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【PODCAST書き起こし】桂米朝師匠を中心に上方落語について江戸に住んでいる和田尚久、三浦知之が語ってみた(全6回)その2

【PODCAST書き起こし】桂米朝師匠を中心に上方落語について江戸に住んでいる和田尚久、三浦知之が語ってみた(全6回)その2

【オープニング】TFC LAB presents 集まれ! 伝統芸能部!!

【和田】米朝さんって、埋もれてた話を蘇生させたりもしてるんですよね。

【三浦】してます、してます。

【和田】だから今の公演頻度が0じゃなかったにしても、例えば『算段の平兵衛』とか『地獄八景』ももちろんそうだし。

【三浦】『地獄八景』今でこそやる人結構多いですけど。

【和田】多いですね。『地獄八景』は逆に入り過ぎちゃってる感じもするんだけど、あれは米朝さんが復活させたものです。

【三浦】そうですか。

【和田】それから『天狗裁き』。

【三浦】面白いですよね『天狗裁き』

【和田】あれも今やってるスタイルっていうのは米朝さんが作った、東京も含めてなんですけど。

【三浦】『天狗裁き』は東京でもやる人多いですよね。

【和田】そうです。『天狗裁き』って本当は主人公が、天狗の羽団扇を持って空を飛んで羽団扇の操作を間違えて地上に落ちてしまう、そうするとそこの家にお嬢様がいて、とかそういう筋があるんですよ。

【三浦】あ、そうなんですか。

【和田】だけど米朝さんはすごい頭のいい人なんで、そういうのも全部省いちゃってループして天狗に八つ裂きになると、目が覚めて「どんな夢見てたん?」ていう最初に戻るっていう、すごく面白いオチを付けたわけなんですね。

【三浦】そうなんですね。

【和田】そのほうがすっきりしてる。

【三浦】そうですね、僕その天狗の羽団扇の操作を誤って落ちたっていう話知らなかったです。

【和田】知らないでしょ? 志ん生さんとか昔の録音を聞くとやってるのあるんですけれども……。

【三浦】そうですか、面白そうだな。

【和田】でも結局それもごちゃごちゃしてるんで、米朝さんがやってるのがいいじゃんってことで東京にもそれが輸入されて。

【三浦】米朝さんが整理したっていうことですかね?

【和田】そうです。あとは今の『はてなの茶碗』も……。

【三浦】なるほど。

【和田】はい、あれもそれ以前からある、志ん生さんとかもやってる話なんですけど、今くらいにすっきりさせて台本丸覚えでもちゃんとしたクオリティになってるようにしたのが米朝さん。

【三浦】そういうの中には嫌う人もいるのかもしれないですよね? いつ聞いてもしっかりとできてるけど、それ以上なんかっていう……。

【和田】結局だからそのアプローチだと全体的に落語がクールになってしまう。

【三浦】ああ、そうですね、確かに米朝さんの音源を聞いてると、頭いい感じちょっとしますよね。

【和田】そうです、そうです。

【三浦】すごく……。

【和田】で、さっきも言ったように本当に酒好きな人がぐずぐずになって『替り目』やってるよとかあるじゃないですか?

【三浦】ありますね。

【和田】それが米朝さんは当然薄い。そこを目指してないから。

【三浦】そうですね、やっぱり金原亭馬生師匠の『替り目』とか面白いですもんね。

【和田】そう『親子酒』とかね、面白いじゃないですか?

【三浦】ええ。

【和田】だから、そこを求める人にとっては、米朝さんはちょっと……なんて言うんだろう? 逆にハードに聞こえちゃうかもしれませんね。

【三浦】なるほど。

【和田】でもこれ談志師匠もおっしゃってたけど、結局米朝さんが上方落語を延命したんですよ。

【三浦】そうですか……そうですよね。

【和田】それは間違いない。
談志師匠は「例えば春團治とか松鶴っていう人がいたって言われるけど、それは米朝がいたからこの人たちが生き返ったんだ」って言ってるんですよ。私はその通りだと思う。
米朝さんがそういう落語物語を生きている人たちも生存させる空間そのものを作ったっていうくらい巨大だと思います。

【三浦】やっぱり米朝さんは偉大な人なんですね。
和田さんはその歌舞伎座は残念ながら見逃したっていうことですけど何度か高座は……。

【和田】それはもちろん。鈴本演芸場で、年末に米朝一門会とかやってたんですよ。

【三浦】私はCDとかカセットテープとかで米朝さんの音源ずっと聞いてましたけど、なかなか実際の高座に接する機会がなくて、もうだいぶお年とられて結局最後『鹿政談』しかやらなかったんですよね。

【和田】そうでしたね。

【三浦】『鹿政談』だけ関西行って3回くらい聞いたことあります。

【和田】そうですか。

【三浦】米朝一門会を池田市でやるからどうしてもやっぱり米朝師匠が元気なうちに聞いておきたいなと思って。何回か他のところも行ったんですけど行ったらやっぱりもう『鹿政談』でしたね。

【和田】僕も最後のほうに聞いたのは『鹿政談』で、それこそ歌舞伎座で桂枝雀の七回忌追善会っていうのがあったんですよ。

【三浦】ああ、はい。

【和田】そのときもお弟子さんが出たりとか米朝師匠が出て『鹿政談』されてましたね。

【三浦】そうですか。

【和田】そのときはまだしっかりお奉行さんもやられてましたけども、小三治さんも出てましたね。

【三浦】そうですか。

【和田】小三治、枝雀っていうのが同い年になるのかな?

【三浦】そうなんですね。

【和田】うん。
同い年だか同じ入門だかで、だから同期生という……同い年か。ま、というゆかりがあって……。

【三浦】枝雀さんご存命だと80こえてっていう……。

【和田】小三治さんと一緒ということなら81ってことですかね。

【三浦】はい、そうですか。
数ある米朝全集って本でもCDでもものすごくたくさん巻を重ねてますよね? その中で「米朝さん聞くんならこれだよ」っていう話ってたくさんあると思うんですけど、和田さんだったら何推薦しますか?

【和田】そうですねぇ……。

【三浦】『地獄八景』とかも入るんでしょうけども。

【和田】これちょっとマニアックな話になるんですけど、まずね、米朝師匠って全集を2回出してるんですよ。

【三浦】2回? それはCDていうか……。

【和田】最初はLPですね。

【三浦】活字じゃなくて音源の全集?

【和田】活字じゃないです。当時の東芝EMI、今のユニバーサルから『上方落語大全集』っていうボックスがあって、これ出たときはLPレコードだったんですけど今CDになっていて、それが第1期、第2期……だからボックスが4つあるんです。これはすごくいい出来です。

【三浦】そうですか。

【和田】だから米朝師匠聞く人はこれを聞いてほしい。今バラ売りもされてるみたいなんでバラ売りを買ってもいいですけど、その4ボックスあるやつが『上方落語大全集』です。

【三浦】それは時代的に言うと?

【和田】時代的に言うと米朝師匠が40代。

【三浦】もう、ノリに乗ってるときですね。

【和田】そうですそうです、いわゆる本当に上り坂のときで張りもあってものすごく素晴らしい。

【三浦】それは実況録音ですか? ライブ?

【和田】サンケイホールとかでやったライブ録音で。

【三浦】圓生師匠がスタジオにこもって丁寧に作ったのと全然違うわけですね。

【和田】あれとは違いますね。ぼくは、同時代は知らないんだけど『上方落語大全集』何枚あるのかな? とにかく4ボックスあるからすごい枚数なんだけど、それがすごいのがですね、全部の売り上げの合計が100万枚こえてるんですよ。

【三浦】売り上げ、すごいですね。

【和田】1枚じゃないんだけど全巻合計の売り上げが100万枚。これはすごいことですね。

【三浦】落語のいわゆる販売市場としては相当なもんですよね。

【和田】いや、相当なもんですよ。だから50枚あったとして1枚あたり2万枚とか売れてるということですよね。

【三浦】そうですね。

【和田】2万枚かける50枚で100とかだから、ならしで言えばね。

【三浦】100万枚か……。

【和田】その後出たのが、これがそうなんですけど。

【三浦】これは次なんですね。

【和田】これは次の全集なんです。だからもう1回出してるっていうのはこれなんですよ。これはね、後に出したのだから60代かな? 

【三浦】なるほど。

【和田】これも悪くないんだけどどっちかというと僕は最初のボックスを聞いて欲しいですね。

【三浦】最初のボックス聞きたいな。

【和田】内容的にはどれ聞いてもいいですよね。みんなが言うので言うと例えば『はてなの茶碗』とかあとやっぱり『地獄八景』も大全集のほうは張りがあっていいと思うし、珍しいのも含めて何聞いてもいいと思いますよ。

【三浦】こっちもライブですよね?

【和田】そうです、だから非常に変わったケースなんだけど1回全部総ざらいしてまたもう1回やったっていう、年代が違うんですよ。

【三浦】20年くらいの時を経てもう1回……。

【和田】そうですそうです、だから同じ出し物が。

【三浦】でもそういうのいいですよね? ちなみに、落語家さんもこういうCD出して売れるとちゃんと印税とかは入るんですよね?

【和田】もちろんです。

【三浦】しっかりと。

【和田】それは一緒ですよ。
あとはだからなんだろうな、やっぱりちょっと芝居がかった話なんかはいいなって思いますしね。

【三浦】なんだっけな?

【和田】今ふっと思い浮かんだのだと『稲荷俥』なんていう話があるんですけどね、あれは東京ではやんない話なんですけど。

【三浦】『稲荷俥』って……あ、そうかお稲荷さんがいわゆる俥に乗ったって話ですね。

【和田】そうそう。

【三浦】あれ面白いですよね。

【和田】あれ面白いです。
米朝師匠って面白くて、さっき言った話とつながるんですけども、落語は古典芸能ですよっていうスタンスを若い頃から打ち立てた人なんですよ。

【三浦】なるほど。

【和田】だから「長唄聞く、浄瑠璃聞く、ああいうのに近いもんですよ」っていうの、ま、こういうストレートな言い方はしないんだけど。

【三浦】聞き手に向けては、そういう意識で聞いてくださいね、っていうこともあるんですかね?

【和田】そうです、だから例えば『けんげしゃ茶屋』やるときに「今日はもうむちゃくちゃに古い話を申し上げますが」ていう、これ結構しょっちゅう言うんですよ。
「今日はほんまに古い話を持ってきました、聞いていただきます」ていう風にして入るんだけど、例えばね『稲荷俥』なんてあれ古典と言ってもいいんですけど僕の勘も含めて言うと、あれの成立って結構最近のような気がするんですよ。

【三浦】ああ、はい。

【和田】ただお客に対してはそういう見せ方をしないんです、クラシックですよっていう感じの呈出をするんです。

【三浦】たぶんこれちょっとわからないですけど、日本人の落語好きの人って結構古典を好む傾向ってありますよね?

【和田】あります。

【三浦】新作はちょっと……って、嫌わないまでもなんとなくちょっと敬遠しがちな。
「やっぱり古典落語だよね」っていう人たちにとってはそのアプローチは正解ですよね。

【和田】そうなんです。だからそういうパッケージを付けて、あえて「なんかむちゃくちゃに古い話を」と言って、してたのじゃないかなと思うんですけどね。
だからね、これって面白いのは米朝師匠はつまり自分が復活したものにしても「これはもうなんとかの江戸の末期にありました……」みたいな風にしてやるわけ。原型という意味では嘘じゃないんですけれども。

【三浦】原型はその時代にあったけれども。

【和田】それと全く逆の話があって、これ米朝師匠も言ってたんだけど、志ん生さんが枕で「あたしの若い時分は吉原と言いますとまだ桜がありましてなんとかで……」みたいな話をするわけなんですよ。

【三浦】はい、はい。

【和田】で、つまり志ん生さんは何がしたいかと言うと「これからやる世界と僕の実人生はクロスしてるんですよ」ってことを言いたいわけなんですよ。

【三浦】うんうん。そっちの世界に一気に引きずり込んでく……。

【和田】そう、引きずり込む算段であるし、古典の額縁に入ったものじゃなくて「私はもうその吉原の溝があったりなんやらのところ知ってますから」っていうアプローチをするわけなんです。

【三浦】そこも日常として私は過ごしてました……。

【和田】そういう背景のものをやるわけだから「私にとっては知ってる時代ですよ」ていうのを最初に出すわけなんですよ。
ところが、これは米朝師匠が言っていてなるほどなと思ったんですけど、志ん生さんが「昔の吉原っていうとなんとかで大籬がなんとかで……」って言うんだけど実際に年表的に調べてみると志ん生さんでもこの風景見てないよな、みたいなところも言っちゃってたりするわけ。
だけど、志ん生さんのあの雰囲気もあるし「若い頃は……」ってやると、あ、なんかそうなんだろうなって催眠術みたいなところもあって。

【三浦】思いこませるところがありますよね。それは一つの志ん生さんの人柄だろうし、技術かもしれないですし。

【和田】技術です。それがあって実際以上に古いものをフェイクなんだけどなんか知ってるよって感じでやっちゃうっていう。

【三浦】なるほど、それはでも非常に上手いやり方ですよね。

【和田】そうです。

【三浦】でもそれは結構自分で意識もしてるんでしょうけども、無意識にもそれができてしまうっていう志ん生さんの人柄もあるんでしょうね。

【和田】あるでしょうね。実際明治の人なんで。そこは全然嘘ではないんですけれども。

【三浦】私、昭和33年生まれなんですけど、昭和33年っていうと赤線がなくなって、要は吉原がなくなった年ですよね?

【和田】そうですね。

【三浦】だから志ん生さんも明治、大正、昭和とそういう時代を過ごしてこられたということですもんね。

【和田】僕これは前、ほぼ日に志ん朝さんのDVDのパブリシティもあって糸井重里さんのところへ行って志ん朝さんを……。

【三浦】志ん朝? 志ん生?

【和田】志ん朝ね。

【三浦】息子さんのほう。

【和田】語るみたいなインタビューをやったことあるんですけど、そのときに話題に出したんですけど、志ん朝さんって確か昭和13年生まれなんですよ。

【三浦】13年生まれ。それはあれですね、戦争に完全にどんどん行くときですね。

【和田】そうです、それで13年だか……ちょっと1、2年違うかもしれませんけども、何が言いたいかと言うと、昭和33年のときに高校出たくらいなんですよ。

【三浦】ああなるほど、そっか20歳になるかならないかくらいか。

【和田】志ん朝さんが確か『お直し』っていう話だったと思うんだけど、枕で「私はその前の吉原というのをギリギリ間に合っておりまして、車に乗って行くと……」志ん生さんの家って根岸のあっちのほうなんで、アプローチが吉原の……。

【三浦】すぐ近く。

【和田】そうそう、すぐ近くで日暮里側から行くわけなんだけれども「そうするとカーブがありまして、そこを曲がると火がいっぱい見えて気分が明るくなったもんでございます」って言うわけ。

【三浦】なるほど。実際見てたってことですか? その風景。

【和田】だから見てるし行ってるわけ。

【三浦】行ってるんだ。

【和田】間に合ってるってことは、そこの店に行ってるってことだから、これは僕は結構面白いなと思って。まず、戦後活躍したあの世代の人たちで、そこまでほのぼのと「吉原に私は間に合ってます、行ってます」っていうのをくったくなく言う人っていないんですよ。

【三浦】それは若干負の部分があるからってことですかね?

【和田】そうです。それより後の世代の人って負の部分があるから、言うとしても「なんか本当ここだけの話ですよ」みたいな感じで言うわけなんですよ。

【三浦】私、廓行ってまして、実は……っていう。

【和田】うん、っていう風に言うんだけど、志ん朝さんはそれが本当になくて、しかもあの落語研究会のテレビで放送されること前提のところで言ってるから、そこは本当に意識が違うんですよ。

【三浦】なるほど。

【和田】で、やっぱり芸人の家だったっていうのもあるだろうし、なんて言うのかな、その枕を振ってその廓話に入るっていうのは、ああなんか本当に文字通り最後の人だなって思って。

【三浦】でもそのつかみはやっぱり、いいですよね?

【和田】いや、いいですよ。

【三浦】間に合ってたっていうのが、ええ? そうなんだ……って、聞きたいなって思いますもんね。

【和田】そうです。

【三浦】何度でも聞きたいですよね、そういうのって。
あれ? じゃあ談志師匠は吉原行ってないんですかね?

【和田】えっと……33年以前はどうなんだろうな、行っててもおかしくないですけどね。もう落語界入ってるし。

【三浦】そうですよね、でもそういうこと言わなかったですよね。

【和田】言わないです。だからそこ逆なんですよ。

【三浦】なるほど。

【和田】だいたい廓に対してポジティブな発言って談志師匠は全くしない人でしたからね。

【三浦】はい、そっかそっか。

【和田】だからそこはなんかやっぱり志ん朝さんは、志ん生イズムっていう感じがしますね。

【三浦】江戸前と言っていいのかどうか。江戸の情緒っていうのをずっと持ちながらってことなんですかね。

【和田】あと、疑問がないっていうかね。

【三浦】もう、そういうもんなんだってことですよね。

【和田】そうそう。

【三浦】「なくなっちゃったけどさ」っていう。
吉原って、戦争中も稼働してたんですかね? どうなんですか? 燃えたり……。

【和田】あれはね、燃えてますね。

【三浦】もう上方落語の話から、吉原の話になっちゃってますけど。

【和田】吉原はね、ちょっと話それますけど、要するに圓生さんとか志ん生さんとかよく廓の話するんだけど、よく言われるのは関東大震災までは江戸の吉原のなごりが非常にあった、建造物や建物も含めて。
(※関東大震災 1923年9月1日 大正12年)
【三浦】そうだそうだ、震災は大きいですね。

【和田】関東大震災で全部壊れたんで、その後また建物作り直したんだけど、そこから先は別物だったみたいですね。
戦後はもちろん別物だと思うし、だから震災前の吉原を知ってるかどうかっていうことは結構大きくて、そこがだからなんて言うのかな、あのへんの志ん生文楽、圓生さんはやっぱり芸人の子供だから子供のときに見てるんですよ。

【三浦】なるほど。

【和田】というのがある。その後の世代になると震災後なんで、結構違うっていうのが……。

【三浦】あれ? 関東大震災って大正ですよね?

【和田】大正の末ですね。

【三浦】ていうことは、圓生師匠は1900年生まれかなんかですよね?

【和田】そうです、そうです。

【三浦】そうすると丁度20歳こえたかぐらいのところで震災に遭ってるって恰好ですかね。

【和田】それくらいかな。だから圓生さんって志ん生文楽と比べて世代がちょっと下なんで、だから最後のギリ世代だと思う、震災前を知ってるっていう意味では。
小さんさんになると知らないですよね。

【三浦】そうですね。小さんさんで言うと一番有名な話はあれですよね2・26事件のときに兵卒として参加してたんですよね。
参加するって言い方えんぎないですけど。いわゆる反乱軍の中にいたんですよね。

【和田】そうです。小さんさんは大正4年生まれですからね、震災のときは子供ですよね。ちょっと話が……。

【三浦】すいません、ちょっとじゃあ米朝……あの、こういう廓的なものっていうのは当然上方にもあるんですよね?

【和田】あるみたいですね。

【三浦】ただあんまり話の中では吉原ほど言われないですね、話の中では。

【和田】そうですね、やっぱり吉原っていうのは江戸の幕府に公認されていたところですからね。

【三浦】そうですね。

【和田】それと、そうではないちまたの、というか廓の……大阪にもね、それこそ時代は違うけど近松の『曽根崎心中』とか『心中天網島』とか廓ものっていうのはあるわけですけれども。

【三浦】そうですね。

【和田】まあ世界が違いますよね、背景が。

【三浦】ちょっと話がまた変わるんですけど、上方落語に特有のもので結構鳴り物が入るじゃないですか?

【和田】はい。

【三浦】あれはやっぱり昔からそういうものだったんですか?

【和田】そうみたいですね、やっぱり私が思うのは、これは丁度今お話が出てきたから話したいんですけど、江戸落語っていうのも例えば三遊亭圓朝っていう人が幕末から明治の前半にやってた人なんですけども、歌舞伎風になる芝居話って盛んにやってたんですよ。

【三浦】なるほど。

【和田】そのときはちゃんと寄席に三味線の下座音楽の人がいて芝居っぽくなる。例えば七五調のところであるとか、それは下座が入るんです。
これ実は勘違いしてる人が多いんですけど、幕末の寄席でも明治前半の寄席でも下座さんっていうのは普通にいたんです。

【三浦】そうですね。下座さんっていわゆる出囃子の人ですもんね?

【和田】はい。ところがですね、江戸落語は大正時代まで出囃子はなかったんです。

【三浦】えっ、そうなんですか!?

【和田】出囃子なしで無音で上がってたんです。めくりもなかったんです。

【三浦】そうなんですか!?

【和田】めくりと出囃子は大阪で発明されて……。

【三浦】これはちょっと初めて聞いた話ですね。

【和田】いや、そうなんです。大阪で発明されて、まずめくりっていうのは名前が出てるからわかりやすい。

【三浦】誰が出てるかわかりますよね。

【和田】わかりやすくて非常にこれはいいなってことになって、東京でもやろうじゃないかってやるようになったんですよ。
というのも一つあって、出囃子というのも出てくときに三味線が鳴ったら非常にショーアップされるし雰囲気もできるし音響がいいねって。

【三浦】そうですね、空気感作れますもんね。

【和田】空気感あるから。大正時代に始めたんです。
で、ここは事実なんだけど間違った敷衍のされ方をしちゃって、東京落語が三味線なしだったっていう風に勘違いされてる部分があるんだけど実際にはあったんです。

【三浦】実際にはあったんですね。

【和田】それは圓朝を代表とする江戸落語芝居話っていうのが非常に大きな要素だったんで。ところが、僕が象徴的だと思うのが三遊亭圓朝っていう人は明治の開化後に「私はこれからは素話1本になって扇子1本で話をします」って言って、その芝居話の大道具とか装束とかも人に譲って……。

【三浦】封印したんですか?

【和田】封印してやんなくなったんですよ。
で、これは圓朝という人1人の人生なんだけれども、でも私はこれがちょっと象徴的な出来事だなと思っていて。その後にですね、僕らが今聞いている落語っていうのは成立したのは明治20年代くらいだと私は思ってるんですけど。

【三浦】今の落語が、江戸の落語……。

【和田】はい。それは東京落語っていうのは散文のほうに行ったわけなんですよ。

【三浦】散文?

【和田】散文っていうのはつまりしゃべりだけ。

【三浦】しゃべりだけ……。

【和田】しゃべりだけの、しかもリズムの……だから何が言いたいかと言うと、大阪落語は僕は韻文だと思ってるんです。

【三浦】韻文……。

【和田】韻文のなごりがある。だから浄瑠璃とかああいうものの三味線音楽の拍子に乗った芸能との関連性がある。世界観としてね。

【三浦】うん。

【和田】江戸落語のほうはそれを捨ててトークのみになった。

【三浦】しゃべりに。

【和田】その中でリズムを出すとしてもトークのみの中でのリズムを展開していく。

【三浦】うん。

【和田】それが圓朝という人の晩年と、例えば夏目漱石、正岡子規っていう人がいた時代がだいたい重なるんです。

【三浦】文学のほうとも。

【和田】そうです。ということは散文が成立した時代っていうことなんです。
東京の散文が成立した時代と東京落語ができた時代っていうのは僕の主観ではだいたい一緒。
で、話を戻すと、上方の落語というのは今でもそうなんですけれども、話の中で三味線が入ったり、そういう演出がとても多いんです。

【三浦】多いですね。

【和田】これは東京落語ほどには僕は散文化されてないなと思う。

【三浦】そういうことなんですね。

【和田】浄瑠璃とかそういうものとくっついてる。

【三浦】別の芸能との親和性なんですかね? 関連性なのか……。

【和田】だから語りものの芸のDNAをまだ残してる。

【三浦】なるほど。

【和田】江戸落語のほうは明治以降にそこを捨てて、もうただの素なんですっていうほうに舵を切ったんじゃないかな。

【三浦】わりと、すっきりではない……そぎ落としたような方向に持ってったってことですかね?

【和田】そうです。だと思います。
だからその、江戸落語のほうが、やるほうにしてみたら難易度は高いと思うんですよ。リズムに乗っかりにくいから。

【三浦】そうですね。

【和田】それのある意味代表格がこないだ亡くなった5代目の小さんとかああいう人だと思うんだけど。

【三浦】はい。

【和田】圓生さんっていう人はやっぱり子供のとき義太夫語りやってたので。

【三浦】そうですね。

【和田】韻文的なリズムがある人ですね。

【三浦】そうですね、圓生師匠は子供義太夫で結構高座に上がってたっていうのは有名な話ですよね。

【和田】そうですそうです。豆仮名太夫っていうのだったんですけどね。

【三浦】結構売れてたって話ですよね?

【和田】まあ売れてたのかもしれませんね。

【三浦】子供が義太夫語りやるって、それはそれで面白いですもんね。

【和田】面白い、面白い。だから寄席に出る義太夫語りなんですよね。それで別に人形劇やるわけじゃなくて。
5代目圓生とかそういう人たちの一座があってそこに出て。7、8人出る中の1本で、そういう人が間にはさまると面白いですよね。楽しいと思うんだけど。

【三浦】お客喜びますよね。かわいい子供がやってるし。
たぶん義太夫だから大人っぽい話したりするんでしょうね。

【和田】でしょうね。

【三浦】そんな年端もいかない子供が大人の話を分かってるのか分かってないのかでやってるっていうのはなかなか……。

【和田】子供がやってりゃ落語でもなんでも普通に……。

【三浦】それは上手にやったらウケるでしょうね。それは面白いな。
能の子方が上がったりするのとは全然違う考え方ですよね。

【和田】そうですね。ちびっこ歌手みたいなことなのかな。

【三浦】ちびっこ芸人。

 テキスト起こし@ブラインドライターズ
 (http://blindwriters.co.jp/)

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この度はご依頼をいただきまして誠にありがとうございました。
こちらのシリーズを担当させていただくたびに、伝統芸能の楽しさと奥深さを教えていただいております。
今回をきっかけに米朝さんの『地獄八景』を拝聴いたしました。長編のお話でしたが、リズムの良い展開に吸い込まれるように聞き入ってしまいました。
出囃子やお話の作り方など、東西それぞれの地域で長い年月をかけて発展してきたものなのだということを知り、次はそのような視点でも落語を聞いてみたいと思いました。
これからの配信も楽しみにしております。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

ブラインドライターズ担当  角川より子

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