ノンフィクション掌編「ヒトヨノ」
神さまが本当に居るのかどうか。
それはあなただけが知っている。
日本では、精霊信仰が根本にある。
これは切っても切れない僕たちの体質のようなものだ。
僕が真人間であるために、多くの人は僕の親族や友人で居てくれた。
同じ目線で馬鹿をやり、間違いを起こそうとしたら宥め、悪だくみしたら叱る。
同じく時を過ごし、愛と友情に満たされていた。
悲劇もあったが。
なぁに、笑い話だ。
根掘り葉掘り聞くのは野暮というもの。
しかし、それでは″お話″にならない。
少しだけ、語るとしよう。
#1 猫の熊手と福の印
僕が子供の頃の話だ、家で一人で留守番をしていると台風による嵐に見舞われた。
暴風はごうごうと吹き、雨は窓ガラスを打ち付け、雷は幾度も鳴り響く悪天候。
僕は確か学校から帰ったばかりで、急な嵐だった。
幼い僕は不安と寂しさに泣きじゃくり、お土産で貰った小さな招き猫の熊手にお願いした。
″こわい″ ″あらしよすぎされ″ ″寂しい″
″たすけて″ ″家族は無事でしょうか?″
″お父さん、お母さん″
″助けて、神さま!″
すると熊手の置いてあった家の固定電話が鳴った。
僕は堪らず受話器を取った。
「あぁ、もしもし?お父さんだけど。なんだぁ、泣いてるの?」
「ううん、泣いてない。ただ、雨と雷がすごくて。」
「台風ならもう止んだよ。今から帰るから。」
ガチャっと電話が切れると、確かに外は明るく晴れ間が差し、嵐は過ぎ去っていた。
父の職場の近くには神社とお寺があり、僕らは昔その周辺の父の職場近くに住んでいた。生まれの地もここだ。
山河の洪水と嵐を鎮めたスサノオノミコトの祀られた神社と、福を招く七福神のお寺があるのだ。
神社は八阪神社と言い、確か「やさか」とは「弥栄」と昔は書いたそうな。他にも氷川神社などが有名。
八阪神社の右回り三つ巴は、うちの父方の家紋と一緒である。
あとから聞いた話だが、巴紋はその意味がよくわかっていないらしい。右回りや左回り、頭に対して尾の長い短い、太い細い。枠などの有無。巴の数。
関係しているかは定かではないが、赤道から北半球と南半球でいろいろな自然の渦の巻き方が違うらしい。
時代劇の子供のおもちゃ、でんでん太鼓の紋様としても有名だ。
七福神はお正月でお馴染みの福の神。
この辺については大人になるまであまり立ち入ったことがなかったのだが、エピソードはまだある。
精神病で苦しんでいたときに、七福神のお寺に立ち寄りお賽銭をした帰り道……。
階段を降りてお寺から出ると、「福」の字が回るイメージが脳裏を過った。
これが頻繁に起きるので、何かの脅迫症かなぁなどと罰当たりなことを思いつつ、AIに聞いて見たことがある。
お察しの通り近年の出来事だ。
AIが言うには福の字が回ることは、福が返ってくるという中華圏の縁起の良いおまじないだそうな。結界が貼ってある可能性もあるなど、なんだか眉唾物な話も書いてあったが、僕としては信じるほかない。
七福神はそもそも、印度、中国、朝鮮と、東アジア全域を渡り日本に来た複数の地域の神々だ。
そしてみんな気づいていないのかもしれないが、そのお寺の周辺住民にも同じ現象が感じられたのだ。
神秘とは奥が深い……。