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【PODCAST書き起こし】桂米朝師匠を中心に上方落語について江戸に住んでいる和田尚久、三浦知之が語ってみた(全6回)その3

【PODCAST書き起こし】桂米朝師匠を中心に上方落語について江戸に住んでいる和田尚久、三浦知之が語ってみた(全6回)その3


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【三浦】上方落語の見台っていうのもあれはそもそもずっとああいうかたちだったっていうことなんですかね?

【和田】見台はルーツとしては結局屋外でやっていた時代があったんです。これ本当の初期ですよ。そのときにやっぱり見台っていうのは台があるっていうのが一つの意味だし、小拍子なんかで音を鳴らす。それでちょっと人を集中させるっていう。

【三浦】メリハリをつけて。

【和田】メリハリつけて、例えば屋外でやっていた場合には人をこっちに向かせる。

【三浦】そうですね。なんかざわざわしているところをびしってやると「あ、何か始まるんだ」っていうふうに思うっていうことですか?

【和田】ていう部分があると思いますね。今は屋外でやるとか関係ないから中に入っているんですけれども、これは非常に面白いと思うのは、ちょっと科学的な言い方じゃないんだけど、やっぱり見台があるかたち、つまり上方の落語家っていうのは見台を演目によっては出す、演目によっては使わないんですけれども。

【三浦】使わないときもあるんですか?

【和田】使わないことは大いにありますよ。ただ、見台を出してやる方が古い素話以外の要素の濃度が僕は高くなると思っているんですね。今回の話に戻すと、米朝師匠は必要なとき以外は見台は使っていなかったんです。

【三浦】そうですか。

【和田】はい。だから比較して言うと、六代目松鶴、それから今の例えば鶴瓶さんなんかはほとんど使います。だから言ってしまうと見台にちょっと頼っている芸の部分があるんです。

【三浦】なんかでも見台が目の前にあると頼りますよね。

【和田】頼ると思いますね。楽だと思う。

【三浦】テンポ作れますものね。

【和田】そうです。

【三浦】お客も引き付けられるし。

【和田】そう。あとフレームにもなるし。見台が必要な噺もあるんですよ。米朝さんが例えば『らくだ』なんていうのをやるときにあれを見台でぱしっと叩くと、小拍子でね。場面転換になるので、『らくだ』って場面転換ものすごく多い話なので。

【三浦】『らくだ』はそうですね。

【和田】あそこの「らくだ」の家行って大家、家主のところ八百屋行ってっていうのがあるので、それが東京落語でやるよりもはるかに効率的にというか『らくだ』は場面転換がいるのでそのときやってました。それから人によるんだけど、机があってそこで何かものを書くっていうときに見台があると、物理的にあるから楽なんでしょうね。やりいいんでしょうね。

【三浦】そうなんですかね。

【和田】ただね、僕三代目桂春団治師匠、亡くなった人でこの人すごくうまい人でしたけど、春団治はさすがだなと思ったのは、春団治さんて『代書屋』って噺をするんですよ。『代書屋』ってほとんどこうやって筆を持って書類を書いてるしぐさなんだけど、春団治さんは見台使わなかったんです。

【三浦】そうですか。

【和田】それはなぜですかって聞かれたら、私は自分の中で頭に思い描いている『代書屋』の机というものがあり、紙があって筆があると。見台があるとかえって邪魔なんだと。それはすごく高度な芸談だなと思って、その想像の中のエアでやってるわけだから見台はいらないし、あったらそこでずれちゃうのでやりにくいですよ。

【三浦】むしろ実物の書く机があると自分の考えていることとは違うということですね。

【和田】だからこれはすごく高度だし、やっぱり春団治師匠、だてじゃないなというふうに僕は思います。

【三浦】春団治師匠は書くときは扇子使って書く。空中にね。エアで。見台には頼らないということですね。

【和田】だから、いわゆる四天王と言われる人たちでいうと、米朝、春団治は見台比重が少なくて低かったです。米朝さんは本当に考えてやる人だと思う。逆に笑福亭系の人はとても使いますね。

【三浦】松鶴。

【和田】だからその辺はやっぱり世界観がちょっと違うんですね。

【三浦】今は米朝さん系の桂と笑福亭系っていうのは、上方では勢力というと変ですけど、その辺のバランスはどんな感じなんですか?

【和田】勢力っていうふうに分けられるのかな。

【三浦】印象ですけど、東京だと結構今、柳家がすごく売れっ子噺家がいっぱいいて、すごく精力的に良い人たちいっぱい出てきている感じがして、それに比べるとちょっとだけ古今亭弱いかなみたいな印象を私は持つんですけど。

【和田】単純な人数の違いってありますよね。だから米朝さんはすごい人数がいて、それこそひ孫弟子とか下手したらその下の代ももう既にいるのかな。

【三浦】そうですか。

【和田】だからすごく大きいですね。ちょっと違う言い方をすると六代目松鶴系もかなり相当な。まあその二つが大きいけれども、人数いますけれども。

【三浦】人数もやっぱり派の勢力としては影響しますものね。たくさんいたほうがきっとうまい人も多いだろうし。

【和田】ただ、おおざっぱにいうと、とにもかくにも米朝さんがやったテキスト、台本というのが上方落語において底本になってる比重が僕はとても高く見えます。

【三浦】今、和田さんの言葉に出た台本ですよね。台本というかたちにもうなっているということですよね。

【和田】台本になっているってことは継ぎやすいってことなんですよ。

【三浦】そうですよね。それが底本だったらそれをしっかりと叩き込んでやれるということですものね。

【和田】例えば東京で話をすると、八代目桂文楽っていう人がいて、八代目文楽はもう名人だと思いますけれども、あの人の落語って底本にならないんですよ。

【三浦】そうなんですか。

【和田】ならないです。あれは文楽が文楽用の台本なんです。

【三浦】自分用の。

【和田】自分用の。だから他の人があれ完コピしてやった場合に完コピ芸にはなるかもしれません。

【三浦】なるけど、文楽じゃないもんねということですよね。

【和田】そうなんです。使いようがない。

【三浦】八代目じゃないしっていう。

【和田】なんか声色やっているのがたぶんメインテーマになっちゃってあのままだとできないんですよ。文楽は自分用に使える完全な台本作ったんだけど、そういう意味で言うと文楽台本は汎用性が低いんです。低いっていうかゼロ。

【三浦】文楽師匠はだって一字一句ほぼ同じでやってたって言いますものね。それが名人芸だって。

【和田】名人芸。なおかつ一代限りの名人芸。

【三浦】一代。文楽で。

【和田】お弟子さんも含めてあれを完コピするのは非常に至難。繰り返すけど完コピしたところではい声色やってますね、みたいにしかたぶん聞こえない。それでいうと米朝さんのやった作品というのはそこにいっぱいありますし、『上方落語大全集』の本にもなっているんですけど。

【三浦】しっかりやりたければそれを読んで、かつ米朝師匠の音源も聴いてやればいいわけですよね。

【和田】自分でアレンジするならするとしてもそのベースの本としてものすごくよくできている。さっき言ったみたいに。例えば『天狗裁き』がわかりやすい例ですけど、その羽団扇を借りてどっかのお嬢様の家に落ちてっていうような下りをやめて、誰がやってもこれでそうだよねっていうかたちになっているわけです。

【三浦】すとんと腑に落ちる話にきちっとできあがっているという。それをやっぱりしっかり作ったのは米朝さんということですよね。それはすごい人ですよね。

【和田】これは談志師匠がおっしゃっていたけど、談志師匠がハワイに遊びに行って、日本人がいるホテルに行ったら現地の駐在員ていうのがいて、「談志師匠ですか?」って言って「そうだよ」って言ったら、「僕は趣味で落語やっているんだけど」って言って。

【三浦】天狗連。

【和田】天狗連。サラリーマンが「落語やっていいですか?」って言うから「いいよ、やんなさいよ」って。

【三浦】談志師匠の前で? すごい大胆ですね。怖いもの知らず。

【和田】談志師匠そういうの好きだからやってみろって言ったら、米朝師匠の『はてなの茶碗』をそのままやっているんですって。そのままやっているのが聴けるんだよ。素人がやっているのに聴けるんだよ。

【三浦】それは台本のすごさだ。

【和田】米朝さんがどれだけすごいかって言ってましたよ。だって完コピやってその人ってたぶんカセットか何かで覚えてやっているわけなんですよ。それがちゃんと聴くに堪えるレベルになっちゃうんですよ。

【三浦】それすごいことだなー。

【和田】だからそれは談志師匠はそこから米朝さんのすごさがわかるって。あそこまでよくできていたら素人がやっても聴けちゃう。

【三浦】それはすごいことですね。

【和田】これは一つのわかりやすい実例だ。

【三浦】その素人もやっていて「おれ結構『はてなの茶碗』できてるな」って思えるという。

【和田】思えて。

【和田】その楽しさも。

【和田】そういうことです。

【三浦】もっとやってみようって。

【和田】だから「聴いてくれ」という話になったんでしょうね。それすごく良い話だなと思うんだけど。

【三浦】本当に良い話ですねそれね。

【和田】だから今の上方落語家はその素人と一緒にするわけではないんだけれども、でもその米朝さんが作った演出とか、例えば『百年目』とか『たちきり』もたぶんそう言ってもいいかもしれませんね。そのくらいの完成度があるので。

【三浦】『たちきり』ね。

【和田】そこをベースにしてやっているという感じはしますね。

【三浦】さっき見台のところで出た『らくだ』っていうのは元々どっちの。

【和田】もちろん西です。

【三浦】西ですか。

【和田】あれは三代目小さんていう人が。

【三浦】だからフグであたるんですかね。

【和田】そうですそうです。あと最後のオチのところ、東京落語でやるときも「ここはどこだ? 火屋(ひや)だ」。「冷やでもいいからもう一杯いただく」。火屋って東京では言わないんですね。

【三浦】そうですか。

【和田】あれは上方の言い方を。

【三浦】酒の?

【和田】酒の冷やと、要するに火葬場のことを火屋って言うらしいです。

【三浦】あー、火屋。火の屋。なるほど。

【和田】だから「ここはどこだ? 火屋だ。日本一の火屋だ」って言ったり、「冷やでもいいから酒もう一杯くれ」っていうのもなんだけど、あれは本当は東京では火屋って言い方はしないで焼き場とかって言うんですけど。

【三浦】そうですよね。東京焼き場って言いますよね。「落合の焼き場」って。

【和田】オチのところだけ火屋になっちゃうんですけどね。

【三浦】そうか。乞食坊主が拾われてあちちってなって、冷やでも飲んでおけばよかったっていうかそんなようなこと言いますよね。冷やでもいいからって。その火の屋根の屋がかかっているんですね。それ知らなかったですねそれは。

【和田】そうですか。そういう意味なんですよ。

【三浦】それたぶん関東で冷やって酒のことでしか言わないから。

【和田】あれは完全に西の噺ですね。

【三浦】『らくだ』は西なんですね。結構そういう意味でいうと米朝師匠がやられていて関東にも入ってきた、『百年目』とかももしかしてそうですか?

【和田】『百年目』も西です。ただあれは結構明治くらいから東京でもやっているんですけどね。でもおっしゃるように基本的に大店ものって西なんですよ。

【三浦】なるほど。

【和田】『百年目』がわかりやすい例なんですけれども、大きな商家があって、大旦那がいて、何十年務めている番頭がいて、そこから2番番頭、3番番頭みたいな人がいて、丁稚がいてみたいな何十人の規模でっていう世界は基本上方落語の世界です。

【三浦】なるほど。上方のほうがそういう大きな商家がたくさんあったということなのですね。

【和田】実際にあった。それから実際にあったし、そこをやっぱりそこの中で暮らしている人というのをモチーフにするんです。江戸落語はそれがない。だから『百年目』とか『たちきり』っていうのは江戸でもやりますけど、あれはやっぱり輸入品です。僕は厳密に言うと例えば『たちきり』なんかも江戸でやるのはちょっと無理があると思っていて、それはなぜかというと、あの話っていうのは商家の若旦那が芸者にはまっちゃってお金いっぱい使っていると。そうすると親戚一同が集まって跡継ぎがこれでは困るということで、じゃあちょっと田舎のほうへ蟄居(ちっきょ)させようとかそういう会議があるわけなんだけど、つまり何を描いているかというと、上方の人にとっては家を守る、商売ののれんを守る、跡継ぎがちゃんとしていなきゃいけないとかそういうプレッシャーが強いです。実際強い。だからそれが題材になる。それは例えば近松の浄瑠璃とかとも僕は一致すると思っているんです。そこの家をどうするんですか、跡継ぎがどうするんですか。跡継ぎがこんなお金使うもんだと困りますとかね。また違うけれども、例えば『細雪』というのもあれはやっぱり西じゃないと成立しないですね。商家の船場のこの家どうするのかみたいな話っていうのはあれは作者が谷崎潤一郎だから東の人なんだけど、でも背景は西。

【三浦】西の文化を谷崎が東の人だけれども引用した。

【和田】東京の場合例えば『六尺棒』という噺があるけど、息子が夜帰ってくるという、早く帰ってきなさいよって言っているのに夜中に帰ってきて、お父さんが家に入れないと。「もうこんな遅くに帰ってくるのはせがれでも何でもありません」とか言ってさ、最後に六尺棒持って追い掛け回しちゃうみたいな話なんだけど、だからそのくらいの規模なんですよ。東京落語って。だからそこまでの大店があって。

【三浦】だから庶民性が高いですよね東京の場合。お店とはいっても。

【和田】だからそこの違いというのがすごくあって、東京にももちろん大きな商家ってあったとは思いますけれども、モチーフにしてない。だから『百年目』は米朝さんていうか、上方落語の中でもやっぱり非常に重要な、さっきの話なんだけど最後の独演会でそれやるくらいだから、巨大なものなんだと思いますね。東京だとやっぱり圓生さんが『百年目』ってやってらして、隅田川に置き換えて。

【三浦】あれ? 圓生さんがやるときは花見のところでは鳴り物は入れるんですか?

【和田】入れてなかったような気がしますね。

【三浦】米朝さんは入ってますものね。花見の楽しさがとても。

【和田】そうですね。東京でいうと圓生さんが非常によく、高いレベルでされたと思いますね。

【三浦】そうですか。東京だとやっぱり若旦那とかが出てくるとだいたい直結して吉原と結びつきますものね。だからそこは東京の場合は大店の若旦那が出てきても吉原にすごく結びついていくという、そのパターンは結構ありますものね。

【和田】だから東京は今僕も話していて思ったけど、東京で例えば若旦那がいて、その構造をうまく使ったのが『明烏』。

【三浦】『明烏』。

【和田】あれもだから「おまえ、跡継ぎがそんなことじゃ困るんですよ。世間のことを知らなくちゃ」とか言っているのが、プレッシャーがあまりないでしょ。

【三浦】ないですね。

【和田】ないでしょ? むしろおまえも遊びを知ってなくちゃ困りますよと。源兵衛と多助によく言っておいたからみたいな話になるわけですよ。だから、『たちきり』みたいなシリアスな家族会議みたいな、ああいうのとちょっと違うんですよ。

【三浦】真逆な感じですよね。

【和田】そうね。東京の世界観は『明烏』とか『よかちょろ』というのがあるんですけど、あれなんかは非常に東京風かなという感じがしますね。

【三浦】同じ商家の若旦那が出てきても全く違う西と東での見解表現がある。

【和田】だから、近松の浄瑠璃だってね、近松が東京の作者だったら、江戸の作者だったらたぶんああいう話の筋にならないと思うんですよ。

【三浦】だからどこか西のほうって悲劇性を少し帯びている、伴っているところが。

【和田】要するに社会がしっかりしている。

【三浦】そうか。そこをやっぱり守っていかなきゃいかんぞと。

【和田】だからそこの、もう「がちっ」とできた中でこういう跡継ぎじゃ困りますと。これだと家ののれん傾いてしまいますとか、そういう状況が本当にあるわけなんですよ、おそらく。こういう人と結婚してはいけませんとかね。それだと本家が困ってしまいますとかみたいなシチュエーションがたぶん本当にある。僕がいつも思うのは、上方落語と東京落語があって、上方落語がヨーロッパです。元々の感じが。江戸落語はやっぱりそれに比喩で言うならばアメリカです。だから新興。アメリカでも、例えば昔の西部劇の話というのは何もないところに道作って、家が酒場みたいなものができてっていう話になりますよね。そこ馬に水飲ませるとかさ。それが東京でいうと大工の八っつぁんとかさ、だから職人がよく出てくる。職人が出てきて、金稼いだけど使っちゃったとかばくちで負けちゃったとか。

【三浦】新たな庶民という登場人物の設定が。

【和田】下のほうの人ね。要するに。

【三浦】そうですね。その階層の人たちが出てくる。

【和田】貧相な感じで暮らしていて、今日仕事休んじゃったよとか言って、それが世界観なんです。その違いが僕はとてもあると思う。

【三浦】『たちきり』今回このPodcastでお話させていただくにあたって米朝さんで聴いて、あとこの間何かの機会にさん喬さんで聴いてやはり違いますものね。家族会議の各々若旦那をどこかに連れて行って何かさせようっていうところがやっぱり上方のほうがリアリティーがあるっていうのかな? その鳴門の渦潮に沈めたら死体は上がってこなくていいみたいな話とか、そこらへんの現実的なことが本当にあるのかもなって思わせる感じありますものね。

【和田】雰囲気が結構マジな感じするんですよね。

【三浦】そうですよね。江戸だと横浜のおばさんがなんとかって言われても、そんなのするかなっていう感じもしたし、そこらへんは同じ、例えば最後に三味線が出てきても米朝師匠がやっている『たちきり』の悲しさが染みる印象がありますね。

【和田】だから上方のもとの『たちきり』っていうのは、あの二人が、特に芸者のほうが非常に犠牲になった人っていう感じが。

【三浦】そうですね、しますね。小糸さん。

【和田】小糸がそこの制度というか、周りの人たちが別に悪意を持ってこの芸者殺してやるぜっていうことはないんだけど。

【三浦】だって番頭だって100日手紙が来たら主人に掛け合って会わせてやろうと思ったって言ってますものね。

【和田】だけどそれのみんなが動いちゃった結果の犠牲になったっていう感じがすごくするから。

【三浦】そうですね。本人何も知らされずに。その悲劇性が確かに一つの作品としては純度が高く迫ってきますよね。

【和田】枝雀さんていう人が『たちきり』がすごく好きで、枝雀さんご自身は僕の知る限りやってないんだけれども、とにかく米朝師匠のネタでものすごく大好きで、米朝師匠に枝雀さんが言っていたのは「私がもし落語が嫌いになったとか、落語やめたくなったってときがもし来たら、落語には『たちきり』があるんやぞって言ってほしい。それを聴いたら私はそうだ、『たちきり』っていう話があるんだって言ってまた落語に向き合えると思う。そのくらい値打ちがある話だ」っていうふうに、それを米朝さんに頼むっていうのが枝雀さん風なんだけど、頼まんでもいいだろと僕は思うんだけど。

【三浦】本人はやらなかったと。

【和田】僕が知る限りやってないですね。米朝さんにとってはわりと得意ネタなので、枝雀さんが、これ東横落語会だっけな。米朝さんと二人会みたいなのをやって米朝さんが『たちきり』をやったと。二席目くらいに。やっぱり枝雀さんがもうプロになっているんだけどすごく感激して、やっぱりこの話いいわみたいな感じで楽屋に戻ったら米朝さんが休憩中に「頼んであった親子丼がまだ来えへんがな」とか言っていて、枝雀さんが激怒して『たちきり』やったあとに「何言うてまんのや」みたいな感じで。要するに『たちきり』やったあとなのに厳粛な感じがないんですよね。

【三浦】そのまま引っ張っていってほしかったのに。

【和田】引っ張っていってほしいのに楽屋でどんぶりが届いてないみたいな話をしていて、「師匠何言うてまんのや」みたいな感じで大激怒して。

【三浦】『たちきり』と親子丼のあまりの落差に。

【和田】米朝さんにしてみたら、米朝さんてそこが面白いところなんですよ。ドライな人だから、『たちきり』の1分後になんでどんぶりが来てないみたいな話になって。枝雀さんがその場合はピュアだったということなんです。

【三浦】それは面白いですね。なるほど。『たちきり』は何度聴いても悲しいですよね。

【和田】ええ。あと僕がすごく好きなのは、『たちきり』も名作って言っていいと思うんだけど、『菊江の仏壇』ていうのが。

【三浦】『菊江の仏壇』てありますね。私、大学卒業してまた仕事始めて落語聴くようになったとき結構米朝師匠にはまって、当時カセットで結構聴いていたんですけど、それで『菊江の仏壇』聴いて。あれ面白いですよね。

【和田】面白いですね。あれもちょっと解釈しにくい話なんです。でも、若旦那っていう人が結局かみさんもいて、だけど芸者にうつつ抜かして、だから人形浄瑠璃でやる『河庄』っていう話があるじゃないですか。説得されてふらふらして、家族会議みたいなのがあって「もう小春のところ行きません」とか言って、言うんだけどまた行っちゃうみたいな。どっちなんだよっていう、あのふらふら感みたいなのをよく落語にしているなと。

【三浦】あれは幽霊に最後なるんでしたっけ?

【和田】いやいや、それで結局奥さんが死んじゃうんですよ。死んじゃうわけ。死んじゃうから終わり方がめちゃくちゃ悲劇なんですよ。そのときに主人公が芸者を家に呼んじゃっているわけですよ。そこがすごく非常識なんだけど、そのときに訃報が届いたんです。おやだんさんも帰ってくる、やばいやばいって言って。

【三浦】隠さないといけないですものね。

【和田】そう、隠さないといけないわけ。ちょっと無理があるんだけど、すごくでっかい仏壇を集めていてそこに芸者を入れちゃうんですよ。そうすると、帰ってきたおやだんさんが仏壇を開けたら芸者さんがそこに入っていたっていう。

【三浦】おやだんさんは亡くなった奥さんだと思うんでしたよね。

【和田】そうとってもいいですね。それで「私も消えとうございます」っていたたまれない感じで終わるっていう。あれは『たちきり』と違って最後が無理やり滑稽にしているっていうのが僕はすごく好きなんです。

【三浦】僕も結構好きです。『菊江の仏壇』て。面白い話だなって思いましたね。

【和田】あれはやっぱり上方の世界なんだけど、ちなみに言うと今のさん喬が『白ざつま』っていう題でされるんですけど。

【三浦】『白ざつま』。

【和田】『白ざつま』は夏の着物っていう、最後にあれを着ているイメージだと思うんですけど、これはすごい傑作です。

【三浦】そうですか。さん喬さんの。

【和田】私はさん喬さんでこれがベストだと思います。さん喬の一日一席。

【三浦】なかなかやらないですよね。

【和田】やらないですね。だからやっぱり東京にはそれほど定着していないです。

【三浦】さん喬さんもそんなにやらないですか?

【和田】夏場だけですね。

【三浦】夏場だけ。じゃあ夏場にさん喬はちょっと聴講やるっていうときは可能性があるということですね。

【和田】ありますね。僕が「らくだ亭」っていう会でリクエストしてやっていただいたことがあるんですけど、そのときが全然まだ寒い時期で、さん喬師匠じゃないんだけど他の方から季節おかしいだろうみたいな話をいただいたりもしたんですけど、でもやっていただきました。あんまり今はそこまでこだわらなくてもいいのかもしれない。まあでも夏場がいいのか。

【三浦】東京ではあまりやり手のいないネタですか。

【和田】いないです。ただ、今のさん喬さんの中では僕は『白ざつま』です。

【三浦】5月にネタだしされていなくて、さん喬さんの3日間の独演会ってあるじゃないですか。そういうところでやる可能性ありますかね。
【和田】可能性はありますね。

【三浦】いつやるかわからないですものね。『菊江の仏壇』はもう1回聴いてみたいなっていう。もちろん米朝師匠の音源だけで聴いていたので、実際に高座で聴いたことがないので、一度聴いてみたい噺の一つですね。

 テキスト起こし@ブラインドライターズ
 (http://blindwriters.co.jp/)
担当:越智 美月
ご依頼ありがとうございます。
上方落語と江戸落語の違いを知ることができました。ありがとうございます。
特に『菊江の仏壇』や『たちきり』はあらすじを聞いたり調べたりしているだけでも面白い話だなと思いながら取り組ませていただきました。
ありがとうございました。

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