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【PODCAST書き起こし】和田尚久さんに、立川談志と「立川流」「名跡」「馬生」などについて聞いてみた その2

【PODCAST書き起こし】和田尚久さんに、立川談志と「立川流」「名跡」「馬生」などについて聞いてみた その2

TFC LAB PRESENTS!集まれ!伝統芸能部!!

【三浦】談志の真打ち昇進が志ん朝師匠とか圓楽師匠に抜かれたっていうのもどこか心の中にあったのですか?

【和田】そう言われていますね。だから亡くなった落語家の川戸貞吉さん、元TBSの社員の方なんかがおっしゃっているのは、圓楽さんはちょっと置いておいて、志ん朝さんに抜かれたのは本当にショックで、実際それだけの活躍をしていたわけですよ、柳家小ゑん時代。つまりご自身も大活躍していた。だけど、それをさらに志ん朝さんが追い抜いて。

【三浦】ということはもっと評価されたっていうことですよね。

【和田】そうです。そういうことです。もっと評価されて、談志さんだけを追い抜いたわけじゃないんですけど、ドカッと追い抜いちゃったわけですけど、そのときに俺は面白くないと。本当に当時、俺は落語業界やめちゃおうとか関西に行くとかそんなことも言っていたらしいんですよ。ていうくらいに本当に荒れていた。20代のときにそれがあって、ずっと志ん朝が、まあ僕らからすると別に抜いたとか言っても外から見たらあんまり関係ないじゃないですか。

【三浦】まあ。

【和田】つまり志ん朝さんのほうが、談志さんより上だとか先輩だと思わないじゃないですか。

【三浦】そうですね。

【和田】上だっていうのは上だと取っても良いんだけど、序列ってあんまり僕らは気にしないじゃないですか。

【三浦】そうですね。

【和田】だけどそれがやっぱり実演家っていうか幕内の人は感覚が違うみたいで、それが面白くないと。それが捻じれ現象になっちゃった。それで、談志さんが(落語協会を)脱退したのが40代の後半なんですよ。だから20年後くらいですよね。20いくつのときに抜かれた事件があって、40いくつのときに。あれもちょっと解説をするとこれも川戸さんから聞いた話ですけど、最初圓生さんが落語協会脱退するっていう事件があったじゃないですか。

【三浦】ありましたね。落語三遊協会。

【和田】それを作って脱退するっていう事件があった。そのときに圓生さんが最初のプランでは、談志一門、志ん朝一門、それから橘家一門7代目ですね。とかもみんな引き連れていくっていう話だったんですよ。

【三浦】そうなんですか?

【和田】そうです。みんな引き連れて総勢どのくらいかな。結構80人くらい。それで連れていくってなったときに、談志さんが「圓生師匠が会長、俺も一緒に行くから俺が副会長」って言ったらしいんですね。これはね、圓丈さんの『御乱心』ていう本によく詳しく載ってる。

【三浦】圓丈の。

【和田】『御乱心』に詳しく書いてあるけど、したら圓生さんが「いや、副会長は志ん朝にやらせる」って。

【三浦】それは談志さんまた怒りますね。

【和田】そう。副会長は志ん朝にやらせる。おまえさんは違います。小三治のときと同じパターンで。

【三浦】本当ですね。

【和田】おまえさんは違います。そしたら談志師匠がキレて。

【三浦】じゃあ行かないよ。

【和田】じゃあ行かないよ。勝手にやってください。俺抜きで3カ月持ったらおなぐさみだって言って、じゃあ俺やっぱりやめたって言って急Uターンで協会に戻ったんですよ。

【三浦】じゃあもう具体的にやめる話になっていたんですね。そのときは立川談志一門も。

【和田】もちろんです。

【三浦】すごいなそれ。

【和田】脱退前夜まで行っていたんだけど、そこの話で。

【三浦】急展開。

【和田】おまえさんは副会長ではありませんて。談志師匠は当然自分がなれると思っていたから、これは『あなたも落語家になれる』っていう本に書いてあるんですけど、それでUターンした。で、圓生一門、志ん朝一門その他が出ていくんだけどいろいろあってうまくいかないで、圓生さんたちだけが圓生プラス10人くらいが出ていった。

【三浦】志ん朝師匠も1回出たのですか?

【和田】出ました出ました。短期間で。

【三浦】でもやっぱりああいうのって出たら戻してもらえるものなんですかね?

【和田】あのときは非常に珍しいケースなんだけど、本当は志ん朝一門とか圓蔵一門。圓蔵一門て7代目でこの間の亡くなった圓蔵さんのさらに1代前も一緒に出たわけなんですけど、そのときにでも結局志ん朝さんやら圓蔵さんや圓鏡さん戻るってなったわけですよ。新宿末廣亭のオーナーの北村さんとかが小さん師匠に「今回は戻ると言っているんだから、咎めなしにしてそのまま戻せ」と。

【三浦】席亭が。

【和田】席亭が。ペナルティーとか位を下げるとかそういうのではなくて、実際ものすごく短期間でしたしね。1カ月もないんですよ。

【三浦】1カ月もない。

【和田】ここはもう何も言わずに戻せと。小さんさんにも言って、小さん師匠もうなずいてそのまま戻した。だけど1回出たことは事実なので、やっぱりそこの傷は当然すごくあるだろうと。

【三浦】なるほど。それはあれですか? 出て戻ったときに例えば志ん朝一門、橘圓蔵一門の二ツ目とか前座は結構降板したからやり直しみたいなのはあるのですか?

【和田】いや、それもなかった。
それをしないでそのまま戻せというふうにして。

【三浦】もうスライドで大丈夫。

【和田】だけどそれは志ん朝さんなんかは、当然自分はいったん圓生さんのほうについて行った。うまくいかないで戻った。圓生さんをある種裏切ってしまった部分がある。一緒に行くと言っていたのにやっぱりやめましたなんだから圓生師匠にちょっとなんとか最後まで携わることができなかった部分がある。だからそこがすごく大きな傷になってしまって、でも志ん朝さんは自分がやったことに対して言い訳をしない。芸で、口座の上で自分の結果を出すというか、それ以外はありませんというふうに。

【三浦】しのごの言わずに。

【和田】しのごの言わずに口座の上だけが私が今後やっていくことの全てですっていうふうに言っていました。

【三浦】なるほど。それはそれで素晴らしいですよね。そんなことあったのですね。

【和田】その話に戻すと、要するにその第1次分裂のときがこれは圓丈さんの解釈とかによりますが、要するに談志さんは志ん朝さんを抜き返したかった。

【三浦】なるほど。そこで別の協会ができて副会長になったら抜いたっていうことですものね。なるほど。

【和田】20年の間を経て、20いくつのときに抜かれた事件がありました。40代になってもう1回抜き返すというか再編成したかったっていうのがあった。でもそれはうまくいかなかったんだっていう解釈があって、だとしたらその抜かれた事件はすごくキャパがあったんだなって。

【三浦】やっぱり心の奥底のところにマグマのように当然ずっとあったということですよね。

【和田】後半20年経ってないかもしれないな。圓生さんとの分裂って1978年のはずなので、40代の前半か。

【三浦】圓生師匠結構すぐ亡くなるんですよね。

【和田】2年くらいですか。1年か。あれも結局三遊協会とか作って、本当は圓生さんは自分たちの一派も寄席に出ると、3分の1だから今の落語協会でいうと第3協会になるから、第3の協会として月のうち10日間くらい出るっていうビジョンがあったんだけど、それもちょっとうまくいかなくて、ホール落語とかParcoでやったりとかそういうので回っていく感じになったんですよね。当然圓生さんてものすごい看板だから、当時最高位の落語家ということで忙しいわけですよ。

【三浦】そうですね。本人は。

【和田】例えば今日は横浜、明日は仙台、その次は名古屋みたいなふうに動くわけですよ。それが1年間ずっと過労だったのではないかと。過労で亡くなっちゃったのではないかという解釈。

【三浦】そうですか。やはり自分の協会のためには自分が働くということですかね。自らが。

【和田】それで、本当だったらそんなふうに今日はここ、明日は旅でまたそのあと他に行ってみたいなことしなくても良いわけじゃないですか。

【三浦】そうですね。

【和田】だけどやっぱり立ち上げた以上、存在感とか。

【三浦】そうですね。示さないといけないですよね。

【和田】示さないと、それだけ回っているっていうふうにもしたかっただろうし。

【三浦】それはでも圓生師匠が自ら引っ張るようにそういうふうにやるのはもちろんなんですけど、そのあとをちゃんとついて行くっていうか、そういう看板は当時あまりいなかったということなのですか?

【和田】まあ圓楽さんですよね。5代目圓楽さんとか。

【三浦】そうか。圓楽さんなら。

【和田】そうですね。今の圓楽一門の人々なんです。好楽さんとか。

【三浦】だとすると確かに圓生師匠の弟子筋って、ああいう芸風でものすごく素晴らしいなっていう人って実はあまりいないように思えるんですが。

【和田】圓生さんので?

【三浦】圓生さん。

【和田】いないですね。

【三浦】同じ芸風でなくてもやっぱり圓生師匠ってそんなに小さん師匠のようにたくさんいろんなタイプの良いお弟子さんをお育てになっているけどもっていう。

【和田】だからすごく興味深いなと思うのは、圓生師匠ってご本人が残された落語は素晴らしいし、『圓生百席』とかね。今あるDVDの『落語研究会』とか見ても素晴らしいんだけど、すごい評価もありました。だけど、お弟子さんの中でそんなに実は広がりがなくて、バリエーションもなくて、当時圓生さんよりは下に見られていた林家彦六師匠。

【三浦】正蔵師匠。

【和田】8代目正蔵さん。この正蔵さんの弟子、孫弟子、ひ孫弟子っていうのが当然今いるわけですけど、それを、名前あげてみると、木久扇さん、先代の柳朝さん。

【三浦】春風亭柳朝。

【和田】そこの下の一朝、一之輔、それから今の春風亭百栄、柳朝さんのところの小朝。こういうふうに考えていくとすごくメンバーが良い。

【三浦】皆さん個性がありますね。

【和田】めちゃくちゃメンバーが良いんですよ。だから一朝、一之輔、小朝。それから百栄とか今の文蔵もそうです。

【三浦】文蔵。

【和田】それから先代文蔵もそうだし、ちょっと落語マニア向けだけど春輔とか正雀。

【三浦】ああ、林家正雀。

【和田】そういうふうに考えるとやっぱり良いメンバーなんです。

【三浦】そうですね。いろんなバリエーション豊か、個性豊かなお弟子さんたちが育っていますね。

【和田】そうなんです。だからそこが面白くて、だから彦六師匠っていうのは名伯楽というか、いろんな人が出る環境を作っているのかなという感じがするんですよ。

【三浦】圓生師匠すごく厳しそうですものね。

【和田】そうだったみたいですよね。だから圓生師匠って意外に自分が名選手だった人のパターンかな。

【三浦】なるほど。名選手は必ずしも名監督ではないということか。ちょっと圓楽一門のことは置いておいて、圓生師匠の弟子筋で個性豊かというとさっき出た圓丈師匠と、あと川柳川柳。これはもう度外れに変わっているじゃないですか。ちょっとはぐれものみたいなものですよね、圓生一門においては。言い方悪いですけど。

【和田】圓窓さんてわかります?

【三浦】圓窓わかります。

【和田】まるまど。圓窓さんの芸は、僕はとても好きで、最近寄席とか全然出てらっしゃらないですけど。

【三浦】そうですね。もう結構なご年齢になられていますよね。

【和田】そうですね。もちろん。

【三浦】圓窓師匠は私が携わったわけではないんですけど、私がかつてずっと長い期間所属していたCM制作会社で某お醤油メーカーの広告に圓窓さん出ていましたね。すごく良い江戸の感じを醸し出す、そういうトーンのCMですけど、それに圓窓師匠出ていましたね。

【和田】一時圓生になりたいっていう人が3人名乗りを上げて、三遊亭鳳楽さん、それから圓丈師匠もそこに乗り込んできて、あと圓窓さんもそこにいてみたいなのがあったんだけど、僕が選んで良いのだったら圓窓さんかなと思います。

【三浦】それはなんで? 結局圓生ってそのあと出ていないですものね。

【和田】出ていないですね。

【三浦】なんで圓窓は継がなかったんですかね。

【三浦】結局鳳楽さんがだいぶいろいろ山﨑家と話をつけていたらしいんですけど、山﨑さんていうのは圓生師匠の家ですね。だけど、一門内でちょっと同意してないよみたいな話もあったりして、そこで強引に進めるっていうのはしなかったんですね結局。そうですね。なんで空位になっているのかはちょっとよくわからないですよね。そこでちょっと曖昧になってしまったとは思いますけど。

【三浦】それでいうと結構今継がれていない名前でいうと、圓生もそうですし、志ん生もいないですものね。

【和田】そうですね。

【三浦】あと志ん朝もいないですものね。

【和田】志ん朝はいないですね。志ん朝はいわゆる名跡じゃないし、ちょっと難しいんじゃないかな。

【三浦】なるほど。圓生っていう名跡は誰か出て欲しいなという。

【和田】良い人がいればね。

【三浦】当然それは三遊亭の中から出てこないと難しいわけですよね。

【和田】そうでしょうね。やはり圓生系の人から出ないと難しいですね。

【三浦】三遊亭白鳥が圓生を継ぐなんていうことはあり得ないですものね。あり得ないことはないけど可能性は0ではない。

【和田】0ではないですよ。圓生さんのところの弟子なんだから。

【三浦】そうですよね。思い切ってそのくらいのことがあっても。

【和田】でも喬太郎師匠とかって、白鳥は圓朝だって言いますからね。

【三浦】そうですよね。創作の意味では。

【和田】創作して、それを世に通して、どんどんやっているんだからいまの圓朝だよねって。

【三浦】そうですね。どんどん作っていきますものね。

【和田】それはある意味においては間違いではないですよね。

【三浦】じゃあ圓朝にさせたらどうなのですか? 白鳥は。

【和田】本当です。面白いじゃないですか。

【三浦】面白いですね。落語会そうとうこれ話題に。立川流もここぞとばかりにネタとしていろいろ使ってきますよね。そうとう面白いですね。今、落語会かなり活性化していますけど、それそうとうな起爆剤になる話ですね。

【和田】あんまり途絶えすぎた名前でもね。

【三浦】そうですね。圓朝っていう名前はあまりに偉大過ぎて触れないような感じですよね。

【和田】歌舞伎とかだと團十郎とかそうだけど、家だけですよね使うの。だから位は別にして継いでいってしまいますよね。落語の場合そうじゃないので、圓朝に匹敵する人ってあまりいないな。すごい作者ですからね。談志さんの話に戻しますが。

【三浦】あ、すみません。名跡話に。

【和田】とにかく若いときは生意気でもあるし、うまいのはみんな認めて安藤鶴夫なんかも談志が小ゑんのときに書いてます。小ゑんから談志になるときにいわゆる真打ちの案内状みたいな口上があって、あれも見たら安藤鶴夫が書いています。

【三浦】そうですか。それはそうとうなことですね。安藤鶴夫さんというと大変な落語評論家ですものね。

【和田】そうですね。談志さんもその頃は小ゑんのときっていうのは褒めてもらってすごく喜んでいたという話があるんですよ。後に安藤鶴夫なんて芸のことなんか何もわかってないし、あいつに俺が教えられたこととかヒントをもらったことなんて全くない。

【三浦】え? そんなこと言うのですか?

【和田】言ってましたよ。それはもうさんざん言っていましたけど。

【三浦】それは安藤さんがまだ生きている頃に言っていたのですか?

【和田】いや没後。

【三浦】没後ですよね。

【和田】言ってたけど、東横落語会の第1回に出て、柳家小ゑんが。『蜘蛛駕籠』という話をやったときに安藤鶴夫さんが新聞で褒めて、柳家小ゑんという若者が蜘蛛駕籠を開口一番で出てきてやってそれが良かったですと。そしたら談志さんがその新聞の切り抜きを楽屋に貼って小さん師匠に怒られた。

【三浦】なるほど。そういうことするんじゃないと。

【和田】貼ってるんじゃないと。はがしたと思います。

【三浦】まあ怒りますよね。普通あんまりしないですよね。別に本人嬉しくてしたんですかね?

【和田】もちろんですよ。それとか、NHKの「夢であいましょう」という番組で、あれビデオが一部残っていて発売されているんですけど、『落語国・紳士録』という会があるんですよ。

【三浦】『落語国・紳士録』。それ著作でもありますよね。

【和田】安藤鶴夫さんの本なんですけど、それのエッセンスを番組でやっちゃうよという、永六輔さんが企画されてやったんですけど、それを見ると狂言回しというか、落語というものはみたいな感じでコントで谷幹一さんと立川談志さんが出ているんですけど、あと岡田眞澄さんの兄弟の。

【三浦】誰でしたっけ?

【和田】エリックかな。

【三浦】E・H・エリック。

【和田】あの辺が出ていて、解説役が安藤鶴夫さんだった。「というような落語で長屋ものというのがありまして」みたいな解説をしたんですけど、そこだと談志さんがめちゃくちゃぺこぺことは言わないけど、安藤鶴夫さんに「そうですよね」みたいな感じで出ていて面白いですよ。ふつうに市販されている。

【三浦】それって談志師匠が亡くなられたときにいろいろ特番がいくつかあったときに一部放送されてましたかねもしかしたら。

【和田】かもしれません。

【三浦】なんか見た記憶があるな。

【和田】竹書房から今はちょっと入手しにくいんだけど、VHSで出ているんです。

【三浦】VHS。

【和田】『夢であいましょうボックス』というのが出ていて、そこにも入っています。あとテレビでも何度も放映されているので、見た人いるかもしれません。結構面白いですよ。

【三浦】面白そうですね。

【和田】安藤鶴夫さんがこういう感じの人だったんだなって。

【三浦】そうですね。名前も知っているし著作も読んだことありますけど、本人見たことないですものね。

【和田】そうですか。昭和40年代までいた人ですよ。近年ていうこともないんだけど、普通にいた人ですから。

【三浦】なるほど。じゃあ談志師匠は結構若いころのことを晩年にいろいろ翻したりもそうやってするのですね。

【和田】翻すっていうか、両面を語る人なんだよね。

【三浦】なるほど。

【和田】そこはあると思いますね。例えば、さっき出た林家彦六のことも「あの人は下手だった」とかって言うわけですよ。あいつは本当に技術が下手だったとかって本に書いたりとか言ったりするんだけど、その一方ですごくリスペクトしているところもあって、これも談志さんが彦六さんにインタビューをした芸談を聞いている番組というのがあるんですけど、今NHKから出ている『談志集成』というCDに入っているんだけど、それなんかを聞くと本当に良い聞き手になって、彦六師匠の美はどこから来ているのですかとか、これはどうなのですかというのを聞いていますね。あれは尊敬してなきゃ出来ない。

【三浦】そういう質問にはならないということですね。

【和田】ならない。馬鹿にしている感じでは全くないです。だから、両面を語る人なんだろうな。

【三浦】そうですね。おとしめっぱなしっていうか悪口言いっぱなしじゃないということですものね。そもそも悪口じゃないですものねそれね。

【和田】批評。

【三浦】そうですね。批評ですものね。あとは自分との関りの面でのこういう面もあれば、別の側面もあるのであると。

【和田】森繁久彌の批評なんていうのもそうでしたよね。森繁久彌だって『屋根の上のヴァイオリン弾き』なんてろくなもんじゃないって言って、あれ見に行って客席から船頭小唄歌えって言ったとか言って。それ本当に言ったのですかって言ったら本当には言ってないけどって、言ってましたけど。言いたくなったっていうことでしょうね。だけど、そんなこと言って「森繁さんなんだあれ」とかって言ってたんだけど、ご自分の晩年だから60代くらいになったら古今で市川團十郎がいようが、尾上菊五郎がいようが、一番良かった役者っていうのは森繁久彌だろうって言っていました。こんなにまで評価するのかなっていうふうに言っていましたよ。誰がうまいって言ったってエノケンがいようが菊五郎がいようが森繁久彌が一番だって。

【三浦】だから『屋根の上のヴァイオリン弾き』を見たときにそう思ったのは事実だけれども、やはりそのあといろんな局面で森繁っていう人を見たり聞いたりしていてそういう評価に至ったということなわけですよね。一時一時のことと全然また別のことをお考えになるということなのですかね。

【和田】至ったというか、どっちも本音なんです。

【三浦】どっちも本音か。ずっと思っているということですね。やはり面白い人ですね。談志さんは。

【和田】最初に今例に出したほうだけ聞くと、立川談志って森繁久彌のこと全然評価してないんだって言って、『屋根の上のヴァイオリン弾き』ってそんな不満だったんだと思うんだけど、そっちの面もあり、ものすごく評価している部分もありというので、その出し方がある種異種的なので。

【三浦】だから我々も聞いて落語見たりしている観客として一つのことだけ取って決めないほうが良いよということですね。

【和田】志ん朝さんのことなんかは、生前はけなしていました。あいつは俺を脅かしてくるような秀でた後輩だと思っていたと。だけどテレビなんかでこの間たまたま見たんだけどねってたまたまっていうことはないと思うんだけど、見たらあれはひどいわとか言って、あれが良い芸だと思っているのかなとかって言っていたんですよ。だけど、没後になったら俺が金払って落語聞くんだったら志ん朝、おまえしかいないって。あいつが唯一良いやつだったっていう見方になったし、それ別に翻したというよりも両面あるものを。

【三浦】そうですね。ずっとそう思っているし、こっちもこう思っているという。ダメだとも思っているし良いとも思っているということなのですね。面白いですね。


担当:越智 美月
ご依頼ありがとうございます。
最後にあった「一つの言葉だけを取って決めないほうが良い」という言葉が一番印象に残りました。人はみんな他の人から何かしらの評価をされて生きていますが、その人のことを良い人だと思う人もいれば、あまり良くない人だと思う人もいます。同じ人が一人の人を評価しても談志さんのように良い面と悪い面どちらも言える人もいます。評価される側に回ったときは一人の人の一つの評価だけ気にしてはダメで、評価する側に回ったときは人に対して偏った見方をしてはいけないということがわかりました。
今後ともよろしくお願いいたします。

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