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【PODCAST書き起こし】小山ゆうなさんに演劇と演出・翻訳劇の話を聴いてみた(全4回)その1

【PODCAST書き起こし】小山ゆうなさんに演劇と演出・翻訳劇の話を聴いてみた(全4回)その1

【山下】皆さんこんにちは。『BRAIN DRAIN』のお時間です。みんなで語る小劇場演劇ということで、この番組は、総合映像プロダクションである東北新社のTFCラボのポットキャストステーション『BRAIN DRAIN』という番組です。
私、MCを務めている山下です!
今日はゲストで小山ゆうなさんに来ていただきましたあああ!。

【小山】小山ゆうなです。よろしくお願いします。

【山下】よろしくお願いします。ということで、小山さんのこれまでのお話と、これからなどのお話を、こまごまと聞いていきたいと思いますが、よろしくお願いします。

【小山】はい。

【山下】小山先生はドイツのハンブルクでお生まれになったということですけど、これはどういう経緯でドイツのハンブルクでお生まれになったということですか?

【小山】父がドイツのオペラハウスで演出助手の勉強をしていて、全然仕事ということではないのですが、アシスタントとして勉強をしていて、その中で私が生まれたということで父はもう、私が生まれて、そのあと食べていくのが大変になって辞めてしまうんですけど。

【山下】オペラの仕事を?

【小山】はい(笑)。

【山下】じゃあ、お母さんも一緒にドイツに行かれて。

【小山】そうですね。

【山下】なるほど。お母さんは何をされていたんですか? お母さんもオペラの仕事ですか?

【小山】いえ、母は専業主婦で、もともとピアノを教えていたんですけれども、たぶん私が生まれる前は、しばらく母がピアノを教えながら、父に仕送りしていたみたいな話もちらっと聞いたことがありますけど。そのあと一緒に暮らし始めて。

【山下】じゃあ、お父さんがドイツでオペラの演出の修行をしているときに、奥さんは日本でピアノの先生をしながら仕送りをしていたと。

【小山】はい。

【山下】ああ、すごいですね~。

【小山】ふふふ……(笑)。

【山下】それで、そのあと奥さんもドイツで一緒に住んで。

【小山】そうですね。それで私が生まれて、おそらくオペラの仕事を断念したんだと思います。

【山下】そうなんですね。ハンブルクがお父さんの仕事をする場所だったんですか?

【小山】オペラハウスがハンブルクのオペラハウスだったんですけれども、そのあと、そのときに父がアルバイトで通訳の仕事をしていて……。

【山下】ドイツ語と日本語の。

【小山】はい。それが商社で、そこにそのまま勤めたということだと思います。

【山下】すごいですね、商社マンになる。そのあとは何歳くらいまでドイツにいらっしゃったんですか?

【小山】6歳までいて……。

【山下】けっこういらっしゃったんですね。

【小山】そうですね。

【山下】ということは、ドイツにいる記憶はある?

【小山】記憶はあります。

【山下】それはハンブルクですか?

【小山】そうですね。

【山下】ハンブルクで、幼稚園みたいな所に行ってたんですか?

【小山】はい、行ってました。

【山下】それはインターナショナル幼稚園?

【小山】ドイツの、現地の普通の幼稚園というか……現地校になりますね。

【山下】それはドイツ人がほぼ。

【小山】そうですね。そうだったと思います。

【山下】日本人の子はいなかった?

【小山】父の会社にもう1人日本人の方がいらして、その方の息子さんが……でも同じクラスにはいなかったから……。

【山下】すごいですね! ということは、小山さんは、最初はドイツ語でいろいろしゃべったり、考えたりされてたんですか?

【小山】そうですね……どうなんですかね。家では日本語だったから、だからたぶん普通に両方使えてたんだと思うんですけど、今はもう記憶が……(笑)。

【山下】今は、考える言語は日本語?

【小山】もちろん、全部日本語です。

【山下】なるほど……。それで6歳まで。

【小山】そうですね。

【山下】6歳ということは小学校1年生。

【小山】小学校受験で日本に帰ってきて、父はたぶんそのまま残ったんだと思うんですよね。

【山下】小学校のお受験をされたんですね。

【小山】お受験を、はい(笑)。

【山下】すごい。それは日本に受けに行ったんですか? 日本の小学校に。

【小山】そうですね。

【山下】じゃあ、小学校から日本に戻って来られて。

【小山】はい。

【山下】お母さんと一緒に戻ってきて、お父さんは向こう。

【小山】はい、父はドイツに残って。

【山下】小学校は……東洋英和は小学校があるんでしたっけ?

【小山】そうですね。

【山下】じゃあそこに行かれたんですね。六本木ですよね。

【小山】そうです、六本木です。

【山下】なんとか坂の……。

【小山】鳥居坂の。

【山下】『花子とアン』という朝の連ドラがありましたよね。あの主人公も東洋英和ですよね。どんな学校なんですか? 東洋英和って。

【小山】女子高なんですけど、いわゆる「お嬢様学校」みたいな感じではなくて、もうちょっと……庶民的ということもないけど、私立なので。

【山下】「自立する女性」みたいなのはあるんですか? 「働く女」、「良妻賢母」を育てるとか。どっちなんでしょう。

【小山】良妻賢母とかそういう感じもなく、わりと自由な校風だったと思います。

【山下】いいですね! 自由学園みたいな、そんな感じなのかな。

【小山】わりと、そんなに厳しくもなく……。

【山下】あそこはキリスト教系とかなんですか?

【小山】プロテスタントなんですけど、そんなに何かがすごく厳しいということもなく……。

【山下】ドイツからいきなり日本の小学校に来て、いろいろと違和感はありましたか?

【小山】そうそう、すごいいじめられて……(笑)。

【山下】日本語がうまくできないからですか?

【小山】たぶん、価値観も違うし、言葉もたぶんちょっと変だったんだと思う、今思えば。でも当時は、何でだろうなぁ……っていう、自分でも全然わからなくて、子供だったから。「ドイツ人」とか言っていじめられて、仲間はずれにされたりとかして(笑)。けっこう悲しい……最初の何年かは。

【山下】僕は鳥取の倉吉で生まれたんですけど、小学校2年のときに大阪に来たら、母親に「言葉が変や! 言うていじめられた」って帰って来て話したらしいんですけどね。

【小山】でも、そうですよね。

【山下】言葉が鳥取弁だったから、だから「なんや、その言葉は!」って言われたみたい。僕は記憶にないんですけど、母親が覚えてて……同じような感じなのかな。

【小山】そうですね、きっと。それって、克服というか、だんだん……。

【山下】その後は、めちゃめちゃ関西弁になりました、そのあと。吉本新喜劇も毎週見るようになって、お好み焼き食べて、たこ焼き食べて育って。そこはもう関西弁が地になっちゃった。

【小山】けっこう早く?

【山下】そうですね。でも2~3年かかったかな。

【小山】そうですよね。

【山下】でも逆に言うと、僕、関西弁はOKやったんですけど、大学卒業して東京に出てきたんですけど、東京弁がこうやってしゃべれるように……あ、しゃべってないな、今。普通に東京弁がしゃべれるようになるまで15年くらいかかったんですよ。

【小山】ああ~。

【山下】40くらいになって、「東京弁でもいいかな」っていうふうに……今もなってないけど、思い出したんですね。むっちゃかかりました、だから。

【小山】お家では今どちらなんですか?

【山下】カミさんも関西なので関西弁です。

【小山】じゃあ使い分けてらっしゃるんですね。

【山下】そうですね。そういう意味ではバイリンガルかもしれない(笑)。

【小山】バイリンガルです(笑)。けっこう、俳優さんになりたい方とかでも、関西の方とかは、関西弁でお芝居をされるとすごくいいんだけど、負荷がかかるから……。

【山下】気が楽になるんですよ、関西弁をしゃべると。なんでかなぁ? あれはわからないけど、本当に。

【小山】そのまんまでいいのにとかって思うときも……ドイツなんかだと、けっこう演劇教育厳しいんですけど、方言をそのまま使ってる俳優さんとかも……。

【山下】それはドイツの方言?

【小山】ドイツの方言。

【山下】ドイツはいろいろ方言があるんですか?

【小山】あるんですけど、全然違うし……例えば北のほうの劇場に勤めていた人が南に移動になったりとかもするから……。

【山下】言葉が違う。

【小山】うん。でも、北の人は北の雰囲気のまま南でもお芝居をしていたりとか、そういうことが普通に……。

【山下】それはもう、アイデンティティは守ったままやれる。

【小山】成立するから……日本はどうなんですかね?

【山下】日本は、昔は同調圧力がさらに強かったから、今以上に。

【小山】そうですよね。

【山下】だから、みんなと一緒じゃないと駄目みたいなのがありましたからね。

【小山】ああ、そうか。

【山下】小山さんもたぶんそれがあって、ドイツから来た子だから何かちょっと様子が違うなって。

【小山】そうですね。

【山下】あと、価値観の相違とかもありましたか?

【小山】ありましたね。

【山下】どんなところがありましたか? 具体的に。

【小山】よく覚えているのは……これは別に価値観の相違でもないんですけど、ドイツには秋休みがあって、普通に……「あ、秋休みないんだ~」って、ふと言っちゃって、教室で。1年生のときに。そしたらすごい、「何それ、自慢?」みたいな(笑)。女の子たちだから……。

【山下】そうか、帰国子女だから。

【小山】「何なの?」とかって言われたのとかはよく覚えています。だから、違うということもわからないで発言しちゃうので……。

【山下】ドイツは夏休みもあるんですか?

【小山】長い夏休みがあって。

【山下】それで秋も休み。

【小山】私がいた頃はありましたね。

【山下】冬休みもあるんですか?

【小山】冬休みもあります。

【山下】春休みは?

【小山】春休みは……。

【山下】あんまりないのかな、春休みは。

【小山】あんまりないかもしれない。ちょっとだけあるかな。

【山下】9月に入学式なんでしたっけ? ドイツは。

【小山】そうです、秋です。

【山下】アメリカとかと同じだから……だから9月がバック・トゥ・スクールですよね。

【小山】そうですね。

【山下】だから秋に休むのかな。

【小山】そうだと思います。

【山下】それで、六本木の学校に毎日行かれてたんですか?

【小山】はい。

【山下】わりと家が近くにあったんですか?

【小山】はい、当時は。

【山下】じゃああんまり怖くなく……今、小学生の子たちが電車で通学してるけど、大変やなぁと思って。小山先生も電車で通学されてたんですか?

【小山】最初は歩いて通える所に住んでいたので、電車で通学はしてなかったんですけど、途中から引っ越して、そこから電車通学をするようになって。

【山下】大変だったんじゃないですか? ちっちゃいから。

【小山】大変だった。背も低いから……。

【山下】今も低いですよね。

【小山】そう、低い(笑)。強烈に覚えているのが、ランドセルを背負って乗ってたら、スキー道具を上にガーンって、ランドセルの上に乗っけられて。一瞬ですけど。その人もパッと気が付いて。

【山下】大変でしたね。

【小山】え~……と思って。スキー道具が乗った……みたいな(笑)。……くらいの満員電車でしたね。

【山下】いつも小学生の子の通学を見ると、大変やなぁと思うんですけど。

【小山】歩いて通える距離がいいですよね、小学校は。

【山下】いやいや、それはそうですけど……なかなか六本木だとそうもいかないし。

【小山】確かに。

【山下】小学校6年間、後半は電車で通ってという。

【小山】そうですね。小学校5年生でもう1回ドイツに行くんですけど……。

【山下】5年生でドイツに行くんですね。

【小山】そうなんですよ。なので、たぶんそこから……小学校の5年生でドイツに行く前に1回引っ越してるのかもしれない。ごめんなさい、記憶があいまいで。

【山下】それはでも、関東圏で引っ越したという。

【小山】うん。電車30分くらいの距離だったけど……。

【山下】ということは、大きな移動としては、5年生のときにまたドイツに行くんですね。

【小山】そうですね。

【山下】じゃあ、東洋英和自体は1回退学をしてという感じですか?

【小山】そうですね。やめて。

【山下】それでドイツの小学校に入るんですか?

【小山】そのときは日本人学校に入りました。

【山下】なるほど、なるほど。日本語を忘れちゃうと危ないですもんね。それはハンブルクではない?

【小山】ハンブルクです。

【山下】ハンブルクなんですね。それは小学校5年のときから日本人学校に行って、何年くらいそこにいらっしゃったんですか?

【小山】中学3年生までいて。

【山下】じゃあけっこう……5年くらいいらっしゃったんだ。

【小山】そうですね。

【山下】そのあとは、そのままドイツの高校かなんかに行ったんですか?

【小山】それで日本に帰ってきて……なので中3の途中で東洋英和にもう1回。編入試験みたいなのを受けさせていただいて戻って。それで高校はそのまま英和に行きました。

【山下】高校も、同じ六本木のあそこなんですか?

【小山】そうでしたね。

【山下】なるほど。ドイツと日本を行ったり来たりするということで、自分の中に何か独特なあれっていうのはないんですか? 他の人とちょっと違うじゃないですか、やっぱり。その辺はどうなんだろうと思って。

【小山】みんなが知ってる漫画の話題とかが、日本に帰って来てもわからなかったりとか、ドイツに行っても、もちろんすごい外国人……当時アジア人は珍しかったので、すごく特殊なものとして扱われていたので、どこに行っても違和感があるという。ただ、みんなそうなのかもしれないし。

【山下】なるほど、根無し草じゃないけど。

【小山】そうですね、まさに、まさに。

【山下】ルサンチマンな感じなんですね。それは、小山先生を形作った根っこに何かあるんですかね? 何かあると思います? 今の自分から振り返ってみると。

【小山】演劇とはつながっていると思っていて、どこに行っても、わりと劇場に行くと受け入れられてる感じがするっていう。劇場って、別に……。

【山下】劇場は開かれている所ですからね。

【小山】みんなと対等に同じお芝居を見られるっていう感じがして……なので、その安心感から、演劇の仕事をやろうということにつながったかなと思うんですけど。

【山下】それは、やっぱりお父さんがオペラの……オペラも劇場じゃないですか。みたいな所で働いてらっしゃったとかというのもやっぱりあるんですか? それはない?

【小山】あるかもしれない。父が仕事をしていたのはよく知らなかったんですけど、小さい頃から劇場に行く機会が多かったので、それはあるかもしれないです。

【山下】やっぱりそういう家庭だったんですね。じゃあ、ドイツでもいろいろとオペラ見たり、芝居を見たりされたんですか?

【小山】そうですね。子供の頃は、いわゆる子供向けのオペラとか。

【山下】そんなのがあるんですね。

【小山】はい。

【山下】ドイツは演劇教育がすごく盛んですもんね。

【小山】そうそう。授業でも演劇の授業があったりして。

【山下】どんなことをやるんですか?

【小山】たぶん、普通にお芝居を作るんだと思います。

【山下】先生が書いてきたやつを?

【小山】即興で作ったりとか。

【山下】じゃあ、エチュードをやるんですね。

【小山】ちっちゃい頃……。

【山下】すごいですね!!(笑)。

【小山】そういう、わりと自由な……別に、ちゃんとお芝居を、セリフを覚えてやりましょうということではなくて、演劇という授業が当時はあって。

【山下】それはやっぱりドイツ語でやるんですよね。

【小山】ドイツ語で……そうですね。

【山下】面白いですね。そうすると、東京にいた小学校のときにも劇場に行かれたりはされてたんですか?

【小山】はい。

【山下】それはお母さんと一緒に。

【小山】連れて行ってもらったりとか。

【山下】何か記憶に残ってるものはありますか?

【小山】『奇跡の人』とか。

【山下】ヘレン・ケラーの。

【小山】そう。大竹しのぶさんのやつ……。

【山下】娘役は誰でした? 大竹さんが娘役か。子供の頃だから。サリバン先生役が違う人なのかな。ヘレン・ケラーが大竹さんじゃないかな、もしかしたら。

【小山】いや……。

【山下】サリバン先生が大竹さん……。

【小山】サリバン先生だったと思う。やり始められた頃だったと思うんですけど。

【山下】まだ40代くらいの大竹しのぶさん。

【小山】だと思います。

【山下】大竹さん、僕も見ました。すごいですよね。

【小山】すごかったですよね。

【山下】激しい。演劇ですごい女優って、大竹さんもそうだし、宮沢りえさんもすごいじゃないですか。

【小山】はい。

【山下】ああいうのを見ると、やっぱり演劇の力はすごいなぁ……って本当に思うんですね。そういうのがすり込まれてるのかな。だから、それをいまだに覚えてるというのは、やっぱりインパクトがあったっていう。

【小山】そうですね。意外と、見たのをはっきりと覚えている作品ってそんなに……言われてみれば思い出すんですけど……。

【山下】そうですよね。

【小山】もうちょっと経ってから、自由劇場……シアターコクーンでやっていたシリーズ。

【山下】オンシアター自由劇場、串田和美さんの。

【小山】よく連れて行ってもらってて、吉田日出子さんの『上海バンスキング』とか……。

【山下】よかったですよね。

【小山】はい、しょっちゅう見に行って。

【山下】だから、そこがミュージカルとかにつながっていくのかな、小山さんの。

【小山】ああ、そうかもしれない。

【山下】小山さんは、ポップな演出の印象がすごく強くて。
それは、そういうのがやっぱり積み重なってきているのかもしれないですね。

ちょっともう1回話を戻しますと、高校でまた東洋英和に戻られました。それで、高校のときは何かクラブか何かやってたんですか? クラブ活動とか。

【小山】高校は、ちょっとだけ演劇部に入っていた。

【山下】おっ! やっぱり演劇。

【小山】でも、すぐやめちゃったような……1年だけいたのかな、たぶん。

【山下】あと、他は何をやっていたんですか? 高校のときは。

【小山】あとは、あまり何もやってなかったです。そんなに熱心に何かの部活でっていうこともなかったと思います。

【山下】本を読むことが好きとか、そういうのはなかったですか? 高校のとき。

【小山】それはけっこう好きでしたね。ずっと、本を読んで「これおすすめだよ」って言い合う友達がいたりして。

【山下】ああ、いいですね。僕もわりと本を読むのが好きなんですけど、やっぱり、自分がここにいていいのかなっていう違和感をずっと持ち続けていると、芸術に逃げるんです、僕は。芝居を見たり、本を読んだりすると、自分の中の世界で完結するので、それで周りとうまくなんとかやっていける。僕は、実はあまり人付き合いが好きではなくて……なんかそういうところがあるんですよ。小山先生はそうではないとは思うんですけどね。何かそういうところがあります?

【小山】私は基本的に引きこもっていたい人間なので(笑)。

【山下】ああ、でもそれはありますよね。芸術を志す人って、そういうところ必ずあるし、それをリスペクトできる人が芸術を応援する……僕もやっぱりそういうふうになりたいと思うし。
高校のときに読んだ本とかで、何か印象に残ってるものとかあったりしますか?小山さんの「ブックカバーチャレンジ」(笑)。

【小山】ええ~……いや、もう覚えてないですね~。

【山下】覚えてない?

【小山】いろいろはまって……。

【山下】ジャンル的にはどんなものですか?

【小山】小説ですけど……。

【山下】小説が多かった。

【小山】作家に……フィッツ・ジェラルドとかリチャード・バックとか、そんな難解なものは読んでいなくて……。

【山下】日本の小説は?

【小山】日本の小説も、古いものはけっこう読みましたね。

【山下】僕、高校のときに夏目漱石の『こころ』はものすごくインパクトがあって。これは、同じ女の子が好きだったら、俺は身を引かないといけないんじゃないかなっていうふうに、その頃は思っていたわけです。それが、自分としてはかっこいいんじゃないかって思ってたたんだけど、今読むと、また違う深さがあるから本当にびっくりするんですけど。

【小山】そう、すごい財産ですよね。若い頃に読んだ本とか。

【山下】そう思います。

【小山】読んでおいてよかったなぁって。

【山下】僕が反省したのは、大学時代にわりと今っぽい小説、例えば椎名誠さんとか村上春樹さんとかを読むようになって、でも本当は古典といわれている文学をちゃんと……まだ僕はドストエフスキーを読んでいないので、そういうのをちゃんと読むことの大切さが、この50を過ぎてからやっとわかるようになって、「大丈夫か、俺の人生は」っていうふうに思うところがあるんですね。

【小山】すごい。私は本当に、最近本が読めなくなってしまって……。

【山下】それはなぜ?

【小山】何でなんだろう(笑)。

【山下】コロナのアレもあるんじゃないですか? やっぱり、何か開放されていたりすると読めるんじゃないかな。

【小山】ああ、そうかもしれない。他にもっとやらなきゃいけないようなことがあるような気がして。そんなこともないんですけど。

【山下】あ、でもそれはあるかもしれない。あと、小山さんはこの2~3年は超オファーが多くて、忙しいというのもあるかもしれない。

【小山】でも、生活を見てると、そんなに忙しくもないんです。本を読む時間あるでしょ? と思うんですけど……自分では(笑)。

【山下】スマホを見ちゃうのかな。

【小山】例えばね、そう。

【山下】スマホは今、本当に問題になってる、「スマホ脳」とかでも書かれていますが。

【小山】本当ですね。

【山下】それはあるかもしれないですね。僕も、通勤がなくなったので本を読む時間が本当になくなってきて。これは自戒を込めてなんですけど。

小山先生はそのあと受験をして早稲田大学に入られるんですよね。

【小山】はい。

【山下】文学部?

【小山】文学部です。

【山下】文学部の何学科なんですか?

【小山】これ、「演劇専修」っていうのが……今もあるのかな。

【山下】演劇? 文学部の。

【小山】文学部に演劇……2年目から選べる……。

【山下】村上春樹さんって演劇じゃなかったでしたっけ?

【小山】そうですか。

【山下】僕、村上春樹ファンなんで、たぶん……谷さん、どうでしたっけ? 村上春樹。……ですよね。

【小山】演劇ですか。でも、最後までいらしたんですかね。

【山下】いました、卒業しました。
村上春樹さんの奥さん、陽子さんのお友達が、僕の前の会社の上司だったんです。そういうのがあって……。

【小山】すご~い!

【山下】1回村上春樹さんが……本にも書かれてますけど、エキストラでとあるCMのマラソンランナーで出てくれるのに来てくれたんです、村上さんが。

【小山】えっ! すごい!

【山下】これ、村上さんがエッセイに書いてるんですけど。それで、僕は村上さんにお弁当を渡したんです。「お弁当食べてください!」って。プロダクションマネージャーで新人の頃。「山下くん、渡しておいで!」って言われて。それは、すごい覚えてる。

【小山】へぇ~。

【山下】もう本当に、いまだに好きなんですけど。村上さん。

【小山】私もすごい好きです。この間ノルウェーに行ったときも、村上春樹ファンの人が溢れてて……。

【山下】『ノルウェイの森』のノルウェーに(笑)。

【小山】そうそう(笑)。すごいなぁって思いましたね。滞在していらしたことがあって、たぶん。

【山下】ノルウェーに。オスロですか?

【小山】オスロの、滞在できる機関があって、たぶんそこにしばらくいらしたんだと思うんですけど。

【山下】ノルウェーはイプセンので行かれたんですか?

【小山】そうそう、イプセンのフェスティバルで行かせていただいて……。

【山下】いいですね~! またその辺をあとで聞きたいと思いますけど。
じゃあ、大学はストレートで入られたんですか?

【小山】はい、そうですね。

【山下】それで、入って高田馬場に通っていた。

【小山】はい。

【山下】とはいえ、あの大学は、あんまり通わなくても卒業できると伺いましたけど、どうだったんですか?

【小山】アハハ……はい、ほぼ通ってないです(笑)。

【山下】アハハ!! 三鷹市スポーツと文化財団の森元さんもそうだけど、ほとんどみんな学校行ってないね、早稲田の人は。(笑)

【小山】もったいなすぎますよね。

【山下】早稲田ってそういうところあるんですか? どうなんでしょう。早稲田で、真面目に学校行っていましたっていう人に会ったことがないんですけど、僕の知り合いで(笑)。

【小山】そうなんですよ。行ってない先輩とかがたくさんいるから、まあ行かなくてもいいやと思っちゃうみたいな節はちょっとあるかもしれないけど……(笑)。

【山下】校風ってありますよね。

【小山】うん……よくないですよね。

【山下】僕は、関西大学だったんだけど、ほとんど行かなかったです。バイトばっかりしてて、頑張るのは試験のときだけ。試験のときに、講義ノートを借りてガーっと読んでやると、作文はうまかったので、それで「優」をいっぱい取れたんです(笑)。
めちゃくちゃだったんですけど……代返とかもあったからね、出席も甘かったから、昔は。

【小山】代返ありましたね(笑)。

【山下】ありましたか?

【小山】ありました(笑)。

【山下】小山さんの頃もあったんですね。今は出席うるさいらしいですよ。

【小山】そうなんですか。

【山下】それで、休講があったらラッキーだと思って……もう補講とかやらなかったじゃないですか、そのとき、先生。今は休講したら、補講しないといけない。もう、決まってるんです。文科省がそういうふうにしたんですって。それはいいことではあると思うんですけど、昔のことを知ってると、ええ~! みたいな感じで。

【小山】すごい後悔しています。なんかもったいなかったなって。

【山下】僕も後悔してます。

【小山】アハハ(笑)。

【山下】大学からの学問が一番面白いじゃないですか、本当は。

【小山】本当はね。

【山下】もう1回早稲田の『演劇博物館』とかに通って、いろんなものを読んだり見たりとか、ちょっとこれから頑張ってやってみたいなと思いますけど。

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テキスト起こし@ブラインドライターズ
 (http://blindwriters.co.jp/)

☆いつもご依頼をいただきありがとうございます。
私は、演劇の中ではミュージカルが好きで、以前は時々見に行っていました。お芝居はほとんど行ったことがないのですが、このお話の中に出てきた『奇跡の人』はとても興味をもちました。次回、上演されるときにはぜひ観劇したいと思います!
引き続きのご依頼をお待ちしております。
ブラインドライターズ 担当:小林 直美 

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