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【PODCAST書き起こし】桂米朝師匠を中心に上方落語について江戸に住んでいる和田尚久、三浦知之が語ってみた(全6回)その1

【PODCAST書き起こし】桂米朝師匠を中心に上方落語について江戸に住んでいる和田尚久、三浦知之が語ってみた(全6回)その1

【オープニング】TFC LAB PRESENTS! 集まれ! 伝統芸能部!!

【山下】皆さん、こんにちは。「集まれ! 伝統芸能部!!」開幕のお時間です。この番組は、普段は映像総合プロダクションに勤める伝統芸能好きが大集合。伝統芸能をたくさんの人に好きになってもらうために、あの手この手で勝手にPRを頑張る番組です。
私はMCの山下と申します。そして、ポッドキャスターを務めるのは、弊社の。

【三浦】はい。伝統芸能好きの三浦知之と申します。よろしくお願いいたします。

【山下】はい。よろしくお願いします。
それで、前回も来ていただきましたけど、ゲストで放送作家の和田尚久さんに来ていただきました。

【和田】はい。よろしくお願いいたします。

【三浦】よろしくお願いします。

【山下】はい。今日もよろしくお願いします。
ということでですね、今日は上方落語ということについて語ろうということで、和田さんと三浦さんと先月お話をしまして、今日はその話をしていただくんですが。
そもそも私、山下と和田さんがお知り合いになったのが、10数年前でしょうか。浅草見番で定期的にかどうか分かりませんが、桂吉坊というですね、噺家さんの独演会を何度か見に行かせていただいて、そこで和田さんとお話をするようになって、その付き合いが今も続いているということでございます。合ってますよね、和田さん?

【和田】はい、そうですね。桂吉坊が当時24ぐらいかな?

【三浦】20代かあ。

【和田】24ぐらいで、大阪で活動していた、今もそうなんですけど。で、僕が「東京で会やりませんか?」っていうことで、初めてやったのが浅草見番の会だったんです。

【三浦】桂吉坊さん、初めてですか。

【山下】東京で。

【和田】東京で。本人も「こんなに早くできると思わなかった」って言ってましたけど。で、何回やったのかな? 何回かあったと思うんですけれども。そのときにいろいろ集まって、来てくださったお客さんと口きくようになったりとか。

【三浦】なるほど。

【和田】そういうことがありまして。その辺のゾーンで。今、吉坊が39歳だと思うんですよ。

【三浦】もうすぐ40? 吉坊さんも。

【和田】今年40じゃないかな? なぜそれがすぐ分かるかというと、僕が1971年生まれなんですよ。で、吉坊が81年なんですよ。

【三浦】あ、10歳違い。

【和田】そうそう。

【三浦】分かりやすいですね。

【和田】だから、計算すればパッと分かるんですよ。常にその差があるんで。

【三浦】その見番の会というのは、いつも吉坊さんを呼んでた会なんですか? それとも。

【和田】吉坊さんでやりたいなということで、そんなに回数やってないと思うんですけれども、まあやったんですね。で、だから、その時点で僕もうすでに知り合いだったんだよなあ。

【三浦】吉坊さんと?

【和田】うん。ということは、何年目ぐらいだったんだ? 吉坊さんってね、高校の在学中に入門してるんですよ。

【三浦】そうなんですか。吉朝さんに?

【和田】そうです、そうです。

【三浦】亡くなられた吉朝師匠の。

【和田】ええ。まあ亡くなってすぐか、わりと。だと思うんですけれども。あれ、吉朝さんって何年没だったんだろうな? 言われてみると。

【三浦】50代前半ぐらいですよね?

【和田】そうです、そうです。50ちょいですよね。
で、僕がそれで……まあとにかく、何回か彼の芸を聴いて非常に感心して。吉朝さんの落語自体、僕好きだったんですけれども。まあ師弟だから当然って言えば当然なんだけど、同じスタイルですごくいい人が出てきたなということで声かけて、やったんですよね。

【三浦】そのとき吉坊さんは東京の見番でやったときは、どんなネタをやられたんですか?

【和田】ネタは、僕がリクエストしてやったのもあるんですけど、まあ彼のネタの中で非常に好きな「狐芝居」という。

【三浦】「狐芝居」。

【和田】はい。これは小佐田定雄先生が脚本を書かれた、新作落語なんですけれども。

【三浦】新作ですか。小佐田先生の新作。

【和田】これは吉朝さんもされていて。まあ、ほかの人もされますけれども、吉朝・吉坊の傑作だと思いますね。

【三浦】それはあれですか? 吉朝さんが小佐田先生に音楽業界的にというか移植したみたいなことはあるんですか?

【和田】いや、いや。

【三浦】そういうわけじゃないですか?

【和田】えっとね、吉朝さんが初演ではないはず。たしか。

【三浦】なるほど。もう小佐田先生も書いておられたんですね。

【和田】書いて、誰かが先にやっていて、で、吉朝さんが手がけたっていう順ではなかったかな、たしか。だから、今でも別に専有の作品ではなくて、まあ何人かの人が手がける。

【三浦】まあ上方の方が多いっていう。

【和田】そうですね。

【三浦】やっぱり。

【和田】はい。ただ、これは僕は、いわゆる新作落語の中でも、本当に屈指の作だと思いますね。これとか、米朝さんがやってた「まめだ」っていう話があるんですけど。

【三浦】「まめだ」。はい。

【和田】あれなんかも。まあ新作っていう区分しなくてもいいんだけど、まあすごい作だなと。

【三浦】「まめだ」も新作なんですか?

【和田】そうなんです。そうなんです。あれ新作って感じしませんけど。

【三浦】そうですね。っていうほどよく知らないんですけど。まあ1回どっかで聴いたことがあるかなってぐらいなんですけど。

【和田】あれも傑作ですよね。両方、芝居に絡んだものですけれど。

【三浦】そういうネタなんですね。
上方落語って、いわゆる江戸と違って、真打・二ツ目・前座がないじゃないですか。だから、そういう意味で言うと、24歳ぐらいでも東京に出てきて、別に普通に独演会もやれるしっていう、そういうことなんですかね?

【和田】そうですね。でも24で、しかも今から15年ぐらい前だし。

【三浦】まだもう全然20歳……あ、15年。もう21世紀には入っていた?

【和田】入ってましたね。ただ、結構異例の感じだったとは思います。すごく若いしね。今よりもやっぱり上方の人が東京で会やるって、ハードルがちょっと高かったような気がします。

【三浦】今よりも。

【和田】うん。だから、米朝師匠とか枝雀さんとか、あれぐらいになると「会」おもてなされていましたけれども。

【三浦】そうですね。

【和田】吉朝さんですら、別にそんなにものすごくお客さん入ってるっていうわけではなかったですからね。

【三浦】そうですね。いや吉朝さんは私、残念ながら高座に接したことないですからね。やっぱ音源でしか。

【和田】そうですか。

【三浦】ええ。枝雀さんは、たしか歌舞伎座行きましたね、私。

【和田】生でね。
あのね、今しゃべってて思い出しましたが、その時点では吉朝師匠生きてたか。生きてたような気もします。なぜかというと、僕がね、桂吉朝の追悼文っていうのを書いたんですよ。『en-taxi』っていう雑誌に。

【三浦】『en-taxi』。

【和田】それで、『en-taxi』に僕が書いてたころなんだから、2000年代のたぶん後半かなという気はします。2006年、07年ぐらいじゃない?

【三浦】えっと、今ちょっと調べたら、2005年ですね。

【和田】05年ですよね。

【三浦】2005年の11月に亡くなられてます。

【和田】亡くなられてる。だから、そのときに僕、追悼文を書いたんだ。言われて考えてみると。だから、まあ別にそこを厳密にする必要はないんだけど、吉坊と会やったのは、そのころか、そのあとか。

【三浦】その前後ぐらい。

【和田】同じころかというぐらいだったと思います。

【三浦】なるほど。本当に吉朝さん50で亡くなられてますね。

【和田】50でしたかね。

【三浦】あと10日で誕生日がきて、51になるところで亡くなられてますね。若いですね、50。

【和田】うん。まあ、ものすごい名手だったと思いますね。
米朝師匠はお弟子さんいっぱいいるんですけれども。これは又聞きですけれどもね、かなり初期のお弟子さんに月亭可朝さんという人がいまして。

【三浦】月亭可朝。はい。

【和田】で、月亭可朝さんは途中まで仕込んだ。芸を伝えたと。だけど、そのあとマスコミに売れてタレントというかね、ああいう道に行ったと。で、枝雀も桂小米と言っていたときに、自分の芸を継いで、ある程度継いだんだけれども、半分くらい継いだんだけれども、枝雀は枝雀のあのスタイルに行ったと。ご存じの。

【三浦】自分のかたちに。

【和田】枝雀スタイルに行ったと。で、そういうふうに考えてみると、3人目に来た、3人目っていうのは3番弟子って意味じゃないんだけど、3人目に登場した桂吉朝は本当に自分の芸をそっくり継いでくれた。で、「これが自分の後継者だ」というふうに米朝師匠はおっしゃっていたという、又聞きですけれども。それは客の側から見ても、まさしくそうだっただろうなと思います。

【三浦】その後継者に先に亡くなられて、米朝さん悲しかったでしょうね、さぞ。つらかったっていう。と思うんですけど。

【和田】そうですね。米朝師匠もそうだし、まわりもね。

【三浦】そうですよね。

【和田】あのときにね、2000……いつだっけなあ。2000年だかそのぐらいに、米朝師匠が歌舞伎座で最後の独演会っていうのやったんですよ。

【三浦】あ、そうです? 東京で?

【和田】東京で。で、独演会はそのあともやったんですけど、歌舞伎座においてそういう2000人集めるような規模での独演会は最後ですって銘打って。

【三浦】米朝師匠も歌舞伎座で独演会やっていたんですね。

【和田】やっていたんですよ。で、それがNHKで放送されたんです。「桂米朝 最後の大舞台」っていうタイトルだったと思いますけど。今、YouTubeか何かでたぶん見られると思いますけど。そのときに、米朝師匠が「百年目」という話をやって、ちょっととちった部分があるんですね。私にしてみたら、そんなにすごいとちりではないんだけど、あるセリフを本当はA、B、Cってならなきゃいけないところを、A、C、で忘れたからBみたいな、Bあとから言い直すみたいな。

【三浦】「あ、しまった言い忘れたわ」っていう。

【和田】うん。で、それを気づかれないように、あとからBのセリフを言って何とかリカバーしたみたいな高座があったんですよ。

【三浦】まあ、でもそれは「B」は言っとかないと、これはそのあとにつながっていかないぞという。

【和田】まあ、そうですね。

【三浦】大事な言葉だったんですね。

【和田】まあ最後の大旦那が番頭に言う場面なんですけれども。で、そのドキュメントの中で、米朝さんが「しまった」と楽屋に戻ってきて、「すごい失敗をした」というふうに言ってるわけなんですね。

【三浦】そこも映像になってるってことですか? ドキュメントに。

【和田】なってます、なってます。ドキュメントなので。で、そのときにディレクターが「それ、どういうことなんですか?」「え、どこが?」っていうふうに質問してるんですね。そしたら米朝さんがすごいキレて、現場っていうかそのときなんでね、キレて、「吉朝に聞いておくんなはれ」っていう、怒鳴るというか言う、そういうところがあるんですよ。

【三浦】まあなんかそれ聞くね、ドキュメンタリーつくってる制作者も無粋っちゃ無粋ですよね。

【和田】まあね、そうそうそう(笑)。

【三浦】そんな高座下りてきたばっかりで。まあたぶん、「ああ、とちった」って米朝師匠がおっしゃったから、まあついつい聞いてしまったんでしょうけど。やっぱりそこはね、もっと気づかいあっていいですよね。

【和田】そうですね。

【三浦】吉朝に聞いておくんなはれ。

【和田】「吉朝に聞いておくんなはれ」って。でもこれが当時落語ファンにすごく面白がられたフレーズで。

【三浦】なるほど。

【和田】で、これを……まあ吉朝さんもそのとき現場にもいたわけなんだけれども、そでにね。つまり、私が考えていることとか、どこが間違ったとか、そういうのはもう吉朝が全部分かってるから、それ知りたいならあいつに聞いてくれっていうことなんですよ。

【三浦】そこまで、やっぱりもう継承してたってことですね。

【和田】そういうことです。

【三浦】伝承したんですね。

【和田】で、あいつに聞けば、どういうとちりがあったのかも分かるからっていう、まあニュアンスなわけなんです。っていうぐらいに、もう本当に全幅の信頼を置いていた関係だったと思いますね。

【三浦】そうですか。

【和田】ちなみに、この「桂米朝 最後の大舞台」っていうのは、今おっしゃったように、米朝一門の人は「あの番組、失礼だろ」ってみんな結構言うんですよ。

【三浦】はい、はい。

【和田】で、「あのディレクターはなあ、何や」とかって言うんだけど、僕からしたらね、すごい面白いドキュメントなんですよ。

【三浦】そうですよね。なるほど。

【和田】作品として。だから、ドキュメントって円満にやっただけじゃなくて、ある種グレーだったり、ある種ズカズカしてっていうのが面白いっていう、僕は一つの例だと思っていて、これはすごく、私は好きなドキュメントなんですけどね。

【三浦】まあ、やっぱりこう入り込んでいくっていう面白さありますよね。ズカズカと。

【和田】しかもね、これものすごい特殊な……ちょっと話それちゃうけど、番組で。普通その「桂米朝 最後の大舞台」っていうのだったら、これこれこういうトラブルがあったりしても、うまくいきましたと。で、米朝さんさすがですねっていうふうに、たぶん普通なると思うんですよ。

【三浦】まあ、そうですね。

【和田】ところが、このドキュメントって、最後に米朝師匠が「百年目」をちょっととちったと。そしたら、「最後の高座は悔いを残したくなかったんです」とかいって、それがなんかまとめで。まあ最後の最後にお弟子さんに稽古をつけてるショットがちょっと1分くらいあるんだけど、で、なんかそのまま終わるんですよ。で、ちょっとつくりとしても非常に変わっていて。NHKでね、やったんですけど。

【三浦】なるほど。へえ。それちょっとYouTube見てみたいですね、ぜひね。なるほど。

【和田】私はね、これで……。

【三浦】それ、でもあとで一応、米朝さん見たわけですよね?

【和田】もちろんそうでしょ。

【三浦】オンエア前に。でも、もういいよっていうことだったんですか?

【和田】まあ、そうでしょうね。だから、そこの関係どうしていたのかは知りませんけど、そこで全部つなぎ直せっていうのはしなかったんだと思うし、それはすべきじゃないと思ったんだろうし。

【三浦】まあ、そうなんでしょうね。そのドキュメントは「どうや?」って吉朝さんに聞いたかもしれないですよね? それはね、見て。

【和田】はいはいはい。

【三浦】で、「まあ、いいんじゃないですか」って言ったかどうか分かりませんけど。
あれ、じゃあ米朝さんが歌舞伎座の独演会やったっていうのは、枝雀よりはあとってことですか。

【和田】あとですね。順番としては、圓生さんがやって、枝雀が次だと思います。で、ほか、どういう順序なんだろうな? あと米朝さんがやり、小朝もやってますね。

【三浦】小朝もやってますか。

【和田】やってますね。それから、ちょっと時代があとになって談志・談春も親子会っていうのは、やったんですけど。

【三浦】そうですね。

【和田】そのくらいじゃないですかね。

【三浦】談志・談春の親子会は、DVDか何かになってますよね? たしかね?

【和田】そうですね。竹書房からね、なってますね。「芝浜」やってるやつの。

【三浦】あの、枝雀さんの歌舞伎座の独演会見たんですけど、もうすごい上のほうで。あんまり。最後に残ってたチケットで見て、ほとんど見えなかったですね、よく。小っちゃくて(笑)。

【和田】まあ落語ですからねえ。

【三浦】歌舞伎座、本当広いですよね。

【和田】うん。僕はね、この米朝師匠の最後の独演会っていうのが、本当すごく残念なのは、僕、切符買えなかったんですよ。

【三浦】売り切れで?

【和田】売り切れで。ところが、あとから聞いた話で、当日に切符持たないで押しかけちゃった人がいるの、歌舞伎座にね。その人たちは、4階の幕見席って補助いすで、だから全員入れたっていう話なんですよ。

【三浦】本当ですか。

【和田】全員入れた。だったら、もう行っときゃよかったなと。

【三浦】本当ですね。

【和田】切符買えなかったんだけど、もうダメもとで行っとけば。

【三浦】ダメもとで行って。

【和田】行ったら歌舞伎座って広いから、後ろの幕見とか補助いすだけでも結構いっぱい詰めれば300くらいあるじゃないですか。

【三浦】そうか。そうですね。

【和田】だから入れたって。結果入れたっていう。

【三浦】それ、ちょっと残念でしたね。

【和田】いや残念でした、本当に。だからテレビでね、そのドキュメント見たんですけれども。

【三浦】じゃあ半信半疑で、まあダメもとで行った人は「ああ、ラッキーだわ」と思って入ったんですね。

【和田】いや、そうですよ。そうですよ。そうしときゃよかったなと思いますけれどもね。
まあ僕の中では、米朝さんっていう方がいて、米朝・吉朝、で、今の吉坊っていうのは、僕はすごく好きなラインだし、重要なラインかなと思ってます。

【三浦】やっぱり吉坊さんもそういう意味で言うと、吉朝さんを通じて米朝師匠のかたちをしっかりと継承されてる・伝承されてる感じですか?

【和田】はい。そうですね。で、結局ね、僕は上方のネイティブじゃないんで、外側から上方落語にアプローチしてる、まあ東の関東の落語家さんはみんなそうなんですけど。っていう意味で言うと、僕ね、米朝師匠が何が非常に重要かというとですね、落語を作品化した人だと思うんですよ。

【三浦】作品化。大衆芸能ということではなく?

【和田】そうですね。うん。だからね、要するにそれすごく鋭い質問だと思います。それはどういうことかというと、米朝師匠が言ったのは、例えば長唄をやってる人が「勧進帳」という曲をやります。それから「老松」という曲をやりますとかね。あるいは義太夫をやってる人が「二十四孝」という作品を語りますとかっていうものがありますよね? で、それは演者と作品っていうのが離れているわけなんですよ。

【三浦】なるほど。はいはい。

【和田】それは例えばクラシックの演奏でも、何とかっていう指揮者の人がマーラーの9番やりますとかっていうのは、そういう独立した作品というものがあって、それを私はアプローチしますっていうことですよね。ものすごく当たり前のこと言ってますけれども。ところが落語っていうのはですね、今現在もそうなんですけど、本当に酒飲む人が酔っぱらいの話をするみたいな構図があるわけなんです。つまり作品と人が分離しないんです。そこにおいては。で、本当にお酒が好きな人が例えば「替り目」という話をやる、例えば「らくだ」という話をやるっていう、包括した見方があるし、それ観客もそういうふうに見るし、演者の側もそれを利用するんですよ。

【三浦】この人だったらこれを期待して高座を見に行くとか、そういうことですよね?

【和田】そうですね。期待してというよりも、例えば志ん生さんって酒好きだったって言われるじゃないですか。

【三浦】そうですね。大酒飲みでしたね。

【和田】志ん生さんは酒好きだったって伝説がいっぱいありますよね? お酒とても好きだった。だから「替り目」とか、ああいうものをやっても「あ、志ん生さんらしいよね」みたいな話になるわけなんですよ。

【三浦】なるほど。

【和田】あるいはだから志ん生さんが若いころに、本当に吉原に行ってお金全部使い果たしちゃって、自分着物買わなきゃいけないお金まで使っちゃったとか、あるいはおとっつぁんに怒られて蔵に入れられたみたいな話があるわけですよ。

【三浦】もうあれですね。人となりがもう話そのものみたいなことですね。

【和田】そういうことです。だから、それがあるから志ん生さんの例えば「お直し」って話とか、ああいうのって面白いよねって。

【三浦】そうですね。

【和田】「志ん生さんって、ああいう地金があるから面白いよね」っていうふうになるわけなんですよ。だから、落語っていうのは完全な、いわゆるクラシックでいうところの作品と演者が切れてるっていうふうに、まだなってないというのがあるんです。

【三浦】そうですね。

【和田】だから、そこをちょっと包括して客も見るし、演者の側も何となくそういうアプローチをするんだけれども、米朝師匠っていうのは、そこが僕は違うと思っていて。演者の実人生は実人生、作品は作品。そこに近代人として科学的なアプローチすればいいんだというふうに、まあこういう言い方はしてないんですけれども、それをやった人だと思う。だから極端に言うと、遊郭に行って遊女会をしなくても、廓噺という作品はやればいい。

【三浦】十分できるだろうし。

【和田】うん。できるし、科学的にそれをやればいい。

【三浦】大酒飲みでなくても、酒の話は十分できるであろう。

【和田】できるっていうことですよね。で、例えば浮気してなくても、そういう夫婦噺(めおとばなし)とかあるじゃないですか。「紙入れ」みたいな。ああいうものもやっていいでしょうということで、これは例えば古い芸能っていうのは、だいたいそうなってきてるわけ。段階的に。例えば、能役者を捕まえてですね「お前、その屋島の合戦の実感あるのか」っていうね。

【三浦】ツッコミあるわけないですもんね。

【和田】そんなの言える人っていないじゃないですか。

【三浦】いないです。

【和田】「お前は本当に分かってるのか」って、「弓流し分かってんのか」みたいなこと言わないじゃないですか。

【三浦】言わないですね。

【和田】それ分かってない前提でやってるから。

【三浦】史実としては知ってるかもしれないけど。

【和田】そう。史実としては知ってるかもしれないし、歌舞伎にしても「本当のじゃあお前、首切って差し出したことあるのか」っていうツッコミはしないですよね。そこはしなくていいわけじゃないですか。

【三浦】泥棒やったことなくても、泥棒は演じられますもんね。

【和田】うん。で、米朝さんはそっちに寄せたんですよ。だから、今おっしゃったように、作品化というか古典化というか、ほかの芸能みたいな、先行する芸能みたいに額縁をつけたと僕は思っている。

【三浦】なるほど。

【和田】だから、そこがすごく科学的なんです。米朝さんの落語。

【三浦】そうですね。

【和田】で、それをさらに一段階推し進めたのが、僕は吉朝さんだと思います。

【三浦】なるほど。

【和田】そこの米朝イズムの部分を。だから米朝さんはでも、とはいうものの、やっぱりちょっとぼかしつつやってる部分はあるわけなんですよ。例えば「お酒がだいぶ私も弱なりました」って言って一升瓶ドンって置かれて、「もう好きなだけ飲め」って、「このぐらいしか残しまへん」っていう落語があるんだけど、それを振ったりして、まあそこの地続きだよっていう部分を見せつつやるんだけれども。吉朝さんになると、そこの米朝さんのイズムを本当にまたさらに純化させてるから、要するに舞踊家の人が「今日は何とかの『操り三番叟』踊ります」とかってやるのと同じ感じになるんですよね。

【三浦】それを聴く側も、それを楽しみに来るっていうことですね。

【和田】そうです。だから、吉朝さんのファンっていうのは、結局それを良しとする人だから、例えば歌舞伎ファンとか文楽ファンとか能楽ファンが吉朝落語にはものすごく親和性が高いんですよ。

【三浦】なるほど、なるほど。はいはい。

【和田】アプローチが一緒だから。「これいいね、吉朝」ってなるわけです。で、ちょっと別の言い方すると、米朝一門で僕はとても好きな人なんだけど、桂ざこばさんっていう人がいて。

【三浦】ざこば。はい。朝丸って人ですね。

【和田】朝丸さん。朝丸改め、ざこばですね。で、ざこばさんは、これはしょっちゅう本人も言ってたから別にいいと思うんだけど、「吉朝落語をわしは買わん」と。「あいつとは合わん」というの、結構ずっと言ってて。まあ、ざこばさんのほうが、全然先輩なんですけれども。

【三浦】何でですか? ちょっと堅苦しさとか感じるんですかね?

【和田】あのね、それもありますけれども、ざこばさんっていうのは要するに今の言った図式でいうと、酒が好きな人が酒の話をする。本当に貧乏が分かってる人が貧乏長屋の話をする。女に振られた経験のある人間が遊女会の話をするみたいな、そこで生きてる人なんですよ。

【三浦】ざこばってそうなんですか。

【和田】そうです。だから、ざこばさんの話ってすごくいいんですよ。そのやってる本人と話が本当にくっ付いてるんですよ。距離感がね。くっ付いてる。そこがざこばさんの美点なんだけど。だから、そのざこば落語からすると吉朝落語っていうのは、これなんか発表会じゃないかって、たぶん見えるんですよ。

【三浦】なるほど。作品のね。

【和田】作品の。どっかのおさらい会。まあ、おさらい会って言ったら素人になっちゃうんだけど、「国立劇場とかで何かの地歌をやります」とか、「今日は日本舞踊の何とかという曲をやります」とか言って、やるじゃないですか。

【三浦】いわゆる、しっかりとした公演ですよね。公演をやるという。

【和田】うん。で、たぶんそう見える。だから、そこが面白くなかったんだと思うんですよ。

【三浦】あんまりハプニング的なことは起こりえないですかね? そういうやり方だと。

【和田】そうですね。ハプニング的な……そう、だんだん型みたいに当然なっていくわけだし。まあクールですよね。ひと言で言ってしまうとね。

【三浦】そうですね。

【和田】そこの本人は熱くならない部分で、こういう作品だからこういうふうに分析してやりますっていうので通しちゃうから、6代目松鶴とかざこばさんを推す人たちからすると、吉朝落語っていうのはそこが「冷めてる」ように見えるのかもしれません。
だけど、米朝さんが出した提出した上方っていうか、戦後の落語のイズムは、結局それが生き延びる道だよっていうことだと思うんですよ。

【三浦】そうですね。

テキスト起こし@ブラインドライターズ
http://blindwriters.co.jp/
_________________________
担当:田中 あや
いつもご依頼いただきありがとうございます。
伝統芸能については初心者のため、新しい言葉や登場人物に毎回ワクワクしながら起こしていますが、今回も新たな知識を得ることができました。ありがとうございます。
今回は米朝さんと吉朝さんの師弟関係にも触れられていましたが、師匠が全幅の信頼を置ける弟子はなかなか貴重なのではないかと、初心者ながらに想像しました。自分のスタイルを見つけていく方もいらっしゃれば、師匠をそっくりそのまま引き継ぐような方もいらっしゃって、落語は奥が深いなと改めて感じました。
そして、今回も落語のお話がいくつか出てきましたので、YouTubeで聴けそうなものは聴いてみたいと思います。
また起こしを担当できる日を楽しみにしております。ありがとうございました。


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