環境が全て
この思いを強く持つようになったのは、大学生になってからです。環境がすべてということ。
人間が今は約80億人(?)くらいいて、過去の人も入れるともう数え切れないくらいいる。そんなに沢山いるのに同じ人はいない。それは唯一無二のものなんだなって。
中学、高校、大学といろんなコミュニティを経験して気にするようになったのは、その人の背景です。
私のことも性格を見れば過去の環境が分かります。なんでこんな人間なのか、過去を使えば説明できます。人は環境ありきでしか存在しませんから。
人の背景について考えるようになったのは、高校の時。寮生活をしていたから、朝起きて学校行って、部活して、同じ釜のご飯を食べるという24時間ほとんどみんなと同じ生活をしていた。しかし、それでもそれぞれ違いが出てくるものだった。整理整頓が出来ない人、時間を守れない人、自己勝手な人。色んな人がいた。
訓練は大事だと思う。でも、その訓練から逃げてる人はなんにも変わらない。
整理整頓が出来ないならものを減らす。時間を守れないならスケジュール帳を作るなり時間に余裕を持つ。これが出来れば改善ができる。
でも、本当にいちばん厄介なのは、自己勝手な人間。これは、1度仲間はずれにひとりぼっちになればわかるものだが、それでは遅すぎるしそんなことまではしてあげたくない。人の性格はなかなか変えられないからね。
寮生活を3年間していたら、いつの間にか洗脳されていた。当たり前だと思っていたことを正当化してしまえばそれは新たな自分ができてしまう。
得たものも失ったものもあるが、それを含めての自分である。でも、私が寮生活ではなく、通学生であればそれはまた違う私ができていたことだろう。要するにその時の環境が、私の高校3年間を作った。
大学生になってから、もっと多くの人と関わるようになって、考えることが多くなった。
そのかわりに、腹が立ったらその人の背景を知れば落ち着く。誰と出会い共にしたか、その人の家族はどのような人か。
実家では何かをしてもらったら、それにかわる何かを返すのが普通である。例えば、京都のおばさんの家にお米を送ると、とんでもない量のお菓子が届く。おばさんを車で送ってあげると、ジュースとお小遣いをくれる。
世代とか時代とか、都会と田舎の違いとかいろんな違いがあるからね。それを求めてるとかでは全くなく、大阪に来てそういうことを感じることがあった。
生まれた場所も育ちも性格も違うから当たり前なんだけどね。自分を正当化したいとかでは全くなくて。なにか思うことがあったら、今までの環境がちがうもんねって言い聞かせればなにも思わなくなるんだ。
それだけ。