オタクが行く!徳川美術館 美術館との出会い編

本日もお疲れ様です。緋星です。

ここまで勢いで書き散らしてきましたが、そもそも何で私が徳川美術館に行くようになったか、それを書いていませんでした。
「いや、興味ねえよ」って人が大多数だとは思いますが、まあ聞いてくださいませ。そんなに崇高なものでもないし。

私が初めて徳川美術館に行ったのは、大学3年の時。
理由は「レポートを書くため」。美術系の講義の課題で、実際に美術館や博物館に行って感想を書いてくるというものでした。
当時、私は美術館や博物館にほとんど行ったことがありませんでした。出不精なこともありますし、単純にお金も美術品にも興味が無かったんですよね。

しかも、この時すでに“厄介な歴史オタク”を拗らせていました。好き嫌いが大分ハッキリしていて、“嫌い”の筆頭が戦国時代の徳川だったのです。その頃は真田昌幸と信繁(幸村)に傾倒していました。……露骨だなぁ。

なのに、なぜ徳川美術館なのかと。
それはもう。「日本史の範囲だから」ですよ。
西洋美術とか本当にわからないんですよ。高校時代は美術という選択肢がなく(所謂選択科目が音楽オンリー)、当時騒ぎになった履修漏れ問題真っ只中の世代で世界史はほとんど知らず、な人なのです。カタカナ人名苦手じゃーい!!
そういう感じなので、武士は大好きだった私は徳川美術館に行くことを決めたのでした。多分。
あと、大学と提携していた関係で、学生証を見せれば入館料がタダだったからっていうのも理由です。

正直な話、感想は覚えていません。マジで事務的な見方しかしていなかったと思います。
記憶にあるのは、第4展示室に大きな百人一首が展示してあったことです。
楽しく展示品を見る、ということはまだできていなかったのです。
しかも初めて行った場所で、家族に送ってもらい帰りは自力という状態。これは楽しめるはずもなく……。
この時、通学のための名古屋市営地下鉄の定期券を持っていたのですが、桜通線ではなく東山線だったため車道駅で乗車せず、今池駅まで歩くという暴挙に出ました。大体1時間くらいかかったかな。
そのため、私の中で「徳川美術館は遠い」という思いが生まれてしまいました。

私が再度徳川美術館に行くのは、この数年後です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?