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モコ24年〜人格形成につまずいた私に親友ができるまで〜


“学生時代に戻りたい”
“10代、20代が一番楽しかった”

現在42歳。そんなことを思ったことはない。
学校でイジメられていたわけでも、過酷な家庭環境だったわけでもない。
それなのに、多くの人が懐かしいと感じるらしい頃を回想する時、私はそれをほとんど感じない。
その代わり、決まって連想する光景と、それに伴う思いがある。

それは、真冬の持久走。
乾いた土と枯れ草の香りをかすかに連れて勢いよく入ってきた空気が、冷たく肺を満たして痛めつける。
逃れたいからと言って、呼吸を止めるわけにもいかず、痛みを黙認するしかない。
そんな、どうにもならない息苦しさと共に
「やっとここまできた」
漠然と、それでいて明確にそう思うのだった。

これは、人格形成につまずいた私が“モコちゃん”という親友を得るまでのお話。

《モコ前》

“つまずいた”と表現するにあたり、どうしても避けることが出来ない、2つの要因がある。

―その1・祖父の記憶―
両親共働きの家庭に生まれた2歳上の姉と私は、同居していた父方の祖父母にたいそう可愛がられて育った。

それがどれほどかと言うと、スイカを食べられなくなるほど。
というのも、私にとってスイカとは、祖父によって全ての種を取り除かれてから、ようやく自分の口に入るものだった。
種を取る作業が面倒で、ついに数年前、スイカを食べる事を諦めた。

そして、予防接種を前に泣きじゃくる我々姉妹を見た祖父は、
「そんなに泣いて、引き付けでも起こしたら大変だから注射には行かんでいい」
と母に言ったほど。
ちょっと的外れではあるが、とにかく愛情たっぷりに育ててもらった。

やがて姉が先に幼稚園に通うようになり、家に残された私は祖父母を独り占めすることになる。
長らく心臓病を患っていた祖父は、かかりつけの小さな医院にタクシーで通院していた。その際は必ず祖母と私が付き添うので、私にとっては楽しい3人でのお出かけだった。

12月のある日。
私はいつものようにぬくぬくと厚着をさせられ、祖父母と医院に向かった。
祖父の診察が終わり、帰りのタクシーに乗り込む私たちと、それを見送る馴染みの看護師。
すると、まだ出発しないうちに祖父が急に胸元を強く握りしめて苦しみ始めた。

目が細く、いつでも笑っているかのような優しい顔をした祖父。
言う事を聞かなくなった祖父の心臓はそれを歪ませ、もう知らない人になっていた。
いつも優しく私の名前を呼ぶ声は、苦しみに圧されて声にもなっていない。

看護師がすぐに医師を呼んできたが、状態は深刻。
医師の判断により、救急車を待たずしてそのままタクシーで大きな救急病院に向かった。
病院の玄関には、連絡を受けていた看護師たちが待ち構えていた。
車のドアが開くや否や、ドア側に座っていた私に向かって一斉に叫びだす。

「早く降りて!」
「ほら!早く!」
「降りて!」

大人たちは、怯えて動けずにいる私を引っ張り出し、祖父を連れて行った。
祖父とは、それが最後。

その日は、陽の光がやたらと穏やかで暖かく、冷たく澄んだ空気に映えていた。

大人になるまで
「あの時私が早く車を降りていれば、おじいちゃんはまだ生きていたのかも。私のせいでおじいちゃんは死んだのかもしれない。」
真剣にそう思っていた。

そのためか、物事の流れが滞る事態そのものだけでなく、その原因となっている人物に対しても、どうしようもなくひどい嫌悪感を覚える。


―その2・放課後の悪魔―
小学校に入学すると、仲良くなったクラスメイトの家に遊びに行くようになった。少し離れたその子の家までは、小学校1年生の徒歩で30分弱といったところ。
いつものようにその子の家に遊びに行った、その帰り道。

歩いている私を追い越す人がいた。
気配を感じた私は何気なくそちらを見上げる。すると、学生服を着た男と目が合った。
どこにでもある、なんでもない光景。
しかし、その男は悪魔だった。

悪魔はそのまま私を追い越すと、細い横道に曲がった。
私はそこを直進する。
すると、横道から悪魔が手招きをしながら声をかけてきた。
「ちょっと、こっちおいで」
とっさに学校の先生が言っていたことを思い出した。

「知らない人について行ってはいけませんよ」


“これのことだ!”
ハッとした私はもちろん、そちらには行かずにそのまま通り過ぎる。
横を向いていた顔が前方に向き直ったころ、悪魔が動き出す姿が視界の隅に入った。
“あ、来る”
そう直感した私は本能的に走りだしていた。
しかし、小学校1年生の女子が歳上の男子に勝てるはずはない。悪魔はすぐに追いつき、私の右肩を掴んだ。
そして私の顔を舐めまわしたのだ。

とにかく気持ちが悪い。
そして、あってはならない事が起きている。それだけは分かった。
ありったけの力で悪魔を振りほどき、全速力で家まで走った。
気が済んだのか、今度は追いかけて来なかった。

ほんの数分の出来事。
そして、
「それで済んで良かった
「逃げられて良かった
他人から見ればその程度の出来事。
否定はしない。実際に、私は逃げられたのだから。

しかし、好奇心に溢れた六歳の少女が、すっかり心を閉ざしてしまうには十分な出来事だった。
以来、私は小学校3年生頃まで放課後の外出を一切していない。
最初はしつこく遊びに誘われたが、毎回断るうちに諦めてくれた。
毎日まっすぐ家に帰り、おやつを食べながら祖母と一緒にテレビで時代劇を観る。
それが私の安全な世界だった。


【モコ前11年・あの子はもういない】

小学校2年生のある日。
私は、枯れ葉が風に吹かれる様子に見入っていた。
「あなた!トットちゃんみたいね!」
先生の怒鳴り声で我に返る。
どうやら先生は、授業中に外を見ている私を何度か注意したらしい。
しかし、その声は全く私に届いていなかった。

みずみずしさを失った茶色く、もろい葉っぱ。
乾いた風に吹かれてヒラヒラと揺れ、クルクルと回る。
そして、ついに解き放たれそうになっていた。

授業を聞いているよりも、その有り様を見ている方が、ずいぶんと興味深かった。
びっくりはしても、なぜ怒られたのかは分からなかった。
美しい光景に見入っていた、ただそれだけ。

小学校に入ってすぐの私は、元気に手を挙げて先生に当ててもらうことが好きだったのに。
悪魔は、ほんの数分でそれまでの私を奪った。
“あれ”をなかった事にして記憶からも追い出せば、“これまで通りの私”でいられる、そう思った。しかし、その代償は精神的な引きこもりだった。

やがて自我が芽生え、個性というものを意識しだすのだが、私のそれは他者と交わり難い要素を含んでいるのだと、気付かされることになる。

人格や価値観の形成が成される時期に、大切な人が目の前でもがき苦しむ姿を目の当たりにした。
悪魔の所業により自分を内側に閉じ込め、誰かを遊びに誘うという習慣もなく育った。
誰も知らないところで“つまずき”が起き、それはやがて自己の矛盾と混乱を招くことになった。

学生時代、人と本音で話したことはなかったように思う。
かといって、1人になる勇気もなかった。

執着にも似た“普通の小学生でありたい”という思いは、“群れ”に属することを必須としたからだ。
その為に私は、自分であることを放棄した。

のちに親友となるモコちゃんとの出会いは、そんな学生時代。


【モコ前6年・はじまり】

今からさかのぼること約30年前となる中学1年生。
出会いとはいっても、別々の小学校だった我々が中学進学を機に生きる箱が同じになっただけ。
モコちゃんは、のちに生徒会メンバーとなるような学校ヒエラルキーの上位者。
一方の私は下位者であり、少し目立つ人の隣にいる“〇〇と一緒にいる人”。
モコちゃんと直接関わることはなかった。

ただ、私の小学校時代の友人がモコちゃんと同じ女子サッカー部に入部したことにより、私にとってのモコちゃんは“友達の部活仲間”として知ることになった。


【モコ前4年・友達の友達は赤の他人】


中学3年生になると、クラスが同じになったヒエラルキー上位者数名と仲良くなった。
その子たちはモコちゃんと小学校からの仲良し。

だからといって、私がモコちゃんと直接話す機会なんてものはなく、他人時代はまだ続く。

〜潜在的二人の思い出〜
そんな他人時代に、なぜか今でも鮮明に覚えているモコちゃんの記憶がある。それはクラス対抗の合唱コンクールでのこと。
「あー、めんどくさい…早く終わんないかなぁ」
私は体育館の床で両脚を抱え込んだ手を眺めていた。

あるクラスがステージに上がり位置についた。
伴奏ピアノの第一音が鳴る。

私は、それまで垂らしていた頭をクッと引き上げた。
目線の先にはピアノを弾くモコちゃん。
音が大きいだとか音色がどうだとか、全くそういうことではない。

それは確かに“心に響いた”。

ありがちな表現ではあるが、これが1番しっくりくるので仕方がない。
未知の感覚に驚いたものの、当時は
「あ。サッカー部の子だ。なんか…すごいな…」
と思っただけだった。


【モコ前3年・平行線】


やがてモコちゃんと私は別々の高校へ進学するのだが、ここで「モコ前4年」時の友人関係がポイントとなる。
その当時仲良くなった友人たちと私は同じ高校へ進学。
そして同じ部活に入り仲を深めていった。
ただ、これが実際に効いてくるのはまだ先の話。

この時はまだ、モコちゃんと私は“友達の友達”から抜け出せない。
まだま2人は他人同士。

《モコ後》

【モコ元年・友達の友達から友達へ】

私は大学進学を機に、生まれ育った土地を離れた。
そしてこの時、ついにモコちゃんとの関係性が動く。

偶然にも、モコちゃんと私は進学先が同県。
さらに、モコ前4年時の友人で、高校の部活仲間でもある友人たちも同県。
そう、ここで効いてくるのだ。
そのうちの1人、サッちゃんとモコちゃんは同じ大学に入学。
そのうえ、サッちゃんとモコちゃんは同じアパートの二軒隣同士だった。

私は第2の家かのようにサッちゃん宅に入り浸っていたこともあり、サッちゃんを交えてようやくモコちゃんと直接関わることになる。

私はモコちゃんと、ついに“友達”になった。
とはいえ、サッちゃんやその他の友人を交えたグループでの遊びが中心。
2人で会ったり、出かけることはなかった。


【モコ5年〜・縮まらぬ距離】

大学卒業後、しばらくするとお互いが生まれ故郷で暮らすようになり、2人きりでも遊ぶ仲となる。

しかし当時の私は、例の“つまずき”からくる自己の矛盾と混乱が限界に達していたのだ。
それをどうにか誤魔化しながら生きていた私は、ついに心身のバランスを崩す。

友人たちのほとんどは、その頃の失恋が原因だと思っている。
実のところ、あのバカげた恋愛は、既にひび割れだらけだった私の自己をバラバラにする最後の小さな小さな一突きに過ぎなかった。

そんな私はモコちゃんと遊ぶより、もっぱらパーティ体質でお気楽な友人たちとの関わりを多く持った。
休みの日は、二日酔いが回復しないまま日が暮れる、そんな堕落した週末がお決まりだった。

当然ながら、モコちゃんと私はこの頃そこまで距離が縮まらない。
なぜなら、当時の私にとってモコちゃんは、あまりにも眩しかったから。

モコちゃんが偉大な聖人というわけではない。
モコちゃんはお酒も大好きだしガヤガヤした酒場も好き。イベント事も大好き。だが、決して超えてはいけない一線をわきまえている。
人としての大切な一線を。
はしゃぐ時は臆さずしっかりはしゃぎ、時を楽しむという事が出来る人。

そんなモコちゃんの素敵な真っ当さにあてられて、私なんかは溶けて無くなってしまいそうだった。
少しばかり荒ぶった人たちといる方が気が楽だったのだ。


【モコ8〜9年頃・縮まり始めた距離】

たまにモコちゃんと遊んでは、何度も嫌な思いをさせた。
自信の無さから、無意味で無様なマウントを取ったり、注意力の欠如からダブルブッキングをしてモコちゃんとの約束を断ったこともあった。
しかしモコちゃんは、こんなバカな私を見限らなかった。

許容量以上のお酒を飲む私を見て、
当時よく会っていた友人等は
「面白い」
と言い、モコちゃんは
「そういうお酒の飲み方はダメ」
と私を叱った。何度も。何度も。
色々とこじらせていた私がひねくれ批判モンスターと化して話をすると、真っ向から
「そういう事は私は言わない・思わない」
とはっきり言ったり、時には激薄のリアクションをもってしっかり諭してくれた。

そうしているうちに、あることに気付いた。
私は、男女問わず人間と長い時間を過ごすことに多くのエネルギーを要する。
2人きりとなると更に。
そのはずが、モコちゃんといても不思議とそんなことはなかったのだ。

考えてみると、モコちゃんは私と話していても
「急にその話題?」
なんて言わなかった。

思ったことをそのまま表現しても
「え?どういう意味?」
と言ってせせら笑ったりもしなかった。

それどころか
「面白い!」「分かる!」「それそれ!」
と言って楽しげに笑う。

高校時代、私の制服からお線香が香ることをおもしろ半分にネタにされて以来ずっと、実家の仏間を毛嫌いしていた。
ところが、当時はまだ実家暮らしだったモコちゃんからは時折、上品なお線香の香りがしたのだ。
なんだか、当時の自分が肯定されたような気がして嬉しかった。

モコちゃんは私よりだんぜん学力や教養、経済力もあるのに決してそれらをひけらかさない。それどころか、私に悩みを打ち明けてくれたりもした。
他者と壁を作ることで自分を守ってきた私に、人を信用して心を開く大切さとその方法を教えてくれたのはモコちゃんだった。

どうせ分かってもらえない、それならばと、自分である事を放棄した私が、思ったまま、感じたままを話しても大丈夫な人だと思えた。
モコちゃんの前では、不本意な天然キャラでいる必要がなかったのだ。

自分では10代、20代の青春を楽しんだ気でいた。しかしモコちゃんと親しくなるまでの私はきっと、ずっと「躁的防衛」が働いた状態だったのだろう。


【そのとき】

あらゆる迷惑をかけ続けた末のある日。
2人で出掛けた先にモコちゃんの知り合いがいた。
モコちゃんは
「私の親友紹介するね!」
とその人に言いながら私の前に連れてきた。

正直、驚いた。
自分が誰かのそんな大切な存在になれるものだとは思っていなかったから。

実は、ちょっと地面から浮いたんじゃないかと思うくらいに嬉しかった。
しかし、そんな素振りは見せずに澄ました顔で挨拶をした。


【財産】


モコちゃんとの関わりが深く強くなるにつれ、私はずっと昔に放棄した“自分”を徐々に取り戻していった。

ほんの一部に過ぎないが、私に起きた変化は以下の通り。

・男女問わず、一緒にいて好きな自分でいられない人間関係を清算できた

・二日酔いで潰れていた休日→海や山、各種イベントと健康的な休日を過ごすようになった

・物事の良い面を見て、良い方向に考えるようになった(そう努めるようになった)

・行動力がない私が海外旅行をした(モコちゃんと一緒)

・自己肯定感が増した

・運動の大切さを知り、スポーツジムに通うようになった

・禁煙を決意→成功

・自分の都合を主張できるようになった

言い過ぎではなく、良い影響しかない。

何より心地良いのは、共依存の関係ではないということ。
お互いのライフステージを尊重し、それに合わせた付き合いが出来ている。

現在、モコ24年。
素敵なモコちゃんの親友として相応しい人間になりたい、あり続けたい、そう思う。

しかしモコちゃんは
「そのままのあたなでいいんだよ」
そう言ってくれるという事も分かっている。

ありがとうモコちゃん。
あなたは私の財産です。

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