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【PODCAST書き起こし】和田尚久さんに、立川談志と「立川流」「名跡」「馬生」などについて聞いてみた その3

【PODCAST書き起こし】和田尚久さんに、立川談志と「立川流」「名跡」「馬生」などについて聞いてみた その3

TFC LAB PRESENTS! 集まれ! 伝統芸能部!!

【三浦】わりと全てにおいて弟子に対する評価とか思いというようなものもそういうことがあったんですかね? どうなのですか?

【和田】自分の弟子?

【三浦】自分の弟子。こいつは良いって言っていてもどこかではやっぱりダメだあいつはって言ったりする。まあ弟子はまた別ですかね。

【和田】それも二面あって、例えば門下生で立川龍志さんとか。

【三浦】龍志。

【和田】ちゃんときちっと守ってっていうかな。伝統的な芸をやっている人を評価する部分てあるんですよ。マスコミ出ているとか、観客を何人動員したっていうものではなくて、ちゃんと守って継承しているっていうのを、それ自体に値打ちがあるっていうのを談志師匠って実はすごく持っている人なんです。一例として、龍志さんとか「うちの龍志を見てくれ。これはこう守ってる」みたいな言い方をするわけなんですよ。これは自分のお弟子さんじゃないですけれども、同じ兄弟弟子の小さん門下で例えば柳家小里んさんていう人がいるんだけど、小里んさんていうのは5代目小さん師匠のある種「完コピ」っていうか、まんま継いだようなことをやった方なんだけど。小里んさんに会って、「おまえはなまじへんな現代を入れたりとか、アレンジじゃなくて小さん師匠のまんまやっている。それ自体に値打ちがあるんだよ」っていうふうなことをおっしゃるわけです。それが一面。その一方で、前回のお話でも言いましたけれども、落語っていうのは世の中にアピールする、現代人にも「落語って値打ちあるんだ。俺たちと関係あるんだ」って思わせたいわけですよ談志師匠は。今言った守っているサイドの人たちだけだとその現象って起きないじゃないですか。特に一般の人たちにとって無関係なものになっちゃうでしょ? だから、特に立川流以降は談志師匠はそれをすごく考えたはずなんです。それで最も評価したのが志の輔さんですよね。

【三浦】志の輔。

【和田】志の輔さん、志らくさん、談修さん。志の輔さんが一番。それは志の輔さんの、なんていうのかな。例えば小さん師匠から来ている芸を守っているとか、そういうタイプの芸では全然ないんですよ。なんですけれども、現代人にコミットする。それから現代人に落語というものがあるというのを知らしめるし、そこに出ていってやっている。という意味においてものすごく評価している。志の輔さんがやっている芸っていうのは、いわゆる談志さんのコピーではないんですよ全然。

【三浦】そうですね。

【和田】だからそういう意味では継いでいるとは僕は言えないと思うんだけど、その活動にとても値打ちがあるということですよね。

【三浦】だから志の輔さんはそういうのを意識してかしてないかわからないですけど、おのずとやっていくことにどこかで気づいたということですよね。現代にコミットしながら。

【和田】それを早い時期に偶然なんだけれども、談志さんが立川流を作るときに前座だった。純粋立川流育ちの第1号の。

【三浦】寄席を知らない弟子の第1号ですね。

【和田】面白いんですけど、志の輔さんが談志さんの門をたたいたときは実は落語協会時代なんですよ。

【三浦】なるほど。まだ落語協会にいたと。

【和田】いたんですね。口座に上がる前にカバン持ってついて行った時は落語協会時代なんですよ。そのときにまさに脱退しているんです。だから寄席を知らないんです。

【三浦】寄席には志の輔さんは1回も上がっていないのですか?

【和田】上がっていないです。ギリギリね。だから脱退が1、2カ月ずれていれば、出ていたかもしれない。83年の…。これ、この間、偶然僕資料調べてわかったんだけど、83年の5月のゴールデンウィークの興行があって、それが立川談志が寄席に出た最後なんです。

【三浦】そうなんですか。

【和田】5月の10日まで。

【三浦】それ一番お客が入るときの興行ですよね。どこに出ていたのですか?

【和田】鈴本。

【三浦】鈴本か。

【和田】当時やめると思ってないですよ本人も。結果的にそれが最後。記録見たらそのあと出てないってわかったんですけど。志の輔さんはそっちに早い時期に気づいてシフトしたんだと思います。

【三浦】そうですね。もう俺寄席に出ることないんだなって思ったら、結局自分の芸とか人に見せる機会もなかなかないですし、工夫しないといけないと思ったんでしょうかね。

【和田】考え方によるんだけど、たぶん、志の輔さんのお考えというのは旧来の落語会の中で名人芸とかうまいね、例えば小さん継いでるね、圓生さん継いでるね、文楽の継いでるねってなったときに、それってでも評価する人とか手たたく人って数千人とか1万人の落語ファン。

【三浦】非常に狭いコミュニティーを。

【和田】落語ファンの中で「結構だね」って言われるのしかないよねっていうことを考えていると思うんですよ。たぶんね。

【三浦】そうですね。

【和田】だとしたらそっちじゃないんだと俺は。その中で「いや、この人は本当に良く出て結構ですね」っていうのを目指さないとって、そういうふうに取ったんだと思います。前に僕、談春さんと話したときに「うちの兄の志の輔は、うまい芸なんてやろうと思ってない」って。それすごく面白い言い方だなと思って。うまい芸ができるとかできないっていう話じゃなくてやろうと思ってない。

【三浦】やろうと思ってないっていうのはそうか。

【和田】なるほどなと。それはうまい言い方だなと思って、うまいというか適切な。だから名人芸思考じゃないんですよ。名人芸じゃない、なんか退けたいっていう意味ではなくて、そもそもそう思ってない。

【三浦】結果的にうまくなっても良いけれどもっていうことですよね。

【和田】そうそう。そういうことです。そのレースに参加してない。

【三浦】最近あまり実は志の輔さんの会って行っていないんですけど、チケットが取れないっていうのもあるんですけど、過去に結構行っていたときに必ず自分のスタッフと作った新作をやって、後半に結構人情噺のいいネタ持ってきますよね。やっぱり人情噺のいいネタ聞くと確かにうまいなと思うんですけど、それよりもなんかこの感じわかるなっていうふうなようなそういう感覚に陥るようなところがありますね確かに。全然過去の話を客観的に聞くというよりは身につまされるとまでは言わないんですけど、肌感覚が本当に悲しいなとか、良かったなとか、そういうふうな空気感に包まれるような話だなと思った記憶はあります。

【和田】だから自分の実生活につながるとか、関係がある話になるということですね。

【三浦】なるんですね。もちろん時代は江戸だったりなんかしてもなんですけど。

【和田】だとしたら、それはだからまさに狙ってる。

【三浦】こういう感覚って大事だよなっていうふうにまで思いを至らせるような感じは確かに思いましたね。

【和田】だから、他の演劇のジャンルとかでも昔に書かれた台本をやるのってそこが意味ですからね。

【三浦】そうですね。

【和田】完全な無関係だよねってなっちゃうとちょっと意味が薄くなってしまって、例えば何百年前の1600年代の話であっても自分身につまされたりとか。

【三浦】そうですね。そのときの精神がどう今生かされているかとか、みずみずしく伝わるかっていうのはありますものね。

【和田】だから今の感想は志の輔さんがまさに狙っているところなんじゃないかな。

【三浦】なるほど。だとするとよくわかるな。志の輔さんの思っていることがなんとなくわかる気もしますね。

【和田】僕は志の輔さんのParcoの公演とかに行って感じたのは、このお客さんをよく育てたな、あるいはよく集めたなと思うんですよ。それはどういうことかというと、今おっしゃったような例えば100年目みたいな話をやったときに反応がビビッドなんですよ。だから良い反応をする。初心の反応をするし、本当に主人公が困って窮地に立たされたところではそれに寄り添うし、別の展開見せて例えば面白い展開になったときはそれを面白がるわけなんですよ。これは、僕いろんな会に行って落語のマニアとか通とかが寄り集まって楽に集まった会だとその空気にならないんですよ。ならないんですよね。普通の人が、例えば普通のOLさん、学生、自分で起業している人とかが良い感じに集まって、世の中の縮図っぽくなっているわけですよ、志の輔さんの客席って。

【三浦】いろんな客層がそこに集まって。

【和田】だからマニアをよってではなくて、だから反応がビビッドなんですよ。そのシチュエーションを作っているわけ。

【三浦】そうですね。

【和田】そこは感心します。

【三浦】マニアはたぶん一つの古典落語だといろいろ過去をほじくり出して比べたりすぐしますよね、聞いててね。それはそれでもちろん一つの聞き方として本人の楽しみだからありだと思うんですけど、確かに志の輔さんの会はそういうのとは無縁な気はしますね。

【和田】しますね。それってお客がある程度入れ替わってるっていうことなんですよ。

【三浦】そうですね。

【和田】入れ替わらないとそうならないから。

【三浦】そうか。そうすると志の輔落語に来ていた人たちがある日「志の輔さんの落語面白いけど、ちょっと俺マニアの方に行ってみよう」っていう人もいるんですよねきっとね。

【和田】当然いますよね。かといって普通に切符売ってるわけだから、あなたもうそろそろ卒業してくださいって言えないじゃないですか。

【三浦】言えないですね。

【和田】やる側から言えないじゃないですか。だから自然に入れ替わっている、ブレンドされているんですよ。

【三浦】わかった。わかりました。それであれなんだ。例えば『牡丹灯籠』を夏にずっとやるじゃないですか。あれしつこく毎年やりますものね。それがお客の新人代謝を上手に促していますね。「もういいや。俺3回これ聞いたからちょっとじゃあ『牡丹灯籠』は他の誰かで聞いてみよう」って。そういうことですね。

【和田】あれって特に筋の説明とかの比重が大きいわけですよ。

【三浦】大きいですね。なんかホワイトボードに書いたりしますよね。あれ結構わかりやすいですけどね。

【和田】あれとACTシアターでやってた中村仲蔵は同じ演目を毎年やるんですよ。忠臣蔵との関係とかをやるわけなんですよ。

【三浦】そうそう。あれ忠臣蔵でやっていますものね。

【和田】そう。1回とか聞けば、理解できればもう知ってる情報じゃないですか。忠臣蔵の四段目での話とか知ってるわけだから、おっしゃるように入れ替わってくださいねっていうやり方なんですよある種。だからそういう設計っていうのはすごく良くできていると思うな。

【三浦】そうですね。落語の裾野も観客の裾野もすごく広げていますよね。

【和田】そう。だからある種、自分を犠牲にしてっていう部分はある。

【三浦】そうかもしれないですね。

【和田】だから本当に毎年やるのは志の輔さんがこのモチベーション維持するの大変かなと僕は思うんですけれども。

【三浦】そうかもしれないですね。

【和田】だって同じことやるっていえばやる。

【三浦】確かにParcoももちろんネタは少し変わっていきますけど、基本的にはさっきちょっと申し上げた前半新作、後半古典人情噺という構成はあまり変わらないですものね。

【和田】そうですね。でもこれは前、糸井重里さんが矢沢永吉のコンサートのことを語っていて、糸井さんて矢沢永吉の初期からのパートナーだから、感心するのは新しい客を入れているっていうふうに言っていて、つまりあれほど人気があってファンががっちりいる人だったら、従来いるファンで回るわけですよ。全然回るわけですよ。あの規模だったら要するに横浜アリーナの3万人でやってもファンで回るはずなんだけど、そこに新たな客を入れていると。

【三浦】呼び込んでいる。

【和田】そう。呼び込んでいる。だから空気が変なふうにならないんだっていうふうに言っていて、それはすごく大事なことだと。

【三浦】大事ですね。

【和田】そこのファンがいます、そこで回しますになっちゃうとたぶんよどんできちゃう。

【三浦】そうですね。そういう集まりができると部外者を排除していくような感じって出来ていくんですよね。だからあそこ入れないな、入っていけないなっていうような。それを矢沢さんもそういうことは一切なく、鮮度を保ちながらいろんな興味ある人若い人たちにも今までその世界を知らなかった人がどんどん入っていけるっていうのは良いことですよね。

【和田】そうですね。さっきも言ったように、それってやる側からは究極的には選別できないので、みんな買う側の人間だから。だからそこをうまくやる。

【三浦】かつ、マンネリに陥らないでやるっていうのはすごく難しいことかもしれないですよね。だから、入れ替わっていく観客が醸成していく一つの空気なのかもしれないですし、それを大きく動かしているのが矢沢さんだったり志の輔さんのチームだったりしているのでしょうねきっとね。そういうお話聞くと、改めてもう一度志の輔さんの会に行ってみたくなりますね。

【和田】僕なんか落語マニアなので、志の輔さんの会とParcoの会とか比べたときに、正直言うと志の輔師匠が見せたい対象って僕じゃないんだろうなって思うんですよ。僕みたいな人が100年前圓生はこうだったよねとか、圓朝はなんとかでねって思っちゃうんだけど、そこは別に見せたくないんだろうなっていう。まあそういう人が座っていてもいいけどねっていうくらいの感じで。ていうのは正直感じたりはしますけど、ただ全体はさっき言ったように、お客さんの反応とかも見て正解をやってらっしゃるなっていうことは思うんだけど。

【三浦】そうですね。やっぱり大多数の人が喜ぶっていうのはとても大事ですものね。

【和田】大事です。それってだから言ってしまうと談志さんができなかったことなんだよね。

【三浦】なるほど。

【和田】談志師匠の会って行かれてますよね。晩年。

【三浦】え?

【和田】談志独演会とか。

【三浦】行ってます行ってます。

【和田】行ってますよね。談志独演会とかってまさにマニアを残しちゃった会なんですよ。

【三浦】なるほど。

【和田】特に国立演芸場の会は。

【三浦】そうですね。

【和田】ひとり会は、これはあの人のアートの部分なんだけど、ついてこれるやつだけ残れっていうメッセージを発しちゃったんですよ。俺はこれでやると。これでも残るやつは残れと。わざとカタルシスがないようなことをやったりとかして、面白かったねっていうふうに終われないような会をやったりして。

【三浦】それもすごいですけどね。

【和田】そうそう。それでもご自身は不完全ていう言い方をしたりとか、本当に不完全なまま投げ出して、「俺は下手にやってる」みたいなことを自分で言ったりして。それでもドキュメントの側面を面白がる人は行くわけですよ。残るわけなんですよ。特に国立の会っていうのは定例会でやっていたから、最後のほうは、まあ一番最後はあの会やめちゃったんだけど、ひとり会は本当に煮詰まった客だけが残って、志の輔さんとは逆。

【三浦】いつ行っても同じ顔触れでしたよね客が。

【和田】いや、そうですよ。

【三浦】びっくりするくらいに。トイレに行くと、もちろん話はしないですけどああまた会いましたね、みたいな人たちばっかりでしたよね。

【和田】だからあれはああいうふうに客を選んで行っちゃうとこういうふうになるんだっていう難しさは感じた。当然そういうふうに残した客だから、あんまり笑わなくなるんですよ。

【三浦】笑わないですね。

【和田】笑わなくなるんですよ。そこの点が辛いところで。

【三浦】あとはみんな結構考えていますよね。これはどういう意味なんだろうっていうようなこととか。真剣だから、客席はすごく不思議な空気が漂ってたっていう気は確かにありました。そのあたりのお客さんたちは今どこへ行っているのでしょうか? 談志ひとり会を見ていた人たち。やはり談春の会に行くんですかね? 談春の会も結構固定したファン層多いですものね。

【和田】そうね。だから談春さんは談志師匠の芸の側面を継いでいらっしゃる方だと思うので、談志さんがこれこれこういう芸をやっていたよね、ちゃんとわかりやすく「小猿七之助」やっていたよねって言って、ああいう感じのもの聞きたいなってなったときには談春さんの会に行くと思う。それは志らくさんや志の輔さんではないと思う。

【三浦】なるほど。

【和田】だからじゃないかな。

【三浦】そうですね。じゃあやっぱり今、立川流の談志さんの弟子で結構一番有名になったのは志の輔さん、志らくさん、談春さんですけど、三人三様の当然各々の生きざまがあるということなわけですよね。

【和田】そうですね。だから談春さんは談志師匠の芸の部分を継いで、なおかつ志の輔さんのポピュラリティーというか、落語の1万人を落語人口1万人じゃないところに発信するよっていうのを当然やってらっしゃるわけで、そのバランスを混ぜてやってるように見えますね。

【三浦】志らくさんていうのはどうなんですかね?

【和田】志らくさんは僕はちょっと最近あんまり聞いていないんですけど。

【三浦】私も実はあんまり聞いてないです。

【和田】志らくさんはその三者でいうと、ある種のアートだと思う。アートっていうのはどういうことかというと、僕が良いと思ったんだからそれを提示しますよって言ってたんだと思う。

【三浦】それは談志さんがやっていたことと通じるものがありますよね。

【和田】通じます。だから基準をオーディエンスとかアンケートでみんなの満足度とかそういうところにおかないで、自分が良しと思っているものを提示する。

【三浦】発信したいことをやると。

【和田】そうそう。だから談志師匠は志らくさんいわくなんだけど、俺の凶器の部分を継いでいるらしいから。

【三浦】そういうのありましたね。

【和田】スタンスとしてはそうかな。あのね、志らくさんて僕とても共感するのは、談志師匠と話していると地方の仕事に1回行ったときに、例えば九州の大分県のなんとか市に呼ばれました。呼ばれたときにここの人って落語知らないよなっていうふうに判断するわけですよ。出る側は。

【三浦】談志さんは?

【和田】いや、じゃなくて普通の落語家。だったらすごくわかりやすい話をしておこうかなとか、あんまり難しい古代話みたいなものはやめておいてこの辺の感じかな、みたいなのを探っていくわけですよ。探って、この辺の水準だろうなと思うものを見せるわけですよ。わかりやすい。だけど、談志師匠が僕に言っていたのは、俺は地方に行ってレベルを下げるということはしたことがないと。自分が提示したいものを提示して「ここまでついて来い。わかるな。よし。じゃあやるぞ」っていう無言のラリーをしながらやると。地方に行ったからこのレベルでいいだろう、ここに下げるぞっていうのは俺1回もやったことがないって言っていて、それすごく素晴らしい選択なんですよ。

【三浦】そうですね。お客さんに対しても失礼じゃないですよね。

【和田】そう。馬鹿にしてないっていうことですよ。馬鹿にしてないで、俺のこと聞きに来ているんだからこのくらいわかるよな、ここまでついてこれるよなっていうのを常にやっていると。志らくさんもその感覚っていうか了見、根本的にいえば了見がある人なんですよ。ご本人が言っているのは田舎に行ったときにも例えばシネマ落語って、映画を落語化した、彼がやりたいことですよね。志らくさんが。それをぶつけると。初めて呼ばれた例えば秋田県のなんとか市みたいなところに行っても、それは自分が表現したいものなんだからそれをぶつけて、外れるかもしれないんだけど「どうですか? ジャッジしてください」っていう、それに意味があるんですよ。

【三浦】それを受け止めてくれと。

【和田】もしかしたら客に「なんだこれは。こんなの聞きたくないよ」っていうことになるかもしれない。

【三浦】そういう人は次行かなきゃいいっていうことですものね。

【和田】でもそれがアートといえばアートですよね。そこはすごく良いなと思っていて、地方で僕がそこの客席にいたことはないんだけど、その話を聞いてそれは談志イズムだなっていうのはすごく感じます。

【三浦】そうですね。談志さんの会、何度か地方っていっても大都市ですけどね。仙台とか行ったことありますけど、確かに別に変わらないですものね。

【和田】でしょ?

【三浦】東京でやっているのと何も変わらなかったです。

【和田】地方に行って突然営業芸みたいになっちゃったら悲しいじゃないですか。

【三浦】そうですね。確かに。談志さんは談志さんの。

【和田】客を馬鹿にしてないっていうことですよね。

【三浦】そうですね。

【和田】それはすごく大事なことだと思うな。

【三浦】客によって話のレベル変えたりするのってあまり良くはないような気がしますよね。

【和田】良くはないですよ。笑いの芸の人って良くはないんだけどそっちが大半じゃないかっていうところはある。

【三浦】なるほど。昔聞くのは寄席で客の雰囲気で結構そういうの変えていたっていうふうに話は聞きます。

【和田】それはありますよね。

【三浦】お客さんの反応で、今日の客あんまり反応が良くないなと思うとちょっとわかりやすいものにしてみたりとか。あとよく笑いすぎる客とかも馬鹿にしてたりしていましたものね。昔は寄席で。

【和田】さっきの話で三浦さんに逆に伺いたいのは、談志さんのひとり会に行っていたって言っていましたよね。亡くなりましたっていったときに小三治に行ってます?

【三浦】そうですね。そのまま談志さんいなくなったからこれからは小三治の会に行くことにしようとはならないですねやっぱり。

【和田】ですよね。

【三浦】もちろん小三治の会に行ったことがないわけじゃないですけど、過去にまだ談志さんがご存命だった頃に鈴本演芸場で小三治が『ラクダ』をフルバージョンでやったときがあって、これがまくら長いじゃないですか。まくらから『ラクダ』のフルバージョンなので、落合の焼き場に持っていくのに途中で落っことしますよね、ラクダを。それで乞食坊主が拾ってきて焼くっていうところまでやったんですけど、もう2時間超えていましたね。

【和田】えー!!

【三浦】今何時だよっていったらもう11時なんですよ。

【和田】まじですか?

【三浦】もうそれびっくりして。でもそれの印象が小三治に強くて、これ結構本気度が半端じゃなかったなと思ってそれ結構嬉しかったんですよね。ただ、そこまでのことは小三治師匠はもうやらないので、たまたま三三と一緒に出たりする会とかにちょっと行こうかなと思いますけど、何が何でも小三治の会に行こうとは思わないですね。だから談志師匠が亡くなったあとは若干空白がありつつ、やはり若いほうに行きますね。若い人たち。直接的にそうなったとはいえないかもしれないですけど、ようやくそこで、柳家に結構目を向けられるようになったのかもしれないですね。今まではやっぱり談志、志の輔、志らく、談春を筆頭にして立川流ばっかりを追いかけていっていたのが、談志師匠がいなくなってもちろん談春さんの会とかは行くんですけど。それこそ和田さんや山口さんにいろいろ教えてもらって「さん喬」いいですよとか。そういうの聞くと、「そうか。今まで考えてみれば「柳家さん喬」さんとか全然行ってなかったな」と思って、そこでようやくさん喬太郎師匠とか、行くようになったっていう感覚ですね。小三治さんにはそのままシフトは全然しなかったですね。

【和田】そこは確かに僕の感覚としてもシフトしにくいと思うんですよ。

【三浦】ただ、固定ファン当然ついていますよね。小三治にはね。

【和田】もちろんいます。

【三浦】たくさん見ているわけじゃないのであんまりなんとも言えないですけど、けっこう小三治師匠もネタが最近決まってきている。ここ何年もそのようなところがあるので、あまりいろんなものが聞けないのではないかなと。『小言念仏』人として。軽く言うと『小言念仏』ばっかりですものね。

【和田】『小言念仏』は以前から得意ネタであり、ちょっと適当にやっている。はっきり言ってしまうとそういう感じかなと。

【三浦】そういうときが少し重なると、まあ重なってはいないんだけれどもそんなにひたすら追い続けるという、談志ひとり会のようには当然いかなかったですね。だから、談志師匠がいなくなって聞く落語家さんの間口は自分にとっては増えていったような気はしますね。

【和田】芸で継承というか、志ん朝さんがいなくなって、志ん朝さんがなくなった部分をどこに求めるかというのが難しくて、結論から言ってしまうといないんですよ。

【三浦】そうですね。いないですね。

【和田】本当は、僕は志ん朝さんの門下で志ん朝さんより1年先に死んでしまった古今亭右朝さんていう人がいて、右朝さんが生きていたら志ん朝さんと全く同じくらいの熱で、へたしたらそれ以上に右朝さんに僕は行っていたと思う。右朝さんすごく良かったですよ。それで、本当に志ん朝さんの良い意味でのフォロワーだった。コピーで終わったかどうかはわからないけれど、継いでいる人でしたね。

【三浦】志ん朝さんより年若いのに早く死んじゃったんですよね。

【和田】そうなんです。50かな?

【三浦】若いですね。

【和田】右朝さん本当にうまかったし、志ん朝さんのところから見ると本当に継いでいた人です。ああいう人がいると良いですよね。

【三浦】芸の継承という意味ではそうですよね。

【和田】僕はやっぱりポピュラーなファンのビビットさみたいなものを持っていたいんだけど、その反面自分はマニアなので、特異でもいいから残している芸をすってしまう部分があるんですよ。だからそういう人がいてくれたほうが良いし、米朝さんにおける吉朝、米朝さんのところの吉朝さんがいたら本当に米朝さんの、まあ同じじゃないんだけど米朝的な存在に慣れたと思います。

【三浦】吉朝さんも米朝さんより早く死んじゃいましたものね。

【和田】そうなんですよ。だから吉朝さんも50ちょいくらいかな。それで吉朝さんと東の右朝さん、この二人が亡くなったのが本当に残念で。だからああいうふうに、この人が継いでいますよってファンて言える人がいると良いんですけどね。だから志ん朝さんは残念ながらいないな。志ん輔さんとかもちろん好きだけど。

【三浦】別に芸風は違いますものね。

【和田】違います違います。芸風は違うので。ていうのはありますね。

【三浦】なかなか芸の継承って難しいですね。

【和田】難しいですね。特に落語は固定化された台本とか演出でやるものではないので。

【三浦】そうですね。


担当:越智 美月
今回もご依頼ありがとうございました。
落語をあまり知らない一般の人たちにももっと知ってもらえるようにわかりやすい内容を取り入れる考え方、そういうことはあまり考えずに自分が提示したいものを本気で提示する考え方。ジャンルは全然違いますが、私もクラシックをやっているのでどちらもよくわかります。落語は笑いがあってとても面白いので、今回のお話に出てきた方々の落語も今度一度見てみようと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。

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