見出し画像

【PODCAST書き起こし】和田尚久さんに会社で一番落語に詳しい三浦さんが立川談志と談志のラジオについて聞いてみた。その4

【PODCAST書き起こし】和田尚久さんに会社で一番落語に詳しい三浦さんが立川談志と談志のラジオについて聞いてみた。その4

【タイトル】集まれ!伝統芸能部!!

【和田】談志師匠の番組で、こっちが放送作家だからいろんな話題をふるし、台本にも書くし、あと例えば女子のアナウンサーの人をふり役にしたりとかしてやったりするんだけど、一番避けられたのは自分の親の話でした。

【山下】そうなんですか。

【和田】家族論みたいな、親子とはみたいな話をものすごくするんですよ談志師匠って。抽象論として。

【三浦】抽象論はするのですね。

【和田】抽象論はするわけ。親というものはこういうものだって言って。子供というのはこうやって。だから子供が悪く育ったらそれは大人が悪いとか、ものすごくそういうこと言うわけですよ。だけど、じゃあ談志師匠の親ってどういう親だったのですかって質問したんですよ。そしたらものすごく避けようとして、でも親はいたよって言ってぽろぽろと話しましたけど、特に父親のことはほぼ話さなかったな。

【三浦】自伝があるじゃないですか。何でしたっけ。 『狂気ありて』でしたか? あれも読んでいたらお父さんのことほとんど語っていないですね。

【和田】だから最後の本に、その『狂気ありて』だったかな。あのシリーズにちょっとだけ出てくるんですよ。

【山下】お父さんが。

【和田】お父さんが。お父さんのフルネームが僕も初めて知ったんですけど書いてあって、たしかマツオカマサカネ。

【山下】マツオカ姓ですものね。マサカネさん。

【和田】ちょっと難しい字書くんだけど、それでいたって言って、自分が新婚で所帯を持ったときに父親が訪ねてきて、だけどちょっと、新婚所帯だったこともあったと思うんだけど、すぐ追い返しちゃうみたいな感じして、ちょっと悪かったなと思ってるって。

【三浦】それで「もう来るなよ」って言っちゃったんですよね。

【和田】そうそう。あれを僕も初めて知ったし、父親に自分から言及してるのってあれくらいしかないですね。

【三浦】お母さん、長命なんですよね。

【和田】そう。お母さん談志師匠よりも長生きされてる。

【山下】そうだったのですね。

【三浦】亡くなられたのですか?

【和田】そう聞いていますね。

【三浦】たぶん談志師匠が亡くなられたときまだご存命で。

【山下】そうですか。

【和田】お母さんのほうが長生きされていたんです。

【山下】談志師匠70何歳ですか?

【三浦】75かな?

【和田】75。

【山下】ということは90代だったんですよね。お母さん。

【三浦】もし今ご存命だったら101とかそのくらいですね。

【山下】すごく長生きですね。

【和田】101。もっとなるかな?

【三浦】もっとか。もっとかもしれないですね。

【和田】だって談志師匠が没後10年だから、今生きていれば85なんですよ。

【三浦】じゃあ全然もっとだ。105とか。

【和田】85っていうか来年没後10年なんですよ。来年21年だから。

【山下】なるほどね。

【三浦】あれですか? もう1個のラジオの『談志の遺言』ていうのはまた全然違う番組だったのですか?

【和田】『談志の遺言』ていうのは基本やることは一緒なんですけれども、これをやっているディレクターの小塙さんていうのが。

【山下】TBSラジオの。

【和田】はい。すごくよく考える人で、僕とも始める前にいろいろ相談して、文化放送でやった話もして、そのときに談志師匠ってやっぱりね、僕は談志さんて対談があまり面白くなかったと思っているんですよ。

【三浦】そうですか。

【和田】それはなぜかというと、ものすごく綱引きをしちゃう人だし。

【山下】対談相手と。

【和田】相手と。どういうふうに自分が相撲を取って1本取るみたいなことを考える人なんですよ。

【山下】なるほど。受ける人じゃなくて押す人なんですかね。談志師匠ってそういう意味では。受けてこうやるっていうんじゃなくて。

【和田】だから上手な聞き手っていうのではないと思う。やっぱり今用に言うと爪痕残すっていうか、そこで押し出しで勝ちましたみたいな結果を求めちゃう人だと僕は思っているんですよ。それと、ものすごく引っ張られもするし。相手に気づかれないように合わせてくる部分もあるし。

【山下】それもあるのですね。ここはちょっと両極なアンビバレンツなところがあるのですね。

【和田】よいしょしてないふうに見せてよいしょしちゃう部分もあるし。てなことがあって、それってアナウンサーとかが相手でもそれがあるんですよ実は。

【山下】そうなんですね。

【和田】やっぱり落語家って普段は座布団の上で一人で完結しているので。

【山下】だからかもしれないですね。漫才と違うから。

【和田】そのときにディレクターと話して最終的にそうしようってなったのは、TBSラジオの外山惠理さんていうアナウンサーが決まっていて、永六輔さんの相手とかもやっていた人なんですけれども、この人がいるんだけど、この人と二人でマイクを挟むのはやめて談志さんのしゃべりは一人しゃべり。外山惠理さんは何をするかというと、談志師匠に「今日は談志師匠に子育てというテーマについて語ってもらいます。では談志師匠どうぞ」っていうふりを別録音で。

【山下】もう、別録音なんだね。

【和田】別録音ていうのは、1時間くらい前に録るんですけど、1時間くらい前に外山さんを録って、「寒くなってきました。なんとかかんとか」っていう前振りがあって。

【山下】そこはもう外山さんいないのですか?

【和田】現実には収録スタジオの調整室っていう別室のほうにいる。

【山下】そこにはいるけど、同じところにはいない。

【三浦】しゃべってはいない。

【和田】マイクの前にはいない。

【山下】なるほどなるほど。でもそれも一つのアイディアですよね。

【和田】だから番組上は両方出ているんだけど、いわゆる天の声。天の声が外山惠理さんで、次のコーナーはなんとかですとかっていうのもふる。いろんな情報もやるんだけど、掛け合いにはしないという。

【山下】だから一人芝居であり漫談でもあるということですよね。

【三浦】それはでも当世風ですよね。今っぽいでしょうね。

【和田】だからそれは、僕はすごくうまくいったと思ってる。

【山下】それはすごいアイディアですね。

【和田】非常に珍しいスタイルですけどね。完全な一人しゃべりって少ないし、かつ女子アナウンサーが決まっているのにそういう絡まない使い方をあえてするという。ていうふうにしてやりました。それがこの文化放送版とすごく違うところで、多少一人で持つかなっていう部分はあったんだけど、それはもう全然持ちました。

【山下】さすが談志師匠。

【和田】やっぱり落語家って一人でしゃべり続ける商売なので、全然持つんだなと思いました。

【三浦】一方でMXで、ずっとテレビやってたじゃないですか。あれ結構気楽そうでしたよね。

【和田】あれは気楽だし、野末陳平さんとね。

【三浦】陳平さんとか澤田さんも出ていましたよね。

【山下】澤田隆治さん。

【三浦】澤田隆治さんと毒蝮と陳平さんがだいたいレギュラーで。

【山下】濃いですね。

【三浦】でも結構気楽そうでしたよねかなり。

【和田】陳平さんとやっぱり馬が合って、意見交換もできるし談志さんにないことを陳平さん持っているので、知識の面からしても良かったんだけど、ただMXは今言った大勢でだべることの緩さが僕は出ちゃってたなと思う。

【三浦】かなり緩かったですね。

【山下】そこがちょっと。なるほどね・・・。おっしゃることわかりますね。

【和田】特に3人とか4人で話しているときにそっちがこういうふうに話が流れていってる中でわざと逆のことを言い出す人なので、立場上ね。だからちょっと好き好きなんだけれども、それによってちょっと薄くなってしまうっていう気はしていましたね。

【山下】放送作家としての、クリエーターとしてのアレがすごくわかります。

【和田】だからTBSのは一人しゃべりでやったので、すごく僕も面白かったですね。

【三浦】そのTBSはどのくらいの期間やっていたのですか?

【和田】これは回数としては50回くらいです。

【三浦】そんなにやったのですね。

【和田】ナイターオフっていうのをもらえて、ナイターがないんですよ。野球中継がない時間、秋冬にやってたんですよ。

【山下】なるほど。

【和田】2シーズン。2シーズンやったので2年なんだけど夏場は野球やってるから、野球がないとき。

【三浦】30分くらい?

【和田】いや、1時間。

【三浦】1時間番組か。

【山下】1時間だと、生なのですか? 生放送ではない。

【和田】違います。収録で。

【山下】1時間のやつって収録するとだいたいどれくらい収録するのですか? 1時間半とか2時間とかするのですか?

【和田】ケースバイケースですけど、これの場合は最大やって1時間半くらいだったと思います。本当に直前に出す、録って2日後に出すとかいうのもありましたけど、生ではなくて録音でやりましたね。

【山下】毎回どんなことをやろうかっていうのは談志師匠とかとも意見交換するのですか?

【和田】意見交換はあまりしていなくて、こっちがこういうのでいきたいっていうのを考えて、台本とかあと今言った外山さんのしゃべりで提示して。でもまれに柳家小菊さんなんかを呼んで音曲みたいなテーマでやったことあったな。そのときはもちろん実演ね。

【山下】それはもう演奏もしてもらって。

【和田】演奏もありで。談志さんが都都逸やったりして。

【三浦】小菊さんの三味線で。それ良いですね。

【和田】あれもすごくよかった。

【山下】談志の都都逸三味線付きか。いいな。

【和田】都都逸のあれの音とかも何かどこかで公開したいんだけど、

【山下】TBSのどこかに、倉庫に残ってる?

【和田】残ってるっていうか僕のところにあります。

【山下】本当ですか?

【和田】もちろんTBSにもありますけど、すごく良い内容なんですよ。それはどういうことかっていうと、寄席芸人がやる小唄とか端唄っていうのはちゃんとした正しい節とか正しい寸法というのがあるとしますでしょ? そうじゃなくていいんだっていう考え方なんですよ。そうじゃなくて自分の側にいかにひきつけて、自分の地声でやっちゃえるのが良い芸なんだっていうのを歌うことでめちゃくちゃ実践するんです。

【山下】それは談志師匠が自分で持ってる信念なのでそれを実践する。

【和田】信念だしそこができちゃう。

【山下】それがぐっと引き付けちゃう。談志がやってるんだっていう個に引き付ける。

【和田】あれがすごく良い。小半治っていう音曲氏がいて、この小半治さんていうのは尻切れトンボっていうか後ろのほうを引っ張らない。本来普通引っ張るところを引っ張らない歌い方をする。それは圓生さんに言わせるとあれは息が続かない芸で固めちゃったからああいうふうになっちゃってるけど、談志さんはそうじゃなくて小半治はあれで良いって。自分のスタイルを作ってそれでやってるから評価がものすごく高い。これは音がないとわかりにくい話かなとは思うんですけど。

【山下】でも聞いてみたいですね。

【三浦】談志師匠のちょっと芸談ていうか芸に対する考え方が。

【山下】談志さんがおっしゃっている芸術論ていうか、芸への思いはすごくいっぱい書かれていますよね。しゃべってるし。あれはまた回を改めてですね、わりとこれの和田さんの『落語の聞き方楽しみ方』。わりと、そこの本質を書いてるじゃないですか。落語の。これはまたもう1回別の回で。芸術としての落語が持っている本質が書かれていて、さっき読み返してすごく良かったです。

【和田】あの本は今、玉川奈々福さんて言う浪曲師がいるんですけど、奈々福さんが当時筑摩書房の編集者で長嶋美穂子さんていう本名でね。ていうか2足の草鞋だったんだけど。

【山下】2足の草鞋だったんですか。

【和田】そのときに長嶋美穂子さんがこういう本書きませんかって言って立案してくれて書いた本なんです。

【三浦】そうですか。

【山下】これは僕ものすごくいろんなところページ折ってるんですよ。

【和田】ありがとうございます。

【山下】これ実はマツモトさんにサインもらってる。

【三浦】本当だ。

【山下】そうなんですよ。

【和田】僕が当時松本尚久でして、その後「和田」に名字が変わったんですけどそのとき出したもの。

【山下】そうですね。本当にありがとうございます。

【和田】これはちょっと今読むと、そのあとほぼ僕この論旨で変わってないんですけれども。

【山下】変わってるところもある?

【和田】コントの話とかをちょっとしているんだけど、ちょっとだけ増補したい部分もあって、うまくしたら増補版みたいな。

【山下】増補改訂版良いですね。

【和田】落語に関してはこれでだいたい言い尽くしたんですけど。

【山下】本質がね。

さっきのラジオの話にもう1回戻りますけど、あれですか? この『談志の遺言』というのを2年間やって、それはいつやっていたのですか?

【和田】2005年と2006年です。

【山下】2006年というと本当に落語が大ブームになったっていうときじゃないですか。

【和田】大ブームっていうか、そうですね。そのときは、状況は良かったですね。

【山下】私が「落語」をすごく見始めたのが2006年で、『タイガー&ドラゴン』というドラマがあって。

【三浦】末廣亭で撮影したってやつ?

【和田】そう。

【山下】そうですかね。

【三浦】国分太一?

【山下】国分太一だったかな? あれ? 違うな。長瀬さんかな。

【三浦】長瀬さんのほうか。

【山下】長瀬さんですね。それで宮藤官九郎の脚本だったので見てたんですけど、そのときに三浦さんたちが「落語」によく行かれていたので、それで僕もそこから見るようになったんです。そうすると落語がブームだった頃にこのラジオの番組やられていたということですよね。

【和田】そうですね。だから大銀座落語祭とかも。

【山下】ありましたね。行きました、行きました。

【和田】あったはずだし。SWAとかね。

【和田】そうです。SWAとかね。それとか『タイガー&ドラゴン』あったりとか、このときは落語は悪い状況ではなかったですね。

【三浦】そうですね。2000年代、21世紀に入ってちょっと生き吹き返した感がありますよね。

【山下】やはり21世紀くらいになるとわりと下火だった落語がみんながわりと聞くようになって噺家さんも。

【三浦】もちろん談志師匠のところの志の輔さんとか、談春さん志らくさんすごい出てきて頑張ってるし、やはり、志の輔の影響大きいですよね。

【山下】そうですね。確かにね。

【和田】もちろん大きいです。志の輔さんはたぶんParcoのお正月公演を2005年に

【山下】2005年くらいから始められたのか。

【和田】なのかな。

【山下】Parco1カ月公演ね。

【和田】最初はもっと短かったんですけど。

【山下】そうなんですか。

【和田】5日間とか1週間とか。

【山下】いまや、1カ月まるまるね、すぐにチケットが売り切れるという。

【三浦】志の輔さんなんといっても全国区ですからね。

【山下】そうですね。

【三浦】国営放送局のあの番組。

【山下】あの『ためしてガッテン』はParcoをやる前から出てらっしゃるんですか?

【三浦】だと思いますけどね。

【和田】だから落語が冬の時代に、東京だとやはり小朝さんと志の輔さんがこの二人がメジャーなものにしてくれたということですね。

【山下】その発火点のきっかけとして談志師匠っていう存在は大きいっていう。

【和田】大きいですね。だから半ば無理やりなんだけど、現代の中に落語という芸能がちゃんとあるんだということ、現代人にも関係があるんだと。

【山下】現代にちゃんと接続をしていったっていうことですね。

【和田】接続してるよっていうのをすごく主張していました。ただ談志さんていうのは晩年の芝浜だなんだってやったときはものすごい動員数あったんだけど、その前はそんなすごい動員パワーじゃなかったですよ。

【三浦】そうですか。

【和田】それは落語界全体がそうだったとも言えるし、さっき言った第一生命ホールなんかもちろんそうだし、「ひとり会」って国立演芸場で毎回やっているんだけど、「ひとり会」なんて当日行って普通に入れましたからね。

【山下】そうですか。

【三浦】驚きですね。私が聞くようになってからは演芸場の「ひとり会」はなかなか取れなかったですね。それこそやっぱり初日じゃないと。発売の。

【山下】そうですね。「ぴあ」のところに並んでボタンを押してとかね。

【和田】最後の晩年はどのくらいかな。まあ6、7年くらいはすごくお客さんが入るようにはなっていましたね。

【三浦】でしょうね。

【和田】でもそれ以前はたぶんこれぶっちゃけて言ってしまうと、動員パワー自体は志の輔さんのほうが上だと思います。

【三浦】動員パワー自体は。

【和田】そうそう。だから内容じゃないですよ。じゃあ談志さんにParco1カ月開けますと。1カ月やってくださいって言って行ったときに、最晩年だったら満員だったと思います。動員パワー上がっていたから。だけどそうじゃなかったらどうかなって。

【三浦】2000年前後くらいだったら。

【和田】前後くらいで1カ月間開けますからどうぞ2時間やりませんかって言ってもやっても良いんだけど、埋まったかどうかはちょっとわからない。

【山下】談志さんの芸風って、アバンギャルドなところがあるじゃないですか。だからアバンギャルド演劇とかをやってもそんなにお客さん来ない。それが、ちょっと似てるかな?

【和田】そうです。だからこれは別に言うまでもないことですけど、今言ってる話っていうのは内容と比例してないです。内容との比例ではなくて、お客を呼んだっていう意味では東京ではやっぱり志の輔さん、小朝さん。この二人かなという気がします。

【三浦】それはそれでやっぱり落語が世間に広がっていくための一つの大きな力を果たしたということですよね。

【山下】そうですね。でも両方というのが良かったんじゃないですかね。アバンギャルドなのとわりと対照的なものとで。

【三浦】アバンギャルドのほうで談志師匠の存在感ていうのが歴然としてあったわけですものね。

【山下】そうですよね。

【和田】これは談志師匠の話から反れてしまかもしれないうんですけれども、来年没後10年で、談志さんがいなくなってからだいたい10年近く経ったわけですよね。それで、この10年の流れを演芸会に関して簡単にいうと、やはり寄席の逆襲って感じがします。

【山下】なるほどー。

【和田】喬太郎さんだとか一之輔さんだとか神田伯山だとかその他の人たちが、やはり落語とか寄席演芸にとって一番メインの場所は寄席なんだと。主戦場は寄席なんだと。それの別バージョンとして独演会があったり、地方のホールでやったりとか、あるいは例えば新橋演舞場で落語をやったりとかあるんだけど、主戦場は寄席なんだと。寄席っていうのは面白いし、ちゃんとした芸もできるんだというのを今言ったような人たちが、一之輔さんなり喬太郎さんなり神田伯山なり、三遊亭遊雀とかあの辺も含めて実践している、証明しているっていう感じがするんです。

【三浦】それはまだ現在進行中ですよね。それに関してはね。

【和田】進行中だし、ここ10年の間にパワーが強まっていると思います。

【山下】そこに人気が出てきているということですよね。大衆的にも。寄席にみんな集まるし。

【和田】寄席を芸人も大事にするし、お客さんもここにはこういう、演目とかも何も予告されてないけど楽しさがあるし、当日行ってみたらこんなことが起きるっていうある種ライブ感みたいなものもあるし、面白いなっていうふうになってきて。

【三浦】それはやっぱり観客も一つ、まあこういう言い方するとよくないかもしれないですけど、成長しているっていうか熟してきているみたいな感じですよね。見る側もね。

【山下】でも社会が成熟して来ていますよね。日本がわりと2000年代、10年代、20年代になってからすごく成熟を感じます。それは本当に他の芸術を見ても。

【和田】僕は結構好きな人だったな。柳家喜多八さんていう。

【三浦】喜多八さん私も結構好きでした。

【和田】あの喜多八さんはすごく売れているのと無名の中間くらいというか、まあまあメジャーだったと思うんだけど僕は。ホール落語とかもよくご出演されていましたけど、喜多八さんが30周年の記念の回があって、博品館で3日間独演会をやったんですよ。小三治さんが1日出て、志の輔さんが1日出て。志の輔、喜多八ってほぼ同期なんですよ。

【山下】そうなんですね。

【和田】それがあって小朝さんが1日出たんですね。僕小朝さんのとき行ったんです。博品館3日とも完売してやったんだけど、小朝さんがまくらで言っていたのは今はお客さんのレベルが上がったので、喜多八さんみたいな人を見つけてくれるようになった。

【山下】素晴らしい言葉ですね。

【和田】そう。だから喜多八さんみたいな人がこれだけきっちり完売してちゃんと成立しているっていうのはお客さんのレベルが上がったからだって。これは昔だったらテレビに出ていない、マスコミに受けていないっていう人はイコール客が入らなかった。だけど今はそれが別に関連性なくなった。喜多八さんて正直別にテレビとか出てないですよね。

【三浦】出てないですよね。笑点にも出てないですからね。

【和田】笑点もラジオも出てないじゃないですか。だけどちゃんとお客さんの感度が上がったので、ちゃんと入るんですよ。小朝さんはこういうふうになったから今非常にありがたいし、僕らもとっても良い状況ですって言っていてその通りだと思う。

【山下】良いことですね。観客が口座を作るということですね。

【三浦】喜多八さんは本当にファンついていましたものね。

【和田】そう。

【山下】そうなんですか。見てみたい。

【三浦】あの独特のボヤキから。

【山下】ボヤキから? まくらがボヤキ?

【三浦】いつの間にか喜多八の世界に引きずり込まれて。

【山下】今度行ってみます。

【三浦】いや、もう亡くなっちゃったんですけど。

【山下】あああああああー…。そうなんですか。

【和田】喜多八さんは小三治さんより先に亡くなり、右朝さんは志ん朝さんより先に亡くなり。

【山下】そうなんですね。残念です。

【和田】だからその人なんかは本当にテレビなんか全然出てなかったけど、でもファンは認知しているし、そういう記念会やるって言ったら3日間博品館満員にもなるし。ていうのはお客さんのレベルが上がったから。

【三浦】それ、3日間のうち1日私も行きましたね。

【山下】そうですか。それは何年くらい前だったのですか?

【三浦】どのくらい前ですかね。

【和田】やはり10年くらい前ですかね。

【山下】じゃあ震災の前後?

【三浦】博品館というと当時勤めていた会社と近いので、博品館はすぐ行けていたので。チケットさえ取れれば。

【和田】さっきの話に戻すと、今は寄席っていうのがすごく盛り上がってるし、芸人にとっても主戦場、お客さんにとってもこういう値打ちのある場所なんだっていうのがわかってきたと思うんだけど、そこから僕が逆に思うのは、やはり談志さんて寄席じゃないところにすごいものがあるんだぜっていうものをものすごく強いパワーで言ってたなって気はします。

【山下】それをやって教えてくれた人かもしれないですね。1回外に出てみるとわかるという。

【三浦】寄席出られなくなりましたからね。

【山下】そうですよね。

【和田】それで、寄席を仮想敵みたいにしていましたからね談志さんは。ああいうところで取りをとったって芸なんかできやしないんだよって言ってたんですよ。よく「ひとり会」とかで。やっぱりちゃんとした芸をやるんだったら独演会とか、つまり俺が今やっているようなスタイル良いわけであって、あるいは志の輔っていうのがいるだろうっていうふうに言って、寄席っていうのはあるんだけど、主戦場じゃないみたいな言い方していたんですよ。だけどそれは今になってみるとやはりものすごく無理をして言っていたんですよ。

【三浦】本人は、どこかに寄席っていうものは大切にすべき場所だっていうのはあったわけですよね。

【和田】それめちゃくちゃあったと思うんですよ。

【山下】でも言えなかったんだ。

【三浦】出た以上は口が裂けても言えないですよね。

【和田】あとそれとさっき言ったみたいにそういう役割を与えられた人なんだっていう。

【山下】神から与えられたのね。

【三浦】ある種自分から選択したともいえるし、十字架をしょったって言うこともいえるかもしれないですね。

【和田】でもそれがやはり不在になってみると、半ばものすごく無理をしてそれをおっしゃっていたんだなっていうのはわかります。だから今はすごい重力の人がいなくなったから、まあいなくなったからって言っちゃってよいのかわからないけど、寄席パワーが復興しているなという感じがしますね。

【三浦】ここ10数年で寄席に出る落語家で良い人いっぱい出てきていますよね。

【和田】あとインターネットも大きいですよね。

【山下】そうですね。確かにネットで見られるようになったからな。

【和田】だから今日誰が出ますとか、今日こんな演目だったですとか、それが盛り上がるんですよね。

【山下】そうか。即時性があるから。あと口コミが広がりやすいですよね。

【三浦】じゃあ明日行ってみようとか。寄席の場合はすぐ行けますものね。

【山下】確かにそうですね。空いていれば行ってみようかなと思うから。

実はですね、もう時間が過ぎてですね、やっと聞きたいことの半分くらい行ったかなっていう感じですけど、次回も立川談志師匠と立川流の話を引き続き続けていきたいと思いますが、また和田さんにも来ていただいて。

【三浦】いろいろお話を。

【山下】本当に今日はありがとうございました。

【和田】ありがとうございました。

【山下】また来ていただくので、最後にちょっとお知らせだけします。

本番組はTFC LABのPodcast station BRAIN DRAINの番組です。BRAIN DRAINではノートを開設しております。本日のトーク内容とか補足をテキストベースにしてノートで読めるようにもしていきたいと思いますので、また次回よろしくお願いします。ということで、三浦さん、和田さん、今日はありがとうございました。

【三浦】ありがとうございました。

【和田】ありがとうございました。

【山下】では皆さんさようなら。また次回!

【三浦】ありがとうございました。


担当:越智 美月
今回もご依頼ありがとうございます。
2006年くらいに落語がブームになったと山下さんがおっしゃっていましたが、私はちょうどその頃にNHKの朝の連続テレビ小説で落語を取り上げていたのを見て、少し興味を持ちました。今は立川志らくさんや三遊亭圓楽さんなどがバラエティー番組に出演されていて、私を含めて落語家さんを身近に感じる人が多くなってきたと思います。落語家さん自身がテレビやラジオに出演したり、この番組のようにいろいろな落語家さんのことを紹介したりすることで、もっと一般の人たちに落語が普及して行ったら良いなと思いました。
今後とも引き続きよろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?