人々の口の端にもよく上っていた。
「そんでな、こうろ、の名は香野こうの家と櫨山家から一字ずつ取ってんねん」
 大阪からでもちょっと足を伸ばせる距離の「香櫨園」を、駒蔵はすでに愛之助と訪れていた。新事業のあるところ、どんな仕事の種が転がっていないとも限らないのだ。実際そのとき、この遊園地の持ち主の一人が、佐江が嫁いだ櫨山家一族の人間と知った。駒蔵がその足で面会を請いに行ったのは言うまでもない。佐江とはまだおしめが外せないくらいの頃に別れたきりだったから、三十五年ぶりの邂逅、というより初対面に近かった。女盛りはとうに過ぎ貫禄も十分の佐江だったが、さぞや娘時分は別嬪であったろうと駒蔵は誇らしかった。積もる話をするうちに、佐江がなんともけったいな見合いをして櫨山家に嫁いだと知った。
「園遊会みたいな」お屋敷の庭園での宴に、佐江は一張羅を着せられ連れて行かれた。豪勢な飲食が振る舞われた後、立派な身なりの男たちが外側、振り袖姿の若い娘たちが内側に並んで二重の円を作る。そしてそれぞれが逆方向に、何をするでもなくただ、ぐるぐると歩く。佐江は緊張するやら恥ずかしいやらで、始終うつむいてばかりいたが、その間に外周の男どもに品定めされており、櫨山家一族の妙齢の息子に見初められ、嫁ぎ先が決まった。
 駒蔵は婚礼の席で、佐江に聞いたそんな何十年も前の話をふいに思い出したのだ。そしてその話をまるで見てきたかのように披露すると、こう締めくくった。「交差することのないはずの二つの円が、巡り巡ってひとつになったいうことや。その人しかあかん、ゆう一人と出会いにならはった。これこそ夫婦の“縁”ちゃうかな。今日の花嫁御寮も、石島が星の数ほどもおる女子おなごのなかから選んでくれはった。石島くん、はまを頼みましたで。新天地でしっかりやってくんなはれ」

 妹夫婦への駒蔵のはなむけの言葉を「また調子のええことゆうて」と聞いていた美津だが、実はこの結婚を誰よりも喜んでいた。石島の口達者すぎるところが気にならないではなかったが、兄の小三郎はブラジルに行ったままだし、せめて妹のはまが近くにいてくれるという嬉しさは何にも代えがたい。そのうえ石島は、いつなんどきブラジル行きになるかもしれない正栄社から、廣谷鋳鋼所に移ることが決まった。美津の不安の種もこれでひとつ減ったというもの。
 俊太郎とはまは、拡張する予定の工場近くに新居を構え、美津は妹としょっちゅう会えるようになった。そして親戚となった石島家と、廣谷家はこれ以降も深い繋がりを持つことになる。     (つづく・次回の掲載は7月15日の予定です)

*参考資料:「華やかなりし香櫨園」(「日刊神戸っ子」2017年10月号)、南野武衛「西宮文学風土記」(神戸新聞出版センター発行)   

* 実在の資料、証言をもとにしたフィクションです。





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