【お題小説】9.拒食症とカニバリズム
※自傷行為の描写あり
※性犯罪被害を示唆する描写あり
苦手な方はご注意ください。
拒食症とカニバリズム
「お姉ちゃん、いいこと思いついた!」
妹がそういうときは、まず「いいこと」じゃない。誇大広告どころか詐欺レベルで「いいこと」じゃない。
「お母さんが、肉食べろ肉食べろってうるさいじゃん。肉食べたら太るじゃん。ダメじゃん。でも、自分の肉を切り取って食べたら、余計な脂肪も取れて一石二鳥じゃん?」
ほらな。
妹とは会話がまともに成り立たない。
どれだけおかしいことを言ってるのか自覚もしないで、妹は笑う。
頬に肉がついていないせいで、笑顔もひきつって見える。血色が悪く、全体的にくすんだ肌の中で、爛々とした目がぎょろりと動く。
私は溜め息をついた。
「お前さ。余計な脂肪とかいってるけど、切り取れる肉なんかねぇじゃん」
「馬鹿なこと言ってないでよ、ほら見てよこの肉! お腹なんてこんなだよ、こんな」
妹は二の腕をつまんで見せる。「肉」といってるけど、ただの皮のたるみにしか見えない。
それからTシャツをめくって見せた。
理科室にいらっしゃる人体模型のご親戚ですか、立派なご肋骨ですね、とでも言いたくなるほど、みょっこりと骨が浮き出ている。
人の内臓って案外小さいものなんだな。あんなせっまい腹のスペースに収まってるなんて。
「やっぱり、お腹をもっと細くしたいから、お腹の肉を切り落としたいのね。でもお腹って、変に刺したらやばいじゃん」
刺す時点でやばいんだよ、刺す時点で変なんだよ。刺し方の問題じゃねぇ。
「だからお姉ちゃん、傍で見守っててよ」
注射のときに、針が肌に埋め込まれていく様すら見られなくて、顔を背けすぎて「動かないでくださいねー」と看護師さんに注意される私に、いったいなんてことを頼みやがる。
「ね。お願い」
……そのお願いの仕方は、ずるいだろ。
中学生のときの、「同年齢の平均体重より二、三キロ軽い程度」の健康的な妹の姿がダブって見える。
「伯父さんの家にひとりで行くなんてやだよ、お姉ちゃんも一緒に来てよ」
その頼みを、「大学受験があるから」と断った。
本当は、ただ面倒だった。
それに従兄がなんかキモくて、顔を見るのも嫌だった。
「ね。お願い」
何度も妹は、頼み込んできたのに。
あのとき、ちゃんとついていってたら。
妹の傍を離れず、見守っていたら。
健康的で笑顔が可愛い、会話が成り立つ妹のままだったんだろう。
「絶対、深く刺すなよ」
「うん」
妹はあぐらをかきながら頷き、カッターをズボンのポケットから取り出した。
ウエストぶかぶかのズボンが腰履きになってると思ったら、カッターの重みでずり落ちていたようだ。
小学生の頃から使っていた、工作用の黄色いカッター。
包丁とかで本格的に肉を切るようではなくて、よかった。安心する。
安心してから、本当にここは安心してよかったところなのか? と自問自答した。
何がおかしくて何がおかしくないのか、段々自分の感覚がわからなくなってくる。
「いくよ」
チキチキチキ、と刃が出る音が、それだけで痛そうだ。
妹は臍のやや右に、カッターの刃を押し当てた。
ただでさえはっきり見える指の骨が、手の甲から突き出てきそうな程浮き出る。
ぷつり、と皮を破ったのが見えた。気が遠くなりそうになる。
しかし視線は逸らせない。妹から視線は逸らさない。
何かあったら私が止めなければ。
でもどうか、私が止めなきゃいけない事態になる前に、自分で止めてほしい。
血が怖いというわけじゃない(怖くないとはいってない)。
「お姉ちゃんに無理やり止められたから止めた」じゃ、また同じことを繰り返す。
自分の意思で止めてほしい。
どうか、苦しみを、違う方法で、自分を痛めつけない方法で、吐き出す術を見つけてほしい。
「太ってなんかない」「痩せすぎだ」「お前が悪いんじゃない」「もっと自分を大事にしてくれ」「ちゃんと食べてくれ」「吐かないでくれ」「私が悪いんだ」「ごめん」「本当にごめん」「あのとき傍にいなくてごめん」
何を言っても、伝わらない。
妹とは会話が成り立たない。
それなら、とことん痛みに付き合うから、どうか、自力で気づいてくれ。
今度こそ、お姉ちゃんがずっと傍にいると。
グッと刃が肉に食い込む。痛いようで額に汗が滲んでいる。でも押し付けるだけでは肉は切れない。
ゆっくり横腹の方に動かそうとしているのだろう、でも手が震えてる。
「もういいだろ、やめてくれ」その言葉を必死に飲み込む。妹の手を掴みそうになるのを堪える。
揺れる刃が、電灯の光を反射して鈍く不快にチラチラ光った。
どのくらい、お互い固まったままでいただろう。
「お姉ちゃん」
妹が縋るように、私を呼んだ。
「うん」
「……わたし、馬鹿みたいだね。こんなこともできない」
「そんなことない」
乾いた手の甲にそっと指先で触れると、妹の力が抜け、カッターが刃先から落ち、畳の表面を少し傷つけてからパタリと倒れた。
妹の腹は臍から横に二センチほど皮が破れ、薄っすら血が滲んでいた。流れ出るほどではなかった。
「……ありがとう」
「なんでお姉ちゃんがお礼言ってるの」
「お前がこの程度で止めてくれたからだよ」
「何それ。意味わかんない」
「わからなくていいよ、今は。とにかく、ありがとう」
私の気持ちは伝わってないようだけれど、それでも少しだけ、会話が成り立った気がした。
「すっごい疲れた」
「茶ぁでも飲むか」
「うん」
見ているだけで疲れたから、妹はもっと疲れただろう。身体の痛みと心の痛み、真正面からぶつかって。
本当はココアとか甘いものを淹れてやりたいけど、カロリーが云々うるさいので、どくだみ茶にしよう。
キッチンに向かおうと襖を開けた私の背に、妹の声がぶつかった。
「いいこと思いついた! ねえお姉ちゃん、こんだけ疲れたんだから、今のでだいぶカロリー使ったと思わない? 食べられるように肉を切り落とさなくても、このカロリー消費で痩せればいいんだよ。名付けて『肉切り落としたいのに怖くてできない苦悩ダイエット』!」
……本当に、碌なことを思いつかない。
でも付き合うよ。お前がそんなことを思いつかなくなる日まで、ずっと。
お題はお題配布サイト「腹を空かせた夢喰い」様からお借りしています。
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