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ヤモリの悲しみ

 今朝、キッチンに行ったらヤモリの変わり果てた姿が床に転がっていた……。斬首刑にでも処されたような……つまり、頭だけの無惨な有様になっていた。

 何か落ちている。何かな? と近づいて行ったら、「ヤモリの生首」。

 ざーーーっ!! と音をたてて血の気が引いていくのがわかった。

 しかし今回が初めてではなく、こういうことは時々あって、犯人は言うまでもなくウチの猫たちのどれかである。犯猫というべきか。

 周知のことではあるが、猫という動物は案外に残酷である。ヤモリだけでなく、たまたま窓の外から迷い込んで来たトンボやカマキリなどを見つけると執拗に狙い、捕まえたらバリバリ食べてしまったり、散々に弄んでグチャグチャにしたあげく、プイとそっぽ向いて行ってしまったりする。けれども猫は姿体がしなやかで美しいせいか、その残酷性さえも猫のミステリアスな魅力を引き立てる要素であるかのように思えてしまうときがある。

「もおおお……やめてよね、そういうの」
と、こちらは一応ブツブツ文句を言うが、それだけである。残酷性を嘆くようなことはない。ミステリアス要素なだけでなく、まずもってそれが彼らの本能ゆえの行動であるわけだし。

 ある時、どこから入ってきたのか小さなネズミがシャワーボックスの中に落ちて来ていた。猫が全員ひとつのところに集合して動かないので何事かと行ってみたら、そういうことになっていた。
 シャワーボックスの中のネズミは、出口が見つからずオロオロしているのがよくわかった。

「げげ!」
 私は思わず後ずさりした。
 ネズミと見て、頭の中には「ばい菌! 病気! 害獣!」の三つの単語が猛スピードで行き交った。
 こやつを早く退治して、シャワーボックスを消毒しなければ! の一心であった。
 猫たちがネズミを噛んだりして、ばい菌が付いたりしたらかなわん!! とも考えていたかな。

 ちょっとあんたら! そこ退いててよ!

 ネズミの前から離れようとしない猫たちを追い立ててどうにかこうにか事なきを得る。

 は〜……ヨカッタ〜…… やれやれ……。
と、その時は思った。

 しかし、後になって視点を変えて考えてみた。これまでは、猫を含んだ「こちら側」視点であった。斬首されたヤモリの頭がキモチワルイ。グチャグチャになったカマキリがキモチワルイ。ネズミのばい菌が猫に付いたらイヤだ。
 そういうことばかりだった。

 それを、ヤモリやネズミ視点になって考えてみると。
 さぞや怖かっただろうなあ。ガラス一枚隔てた向こうには、天敵である猫が数匹、一様に自分を睨んでしっぽをハタハタさせている。出口もない。絶体絶命とはまさにこういう状況を言うのであろう。

 ヤモリにしたって同じこと。何とはなしに下に降りてみたら数匹の猫に捕まえられ押さえつけられ、爪で転がされたり、牙にかけられたり……。想像するまでもなく、恐ろしい思いをしたことであろう。

 ヤツらも、もしかしたら今わの際には走馬灯が駆け巡ったのかもしれない。最期に目に映ったものは何であっただろう。

 やがて目の前は真っ暗になって意識は遠のいて行ったんだろうな。

 そして朝になり、その哀しき姿を見つけた私から、「何これキモチワルイー!!!!」と叫ばれるわけである。

 なんという哀れさ! なんという救いのなさ!

 もしかしたらヤモリには恐怖心などはないのかもしれないし、それが自然界の本様なのかもしれないけれどそれでも。
 猫の残虐性を批難しない代わりに、せめて小動物たちの味わった恐怖に思いを馳せることで、彼等へのレクイエムとしたい。

 うちに潜んでいる他のヤモリたちも、これを教訓に床に降りてくるというヘマは冒さないように!

 合掌。

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