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noteやInstagramなどSNSという舞台装置についての考察

何だか社会学部の学生のレポートのようなタイトルになってしまった。
そんなに堅い話ではないで気楽にお聞きください。

僕のInstagramやnoteを読んだ、ある方から直接お会いした時に、こんなことを言われた。

意外と落ち着いているんですね。

はい。
まぁ来月で35になるんで、それなりに社会的常識はわきまえているつもりですが…。

どのような意図で上記のコメントを僕に伝えたのかわからないが、恐らく僕がnoteで書いていることを全て事実として受け取り、

社会の不正義に対し一人立ち向かうスマートなイケメンで魂の咆哮を歌に込めながら別れた彼女の幸せを願う奇特な人とでも思っているのだろうか。

自分で書いてて笑ってしまう。

この際、ちょうどよいタイミングなので告白しよう。

noteに投稿している内容で僕自身や会社とのパワハラ問題に関することは概ね事実だ。それに実名で投稿しているのでネットで検索すれば僕の過去の活動も分かるだろう。

でもnoteに登場する一部の他者については若干脚色している。
それは本人を特定されると本人は恥ずかしいし、僕もそれを望まないから。

例えば、僕の元カノは確かに関西圏だけど滋賀県出身でないし、もっといえば誕生日はひな祭りでない(笑)

そんな感じでディテールをぼかしているから全てノンフィクションだと思わなくて大丈夫です。まぁ話半分に気楽に寝転がって読んでもらって構わない、そんなスタンスで投稿している。

僕はよくできた人間でないし、沢山間違えて失敗してきた。
でもその反面、人が見てこなかった景色を見ることができたから寓話のような形で伝えたいと思う。

それがnoteやInstagramというSNSの僕なりの活用方法だ。

一言でこれをまとめると創作活動です。
なので皆様、引き続きご愛顧のほどよろしくお願い致します。



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