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【PODCAST書き起こし】和田尚久さんに会社で一番落語に詳しい三浦さんが立川談志と談志のラジオについて聞いてみた。その3

【PODCAST書き起こし】和田尚久さんに会社で一番落語に詳しい三浦さんが立川談志と談志のラジオについて聞いてみた。その3

【ラジオオープニング】集まれ! 伝統芸能部。

【山下】はい、じゃぁ後半戦にいきますのでよろしくお願いいたします。
立川談志師匠と和田さんが一緒におやりになっていた2つのラジオの放送、「立川談志最後のラジオ」が文化放送で、「談志の遺言」というのがTBSラジオで、実際にどんなことをおやりになっていたかをすごく聞きたいんですけれども。

【和田】基本的にトーク番組で、枕でしゃべるようなお考えをしゃべったり、ゲストを呼んで対談したり、曲をかけたりでした。
文化放送でやっていた「最後のラジオ」というのは対談コーナーもやっていたんですけれども、わりとご本人が気に入っていたのはイリュージョン俳句というものでした。

【山下】イリュージョンと言えば立川流らしい言葉。

【和田】そのときに談志さんはイリュージョンというのがものすごくお気に入りの言葉で。

【三浦】高座でもよくおっしゃっていましたよね?

【山下】今は、志らく師匠もおっしゃっていますよね?

【和田】2001年か2年か、もうちょっと前から言ってたと思います。
俳句っていうのは談志さんの主張は「人間にとって理屈に合わないんだけれどここだよな、というストライクゾーンとかツボみたいなものを核心を言い当てるものが芸術だ」ということだと。

【山下】面白いですね。
理屈に合わないんだけど、感覚的な、グサッと刺さるということですね? わかるなあ。

【和田】談志師匠の御託を引用すると、要するに人間というのはこういう風な言葉遣いをしなくてはいけない、こういう服装をしなくてはいけない、こういうシチュエーション……例えばお葬式ではゲラゲラ笑ってはいけない、そういう社会や約束事、談志さんは常識と言っていたけれども、そこに縛られて生きている。基本は守らなければならない。だけどその下にそうじゃない部分があるだろう、それを解放するのが芸術なんだ、と。
そのときに落語の内容がそうだし、あるいは絵画とかでもそういうものがあるだろうと。
「俳句っていうのも五七五の中に写生や写実をやるのが俳句だと思っている人が多いと思うけれどそうじゃなくて、心の中に秘めている、例えば突飛なイメージ、非常識なこととか、だけど人間にとってとても大事なことを五七五で示してあげるのが俺は俳句だと思うんだ、だからリスナーのみんなもそういうのを書いて送ってこい」と言うんです。

【三浦】投稿が結構あったということですか?

【和田】イリュージョン俳句というコーナーは投稿コーナーなんです。

【山下】投稿がないとできない。

【和田】御託を1回目に言って「お前らわかったか? それを取り合えず送ってこい」と言うわけです。
だけど、これ難しいんですよ。みんな色々なのを送ってくるんだけど、週によってばらつきもあるし、良し悪しは談志基準だから、つまりただでたらめ書いたらいいわけじゃないんですよ、五七五ででたらめかくのは簡単なんだけれどそれがちゃんと突いているかどうかが問題なわけです。

【山下】俺がいいって言うちゃんとしたやつを持ってこいっていう話ですよね?

【和田】そう、だからそこの人間の常識の下にある部分にその針が届いてるかどうかみたいな。あるときにできのいいのがなくて、怒り出したときがあって。

【山下】放送作家の出番ですね。

【和田】「この番組を聞いてる連中はこんなのか?」と失望して俺辞めるぞと言いだしてマジで怒り出しちゃったんです。
しょうがないから、僕が適当なペンネームを作って俳句を作ったんですよ。
それで『港町 一番風呂の ドイツ人』というのを出したんです。
もちろん僕の作と知らずに、次の週にそれを詠んで「これいいなぁ」って。「一番風呂はやっぱりドイツ人だよ、イタリア人じゃ全然ないしフランス人はまるで違う、ドイツ人は一番風呂の清潔さと国民性が出ている、それはやっぱり港町だよ、いいね」って言い出して、本当は僕が書いたんだけどそれは出さずに一般のものとまぜてやったら。

【山下】ペンネーム書いてハガキを出したんですか?

【和田】そうですねメールはなかったかな? ハガキ来ましたって。
それからもう1つは『薄笑い プリンスホテルの 熱帯魚』。これは港町ほどではなかったんだけど「うん、これわかるね、プリンスホテルの熱帯魚は薄笑いしてるわ」って。

【三浦】不倫の現場とか色んなものを見てるんじゃないかな?

【和田】そういうことなんですよ。ありえない……薄笑いしている熱帯魚はいないんだけれど、でもそうだよなと言えるものを良しとするわけ。
当然90何%は普通の投稿ですよ、それを求めて今ちょっと引用できませんが面白い句はたくさんありましたね。

この番組は2001年から2002年にかけてやっていた番組なのでちょうど9.11もあって、あのときに基本的に芸人、特に談志さんみたいな人というのは世の中の逆説を言うわけです。
例えば、自民党でロッキード事件みたいな賄賂で捕まった人がいて世の中のみんなが叩くと「欲しいっていうのが本音じゃないか、あれはもらえないやつが嫉妬して文句言ってるんだ」というような逆のベクトルでわざと言う、というのが芸風なんだけれども9.11のときも「アメリカ人は信用できない」って言い出したんです。
「あいつらは正義というのを売りにしてるんだけど正義くらい始末に負えないものはない」と言うんです。
今だったら、ある種成立する話じゃないですか、「世界の警察をなんであなた方は自認してるんですか?」という話があり……でも大テロがあった次の収録くらいの時点でそのロジックを言い出したからめちゃくちゃ早かったと思います。早かったし、放送しにくいですよね。

【三浦】メディアとしてはね。

【和田】でも、多少編集は入っていたかもしれませんけど放送しましたね。

【三浦】談志師匠ビンラディンTシャツ着てましたもんね?

【和田】そうそう、だから要するにあれもネタですよ。逆の方に振るよということなんだけれども。

【山下】昨日友人とラインで「絶対的な正義ってあるのか?」という話をしていて、そこに通じていくなって。
『鬼滅の刃』の話からそうなったんですけど、『鬼滅の刃』って悪い人を殺したら自分がごめんなさいって気持ちで、悪いやつも一理あるよねみたいな、いわゆる談志師匠が言う業みたいなことを肯定している、絶対の正義ってあるの? 絶対の悪ははるの? みたいな話をしてたんですけどね。

【和田】談志師匠は正義に関して「正義ほど始末に負えないものはない」と言っていたのはなぜかと言うと、これが正義だと人間が思ってしまうと、爆弾を落とすというような相手を攻撃することに関しても躊躇がなくなるし、ブレーキがかからなくなるし、正義の名の下に疑いがなくなっちゃうじゃないですか?

【山下】怖いですよね、本当にそう思います。

【和田】でも本当だったら、講談でやるようなヤクザのAの組とBの組があって出入りをしてというような話がありますが、そのときに相手のところへ行って切ると言っても自分の立場としてやってるんだけれども、そこに自分に対する疑いや、これやっていいのかな? とか、やってはみたものの俺だってという部分ってあるじゃないですか?

【山下】僕はそっちの方が本当だと思います。

【和田】そのところの間に人間がいるわけです。

【山下】そこで右往左往して葛藤するというのが僕はいいと思います、本当に。

【和田】そうなんだけど、正義ってなっちゃうとそれがなくなっちゃうので。

【三浦】疑問の余地がなくなってしまう。

【山下】談志師匠は感覚的にわかっていらっしゃったんじゃないでしょうか。

【和田】ご自分が小さいときに大戦下に暮らしてらっしゃった戦争体験、世の中が1つの色になってしまうということは逆のことが言えなくなってしまうから怖いよ、ということでよく「金正日マンセー」とかギャグで言ってましたが、文脈がないのでギャグになってないんだけれども……

【山下】たけしさんも時々おっしゃってますね。

【三浦】高座で必ず言ってましたね、何度見たか。

【和田】あれはだから笑えないよという意味を込めているという気がします。

【山下】逆説的ですよね、ある種の。

【和田】あれをひとごとだと思って笑うけどあの渦中に人間っているかもしれないよ、ということかなと思います。

【山下】人間どこで生まれるか分からないですもんね、その中には多様な価値観があると思いますねその中には。

【三浦】人間立川談志というのが、そこですごく出てましたよね。

【和田】出てましたね。
それと9.11があった2001年の10月1日に古今亭志ん朝さんが亡くなったんです。
そのときは……リアクションが難しかったのかな。

【山下】何か発言はされたんですか?

【和田】こちらで1回、10月の2週目か3週目に志ん朝さんをリスペクトで特集をしませんか? と言ったんですが「俺の番組でやりたくない」と、だけど半ば無理矢理、澤田隆治さんを急遽ゲストに入れて志ん朝さんの話にしたんです。

【山下】花王名人劇場の名プロデューサーですね。

【三浦】それは談志師匠の方ではなく、和田さんたちが澤田さんを入れたってことですか?

【和田】もちろんそうです。澤田さんがNOということはないので、志ん朝さんの話をしたんだけれども、お膳立てされてストレートに語るという使われ方をしたくなかったんだと思うのでご本人はすごく話を避けていました。

【三浦】志ん朝さんの話から遠ざかっていたという感じですか?

【和田】遠ざかるし「俺は両横綱のように言われるけれど違うジャンルだと思っている、だから志ん朝が暮らした落語の国や村というところを離れたところにいるから」ということを難しい言い方で言っていたような気がします。
でも逆に言うとものすごく気にしてた。
それが丁度2001年の9月と10月でした。

【三浦】志ん朝師匠も早死にですもんね。

【和田】63歳ですね。

【三浦】亡くなった時結構びっくりしましたよね。

【和田】癌だったようで、周りの方は知っている人もいたようですが僕は知らなかったんですよ。でも休演が続いていたので、体調が良くないんだろうなというのは分かっていたんですが死ぬとは思っていなかったのでとても驚きました。その年の6月7月くらいに予告していたものを休んだんだけれども談志師匠が2回代演に行ってるんです。

【山下】へぇー、代打で?

【和田】これ、へぇーって感じですよね。

【三浦】オール落語ですよね?

【和田】オール落語です。
志ん朝圓歌二人会というのがあったんですが、志ん朝さんが休んだので談志圓歌の会に偶然なったんです。

【山下】この顔付けはすごく面白い。

【三浦】主催している人が声をかけたんですよね?

【和田】もっと無難な人で代演してもいいのに、主催している人もよく声かけたなと思います。声をかけたら2つ返事で「いいよ」って。

【山下】本人は嬉しかったんじゃないですかね?

【和田】そのときはラジオでも「志ん朝が癌じゃねぇ、って言うから心配してるんだけどな、だから俺が代わりに行くんだけど」ってまたジョークっぽい言い方で言ってたんですけど。
でも本当に死んじゃったらラジオで触れるのはものすごく嫌がってました。

【山下】繊細な方だったんですね。


・・・・・・・・音源ここまで・・・・・・・・
この度はご依頼をいただきありがとうございました。
今回担当させていただいたことをきっかけに、立川談志さんの落語を拝聴させていただきました。
経済の話など、少し難しい印象ではありましたが、和田さんがお話されている立川談志さんの生きて来られた時代背景やお考えをお聞きしたことで、1つ1つの言葉の力や説得力を感じながら聴かせていただくことができました。
今失われつつある日本語の持つ美しさや言霊が込められている、とも感じました。
日本の伝統芸能としての落語に触れさせていただくきっかけをいただき、ありがとうございました。
またのご依頼、心よりお待ちしております。

ブラインドライターズ担当
角川より子


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