Brainfogな思い出・・・はじめに

わたしの病気はよくわからない

なぜ、そうなってしまったのか、今でも、わからないが、
三十歳から、知能が急降下した。
とくに、記憶の低下が深刻で、本を読んでもわからないし、
テレビのニュースをみても、五つの事件のうち、
思い出せるのは、二つがいいところというような状態になった。

当時、仕事は、ある私立大学の講師をだった。
担当科目は、専門でなく、一、二年生に単位を与えることだったので、
たぶん、大学で、一番、楽な仕事だった。
しかし、頭が働かず、講義のために本を読むことができない。
それで、手抜きして、以前のノートを読み返すだけで、
講義することにしたが、そうしても、うまくいかなかった。

話していて、長い文が組み立てられないことが、自分でも、わかる。
文の途中で、はじめの部分が頭から消え、
文をどう締めくくるかがわからなくなる。
人の話を聞いていても、長い話は、全体の流れが思い出せない。

脳が壊れていて、それで、知能が低下し仕事ができないのではないか、
ということは、はじめから、思っていたが、
それでも、それを、深刻なものとは思っていなかった。
何らかのストレスで悪いのかもしれないと思ったりもした。
しかし、新しい大学に再就職し、環境が変わっても、よくならず、
次第に、これは、深刻な障害で治らないものだと確信するようになった。

そこで、方々の病院で「脳が壊れている」と訴えて、
検査してもらったが、明確な障害は見いだせなかった。
医師は、脳が壊れたというのではなくて、そう考えているから、
記憶力が低下したりするのだと説明した。
気のせい、ストレスのせいといわれても、よくならず、休職したりした。

脳が壊れていて、それで、知能が低下し仕事ができないのではないか、
ということは、はじめから、思っていたが、
それでも、それほど、深刻なものとは思っていなかった。
何らかのストレスで悪いのかもしれない、
そのうち良くなるかもしれないと、思ったりもした。

しかし、新しい大学に再就職することができ、
環境が変わっても、よくならなかった。
次第に、これは、深刻な障害で治らないものかもしれないと焦るようになり、
やがて、そのことを確信するようになった。

新しい大学に就職してから、七年がたった。
わたしは、四十五になったが、だんだん悪くなっているようであった。
医師に勧められて、検査を受けたが、よくなっていなかった。
わたしは、よくわからないが、やはり、脳には何らかの障害があって、
治せないのだと考えて、退職を決断した。
そのことについて、医師も反対しなかったので、
もう治らないと、さじを投げていると考えた。

将来については、ぼんやりと、障碍者枠での再就職とか、
障害年金とかを期待していたが、医師がいうことを聞いていると、
どうも、障害が特殊で、そういう援助は受けられないようであった。

以前から、死んでしまったほうが、楽だ、
生きていても恥さらしなだけだと、思うことはあったが、
とうとう、治る可能性はなくなり、
将来の生活が経済面でも困難なものになってきた。
よくわからない病気なので、説明して同情をうることもできない。
それで、やっぱり、自殺してしまうしかないと考えるようになった。
しかし、死んだあと、葬式するのは大変だし迷惑だろう。さらに、嫌な人間が、勝手に、いろいろ、悪口をいって、
自分も家族も、さらに、みじめになるから、ためらっていた。
そういうことを考え、家から出ることもせず、
四、五年暮らしたが、本当に苦しく、長い時期だった。

決断を繰り延べしていて、六年ほどがたって、東北で地震と津波が起きた。
多くの人がなくなっているのをみて、命を粗末にしてはいけないと考えるようになった。
そして、家の手伝いとかをしていると、すこしずつ、良くなっていった。

それまで、テレビをみても、わからなくて、嫌だったが、
たまたま、百分で名著、方丈記をみてから、
鴨長明のように落ちぶれてもいいという気になった。
そのあと、テレビで簡単な番組を見たりしていると、だんだん、分かるようになった。
三年ほどすると、博物館に行きたいと考えるようになった。
クスリもいらなくなった。

完全とは言えないが、かなり良くなったので、
自分の病気は、何だったのか、もうすこし良くならないか、
と考えるように、なった。そこで、カルテを開示してもらった。

カルテを見ると、病歴について情報が混乱し、診断も迷走していて、
いつの間にか、統合失調症と考えて、薬物投与で鎮静することを、考えていたらしいことがわかった。
そんな診断で、治療がされていたとは、まったく思わなかった。

さらに、インターネットを見ていたら、
わたしについての症例報告が学会誌に出ていることがわかった。
それを読むと、わたしは、検査データから、記憶など知能には
問題がないのに、記憶力が低下していると訴える患者として紹介されていた。

また、カルテには、慶応大学病院に入院して、検査を受けたときのサマリがついていて、そこでは、統合失調症の可能性が指摘されていた。

わたしが、考えていたこととは、全く違う認識で、
診断や治療が進められ、論文までまとめられたのに、
診断は確定できていなかったようだった。

ほんとうに、どういう病気だったのか、
患者である自分の記憶や記録を整理して考えてみる。
また、どうして治ったのか、
どうして、治らないという考えから離れられなかったのか、
そんなことについても、書きとめておきたいと考え、
このブログをはじめることにした。

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