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愛犬を亡くして

飼っていた犬が二頭立て続けに亡くなった。
一頭目が亡くなったとき「俺は仕事だから」と夫は当たり前に仕事に行った。
市の火葬場がいっぱいで何日も待たされるようだったので移動式の火葬業者を探してその日にお願いした。
二頭目のときも同じように仕事に行ったのに、午後帰ってきて火葬に参加した。
私も夫も犬たちのことを子供のようにかわいがっていたと思う。
どの思い出にも夫の姿があること、犬たちとの思い出話ができるのは夫しかいないということになんとも言えない気持ちになる。
私だって泣きたい。
思い出話をしたい気持ちはあるのに…。
夫の前では泣けない。
夫に話しても…と思ってしまう。

二頭目が亡くなったのは朝で、一緒に寝ていた夫は「さっきまで寝てたのに」と言っていた。
おはようと声かけもせずベッドごと運んできて朝ご飯の用意をして、ご飯だよーと布団をめくるとすでに息をしていなかった。
さすが夫…と思ってしまった。
私は「昨日の夜までしっかり食べて、寝たまま心臓が止まっちゃったなら幸せだったね。この子らしいね。」と答えた。
本当は大きな声で泣きたかったけど、夫の前では泣けない。
一緒に泣きたくない。
夫に慰められたくない。
(というけど、慰めるなんて夫にはできないのかもしれない)
実際は私より夫がグズグズ言っていて、聞くのも慰めるのも嫌だった。
淡々と朝の準備を進める私に「君はあの子のこと、上の子のようにはかわいがれないって言ってたよね?俺はいつも一緒に寝てたし、君たちが家にいないときは一人で世話してたからすごく悲しいんだよ。」と言う夫。
そういうとこだよと思った。

上の子はかしこくて、犬というよりも人間的で繊細な犬だったのに対して、下の子は食べるの大好き!ボール大好き!な、あまり難しいことはわからない、いい意味で犬らしい犬だった。
私はどちらも大好きで大切だった。
どちらにも同じように愛情を注いできたつもり。
ただ個体差がある分関わり方が変わることがあっただけ。
昔「二頭は全然違うよね」というようなことを私が言ったんだろう。
それをそう解釈したんだろうな。
確かに後半子供が生まれて私が家をあけることが増えたけど、それ以外夫が仕事の間犬と一緒にいたのは私。
子供が生まれるまで毎日散歩していたのは私です。
この状況で俺!!が出てくるところ、単純にすごいなと思った。
私は何も言い返さなかった。

午後帰ってきた夫はさっさと犬が使っていたものをゴミ袋にいれて捨てた。
悲しすぎてじっとしていられないらしい。
余韻とかないんだ。
私はどうしたいかとかないんだと思った。

二頭とも亡くなる前に歩けなくなり、歯もボロボロだった。
私が妊娠出産育児をしている間に夫がやるはずだった散歩と歯磨きをサボっていたのはハッキリしてる。
ちゃんとやってる?と聞くと「やってるよ?毎日はできてないけど」と言う。
毎日やってくださいと言ってもそのうち毎日やらなくなる。
2日に1回でも10日に1回でも「やってるよ?」と言うんだろう。
久しぶりに見た犬の口の中は散々な状態だった。
夫にはできないと判断できなかった私も悪い。
犬より子供を選んだ私が悪い。
ごめんねと言うことしかできなかった。
散歩もサボればサボるほど筋力低下に繋がる。
このことで夫を責めても仕方がないと思っていた自分にもなんだかうんざりした。
私がどれだけ気を遣ってもあの人には伝わらない。



昔の私ならどうしてそんなこと言うの?と責めたと思う。
夫は言われている意味が理解できず逆ギレしただろうと想像できる。
そんなの朝からやってられない。
言ってもどーせ分からない。
私の気持ちを分かってもらう必要もない。
俺の方が悲しいと思っていればいい。



極力夫と共有するものを減らそう。
自分の話がまともに伝わっていると思うのはやめよう。
と心に誓ったできごとでした。









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