見出し画像

【PODCAST書き起こし】アングラ演劇について「梅山いつき」さんに聞いてみた!全4回(その2)梅山さんのアングラ演劇史をお聞きする!16000字

TFCラボ プレゼンツ  『みんなで語る小劇場演劇』

【山下】続いて、梅山さん、お待たせしました。ということで、梅山さんが、本当に、我々より20歳以上若い世代なのに、なぜアングラにはまっていったのか、プロフィールも含めて、新潟のご出身ですよね? それで、なぜ、このアングラの道で、今、大阪に住んでいるのか、みたいな話を、ちょっとしていただきたいと思います。

【梅山】はい。新潟出身なので、三浦さんが中学のときから芝居と出会うみたいな、そういうことってほぼなかったんですけど、高校時代に、上京してゆくゆくは美大に入りたい、と思っていたんですよ。今でも、どちらかというと、美術畑。演劇よりも美術のほうを、むしろしっかり勉強したつもりで、自分ではいるんです。それで、夏休みになると、高校生のときに、東京に来て、1週間くらい滞在して、こちらの学校みたいな、美術に行きたい、美大に行きたい人向けの予備校ってあるんです。

【山下】お茶美みたいな。

【梅山】どばたでした、私。

【山下、三浦】どばたか。

【梅山】すいどーばた……。

【山下】どばたと言えば、うちの社長がどばた出身で。

【三浦】そうですね。うちの現社長は、どばた出身でもあり、講師もやっていますね。

【山下】ねえ。

【梅山】そうなんですね。

【山下】あれ、「すいどーばた」の「どばた」でしたっけ?

【三浦】そうです。どばた。

【梅山】そうです。そうです。水道の端。

【三浦】美術学校の世界って、予備校閥があるっていう……。

【梅山】そう、そう。

【山下】閥があるんだ? へえ。

【三浦】大学もあるけど、大学閥より予備校閥のほうが強いという。

【梅山】そこに何年も、もうずっと、大学、もう行かないでいいんじゃないかっていうくらいに。

【三浦】そういう人いるよね(笑い)。

【山下】すごいですね。

【梅山】長くいる、おられる方もいるところに、高校3年間は、夏休みになると、1週間上京して通っていたんですけど。

【三浦】サマースクールみたいなことですかね?

【梅山】そうです。

【山下】高校のときは、美術部とかだったんですか?

【梅山】美術部にも入っていたんですけど、軽音部で(笑い)。

【山下】音楽もやっていた?

【梅山】なので、今日はハードロックカフェのブローチを付けて来たんですけど、それはそれであるんですけど。それで、ずっと、自分で書いたりするほうにいきたいと思っていたのを、高3のときに、芸術学のほうが面白そう、ということで、まず、そこで、方向転換したくらいのときに、東京の紀伊國屋、行くと必ず大きい本屋さんといって紀伊國屋に行って……。

【山下】新宿の。

【梅山】で、『夜想』って雑誌があって(笑い)。

【山下】あった!

【三浦】『夜想』、ありましたね。

【山下】「夜」に、「想像」の「想う」という字ですね。ダゲレオ出版とかじゃないですか、あれ?

【梅山】ペヨトル工房。

【山下】ペヨトル工房だ。懐かしいね、ペヨトル工房。

【梅山】今、大きくなって……。

【山下】まだあるんですか(笑い)?

【梅山】あるんですけど、当時は、まだ、こっちの関係で。

【山下】そうですよね。

【梅山】で、あって。なんだろうって、たまたま手に取ったのが、「ロマンのゆくえ」という特集で。今思うと、「よく、これ、選んだな」というくらいのラインアップ。そこで、土方巽の、暗黒舞踏の『禁色』と出会うんです、写真で。

【山下】『禁色』って、禁止する色というやつですよね。

【梅山】はい。三島由紀夫の『禁色』をモチーフにして、大野慶人さんと2人でやった舞台なんですよね。その当時は、全然そういう予備知識もなく、ただ、その、白塗りの写真1枚で……。

【山下】変な写真だ、と。

【梅山】衝撃を受けてしまって。「あ、どうも、世の中には、こういう世界があるらしい」ということが分かって(笑い)、一気に転向したんです。

【山下】それは、高校3年のとき?

【梅山】3年生のとき。だから、上京したら、美術じゃなくて、舞台芸術の。しかも演劇ではなくて、舞踏のことを。

【山下】フィジカルとかですかね。

【三浦】暗黒舞踏というやつ。

【梅山】知りたいなというモチベーションで、上京したんですけど、上京して、すぐ、ちょっと縁があって、たまたま舞踏をやっているよという人に、観に来てって言われて観に行ったんですよね。そしたら、ちょっと、それは、今は団体名とか全部分かっているんですけど、ちょっとそれは控えますけど、ちょっとひどかったんですよ、舞台が(笑い)。ただ白塗りして髪ボサボサで、裸の若者たちがきゅうりバリバリかじるみたいな。「なんだ、これは。形骸化しているじゃないか」と思って。

【山下】変なことやりたいだけじゃないか、みたいな。

【梅山】舞踏のことを何も知らないときに、直感で、これはおかしい、みたいな(笑い)。

【山下】直感で分かった、と。観客として。

【梅山】生意気にも。それで、なんか舞踏熱が冷めてしまって。

【山下】やっぱり、そういうこともあるんですね、だからね。

【三浦】土方さんって、もう亡くなられていますよね?

【梅山】もちろんです。当然、もう土方さんはおられずに、アスベスト館も、もうないようなとき。2000年に上京しているので、そういうことは、何も残り香がないようなときではあったんですけど。

【三浦】山海塾とかは、活動していましたか?

【梅山】もちろんです。

【山下】山海塾はね。

【梅山】山海塾は。だから、山海塾とか、麿さんのとことか観て。

【山下】ああ、大駱駝艦。

【梅山】舞踏は、結構、熱心に、独身時代は観ていて。ただ、そういうこともあって、たまたま、その2000年に、東京学芸大のほうに入ったら、同じ年に佐藤信さんが教え始めてというときで。

【山下】先生で。

【三浦】それは、本当に縁ですね。

【山下】本当ですよね。運命的なものがありますね。

【梅山】そういうことがないと、こういうことって起こらないと思うんですけど、たまたま、その信さんが来た年に、舞踏熱も下がっていて(笑い)。それで黒テントの作業場なんかに連れて行ってもらっていたら……。

【三浦】行ったんですよね。

【山下】いろいろ、著書にも書かれていますよね。

【三浦】大学に入られて、もう1年生のときに、もうその授業があったということですか?

【梅山】そうですね。1年生とかですね。2年生のときに、その佐藤信さんたちが、黒テント、当時、演劇センターって名乗っていましたけど、演劇センターの初めての黒テント興行だった、『翼を燃やす天使たちの舞踏』という作品があって、それで、初めてのテント興行で、全国30カ所回るんですよ。

【山下】30カ所?

【梅山】そのテキストを、なんか妙に面白いな、と思って、で、信さんがやっていた演劇学ゼミというゼミで上演しようというのを、大学2年生で。だから、今からちょうど20年前になるんですけど。

【三浦】それは、授業の一環ですか?

【梅山】授業ではなくて、信さんが自主的に。もともとその前の先生のときからゼミ自体はあって。学芸大は日芸とかとは違って実践考ではないので、基本は教員養成の大学……。

【山下】そうですよね。もともとが、教員養成大学ですもんね。

【三浦】なるほど。知識として。

【梅山】座学として、演劇学を勉強するという場所だったので。ただ、入ってくる先輩方たちというのは、俳優になりたいとか、演出に関心があるという人たちだったから、そういう人たちで集まって、年に何回か芝居やりましょうよ、というところに佐藤信さんがいらしたんで。

【山下】なるほど。すごくいいタイミングで、これが合致したんですね。

【梅山】そうなんです。すごく、4年間は、すごいいい時間を過ごせて。

【山下】じゃあ、佐藤信ゼミで、佐藤信の黒テントゼミ、みたいな感じなわけじゃないですか。

【梅山】黒テントの作品やったのは、その1回だけだったんですけど、そのあとも、信さんの演出でブレヒトのイエス(00:07:36)の舞踏曲やったりとか。

【三浦】ブレヒト。

【梅山】いろんな作品を、信さんの演出でやるたびに、小道具とかを黒テントの作業場に借りに行って、借りたりなんかして。

【山下】それはできたんですね。

【梅山】そこの作業場、当時、練馬の、西武新宿線の駅にあったんですけど、大きな、平野甲賀さんが手掛けたB全版のポスターが。

【山下】平野甲賀ですよね。

【三浦】平野甲賀さんですよね。装丁もすごい……。

【山下】そうですよね。

【梅山】ダーっと並んでいて。

【三浦】かっこいいですね。

【梅山】すごい、もう、もう。それで、もともと美術のほうが好きなので。

【三浦】そうか。

【山下】だから、平野甲賀のデザイン、すげえな、と。

【梅山】すごいな、というんで。

【山下】分かる、分かる。力強いですよね。

【梅山】もう、一気にそっちに行って。

【三浦】唐さんとか、そっちには、横尾忠則もいますしね。  

【梅山】そうなんですよ。

【山下】そうですよね。だから、あとでも話そうと思った、アングラ演劇とポスターって、すごい面白い、密があるじゃないですか。

【三浦】ありますね。

【山下】各劇団に、面白い、個性的な、横尾さんとか、平野さんとかがついている。

【三浦】横尾さん、でも、天井桟敷の座員だったんですよ。

【梅山】旗揚げのメンバーだったんですね、前。

【山下】じゃあ、寺山修司との、まず、そもそもの関係があったということか。

【三浦】そうなんです。あ、すみません、ちょっとそっちの話に。佐藤信さんって、すごく間口が広い方ですよね。

【山下】広い!

【梅山】そうですね。

【山下】僕は、梅山さんの著書を読んで、すごく興味を持ちました。

【三浦】オペラの演出とかもされていますよね?

【梅山】そうです。若いころから、オペラの勉強も。もともとはレビューの演出をやりたいということで、俳優座の養成所に入ったんですけど。

【三浦】レビュー?

【山下】そうですよね。

【梅山】入る年に、演出コースというのがなくなってしまって。というような、いろんなことがある中で、オペラのお仕事は、ずっと継続してやってられますし。

【三浦】佐藤信さんって、聞くと、やっぱり血筋が、ちょっと、唐さんとか、そういう人たちとは、だいぶ違います? 俳優座……。

【梅山】ただ、唐さんも……。

【三浦】唐さんも、どこか入っているんですか?

【梅山】入って、明治大学で、演劇も始めていますし。ですから、当時は、やっぱり、そういう大学で演劇を始めて、そのまま、早稲小のように、劇団結成していくというタイプと、養成所、信さんたちのように……。

【山下】俳優座とかね。

【梅山】養成所で出会った人たちと終了後に旗揚げしていくという、だいたい、そういう2系統。

【山下】その2つの、2潮流が。新劇とは違う流れの中で、アングラとか小劇場的なものが、そこから生まれてきたということですよね。

【三浦】俳優座って、なんとなく新劇っぽい印象を持っていたんですけど、そういうわけでもないんですか?

【梅山】そうです。ですから、反新劇でものすごく語られるんですけど、ものすごい連続性はあるんですよ。で、きちんとその上の世代たちのやってきた芝居とか、演劇論というのも、批判的なまなざしを向けながらも、しっかり学んで、そこに大きな影響を受けながら、それとは違うものを、ということを。

【三浦】自分で独自に消化をして、継承もしていくという……。

【梅山】はい。なので、そこで断絶があるように、ちょっと思われがちなんですけど、連続性はあるんですよね。

【山下】これはいい話ですね。

【三浦】周りからすると、断絶という構図にしたほうが……。

【梅山】分かりやすいんですけどね。

【山下】そうそう。2元論で語ろうとするとそうなっちゃうんだけど、実は違うというのが、なんか新しい。これは、今の時代っぽいな。

【三浦】そうですね。

【山下】それはいい意味で、ある伝統を吸収しながら変化していく。だから、最初はバリエーションだったのかもしれないけど。なんか、それはいい話ですね。今までって、普通、アングラって、対立構造で語られて、新劇に対する対立構造。実は、私も本を読んだので、その聞き伝えをやって、この番組でそういうふうに言ってしまったんですけど、今、違うことが分かったので、ちょっと訂正をさせていただきます。新劇のバリエーションとして、まず、アングラが生まれてきて、アングラと新劇が完全に対立構造ではないぞ、という。

【梅山】その、新劇のバリエーションというと、またちょっと違うと思うんですけど……。

【山下】そうか。言い方が違うんですね。ちょっと、じゃあ、梅山さんに、もう一回説明をしていただきたいと思います。

【梅山】出てきたときというのは、やっぱり、既存の、いわゆる大きな、俳優座、文学座というような、代表的な劇団に、養成所出たあとに入っていくという道を採らなかった人たちなので、そういう意味では、違う自分たちの芝居をやる、自分たちの身の丈に合ったというか、空間を探して、そこでやっていきたいというモチベーションなので、バリエーションではないんですけれども、出てきたばかりの60年代半ばから70年くらいまでの数年間は、特にそこでの新劇との対立というのが強かったために、常に反新劇というカウンターカルチャーとして語られるという向きが強くて。ただ、それは特に初期の、最初期の数年間で、その後というのは、むしろ、その各グループで、それぞれの道を、70年代に入ってからは、独自の道を採っていく。いきながら、太田さんなんかは太田さんのスタイルを作っていきますし、それと唐さんは全然違いますし。

【山下】そうですね。

【三浦】アングラという括りにして、太田省吾さんと、唐さんと、寺山さんって、みんな、ここにいる、と。

【山下】みんな違いますもんね。

【三浦】全く、それは、違うものですもんね。

【梅山】同じテントでも、黒と紅も全然違いますし。

【山下】そうですよね。

【三浦】そうですよね、全然違いますもんね。

【梅山】ですから、出てきたばかりの現象としては、反新劇ということになってくるとは思いますけど、そのあとの、それぞれの道というのを、独自性というのを見ていくと、また、それはそれで面白いのではないかなというところですね。

【山下】すごく説得されました。

【三浦】出てきた、その、60年代の全版から中盤、後半にかけてって、時代がもたらす空気感というのも、当然ありますよね。70年代安保にいくまでの。

【山下】ありましたよね。特に70年代安保の、連合赤軍事件の辺りまで。

【三浦】連合赤軍事件は、70年代安保を経ての、1つの悲劇の秘結として……。

【山下】そうですね。集結点みたいなね。

【三浦】あと、山崎哲さんとかは、その辺を、非常にリアルに、現実的に感じて、それを舞台化するということをやっていたと思うんですけど、第七病棟の、確か、第3回公演かなんかで、山崎哲……、第七病棟って、ほとんど唐さんが書いていますよね?

【山下】そうですね。唐さんが多いですよね。

【梅山】そうですね。

【三浦】1つだけ、確か、山崎さん、書いていて、『質屋』という。『おとことおんなの午吾』というのかな。

【山下】あの、お金借りるための「質屋」?

【三浦】お金貸してくれる質屋さんです。要は、反戦活動、全共闘活動やっていた夫婦がいて、それが結局敗北して質屋をやっているんですけど、実は、仲間を殺して地下に葬っている、みたいな話で、それが最後に明かされるんですけど。これが、非常に暗い芝居で、悲しいんです、これがね。

【山下】いいですね。暗い芝居、大好きです。

【三浦】唐さんとは、全然、やっぱり違う、山崎さんの本が。

【山下】山崎さんのね。

【梅山】山崎さんの世代だと、70年安保だと思うんですけど、唐さんとか、佐藤信さん、鈴木忠志さんというのが……。

【山下】10年前ですよね。(※1960年 安保)

【梅山】10年前なので、どちらかというと、60年安保かな、実体験としては。なので、ちょっとそこもごっちゃになるんですけど……。

【三浦】そうか。40年生まれとか、その辺ですもんね。

【梅山】70年安保とか、60年代末の、本当に過激化していく学生運動とは、むしろ距離は取っているんですよね。唯一、一緒になってというのは、清水邦夫さん、蜷川幸雄さんの、現代人劇場からの櫻社が、1番、そういう意味では……。

【三浦】そこ、石橋蓮司さんとかがいたところでスね?

【梅山】はい。ですから、その流れが第七病棟に引き継がれていっているのだろうと、思ってはいます。

【三浦】そうか。唐さんたちは、もう1つ上だから、60年安保。

【梅山】ある意味、学生運動というか、そういう革命の夢みたいなものは、60年代初頭に、ある種の挫折感とともに味わっていて……。

【山下】1回、終わったんですね。

【梅山】そこで、続けていくのではなくて、演劇の世界で、表現を通して、自分たちが見た夢ってなんだったのかというようなことを、問い直すという作業が、信さんだとか、唐さんたちの世代だと思うんですよね。

【山下】それが、60年代初頭に始まったということですよね。

【梅山】そうですね。だから、むしろ、その70年代の初頭とかに始まっていく山崎さんたちのほうが、そういう意味では……。

【三浦】もろに70年代を受け止めるというか……。

【梅山】ラディカルな学生運動というものを、ダイレクトに引き継ぎながら、どういうふうにそれを消化していく、し終えるのかということを。

【三浦】敗北感的なことも含めて。

【梅山】唯一、信さんたちの世代でいうと、その清水さんたちも終わっちゃいまして、実は、別役さんが……。

【山下】別役実。

【梅山】連合赤軍の問題だとかというのを、実はずっと問い続けているんですね。

【三浦】別役さんの作品で、そういうことを真正面から取り上げているような作品があるんですかね?

【梅山】すごい、小さい作品ですけど、『正午の伝説』というものがありまして。

【山下】「しょうご」って、どういう字なんですか?

【梅山】お昼の正午。

【山下】12時をおっしゃった正午。

【梅山】はい。12時の正午なんですけど、『正午の伝説』って、それって、終戦の玉音放送の正午というのと……。

【山下】そうか、ちょうど正午に流れたから。

【梅山】あとは、連合赤軍での凄惨な内ゲバみたいなことを……。

【山下】リンチとか、総括ですね、いわゆる。

【梅山】何が、結局、どんな精神的な、どんなメンタリティーが、そういうことを引き起こしてしまうのかということと、天皇責任というのを重ね合わせる。別役さんの中では、その両者って根っこは同じだろうという発想があって。ちょうど、71年かそこら辺で、土居さんの『甘えの構造』が出るんですよね。

【山下】土居健郎の『甘えの構造』ですね。ベストセラーになった。

【梅山】あれに、かなり想を得ている作品で、あれもすごく有名ですけど、学生運動に身を投じる若者たちのメンタリティーというのは、戦争中の、どうして日本人は天皇に命を捧げたのか、とかというようなことを追うと、実は根っこの部分で似ているというような論を展開していたと思うんですけど。

【山下】似ているんだ。

【梅山】それを、別役さんなりに、芝居に落とし込んでいくという。

【三浦】別役さんの言葉で紡いでいく。

【山下】面白いですね。

【梅山】全然、過激さは、むしろなくて、それもまた新劇のグループで上演されるので、あまり、そういう、学生運動の流れの中の作品というふうには位置付けられていないんですけど。

【三浦】内容は、実はそうなんだ、と。

【梅山】実は、別役さんは、結構、ずっと考え続けておられるんですよね。

【三浦】そういうかたちの上演をとるということは、むしろコミュニケーションは、普通の、一般の人にも取りやすくなりますよね。

【梅山、山下】そうですね。

【三浦】そこは、非常に頭のいいやり方だな、と思いますよね。特別なことは、あまり必要としないですもんね。役者の、1つの台詞回しであるとか。非常に象徴的な舞台ですもんね、別役さんの舞台も。

【山下】そうですね。わりと抽象的な部分もあって。ただ、梅山さんの著書を読ませていただいたら、別役さんって、ずっと反戦の思想がずっとあったのかな、というふうに思ったんですね。

【三浦】あの人、大陸生まれですよね?

【梅山】そうです。おそらく、ちょっと宣伝になりますけど、5月に演劇博物館で……。

【山下】早稲田の、エンパク。

【梅山】別役実の特別展を予定していまして。

【山下】ちょうど、去年の、1年前でしたっけ? お亡くなりになって。3月ですよね?

【梅山】お亡くなりになって、それで、別役家から、大量に資料を、演劇博物館が寄贈を受けて。

【山下】いろんなものが。

【梅山】その一部、特に幼少期と、あとは、早稲田小劇場とか、自由舞台ですね、あのころの、本当に初期のころを中心に紹介する予定なんですけど、まさに山下さんおっしゃったような、幼少期の引き上げの体験だとか、戦争の残り香というか、その町の風景に残っている戦争の爪痕みたいなことが、ものすごく劇作に影響を与えているんだというのが、そういった幼少期の資料からも分かりますね。

【三浦】太田省吾さんも引き上げているみたいですね。

【山下】そうなんですか。

【梅山】そうですね。

【三浦】太田省吾さんも、やっぱり中国で生まれて、別役さんよりは世代少し下なんですけどね。

【山下】だから、60年代の初頭にアングラを始められたような方というのは、やっぱり戦争体験者でもあるということなのか。

【梅山】そうですね。

【三浦】そうですね。佐藤信さんもそうなんですか?

【梅山】信さんの場合は、ちょっと下の世代の人なので、生まれて物心が付いたころには、もう終わっているという。

【三浦】唐さんもそうですよね?

【山下】そうか。でも、一応戦前に生まれているんですね。

【三浦】40年とか、そのくらいですかね。

【山下】ちょっともう1回、話を戻して、梅山さんが大学3年生くらいのときで、ちょっと話が脱線してしまったんですけど、そこに戻していきます。大学のときに佐藤信ゼミで、いろいろやられていて、そのあと、どういう感じで進んでいかれるんですか? なんか、大学を卒業して、院のほうにいかれるんですよね?

【梅山】そうですね。ですから、アングラへの関心というのが、信さんを入り口にして、黒テントの、甲賀さんの、あのかっこいいB全版のポスターと……。

【山下】平野甲賀。

【梅山】あと、もう1つ、ものすごく魅かれたのが、黒テントが出していた『同時代演劇』という機関誌があるんですよ。

【山下】そんなのがあるんですか?

【三浦】存在は知っていますよ。

【梅山】佐伯隆幸さんが編集をやっていて、それで、日本語版の『同時代演劇』と、『コンスタ アンド シアター ジャパン』という、デヴィと・グッドマン先生がやっていた英語版と、その2誌を、あの人たちは、テントで巡業しながら作っていた。

【山下】ものすごいですね。

【三浦】すごい元気ですね。

【山下】ほぼ国家みたいな感じじゃないですか。1つのカンパニー。

【梅山】なんか、そういうのにものすごい熱量を注いでいたみたいで。

【三浦】すごいですね。

【山下】へえ。それって、どこかで見られるんですか? エンパクとかに行くと見られる?

【梅山】見られます。エンパクにもありますし、大きい図書館だったら、もしかしたらあるかもしれないですけど。

【山下】そうなんですね。『同時代演劇』。

【梅山】だから、その60年代って、芝居が元気なのと同時に、評論のほうも、やっぱり新しい書き手が新しいメディアを作って、また、劇団が、唐さんのところも、『川原版』という、新聞でしたかね、を、出したり、そういうふうに、自分でメディアをこさえて、既存のメディアには頼らずに、自分たちの言いたいことは自分たちでいっていく、自分たちでやろうとしていることは、自分たち、信頼のおける同世代の評論家と一緒に……。

【山下】面白い。

【三浦】発信していこうという。

【梅山】新しい演劇ってなんなのかとか、革命の演劇ってなんなのかというのを、考えながら芝居をやるという。

【三浦】一般メディアだと、どこかで横槍が入ったり、指示されたりしますよね。

【山下】そうですね。違うバイアスとか、文字数の制限もあるし。

【梅山】そうですね。

【三浦】自分たちで発信していけば、なんにも、遠慮もなく……。

【梅山】そうなんですよね。

【山下】でも、面白いですよね、それって、今の時代にちょっと通じていません? 今、だんだん自分で発信できるようになったじゃないですか、ブログとかTwitterとか。

【梅山】そうなんです、そうなんです。

【三浦】そうなんですよね。

【山下】それで、あんまり周りの人のあれがなくてYouTubeで発信したりだとか、、それがやっとできるようになった時代なのかな。

【三浦】先駆者ですね、本当に。

【山下】先駆者ですね、確かに。

【梅山】演劇センターも、最初にコミュニケーション計画といって、5本柱を掲げて、それをやりますと宣言するところから始めたんですけど。

【山下】マニフェストがあるわけだ。会社みたいだね(笑い)。

【梅山】はい。その1つに、壁面劇場という構想があって。

【山下】なんですか、壁面劇場って?

【三浦】ノリで始めるんじゃないんですね。しっかりした構想があって。

【梅山】はい。真面目なんですね。

【山下】いや、本当ですよ。なんか、創業の理念みたいな感じですよね。

【梅山】壁面劇場というのは、壁の壁面なんですけど、結局実現はされなかったけど、どうもその構想を読んでいると、山下さんがおっしゃったみたいに、今で言うSNS的な、観客も発信をする、みたいな。

【山下】そこに、じゃあ、観客の言葉を書いたりするんだ。

【梅山】そうです。だから、誰でも参加可能な。

【三浦】そこに書き込んでいけばいいんだ。

【山下】SNSですね。コミュニティーだね。

【梅山】というのをやりたかったみたいで。寺山さんなんかも、きっと、今もご存命だったら、もうなんか、やっていると思うんですよね、SNSを駆使して。

【三浦】そうですよね。

【山下】絶対やっていると思います、新しいことを。

【梅山】寺山さんのところも、『地下演劇』という雑誌を出していまして。

【三浦】そうですよね、『地下演劇』、出していましたよね。

【山下】『地下演劇』。へえ。

【三浦】まさにアングラですよね。アンダーグラウンド(笑い)。

【山下】そうか。アンダーグラウンドですね。

【梅山】そうなんですよ。あれも、なかなか読み応えがあって。

【三浦】へえ。どこかで読めますかね?

【梅山】読めます。演劇博物館で読めます(笑い)。

【三浦】早稲田の。

【山下】じゃあ、別役さんのときに行って、それで読もうかな(笑い)。

【梅山】ぜひ、ぜひ。その装丁もかっこいいんですよ。だから、『地下演劇』は、榎本了壱さんが、ずっとやって、途中から鈴木さん……、想定かの……、有名な方なんですけど……。

【山下】へえ、誰だろう?

【梅山】結構80年代の天井桟敷の観客席だとかのポスターのデザインやってられた方が同じ人がやっていると思うんですけど、有名なのに、ちょっと出てこなくて、すみません。

その機関誌に、ものすごく、ポスターと同時に魅せられてしまって、言っていることは、学生なんで、全然何言っているのか分からないですけど、とにかく、かっこいい。自分たちで雑誌作ってやっているというのが、とにかく、かっこいい。

【山下】憧れますよね、本当に。インターネットが、まだあれだったころは、すごい憧れましたもんね。

【梅山】だから、それでご一緒した、西堂さんの評論の講座に行ったりとか。それで評論にちょっと関心を持ち始めたのは、そういうきっかけで。

【山下】僕も同じ批評の講座に行って。やっぱり批評言語って、僕、1回、あるクリエーターの人と議論をしたことがあって、別に喧嘩でもないんですけど、やっぱり、批評って批判とは違いますよっていうのを、ずっと言わないと、わりと批評とは、批判で、なんか、良くないこと、これは駄目だとか。そうじゃなくて、より良くするために批評言語というのがあるから、批評言語は、客観的な視点で、こういうふうにすると、僕は、良くなるんじゃないかって仮説を立てているだけなんですよ、と言うんですが、なかなか分かってくれなかったんですけどね。

やっぱり、アングラの、その皆さんたちは、それを直感的に感じていたんじゃないですかね。周りの人と運動体を作って、より良くしていこう、みたいな、その動きが、実質的にはものを良くしていくんじゃないかな、というのがあったような気がするけど、どうですか、梅山さんは? まあ、梅山さん自体が、批評の仕事をされているわけですけど、ちょっと、その辺は、梅山さんのご意見も伺いたくて。

【梅山】だから、当時としては、ツールが紙媒体しかなかったということでの限界があったと思うんですけど、ただ、構想を見ていくと、演劇センター、そのあとの、黒色テントに変わってからも、ずっと、そういう、観客とかその周囲とのコミュニティーを、芝居を通じて形成していきたいというモチベーションは、ずっとキープされていまして、そのときに必ず活字というのを介在させていくんですよね。

【三浦】活字。

【山下】言葉ですよね、言葉を介在させるんですよね。今、テクノロジーが発達しているから、こうやって音声のこととか、映像でもできるようになっているけど。

【梅山】そうですね。気軽に誰でもできるようになっているので、まさに、ただ、一方で、違いとしては、作品に深く切り込んでいきたいという欲求もあって、それを、ただ見て面白かったとかってつぶやくということではなくて、評論家の側も、根本的に、何が今必要とされているのかとか、問うべきはなんなのかということを、かなり答えが出ないようなことを……。

【山下】延々と考え続けて、言葉にし続ける。

【梅山】考えている時代ではあったという点が、今はそこまで深く切り込むというよりは、まずは瞬発力が求められているようなところもあるような気がしているので。

【山下】今の、時代はそういう空気ですよね。ただ、このポッドキャストは、わりとそれを目指そうと思っていて、コミュニティーは小さいんだけど、深く刺さって、こういう、答えが出ないようなことを、ずっと考えながらやっていくという思考の場になると、観てくれる人は深く刺さるかな、と思っていて、それで実験的にやっているところがあります。

【梅山】ぜひ、運動として展開していっていただきたいんですけど。だから、最近ちょっとはまっている「プロレス」は、そこもびっくりしたんですけど、プロレスは、実は、メディアと常に一緒に、二人三脚で歩いてきているという歴史があって。

【山下】そこの戦略がうまいのかもしれないね。

【梅山】常に解釈がくっ付くんですよね、解釈文化なんですよね。結局、今回のタッグマッチの位置付けとか、それを観ている1人1人が、みんな解釈をして、それを、『週刊プロレス』という、毎週そこに載るんですけど。

【山下】あれ、毎週なんだ。週刊だからね。すごいですね。

【三浦】『週刊プロレス』って、まだ続いているんだ。

【梅山】明日発売。続いていますね。

【三浦】ターザン山本さん。

【梅山】もう代わって(笑い)、とうに代わっていまして。

【山下】ターザン山本さんって、誰ですか?

【三浦】『週プロ』の編集長ですね。

【梅山】有名な伝説の編集長なんですけど。

【山下】編集長? ターザン山本というんだ、へえ(笑い)。

【三浦】プロレス以外のことも、いろいろ書いたりされていましたよね?

【梅山】そうなんですね?

【山下】ターザン山本さんにも来てもらいたいな、とか言って(笑い)。

【三浦】ちょっとどんな人なのかよく分かりませんけども。

【山下】どんな人なのかな?

【梅山】プロレスファンの様子を、最近、私もまだはまって数カ月なんで、日夜勉強中で、全然まだ歴史も詳しくないですけど、だけど、その、語りたい、何がこのリング上で起きているのか、それはどんな意味を発しているのかを、掘り下げたいという欲求が、ものすごく強い人たちのコミュニティーなんだ、と。

【山下】プロレスファンって、そういう人なんですね、じゃあ。

【梅山】というふうに思いました。もちろん、観て、エンターテイメントとして、わあっと興奮して終わりたいという方もたくさんいると思うんですけど、それよりも、むしろ、もうちょっと、もう一歩深く、「なんだろう、これ?」というのを……。

【三浦】演劇ファンも、そうかもしれないですよね?

【山下】そうだと思います。似ているのかもしれないね

【梅山】演劇ファンは、それが1つの運動として、今ちょっと見えにくいところはあるのかもしれないですよね。

【山下】だから、プロレスは、その『週刊プロレス』という媒体もあるし。

【梅山】というのがあるので。

【山下】それが見えやすいんじゃないかな。

【梅山】はい。そうですね。

【山下】だから、「シアターアーツ」とかも、それを目指そうとしていたのかもしれないんだけど。

【梅山】そういうのが、何か、今の、こういうポッドキャストとか、いろんな今に見合ったツールを活用しながら作っていけると、プラットホームができるといいのかな、と思いますね。

【三浦】わりと簡易にその場は作ることはできますよね。さっきのポスター、鈴木清二さんですか?

【梅山】あ、そうです。

【山下】鈴木セイジ。どんな字、書くんですか、セイジって?

【三浦】清水、清いに、漢数字の二です。ちなみにイラストは、合田佐和子さんが描いていたり、デザインを……。

【梅山】でも、ポスターですね。

【三浦】そうですね、これはポスターですね。『中国の不思議な役人』。

【梅山】これはポスターなんで、雑誌、またちょっと違うかと思うんですけれども。

【三浦】あ、そうですか。それもちょっと調べてみます。

【山下】でもね、あのころのデザイナーの人が、やっぱりこういう小劇場とかアングラ演劇にポスターを描きたいというのが、すごくいいな、と思っていて。

【三浦】粟津潔さんも描いているし、宇野亜喜良も描いているし。

【山下】本当、壮々たるメンバーですね。

【三浦】今、宇野亜喜良さんとか、新宿梁山泊の美術をやったりしていますね。

【梅山】美術もやっていますね。

【山下】そうか。舞台美術にもつながっていきますもんね。

【三浦】結構なご年齢ですよね、宇野さんも?

【梅山】ですね。でも、今でも精力的に活動されていまして、美術もですし、ポスターも、今でも梁山泊を手掛けていらっしゃいますよね。

【山下】
ある人から聞いたんですけど、演劇のポスターは、その人に任せたら、もう自由にしていいよというふうに発注している、と。

そうすると、デザイナーも、「よし、じゃあ、俺、やってやろう」と言って、一生懸命やって、すごい実験的なことをやるから面白いって。「だから、お金なくてもいいんだよ」とか聞いたことあるんだけど、そういうことなの?

【三浦】好きにできるというか、そうですよね。

【山下】ですかね。

【梅山】だから、本当に不思議なことで、貧乏なんですよね、みんな。唐さんだって、信さんとかだって、今でこそ巨匠ですけど、当時は、注目はされていても、お金、何もないのに、B全版のシルクスクリーンのポスターを作るという、その熱量が。だから、お金払えないんですけど……。

【山下】そうか、あのころだと、シルクスクリーン……。材料代でも大変なことになる。

【三浦】それは、協力者はいたということですよね、それに?

【梅山】でも、ちょっと聞くところに……。

【山下】ごめんなさい。今、質問が聞こえなかった。

【三浦】協力者はいたのかな、という、お金出してあげる人、いなかったんですか?

【梅山】いや、聞くところによると、やっぱり印刷会社にも、ちょっと払えないときがあったりとか、横尾さんとかへも、もちろん、たぶん、払っていないと思いますし。

【三浦】横尾さんには、たぶん、払えないですよね、きっとね(笑い)。

【山下】払えないけど、作品にはなりますね。

【梅山】横尾さんのほうも、ちょっとこちらの本でも書いたんですけど、原作ジョン・シルバーのポスターを、2枚かな、2、3枚手掛けているんですけど、本番初日に間に合わなかったというのが書いてある。

【山下】そう。間に合わなかったからごめんなさい、という。

【三浦】それもいい話ですね(笑い)。

【山下】これ、著書にお書きになっている。

【梅山】だから、もう、唐さんたちも、広報としての機能というよりは、自分たちの集団の旗印として、ポスターを考えていたので。

【山下】ね、面白いですね。

【梅山】だから、別に本番間に合わなくても……。

【三浦】別に、そのポスター見て、観に来る人がいるかどうかというと、別に……。

【梅山】あとは、実際には、あまり貼る場所がなかった、大き過ぎて(笑い)。

【山下】そうか(笑い)。でも、それが、写真が、どこかに撮られて、昔だと印刷メディアで拡散していったし、今だと、インスタとかであがると、「何、このポスター?」って拡散するじゃないですか。

【三浦】そうですね。ゴールデン街とか行くと貼ってありましたよね?

【山下】あ、ゴールデン街、ありますか?

【三浦】ありました。

【梅山】だから、それも、ポスター ハリス・カンパニーの笹目サンガ、若いころ……。

【山下】なんですか? ポスター ハリス・カンパニーというのがあったんですか?

【梅山】今もあるんですけど、寺山さんの著作権だとか、そういう作品管理をやっているところで、だから、今も、「ポスター ハリス」なんで、ポスターを貼るお仕事で、って会社になっていますけど、その当時は、笹目さんが1人で、せっせせっせと、「すいません」と言って、そのゴールデン街とかの飲み屋に行って貼り替えるという。

【三浦】広告代理店ですよね、それって(笑い)。

【山下】そうですね、確かに。

【三浦】媒体を見つけて、展開するっていうと。

【山下】屋外メディア的な感じですね。

【三浦】ポスター ハリス・カンパニー。

【山下】広告代理店。

【梅山】おひとりで、せっせ、せっせとやっておられて。

担当 青山直美

いつもご依頼ありがとうございます。梅山さんは、これまで様々なことに興味関心を持たれ、知識を積まれ、感性を磨かれてこられたのですね。小劇場、アングラ演劇の熱い時代のことも、今回勉強させていただきました。かたちや方法が違っても、演劇に携わる方々の熱量は、今も昔も変わらない気がします。驚いたのは、『週プロ』のおはなし。あの『週プロ』に、そのような深い役割があったとは! 伝説の編集長、ターザン山本さん、ぜひお呼びしてほしいと思っております。ありがとうございました。

       ブラインドライターズ

テキスト起こし@ブラインドライターズ
(http://blindwriters.co.jp/)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?