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【PODCAST書き起こし】演劇のプロデューサー森元隆樹さん(三鷹市スポーツと文化財団)に聞いてみた。(その1)大学に入るまで、幼少期からの広島時代!

TFCラボ プレゼンツ  『みんなで語る小劇場演劇』

【山下】みなさん、こんにちは。『みんなで語る小劇場演劇』。この番組は、普段は総合映像プロダクションに勤める小劇場好きが大集合で、小劇場をたくさんの人に好きになってもらうためにPRする番組です。ポッドキャスターを務めるのは、うちの……。

【谷】谷です。よろしくお願いします。

【山下】で、MCの山下と2人でやっています。今日は豪華なゲストに来ていただきました。三鷹の森元さんです。森元さん、よろしくお願いします。

【森元】よろしくお願いいたします。

【谷】お願いします。

【山下】ということで、『みんなで語る小劇場演劇』ということなんですけど、ちょっとPowerPointに森元さんのプロフィールを書かせてもらったんですけど、公益財団法人三鷹市スポーツと文化財団 副主幹演劇企画員ということでいいんですよね。

【森元】そうですね、はい。

【山下】森元さん、これは何年くらいやっていらっしゃるんですか?

【森元】1994年の9月に、この財団というか、財団の前身の事業団というところだったんですけど、三鷹のホールが翌年にオープンするというので、三鷹市のほうで募集があって、そこで私が、まあ、たくさんの方、受けに来てられたんですけど、通ったので、というかたちなんで、もう25、6年ということになりますかね。

【山下】26年目ですよね。26年、ずっと演劇と、他にも、あとでご紹介しますけど、落語とか、古い映画とか、あと、狂言ですか、そういった公演も主催してやっていらっしゃいます。まず最初に、僕が森元さんにとても興味があるので、最初、森元さんの生い立ちから、ちょっと話をしてほしいなと。全く打ち合わせをしていない状態でお話ししていますが。お生まれはどちらなんですか?

【森元】広島ですね。

【山下】広島ですか。広島のどの辺で生まれ……?

【森元】広島市内ですね。

【山下】いつまで広島に?

【森元】もう、あの……、ただ、うちの父は警察官だったので、広島県警ですね、いわゆる。広島県の中を、やたら引っ越すんですよ。生まれたのは広島市で、小学校に上がるまでに7、8回引っ越しているんですよ。

【山下】広島の中を。

【森元】そんなとこから話したら、すごく長くなりますけど、いいんですかね?

【山下】大丈夫です。また来月も来てもらいますから(笑)。

【森元】今は、警察の方も、例えば、三鷹署から武蔵野署に異動とかになっても、別に引っ越さない、とからしいんですけど、昔は、三鷹署にいたら三鷹署の管内に住んで、みたいな感じだったみたいなんで、父親が異動になるたびに引っ越しという感じだったんで。

【谷】じゃあ、県内の転勤族になったわけですね。

【森元】そうですね、県内のいろんなところ。ただ、もうほんとに県内だけ。

【山下】森元さん、19……、何年生まれですか?

【森元】1964年です。

【山下】じゃあ、僕と2つ違いですね。東京オリンピックの?(※山下は1962年生まれ)

【森元】前のオリンピック、そうです。

【山下】そうですよね。ということは、もしかして、『仁義なき戦い』のときの、広島の……。

【森元】ああ、そうなんですよ。

【山下】香りが残っている……。

【森元】うちの親父は暴力団担当だったので(笑い)。

【山下】まさに!

【谷】すごいな(笑)。

【山下】深作欣二の。

【森元】ほんとに捜査4課という暴力団担当だったんで、『仁義なき戦い』を、私、大学に入ってから観たんですがね。もう、あんまりにも面白過ぎて。

【山下】面白いですよね、あれ。映画。

【森元】実家帰ったときに、うちの親父に全部聞きました。そしたら、うちの親父が、「ああ、これはほんとに」って、「これは架空だな」みたいな。「この人はほんとにこういう人で、煮ても焼いても食えなかった」とか。で、だいたい『仁義なき戦い』観た方は分かるんですけど、ナンバー2が消されていく歴史なんですけど、もう、そうでした。だから……、あ、言えることと言えないことがあるな(笑い)。そうですね、だから、いろいろと……。

【山下】なるほど。

【森元】よく親父に手を引かれてパチンコ屋とか行くと、なんかチンピラ風の方が、「ちわっす!」って(笑)。

【山下】あいさつを。顔見知りですね。広島と言えば、ほんとに。でも、『仁義なき戦い』は、僕たちも、業界入ったときに、16ミリで、ドキュメンタリータッチに撮りたいというときの参考資料として、まず、これ観ろ、と。カメラが、ものすごく、パッ、パッと上下左右に振っているんですね。これは、16㎜だから、こういう軽いカメラだから撮影できるんだよ、というのを聞いて、それで、僕も、大学を卒業してから、業界入ってから見始めて、池袋文芸坐ですよ。

【森元】あの、オールナイト5本立てみたいな。

【山下】そうです。もう、ずっと観まくっていて。ああ、これが『仁義なき戦い』か、というので。

【森元】でも、ほんとに面白いですよね。

【山下】いや、面白い。

【森元】で、さらにうちの親父に聞くと、ほんとに面白かったです(笑)。裏の裏まで教えてくれるから。

【谷】まさに実話ですよね。

【森元】「こいつはすごくいいやつだったんだけど、要領が……」とか。だから、そういうのを全部教えてくれたんで。で、ほんとに血の付いたシャツとか着て帰っていたらしいんですよ。だから、うちのおふくろが、結婚したときに、結婚に反対はなかったんだけど、警察官とか危ないんじゃないか、みたいに、思っていて。

【山下】怖いですよね。

【森元】でも、普通に、何も反対もなく結婚したんだけど、結婚して1ヶ月目くらいで血の付いたシャツ着て帰って、実家に「この人がいつ死んでもおかしくないんだってやっと分かりました」って手紙書いたって言っていましたから。そんな感じで。

【山下】子供のときは、そういう父親の仕事のことは、なんとなく知っていたという感じなんですか?

【森元】まあ、警察官って分かりやすいですからね。

【山下】ああ、ですよね。

【森元】みなさん、おそらく、警察官って、怖いとか、いたらちょっと逃げようかなとか。

【山下】そうですね。ちょっと苦手な感じがありますよね。

【森元】でしょ? ところが、うち、毎日帰ってきていたんですよ、警察官が。だから、警察官も人の子だということが、もう、身に……。

【山下】あ、逆に。

【森元】すごい酒が好きで。

【山下】なるほどね、夜になると。

【森元】もう、ほんとに、普段……、人間なんだ、と。警察官と言えども、とあるんで、変な話ですけど、警察官が全く怖くないんですよ。「あれなら、うちの親父のほうが怖かった」みたいな。いや、それは怖かったです。もう、厳しかったんで。だから、警察官の人がちょっと威張ったように言うと、「いや、いや、威張っているけど……、家で吐くんでしょ?」みたいな(笑い)。

【山下】そういうことが刷り込まれた、と。

【森元】そういう感じがあるんで、それは……、あの、すごく好きでしょ、親父のことはほんとに好きで。

【山下】お父さんは、何年生まれだったんですか?

【森元】1937年かな?

【山下】ということは、昭和1桁?

【森元】昭和12年。

【山下】あ、12年。ああ、なるほど。じゃあ、今、83歳くらいですね。

【森元】ああ、亡くなったんですよね。3年くらい前ですかね。

【山下】そうだったんですか。ということは、少し、戦前の、戦中の広島を経験されているんでしょうか?

【森元】おそらく戦争が終わったとき、まだ小学校1、2年生くらいだったと思うんですが……。

【山下】広島ですか?

【森元】そうですね、広島の山奥のほうの。

【山下】じゃあ、原爆の投下のこととかは、記憶にある?

【森元】それは、うちの祖父が、呉の造船所で大和造っていたみたいな。

【山下】あ、呉の。『この世界の片隅に』の呉ですね。

【森元】そうですね(笑い)。それは聞いたことがあるんですけど、うちの親父自体は、広島の山奥のほうの町ですけど、当時、やっぱり、そのころの人というのは、就職難で、誰も彼も大学とか行けなくて。うちの親父に至っては、ほんとに、高校も行かせない、みたいな、言われたらしいんですよ。でも、うちの親父は、なんとか高校行きたいということで、学費は全部自分で出すからと言って。だから、学校が終わったら、すぐアルバイト。土日は、全部アルバイト。山で木を切っていたらしいんですよ。

【山下】ああ、林業ですね。

【森元】それが1番お金になったらしくて。

【山下】ああ、昔は。

【森元】だから、勉強する暇はないから、授業中に全部覚えていたと言うんですよ。

【山下】なるほど。頭が良かったんじゃないですか?

【森元】だと思うんですよ。それは、もう、頭がいいことは間違いないですよ、うちの父は。

【山下】授業だけで完結できたという。

【森元】そうなんですよ。ほんとに勉強したかったのに、時間がなかったのに、お前は勉強させてやると言っても勉強しないって、いつも言われていました(笑い)。俺はあんなに大学行きたかったのに、大学行くための勉強をしないって、いつも怒られていましたね。

【山下】そうか。環境が恵まれると、逆に。

【森元】やっぱり、あのころの人というのは、芯が入っているというか、就職難のころですからね、造船不況とか言われる、昭和30年、31年くらいですかね、就職したのが。だから、警察は、いくつか通ったみたいですけど、警察官に誇りを持って。もう、ほんとに親父のことは、好き……。

【山下】じゃあ、お父さん、勤めあげられたんですね。

【森元】そうですね、定年まで。

【山下】じゃあ、30何年、当時だと55歳かな?定年は。

【森元】60ですね。59だったかな。だから、僕とは全く関係ないですけど、広島県警では、相当偉くなった。

【山下】そうですか。森元さんは、ご兄弟は何人いらっしゃるんですか?

【森元】弟が1人。

【山下】弟さんは、広島にいらっしゃるんですか?

【森元】広島戻りましたね。東京の大学に来ていたんですけど。

【山下】そうですか。じゃあ、生まれて、広島で、転々とするけど、市内を転々としていて、小・中・高は?

【森元】小学校は普通に。中高は、中学受験をして、中高一貫校。

【谷】そうなんですか。

【山下】へえ。広島の、なんていう高校なんですか?

【森元】私立の、修道中学、修道高校。

【山下】修道って、なんか聞いたことあります。

【森元】聞いたことあります?(笑い) そうですね。

【山下】お父さんは、私立だけど、行ってこいというので、お金を出してくれた、中学受験。

【森元】まあ、なんか受けさせてくれましたけどね。

【山下】それは、お父さんが、やっぱり、そのときのトラウマみたいなのがあって……。

【森元】いや、そんなことは全然なかったですね。

【山下】僕が、大阪だったんですけど、1962年生まれですけど、受験とかなかったです、中学受験とか。もう、そういうのが全然なかったんで。

【森元】まあ、これは、ほんとに、嫌な言い方になるかもしれないけど、まあ、なんか、ちょっと成績がいいと、「受験しない?」みたいな空気が、先生とかから流れて。

【山下】周りが、先生も。

【森元】で、僕はふわふわ、ふわふわしていたんですけど、「受験してみない?」みたいな。塾とかも通わされたんですけど、あまり僕自体は。で、広島には、広島大附属中学というのと、広島学院というのと、修道と、だいたい当時は3つあったんですけど、受験するところが。よく分かっていなかったですよね。だから、うちの父親の転勤が、小学校6年の2学期にも転勤があるんですよ。だから、普通、そういう受験、本気でやっていたら、学校変わらないでしょう? うちの親、平気で変わらせましたからね。塾も全部やめてというくらい。

【山下】じゃあ、受けてみろ、みたいな感じで。受かったら、みたいな。

【森元】受かったら行く、みたいな感じで。いい中学・高校でしたね。広島学院というのが慶應っぽいんですよ。で、うちの修道というのが、わりと自由で、ほんとに早稲田っぽいというか。高校行くと、もう制服もないですし。

【山下】面白いですね。ちなみに、谷さん、慶應なんです(笑)。

【森元】あ、だから、ねえ……(笑い)。すみません、あの、僕なんか、ほんとに、あの……。

【谷】いえいえ(笑い)。とんでもない。なんにも関係ないですよ(笑)。

【森元】なんにも関係ないですか?(笑い) すみませんでした。

【山下】面白いですね。そこは、男子校なんですか?

【森元】男子校です。

【山下】じゃあ、もう、蛮カラな。

【森元】中高男子校とか行くと、もう、完全に、例えば、中学生のあいだはいいんですよ。高2くらいになって少し色気付いてくると、もう、例えば……。

【山下】彼女がほしいよ、と。

【森元】だけど、もう、絵空事なんですよね。

【山下】そうか。周りにないから。

【森元】はい。で、図書館とか行って、女子生徒とかいると、しゃべっているじゃないですか、女の人が2人で。天使が喋っていると思っていましたからね(笑い)。で、予備校行って初めて、高3の4月かな、机のこっち側に私が座って、こっち側に女性が座って、クラスの中に女性がいるという空気に慣れないんですよ。だから、あがっているんですよ、ただただ。

【山下】ああ、もう、それであがってしまっている、と。

【森元】あがって90分終わるんですよ。

【山下】なるほど。すごい体験ですね。

【森元】もう、勉強どころじゃないですよ。

【山下】でも、新しい人生体験ができたという。

【森元】だから、例えば、高2のころ、仲間内で、修学旅行とかあるじゃないですか。修学旅行というと、共学だったら、恋ばなみたいな……。

【山下】してました、してました。もう、みんなやっていました。

【森元】何組の子が、誰が好きで、「あいつ、実は彼氏いるぞ」とか、あるでしょ? だけど、うちとか男子校だから、「何何本線の2両目に乗っているどこどこの制服の子」。

【山下】可愛い、と。

【森元】「頑張れ」としか言いようがないですよね(笑い)。みんなが頑張れっとしか言いようがないという。で、あ、いいのかな?(笑い) 今でも……、こんな言っていていいのかな? 今でも覚えているんですけど、当時、先生も全員男性だったんですよ。保健室に。

【山下】それは女性の方?

【森元】女性の方。50……、定年間近だったんですよ。優しい先生だった。ヤトウ先生、大モテだったんですよ。もう、女性がいないから。で、もう、みんな意味なく保健室行って。それで、優しい先生だったんですよ。だから、もう、たぶん、みんな、お母さんみたいな感じを。

【山下】母性を感じていたわけですね。

【森元】保健の先生に「また来たの?」みたいな感じで言われたんですけど、そこに、私が中2のときに、M先生といって、美術の、女子美大かなんか出てすぐの先生……。

【山下】女子美から来た先生、女性の先生、若い先生。

【森元】女性の先生が来たら、もう、我々は、私とかは中2だから、まあ、「きれいな先生だな」くらいに思う。当時の高2、高3は、本気で(笑い)。

【山下】もう、彼女にしたい、みたいな。

【森元】もう、行き帰り、親衛隊みたいになっちゃって。先生、1学期終わったら、来なくなっちゃったんですよ。ノイローゼになって。

【山下】あまりにも、熱が強くて。

【森元】もう、サファリパークに肉付けて歩いている、みたいな感じになっちゃって、ほんとに(笑い)。

【山下】それは大変でしたね。

【森元】M先生が、しばらく休んで帰ってきたけど、ちょっとたくましくなって帰ってきた。

【山下】逆にね。

【森元】「こんなのに、負けてらんない」みたいな感じが。

【山下】乗り越えたんですね。

【森元】だから、ほんとに自由で。良かったですね。男子校って、学校には女性がいないんで、背が高いとか、かっこいいとかいうことが全く基準じゃなくて、「あいつはいいやつだ」とか、「あいつはおもろい」。

【山下】なるほど。人格とか面白さが評価基準になる、と。

【森元】そうです。そこだけで磨かれていくんで。

【山下】イケメンとかではないということですね。

【森元】そこは、当時、広島の片田舎の高校だと、全く基準じゃなくなるんで。

【山下】新しい価値観が醸成されるわけですね。

【森元】そうですね。それは、すごい良かったですけど、ただ、今でも覚えているんですけど、高2かなんかのときに、男たちみんなが集まって、わあっと騒いでいるじゃないですか。ふっと静かになったときに、「俺たち、1人でできることは、もう、全部やったな」と言っていました(笑い)。どうやったら……、僕、今でも覚えているんですけど、高2のときに、新聞折り込みの広告で、ニューファミリー向けマンションの広告があって、奥さんが台所でくるっと振り返ってニコッと笑って、旦那さんはテーブルで新聞読んでいてニコッと笑っている、みたいなのを見たときに、朝ごはん食べながら、「ああ、無理だな、これ。自分には、これは訪れない」と思って、1人でずっと落ち込んでいるときありました。

【山下】家族のいる生活、奥さんがいる生活、ということですか?

【森元】「
「あ、無理なんだな、これは」と思って。のちに、高3のときに、初めて彼女できるんですけど。

【山下】うん、うん。おめでとうございます。素晴らしいじゃないですか。

【森元】ほんとに、自分で、それが、状態が把握できなかったんですよ。どうしたらいいんだろうって。

【山下】どうやって彼女に?

【森元】偶然です。

【山下】たまたま? 向こうから声かけられたとか?

【森元】いえいえ。男子校と女子校で文芸誌みたいなやつ作っていたんですよ。

【山下】それは、森元さん、そういうのやっていたんですか?

【森元】いえいえ、もう、代々あったんですよ。僕が文章書くの好きだというの、知っていて、やつが、連れて行ったんですよ、そこに。そこにいらっしゃって。

【山下】その女性が?

【森元】はい、はい。で、そこでお知り合いになったんですけど。

【山下】それはいいですね。

【森元】だから、これは、もう、どう受けとめていいか分からない、みたいな(笑い)。

【山下】最初は。そこから始まる、と(笑い)。

【森元】どうしていいか分からないというくらいでしたね。

【山下】なるほど。高3のときに、恋ばなが(笑い)。

【森元】そういう、もう、とにかく、男同士でつるんで遊ぶのが、ただただ楽しかった。で、高1の夏休みぐらいまで成績良かったんですけど、高1の夏休みくらいで一気に遊ぶのが楽しくなって。

【山下】転落をしていくように、成績が落ちていった、と。

【森元】もう、先生も親もオロオロするくらい成績が落ちていくんです、ダーって。

【山下】僕の高校時代とすごく似ていますね(笑)。

【森元】あ、そうなんですか?(笑) だから、落ちこぼれていくとか、みんなにおかれていくという気持ちは、今でも思い出しますね。

【山下】分かります、分かります。

【森元】40代になるくらいまで、試験の日の朝に、なんにもやっていなくて、朝、学校行って、友達に、「やってる? やった、勉強?」と言ったら、「いや、俺もやってない」とか、「やってない、やってない」ってみんなが言うから、安心して、試験の問題が配られて、「始め!」って言ったら、俺以外がみんな書き始めて、俺だけ書けない、という夢で1ヶ月に1回起きていました。

【山下】分かります。

【森元】どれくらい、試験がトラウマになっているか。

【山下】いやいや、そうですよね。

【森元】よく、みなさん、言うじゃないですか、学生に戻りたい、とか。全然戻りたくないですよ。

【谷】戻りたくない(笑)。

【森元】試験さえなければ戻ってもいい。

【山下】そうですね。試験がなかったら楽しいかもしれないですね。

【森元】試験さえないならいいけど、試験があるんだったら嫌だなという。

【谷】高校時代って、結構、夢に出てきますよね。

【森元】出てきます?

【山下】出てくる、出てくる。

【谷】特に試験とかね、そういうやつが。

【山下】試験も出てくる。

【森元】いや、賢かったんでしょ?

【谷】いや、やっぱり、数学が全然駄目で、高3のとき、全然テストができなかった。ほんとにできなかったんですけど、その夢はよく見ますよ。いまだに見ますよ(笑)。

【森元】ああ、そうですか。ようやく10年前くらいで終わりましたね。今日、また見るかもしれない(笑い)。「いや、また見た」みたいな、もう、汗びっしょりで、わあとか。そうですね。

【山下】それで、でも、一応、高3になって、予備校も通い始めて、それで、広大とか受けようとか思わなかったんですか? 地元の。

【森元】ほんとになんにも考えていなかったんですよ。で、高2の秋ごろ、担任の先生と面談があって、どこ受けるんだって言われて、東大ですかねとか言っていて。いや、そんな学力ないですよ。で、いたら、当時の担任が職員室に帰って、「森元は毎日楽しそうだけど、あいつはなんにも考えていない」と。そしたら、職員室が大笑いになったんですって。ああ、考えていない、考えてない、あいつは考えていない、って。そしたら、進路指導のF先生がいて、早稲田出身だったんですよ。で、また、学校の中をニコニコしながら歩いていたら、F先生が「ちょっと、森元、来い」。わあ、怒られる、とか思って、進路指導室で、「何?」とか思ったら、「早稲田行かないか?」と言って、早稲田の資料。それで、お前、早稲田向いているから、どうだ、どうだって言われて。

【山下】その先生は、なんで思ったんですかね?

【森元】何も考えていないから、あいつは向いているんじゃないか、と。自分の母校でしたから、F先生は早稲田出身だったので。そしたら、次の日、また呼ばれて、「また?」とか思ったら、今度は3人になっていたんですよ(笑い)。3人とも早稲田の先生で。

【山下】ああ、ご出身の。

【谷】囲い込みが始まったわけですね。

【森元】まあまあ、洗脳ですよね。

【山下】母校に入れようと。

【森元】どうだ、向いているぞ、と。ほんとに何も考えてなさそうだから。で、あっという間に洗脳されて、大学は早稲田に決めました。

【山下】そこから早稲田に向けて、受験勉強を始めた、と。

【森元】ところが、勉強するわけじゃないですよ。大学は早稲田に決めましたって、勝手に言っていました。

【山下】特に学部とかは?

【森元】どこでも良かったです。もう、理工学部でも良かったです。というのも、私、英語が壊滅状態で。

【山下】英語以外のもので入りたい、と。

【森元】いや、そんなあれじゃないんですけど、私立文系というと、英語ができていないと駄目なんですけど、ほんとに英語、壊滅だったんで。他は、好きだったんですよ。数学も好きでしたし、あと、物理とか、生物も、化学も、国語は大好き、社会も大好きというと、先生は国立って言うわけですよ。

【山下】確かに。わりと満遍なくできるから。

【森元】 だけど、英語だけ地に落ちていたんで(笑い)。だから、そんな通るような身分じゃなかったんですけど、とにかく決めました、みたいな。

【山下】それで、受けたんですよね?

【森元】受けましたね。

【山下】じゃあ、初めて東京に行ったんですか、そのとき?

【森元】だから、受験のとき。

【山下】受験は、東京でやるんですかね?

【森元】そうです、当時は。広島でなかったです。

【山下】なかったですよね、昔はね。

【森元】全然なかったです、それは。だから、早稲田、全部受けましたよ。

【山下】何、政経から……。

【森元】理工学部以外、全部受けました。

【山下】文系は全部。

【森元】どこかひっかかれ、と思って。

【山下】商学部も受けたし、法学部も受けたし、と。で、どうだったんですか?

【森元】現役は全部落ちて。

【山下】ああ。それで、じゃあ、一浪?

【谷】早稲田以外は受けなかったんですか?

【森元】受けない。共通一次だけ受けました。だから、点数すごく低いんで、お分かりだと思いますが、740くらいかな。そうなると、もちろん、東大とか一橋なんか無理ですけど。

【山下】難しいですね、その大学は無理ですね。

【森元】横浜あたりとか、千葉とか、「なあ、受けろよ、受けろよ」って相当言われた。

【山下】ちなみに、私が730でした(笑)。

【森元】ああ、そうですか?(笑) 

【谷】よく覚えていますね。

【山下】それだけ覚えている。

【森元】あれ、1000点満点でしたよね? 当時。

【山下】そう、1000点満点。

【森元】はい、はい。受けろ、受けろと言われました。どこか行ける、東京方面に行きたいんだったら、ここはどうだ、ここはどうだって言う。「いや、早稲田、決めましたから」みたいな。

【山下】それも面白いですね。

【森元】だけど、共通一次だけは受けて、試験試しとか言って。

【山下】それで、全部駄目だったから、どうすんのって話になって、で、広島の予備校に通ったんですか?

【森元】そうです。そのときに、さっき言った彼女さんが、高1だったんで、まあ、それもいいかな、とか。

【山下】なるほど。それはいいですね。

【森元】東京行かなくて、と思ったら、3月30日に振られるんですよ(笑い)。

【山下】じゃあ、予備校に入る前日に振られた、みたいな。

【森元】前々日に振られて(笑)。
「うそ!」とか思って、ぼうっとしていて。4月1日に、その予備校の入塾テスト、みたいな、クラス分けテストみたいな。全然受ける気しなくて、電話して、「これ受けなかったらどうなりますか?」って言ったら、「退塾の可能性があります」と。今考えたらうそなんですけど、しかたないから行って、マークシート適当に塗っていたら、その塾の全体で10番目くらいに……。

【山下】上のほうだった、と。特待生(笑)。

【森元】これ、受験のとき、使えば良かったなというくらい(笑い)。なんだろうと思って、特進クラスみたいなとこ入っちゃって、そこから、すぐ成績はワーって落ちていくんですけど。それで、まあ、ほんとに、全然勉強、またしていなかったですね。

【山下】でも、とりあえず、次の年は、頑張って受かったんですよね?

【森元】頑張ってはいないですけど、偶然引っかかって。うわあ、良かったって。

【山下】それで、早稲田の生活が始まると。

【森元】そうです。すみません、ここまでも長くてすみません。

【山下】何学部なんですか?

【森元】社会科学部です。

【山下】あ、社会科学部。


文字起し ブラインドライターズ 担当 青山直美
ご依頼、いつもありがとうございます。森元さんのお話は面白くて、文字起こしをしていても引き込まれてしまいます。お父様も、先生も、ご友人も、本当にステキな方ばかりですね。素晴らしい環境できちんと勉強なさったから、早稲田のような難関の大学にも受かりま、演劇企画の道へと続いていくんですね。やはり、素地は大切なんですね。楽しいお話を、ありがとうございました。

文字起し    ブラインドライターズ


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