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【PODCAST書き起こし】演劇のプロデューサー森元隆樹さん(三鷹市スポーツと文化財団)に聞いてみた。(その2)早稲田大学時代から30歳で三鷹市スポーツと文化財団に入るまで

TFCラボ プレゼンツ  『みんなで語る小劇場演劇』

【山下】で、やっと、上京されたと。

【森元】そうです。

【山下】弟さんは、広島に。

【森元】大学で東京に来ましたね。5つ下なんで、私が大学入ったころは、まだ中学生。

【山下】どうでした? 最初出てきた東京。 僕も地方出身者なんで、最初は、もう、ドキドキして出てきたんですけど。

【森元】とにかく、東京来て、今から35年くらい前ですから、まだ携帯も何もなくて。固定電話、高かったんですよね。

【山下】黒電話、引いたりするとね。

【森元】7万とか10万とか、もう、とてもじゃなかった。

【谷】7万いくらとかね。

【山下】電話の債権買ってみたいな。

【森元】うちの親は、つけてもいいみたいなこと言っていたんですけど、広島時代の連れと遊ぶのはいつでもできるなと思っちゃったんですよ。せっかく東京来たから、東京で友達を作ろうと思って、だから、広島時代の連れにまったく連絡しなかったんですよ、電話もなかったから。

【山下】同級生と、高校のね。

【森元】それで遊んだら広島と一緒になっちゃうから。それで、2、3ヶ月、学校にもたまに行っていましたけど、まあ、そう見えないかも、どうかと思うんですけど、そんなにすぐ打ち溶ける人ではないんで、少しずつ少しずつなんですけど、どうやったら知り合えるのかなと思って、まあ、うちのおふくろ、たぶん、これ見ないと思うんですけど、これ聞いたら泣くかもしれないんですけど、どうやったら知り合えるかなと思ったんで、ずっと雀荘にいたんですよ。

【山下】ああ、昔はね。雀荘はたまり場でしたからね。

【谷】一人で行っていたんですか?

【森元】行って……。

【山下】相手を探す。

【森元】フリー雀荘じゃなくて、学生街の雀荘って、3人いると、4人目が来ないと「あいつ、遅えな」みたいになるんですよ。そこに行って、「僕、なんでもいいですけど」って(笑い)。

【山下】ええ? ほんとですか(笑い)?

【谷】すごい勇気ですね。

【森元】そんな強かったわけじゃないですよ。そうやって入れてもらって、仲良くなって、その大学の4年生の人とか、3年生の人とかとお話しするようになって、飲みに連れて行ってもらったりとか。

【谷】交友範囲が、すごい広いですよね。

【森元】まあ、無理して広げようと……。

【谷】上の学年もいるし。

【森元】そうです。面白い話をたくさん聞けましたね。だから、早稲田に行きたかったんで、すごく。ただ、早稲田に来て、高田馬場駅徒歩30秒みたいなとこ住むんですよ。不動産屋入って、「どういうとこがいいですか?」と言うから、たまり場にしたいと言ったら、帰ってくださいみたいな。「もう時代はそういう時代じゃない」とか言われて。

【山下】大家さんも嫌がりますもんね(笑)。

【森元】大家さんも絶対嫌がるんですよね。
たまり場にしたいと言ったら、4軒目の不動産屋が、ここの大家さんなら許してくれるかも、みたいな、言ってくださったところがあって、それが、高田馬場駅徒歩30秒。

【山下】30秒って、すごいですね。

【森元】すごいですよ。だから、3ヶ月後にはたまり場になるんですよ、ほんとに。

【山下】みんな来やすいから。

【森元】駅前だから。

【山下】帰る途中でもいいし、来る途中……。

【森元】試験のころは、コピーセンターみたいになるんですよ(笑い)。いろんな教科のコピーが、「あそこ行けば」みたいな。で、2階に上がって、廊下があって、その突き当たりに、開けると落ちるだけというドアがあって。大家によると、建て増そうと思っていたらしいんですけど。

【山下】じゃあ、トマソン状態になっているんですね。

【森元】もう、そうなんですよ、ほんとに、ほんとに。そこを開けて、脚を伸ばすと、僕の部屋に入れたんですよ。

【山下】すごいですね。

【森元】女の子でも入れたんですよ。だから、もう、僕がいなくても、人が入ってくるという。

【山下】そうすると、ほぼ開放状態みたいな。

【森元】ラウンジと呼んでいましたから。朝、私が起きると、知らない人寝ていたりして。

【山下】面白いですね。

【森元】「僕は誰々君の友達で、終電なくなったんだけど、ここに行けば寝られると聞いたんで」みたいな。だから、そういう、楽しかったですよ、毎日麻雀して。

【谷】何畳間だったんですか?

【森元】5畳半。でも、最初の1ヶ月くらいは、東京来て、ほんと、楽しい。やっと一人暮らしで、それまでは、好きなテレビも観られないし。

【山下】そうですよね、分かる、分かる。

【森元】その14型のテレビ、テレビが自分のためにだけにあるというのがうれしくて。もう、『オールナイトフジ』とか、テレビのドラマをずっと観て。

【山下】好きなものが観られますもんね。

【森元】だから、あのテレビ、自分の初心じゃないですけど、テレビ何台目か、今、ありますけど、ずっと捨てていないんですよ。

【山下】その1台目のテレビを。

【森元】たまに見ると懐かしくて。

【山下】14インチのブラウン管テレビ。

【森元】14インチの(笑い)。もう、スイッチ全部壊れているんですけど(笑い)。

【山下】すごいですね(笑い)。

【森元】そのころ、何やっていたかというと、週末になると神宮行っていました。

【山下】野球ですか?

【森元】野球ですね。

【山下】ヤクルトファンですか?

【森元】いや、違うんですよ。『紺碧の空』とか流してくれるんですよ。『若き血』とか。

【山下】それを歌いに行く?

【森元】いや、それを聞いて、「ああ、東京来たんだな」と。神宮球場の上のほうで、早稲田の校歌とか慶應の塾歌とか聴いたりとか、あと、明治のとか聴いていると、「ああ、東京来たんだな、さあ、何しようかな、これから」みたいな。

【山下】ああ、いいですね。なんか、こう、青春ですね。

【森元】でも、ほとんど1人で行動していました。東京って行くところ多いんだなと思いましたね、最初。だから、広島も、繁華街ってあるんですけど、まあ、頑張って広島の繁華街と、新宿を、もし消したら、あと全部負けだなと思った。原宿もあれば、渋谷もあって、上野もあって、池袋もあってという。広いな、行くところ多い、デートコース多いなとか思いながら、いろんなとこ行っていました。今日は浅草行ってみようとか。

【山下】多様ですもんね。好奇心が旺盛だったんですね。

【森元】とりあえずは、好奇心かどうか分かりませんけど、いろんなとこ行ったりしていました。

【山下】学校のほうには行っていたんですか?

【森元】あんまり行っていなかったですね。

【山下】早稲田は、それが許される学校でしたもんね。

【森元】当時は、はい。

【山下】当時はね。そのときに、森元さんは、早稲田に入って演劇に出会ったのかなと思ったんだけど、合っていますよね?

【森元】そうです。

【山下】そのあと、どういうタイミングで、演劇に出会ったんですか?

【森元】早稲田に入って、5月ごろ、早稲田に入って知り合った友人が、その友人は一浪だったんですけど、現役で入った早稲田生、ここに同期がいて、今度芝居出る、芝居があって、チケット買ってくれないかと言われたんだと言って、で、文章書くのとか、本読むの好きでしたから、芝居というのも観てみたいというんで、早稲田の大隈講堂裏のテントに。

【山下】ああ、テントがあったんですね、あのころ。

【森元】はい。劇研のね、「大/早稲田攻社」という、今、ジャズシアター。鈴木勝秀さん作・演出の芝居を観にいったのが最初です。

【山下】それは、1年生の5月……。

【森元】5月。4月か5月。

【山下】僕は、関西大学なんですけど、関西大学の5月のときに、初めて学園座という劇団の舞台を観て、「なんだ、これは?」と。

【森元】ああ、そうですか。

【山下】森元さんもおんなじような感じですか?

【森元】僕は、何で「なんじゃ、こりゃ?」と思ったかというと、暗転にびっくりしたんですよ。

【山下】暗転。真っ暗になるから。

【森元】本読んでいて、音が高くなって、「あ、始まるのか」と思って、真っ暗になって、バッと点いたら、役者さんが3人くらい立っていたんですよ。どこから出てきた?

【山下】そうか。分からないですもんね、初めてだと。

【森元】うん。セットもちょっと動いていたりして。「よし、次の暗転でちゃんと見極めよう」と思うんだけど、素人目には、蓄光とか分からないですよね、やっぱり。

【山下】蓄光テープね。

【森元】今は分かりますよ、ああきれいだなとか。だけど、ほんとに、「どうやっているんだ?」と思って、目を皿のようにして見て、このお芝居という世界、面白いなと思って。だから、すごい暗転が好きでしたね、最初。暗転で素早く変える劇団が好きで。

【山下】どういう劇団が、素早く変える劇団……。

【森元】当時、第三舞台が。

【山下】そうか。第三舞台、まだ早稲田の学生を、卒業したばっかりか。

【森元】そうですね。ご存知かどうか、ちょうど岩谷さんが亡くなって。

【山下】岩谷さんって、誰ですか?

【森元】看板俳優だった方。私が、大学2年、1年かな、『モダン・ホラー』といって、スズナリで。

【山下】はい、はい。『モダン・ホラー』、ありましたね。

【森元】もう、早稲田の劇研の総力を結集したような、とかも観にいったりして。とにかく、すぐ、紀伊國屋ホールで、つかこうへい先生は、もう、辞めていて、一時辞めていた時期で。あとは、あのころ、お芝居観るのが好きになって観にいったので、鴻上さんの第三舞台とか、あと、夢の遊眠社が初めて本多劇場でやった『走れメロス』とか。第三エロチカさんとか、青い鳥とか、遊◎機械/全自動シアターとか、そういうのを、月に2、3回観るのが好き。だから、早稲田の劇研にもいないし、いつからできたのかな、演劇倶楽部。

【山下】はい、演劇倶楽部、できたらしいですね、そのあと。

【森元】とかも入らず、ただ観るのが好きだった。

【山下】じゃあ、観劇をするのが好きだったと。

【森元】そうですね。というのも、第三舞台が、ほんとに暗転の中で、転換がすごい速くて、ああ、これ、この人たち……。だから、最初に第三舞台観ちゃったから。

【山下】スピード感ありますもんね、第三舞台は。

【森元】世の中の劇団って、みんなあんな飛ぶ鳥を落とすように伸びていくのかなと思って、いや、そういうのが稀なんだなというのは、のちに分かるんですけど、鴻上さん、ほんとに一気にいかれたから。

【山下】そうですよね。

【森元】そうですね。ただ、観るのが好きだった。

【山下】じゃあ、1年の5月から見始めて、月に何本か観るのが、コンスタントに続いて、とりあえず、大学を卒業されるみたいな感じになるんですか?

【森元】4年生に、まもなくなるという、大学3年の冬、1月か12月くらいに、酒飲んでいて、そうすると、就職どうするのみたいな話になったときに、ずっとお芝居観ていたので、1回だけ芝居作ってみたい……。

【山下】森元さんが?

【森元】そうです。1回だけ芝居作ってみたいんだよねと言って。文章を書くのは好きだったので、それこそ就職活動と言ったら、新聞社とか、マスコミも、東北新社さんもそうですけど、そういうマスコミ系のことをぼんやり考えていたんですけど、なんか、芝居作るの、今しかできないだろうなと思って。じゃ、1回だけ作ると言って、でも、ちょっと変なんですけど、誰にも聞かずに作りたい。要するに、もう、自分たちでやれることをやってみたいと言ったら、僕の周りの卒業できない人がみんな集まってきたんですよ(笑い)。「なんか楽しいことやるらしいね」みたいな。だから、役者さんも、1人だけ、1年間ちょっとやったことがあったやつがいたんですけど、もう、全員素人、友人で。ただ、照明は無理だという話になって。

【山下】プロに頼まないとですね。

【森元】早稲田の舞台美術研究会に頼みに行って。

【山下】そんなのがあるんですね、早稲田は、舞台美術研究会ってあるんですか?

【森元】舞台美術研究会って、劇研とかの照明とかも。いまだに私の芝居の照明やってくださった人……。

【山下】そのOBとかなんですか?

【森元】今、もう、第一線で。ナイロンの照明とかやっています。たまに会うと、「森元さんの図面、まだありますよ」とか言われる。もう捨ててください、早くとか言って(笑い)。

【山下】いい話ですね。

【森元】そういうので、シアターグリーン、今のシアターグリーンじゃなくて、まだ古い。借りにいったんですよ、グリーンを。

【山下】建て替える前のやつですね。池袋にある劇場ですね。

【森元】そして、ここからちょっと恥ずかしいんですけど、太宰が好きだったんですね。他にも好きな作家はいるんですけど、好きな作家、色川さんとか、山口瞳さんとか。

【山下】山口瞳さん、サン・アドの、元。

【森元】とにかく大人の文章……。

【山下】渋い文章ですね。結構、渋好みでスネ。

【森元】というか、ほんとに上手な文章って、ほんと読みやすい、滑らかで。

【山下】確かに。おっしゃる通りだと思います。

【森元】そういう文章が結構好きで、そういう中で、太宰も。太宰の文章って、今読んでも「これ、昭和? 戦前?」みたいな。今読んでも読みやすい。だから読者が減らないんだと思うんですけど、だけど、すごく計算して書かれている。

【山下】それも面白いですね。そこから三鷹につながっていくんですもんね、これはこのあと、またお話ししますけど。

【森元】そうですね(笑い)。それは偶然なんですけど。で、「どうしよう、劇団名どうする?」と言われて、太宰の最後の作品が、『グッド・バイ』、コレ、未完なんですよね。じゃあ、コレを書き継ごうか、みたいな。恥ずかしいでしょ? だから、劇団名は『グッド・バイ』と言ったんですよ。

【山下】いや、いや。学生だからできる、これは。

【森元】そうです。で、タイトルも『グッド、バイ』というタイトルでやったんですね。全然太宰とは関係ない芝居だった、まあ、ただお別れする話なんですけど。で、6月、シアターグリーン借りにいって、太宰の命日が6月19日、命日というか、死体があがった日ですけど。で、空いていたんですよ、6月が、2週間。

【山下】たまたま。それは何年前に押さえるんじゃなくて、わりと、何ヶ月か前?

【森元】1月ごろ借りにいったんだと思います。

【山下】じゃあ、半年後くらいには入って……。

【森元】たぶん、なんか芝居飛んだんだと思うんですよね、たまたま。

【山下】6月だった、それが。

【森元】6月。わあ、コレ、いいわと思って、2週間あると言うから、2週間借りますと言ったら、当時のグリーンの方が、「旗揚げですよね」と言って、「はい」と言ったら、「何日間公演するんですか?」「マア、3日間くらい」「2週間押さえてどうするんですか?「いや、稽古します」「普通は稽古してから来るんですよ」とか言われて。

【山下】新しい(笑)。いいですね。

【森元】「じゃあ、1週間にします」とか言って。だから、なんにも分かっていないんですよ、ほんとに。「舞台監督って、何?」みたいなぐらい、ひどいもんだったと思うんですよ、ほんとに。で、まあ、お芝居をやって。そしたら、まあ、社交辞令で、友人たちは、面白かったとか、1回だけやると言っているから、そんなけなしてもという、リップサービスで面白かったよと言ってくれて。役者さんとかは、やっぱり友達が来てくれて、花とかもらったら……。

【山下】うれしいですよね。俳優は1回板に立つとやめられないと言われますからね。

【森元】だけど、僕は、自分がお客さんとして観ているときには、それこそ、もっと暗転速くやればいいのにとか、もっとここ刈り込めばいいのにとか、長いよとか……。

【山下】はい。僕もいつも思いながら観ています(笑い)。

【森元】説明的な台詞多いなとか、お客さんとして観ているときあるけど、自分が作ると、総合芸術ですから、奥行きが深過ぎて、しかも、誰にも聞かずにやるなんて言っているから、もう、あんまりにもうまくいかなかったんですよ。それは、なんでもそうなんですよね。物事は、ちゃんと、すべてのものはちゃんとやろうとすると、演劇だろうが、映画とか、それこそお店だろうが、ちゃんと極めようとすると奥が深いのに、それを分からずにアマチュアが手を出すわけだから、あんまりにも奥が深過ぎて、もうちょっとやるって。1回だけと言っていたのに。

【山下】もう、これだけの、なんか、たまるものがあって、なんとか、こう……。

【森元】いや、あんまりにもうまくいかなかったんで。

【山下】もう1回やりたいと。

【森元】もうちょっと、見極めるところまでいきたいとって。親が一番びっくりしていて。例えば、大学1年のときから演劇サークルとかにいれば……。

【山下】そうですね。突然だったから。

【森元】少し、「もしかしたら演劇やりたいのかな、この子は」とか、就職するのかなとか、心の準備とかあったかもしれないんですけど、4年生になって急に芝居すると言って、このまま続けるって、「え? 何を言っているの?」みたいな。それで、卒業4年で、偶然、奇跡的に卒業できたんですけど(笑い)。

【山下】さすが、早稲田のいいところですね、あの当時のね。

【森元】奇跡的に卒業できたんですけど、そのまま、26か7まで芝居やってという感じで。

【山下】それは、バイトしながらやっているという、いわゆる、よくある小劇場の劇団員みたいな感じですね。

【森元】ええ、普通に、そうです。で、主宰でしたから、主宰と作、演出。役者はやっていないですから。だから、みんなで話し合って、ノルマって嫌だねとか。

【山下】チケットはノルマ制ですよね。

【森元】言うのは簡単なんですよ。でも、うちの実家、普通の警察官ですから、山があるわけじゃないんで、ただただ貧乏になっていくわけですよ、どんどん。

【山下】資金がどんどん減っていくと。

【森元】はい。もう、最後、別に借金が多過ぎてやめたわけじゃないんですけど、まあ、5回くらいやるんですよ。別に、そんな、極めてなんて、とても言えないですけど、ある程度は分かったと。作るのが難しいことも分かったし、面白さも少し分かって、で、自分は、もう最初からプロになる気はないと言っているんですよ、1回目のときから。仮につづけたとしても、プロにはならない。でも、今しかできないからやるから、プロになりたい人は、僕と一緒にはできないかもしれないと、プロになりたいんだったらほかの道行ったほうがいいかもしれない。僕は、とにかく、今、真剣に遊ぶからと言ってやっていたけど、やっぱり、何事もそうですけど、僕みたいなあまちゃんがやりますから、仲が良かったやつ集めてスタッフとかやってもらっても喧嘩別れしたりとか、あんな仲良かったのにみたいなのとか、そういうのを普通に経験しましたし、お芝居の理念が違うとか、方向性の違いとかで仲違いするならいいけど、だいたいは誰かと誰かが付き合ってとか、それで分かれてどっちかいなくなっちゃうとか。

【山下】結構、あるある話ですもんね、それは。

【森元】それを解決して、次の脚本に活かすみたいな。そういうことを繰り返していたので、普通、通り一遍の、よく、そういう、若い劇団が、。から、あのころ、のちに三鷹に勤めるとか、若い劇団とご一緒するとか、全然思っていなかったんだけど、当時真剣に遊んでいたから……。

【山下】それ、役に立っていますよね、絶対。

【森元】それが、もしかしたら、今、腕が、力が、才能がある人に、お芝居続けてほしいな、というときに、どのあたりをサポートしていったらいいかなというのは、やっぱり、あのころ、真剣に遊んでいたことが無駄にならなかったかなというのは……。

【山下】真剣に遊ぶと真剣に揉めますからね(笑い)。

【森元】それは、僕に力がなかっただけなんですけど。

【山下】いやいや、それで揉めていくと、解決しないといけないから、どうしてもプロデュース的な感じのことをしないといけなくなってくる。

【森元】あのころ、よく演劇とかやる方とか、映画もそうですし、そういう、フリーでやる、フリーランス、というと、歯車になりたくない、みたいな。昔、多かった。今、あんまり、歯車論って少ないですけど。で、僕なんかも、そういう言葉は入ってくるんだけど、その何年間かで、お芝居やっていた4、5年ですごく学んだのは、フリーほどいろんな人に世話になって、ほんとにフリーランスほどいろんな方の力が。あと、僕がやっていたお芝居とか、全然お金にならなかったから、お金にならないんだけど、森元を助けてやろうと。

【山下】はい、分かります。

【森元】森元が何か一生懸命やっているから、あいつ力ないけど、なんかやれることは、助けてやろうと。お金がないけど、人が来て、手伝ってくれる空間というのは、なんだろうというのが、骨身に染みちゃったんですね。だから、それが、のちに三鷹に就職してから、例えばですけど、お呼びする劇団もそうだし、あと、うちにはアルバイトの人とかいて、そういう人たち、支えてくれる人たちのありがたさ、この人たちがいないと自分は何もできない。だから、今日、今、しゃべっていますけど、これが全部の仕事、言うと、なんかちょっとかっこよく聞こえるかもしれないですけど、そうじゃなくて、ほんとに、そういう人たちの、ちょっとずつ貸してくれる力をありがたいと思う力がないと、いや、とてもとてもやっていられないという。それだけすごく学んじゃった。だから、あれは無駄じゃなかった。

【山下】ありがたいと思う力。

【森元】うちの親とか、よく言うんですよ。「あんた、大学、卒業、ちゃんと4年で出たんだから、あのころ就職していたら、もっと違ったんじゃないの?」と言うけど、いや、たぶん、あの時期を経験しなかったら、俺はもっと嫌なやつだったと思う(笑)。

【山下】ですよね、分かります。それは、そういうのを経験して、それが逆に幸せだったのかもしれないという話になってくるから、分からないですよね。

【森元】そうですね。で、4、5年やって、借金が……。

【山下】大変なことに。

【森元】ご多分に漏れず。250万くらいあったんじゃないかな。カードが5つくらいあって、会社が。で、今、過払金が返ってくるとか言ってますけど、もう、30年も前の話だから、今更言いませんけど。

【山下】返ってこないと。

【森元】返ってきたら、結構返ってくるんじゃないかなと、いつも広告、CM見るたびに思って。

【山下】最近多いですよね(笑い)。

【森元】すごいグレー。もっと高かったし、金利が。ある会社から50万借りて、1ヶ月に2万返してくださいと言うんですよ。そうすると、単純に言うと、25ヶ月。2年で終わるかと思うじゃないですか。

【山下】終わらないですよね。

【森元】ところが、世の中には利子ってものがあって、

【山下】金利がありますから。

【森元】1ヶ月経って、返しにいくと、49万8000円と書いてあるんですよ。2000円しか減らないのかと。

【山下】金利を払うとこうなるんだと。

【森元】俺は一生この会社にお金払うんだろうなと思って、とにかく2年間アルバイトだけ。

【山下】お金を稼ぐ。

【森元】で、なんか、借金があるうちに就職するのが嫌だとか、なんかわけ分からんことを言うんですよ。で、とにかくアルバイトして、森元さん、家にいないみたいな、もう、ずっとアルバイトして、1社ずつ終わらせていくみたいな。利子が嫌だから、ここ終わり(笑い)。

【谷】1本減り、2本減り。

【山下】返済をそういうふうにしていったんですね。

【森元】いや、均等にしていったら、ずっと利子取られちゃうと分かったから。

【谷】そう。1つずつ減らしていかないとね、ああいうのはね。

【山下】全部返すと。そうしないと金利がね。

【森元】だから、今、絶対ローン組まない。あのころ返さなかったというトラウマ、もうトラウマで生きているみたいな感じですけど、いろんな(笑い)。だから、もう、ほんとに、ほんのちょっとのあれでも一括みたいな。もう、家とか買う気もないというぐらい。借金は、するのは簡単だけど、返すのは大変というのが。だから、いろんなこと学びましたよね。

【山下】でも、20代で、すごいいろんな人生経験をされているということじゃないですか。

【森元】しようと思ったわけではないんですよ。しかも、浅いですしね。だけど、偶然自分に降り注いだことから、エキスを抽出するように、いろんなことを学びましたね。僕はお金は返せない人だとか、簡単には。だから、お金に関しては、絶対。お金に関しては、すごいルーズというか、適当だから、あんまり考えないようにしていて、人に貸しても忘れるし、借りても忘れるし。だから、今、仕事で契約とかいったら、すぐお金の話、ちゃんとして、契約書も先に作ってというと、たまに間違えて、「森元さん、しっかりしていますね」って。いや、違います、僕は自分が駄目なとこ全部分かっているんで。

【山下】先にやるんですよね。お金のことを話す。

【森元】お金のことだけはちゃんとしないと、今、いい関係でも壊れるかもしれないからって。

【山下】そうですよね。分かります。

【森元】自分の駄目な、弱いところを認めるのは、強いことだというのを駄目だった時期にすごい学んじゃって。

【山下】逆説的に学んだと。

【森元】そうですね。で、返し終わって。

【山下】2年で返し終わったの、すごかったですね。

【森元】そうです。もう、絶対返してやると思って。

【山下】やっぱり、それは、すごい頑張ったんですね。そのときは、まだ、高田馬場の30秒のところに住んでいたんですか?

【森元】いや、高田馬場の中で1回引っ越したりして。

【山下】でも、高田馬場だったんですね。

【森元】その頃は、たぶん、下井草という町に住んでいたと思うんですけど。もう高田馬場から引っ越していましたね。で、終わったんで、正月に、両親に、今年就職するわと宣言して。

【山下】広島に帰って、就職宣言。

【森元】「どこかあてあんのか」と言われて、親父に。「いや、ないけど、2年計画で」と言ったら、親父が、「2年計画?」(笑い)。「お前は甘いと思っていたけど、この期にも及んで2年計画」と言われて、「いや、まあ、そう簡単には見つからない」「じゃあ、誰かが引き立ててくれるのか」みたいな、コネとか。「いや、そういうのは使わない」みたいな。そういうことをすると、俺という人はろくなことはない、から、絶対迷惑かけるから、それはしない。いくつかうけると言って。「ああ、そうか」と言って、親父は呆れて隣の部屋行っちゃって(笑い)。あんなに甘いと思わなかった、みたいな。就職すると言ったら、普通すぐするだろう、みたいな。2年計画ってなんだ、みたいな感じで。でも、うちのおふくろは、親父と「やっとあの子が就職すると言った」と言って、大喜びしちゃって、次の朝、起きたと思ったら、「行くわよ!」って、どこ連れて行くのかと思ったら、デパート連れて行ってスーツ作り始めて。気が変わらないうちに、みたいな。

【山下】いいお母さんですね。

【森元】店員さんが、「ダブルですか? シングルですか?」とか言って。衣、食、住の「衣」に興味がないから、ダブルとシングルが分からないんですよ。どっちがいいんですかねとか言ったら、うちのおふくろが慌てちゃって、「この人、あの、スーツとか関係ない職場にいたんで」って、嘘ついてもしょうがねえだろ、とか思いながら、見栄張ってどうするんだよ、みたいな。

【谷】そのころは、弟さんは、もう、就職されていたんですか?

【森元】弟は、そうですね、就職していましたね。

【谷】そうですね、5つ違いだったらね。

【森元】そうですね。広島帰ったんですけど、帰って就職していましたね。それで、いくつか受けて。

【山下】どんなところを受けたんですか?

【森元】マスコミ系でしたね。新聞記者とか、新聞社とかね。

【山下】新聞社、出版社とか?

【森元】うちの親父は新聞記者にだけはなるなって。

【山下】それは、逆に、新聞記者さんと付き合いがあったからですか?

【森元】そうです。ブンヤさん、いや、冗談でですよ。うちの親父、暴力団担当で、刑事畑だったんで、私が部活から帰ってくると、ブンヤさんが6、7人いるんですよ。で、「坊ちゃん、お帰りなさい」って、坊ちゃんって誰だよとか思いながら。

【山下】聞き込みしたいからね、お父さんに(笑い)。

【森元】そうです。で、うちの親父が帰ってくると、外が騒がしくなるんですよ。あ、帰ってきたと思って、「署で言ったろ!」とか言っているんですよ、親父が。で、帰っそしたら、5分くらいすると、「ピンポーン」って鳴るんですよ。

【山下】夜?

【森元】夜ですよ。

【山下】夜討ちですね、夜討ち。

【森元】5分くらいしたら、新聞屋さんが「ピンポーン」って鳴らして、出るのは僕の係なんですよ。僕の係で、「父は、もう寝ました」とか(笑い)。

【山下】断る係。

【森元】そう。「お父さんは?」みたいに言われるから、「いや、風呂に入っています」とか、断る係だったんですけど、「じゃ、坊ちゃん、これ、お菓子」とか言うから(笑い)。受け取るなと言われているんですよ。もちろん受け取らないんですけど、「いや、困ります」とか押し問答していたら、親父が「うちの息子から何聴きたいんや?」みたいな感じで出てくる、みたいな。

【山下】なるほど。広島弁でね。

【森元】もう、ちょっとしたセレモニーですよね(笑い)。

【山下】そこはセレモニーの場なんですね。面白いな。

【森元】普通の電話と、警察電話というのがありまして、今はどうか……。

【山下】警察電話ってなんですか?

【谷】家に2台あるんですか?

【森元】家に2台あるんですよ。警電というのがあるんです。警電は事件が起こったときだけにあるんです。

【谷】直電みたいなものなんですかね?

【山下】警電は、普通に、ダイヤルとかないんですか?

【森元】ダイヤルもありますよ。

【山下】普通の、あるけど……。

【谷】専用電話ですよね?

【山下】そんなのあったんですか? へえ。

【森元】警察専用電話があるんですよ。それが、深夜に鳴るんですよ。うちの親父、刑事だから。
鳴ると、親父が、「ああ、分かった」とか言うと、もう仕事が決まっていて、おふくろはスーツとか、背広とか、Yシャツとか出し始めるんだけど。

【山下】ドラマみたい。

【森元】俺は、一応、靴磨けと言われていたんですよ(笑い)。

【山下】そうなんですか。子供にも仕事があって、半目状態で。

【森元】そしたら、サイレン鳴らしていないパトカーが来るんですよ。それで、親父が、それに乗って行くんですよ。それで、また寝るんですね。

【山下】夜中に。すごいですね。

【森元】で、次の朝、ニュース見ていたら「昨日未明、広島で」って。ああ、これか、みたいな。

【山下】なんか事件があったと。

【森元】そうすると、親父が2週間くらい帰ってこないんですよ。

【山下】帰ってこないんですか?

【森元】あくときもあるんですよ。

【谷】本部で指揮を取られているわけですね。

【山下】普段は毎日帰ってこられるのに。

【森元】で、おふくろに……。でも、帰って来ないの、うれしかったですよね。

【山下】ああ、そうなんですね、逆に(笑い)。

【森元】ほんとに怖かったんですよ。怒られてばっかりいました。特に、おふくろとかに文句言って怒られると、おふくろがもう怒っているじゃないですか。そうすると、親父が帰ってきたら言いつけて俺が怒られることが分かっているから、もう寝たふりですよ。

で、親父が深夜帰ってくると、おふくろがわあって言っていた。「隆樹、来い!」みたいなこと言って。「うわ、きた」と思って。無茶苦茶怒られましたよ。だから、今、警察官怖くないのは、親父のほうが怖かったからですね。で、みなさん、殴るとか、うちの親父には、もうビンタとかよくされましたけど、ビンタとか、バーンと殴られても一瞬なんですよね。うちの親父って警察官だったから、逮捕術といって、手首……。

【山下】こうやって、こういうふうにしたりするやつですね。

【森元】「お母さんのいうこと聞くか? わあ!」みたいな感じで(笑い)。

【谷】怖い。

【山下】痛くてしょうがない。

【森元】もう、謝るしかないんですよ。関節技決めているから。

【山下】逮捕術ですからね。

【森元】逮捕術ですから。だから、ほんとに親父怖くて、それで1週間に1回くらい、おふくろに、鞄に、紙袋持たされて、署行ってこい、みたいな。

【山下】着替えですか?

【森元】着替えです。で、「森元です」と言ったら、親父が来て、「これ持って帰れ」みたいな。「お母さんのいうこと聞けよ」みたいな(笑い)。こわ、みたいな。

【山下】すごい。ドラマみたい、ほんとに。

【森元】そうなんですよ、ほんとに。普通にありました、そういうことは。

【山下】でも、広島で、スーツを作ったと、一応。

【森元】はい、そうですね。で、いくつか受けて、全部落ちて、ああ、やっぱり無理なんだなとか思って。

【山下】難しいなと。新聞記者は難しかったかなみたいな。あ、そうだ。新聞記者の話から、これになったんですもんね。

【森元】そうですね(笑い)。で、新聞屋さんはしつこいから、新聞記者にはなるなと。

【山下】やめておきなさいと。

【谷】やめとけと。

【森元】冗談では言っていました。で、受けていて、そしたら、ある日、当時とっていた新聞の片隅に、三鷹のホールが新しくできる。

【山下】それ、新聞広告だったんですね。

【森元】新聞広告出していたんですよ。演劇担当、経験者、音楽経験者、美術経験者募集みたいな。あと、広報担当者というのもあった。三鷹のホールが新しくできるんで、職員を、固有の職員を募集しようとしていたんですよね、三鷹市は。それは、普通、市役所というか、お役所って、誰かがそこの部署に配属になるんですけど、3年か5年経ったら異動なんですよね。ちょっと演劇に興味がある人がいってすごく頑張っていたとしても、次にまた電話してみたら、水道局にいきましたとか、教育委員会にいきましたとかということもあるんで、三鷹市で、当時、ほんと珍しかったと思うんですよ、その専従の固有の職員を入れて続けようみたいな。で、うちのホールがオープンする同じ年の1月に、埼玉の芸術劇場が。

【山下】さいたま芸術劇場も同じ年だったんですね。

【森元】と思うんですよ。前の年だったかもしれない、すみません、ちょっと、今、記憶があれなんですけど。

【山下】ちなみに、うちのホールというのは、三鷹市芸術文化センターですよね。

【森元】三鷹市芸術文化センター。芸術文化センター星のホールが、1995年11月オープンなんで、与野の埼玉さんが同じ年の1月か、前の年かくらいですよね。
(※ さいたま芸術劇場は1994年10月に開館)

【山下】さいたま芸術劇場、与野本町。

【森元】あちらは、もう、最初から蜷川幸雄さんという、もう、大演出家とお組みになっていたから。

【山下】そうですよね。最初から蜷川さんでしたね。

【森元】で、うちの2年後が、世田谷パブリックシアターです。

【山下】そのあと、パグリックシアターができたんですね、世田谷の、三茶のね。

【森元】そうなんです。当時、私、入って、いろいろ調べたら、公立ホールで演劇たくさんやっているとこって、なかったんですよ、ほぼほぼ。

【山下】なかったんですよね。ほんと、公共劇場のはしりですよね。

【森元】そのころの公立劇場、今、もう、地方行くと、そういうのはあって、別にそんな悪いわけじゃないんですけど、どういうのが演劇公演だったかというと、例えば、老舗の劇団とかが旅公演、ちょっとスターの方が入っていて、全体の座組で、パッケージで1ステージ300万とか400万とか、もう、売り物になっている。

【山下】チケットも売って、「労演」の人とかが買って、みんなで行きましょうみたいな感じでね。

【森元】そうですね。それが、例えば、三鷹で、もしやったら、次の日は八王子、横浜、浜松みたいな感じで全国ツアーみたいな。
今でこそテレビ局主催とかで、いろんな、地方でも、パルコさんとかでやっている芝居とかを全国で回すとか、主要6都市行くとかありますけど、当時はなかったですから。だから、広島で、私、芝居観たことが全然なかったんで、それで、「ああ、そういうことか」と。公立ホールの演劇って、そういうことなんだなと思って。

でも、三鷹って、都心と言えば都心だし、郊外と言えば郊外だから、三鷹の人はいざとなったら紀伊國屋ホールだって行くし、あっちのほうが風情はいいわけだし、それこそ本多劇場だって行かれるから、1日だけ来て、ちょっと料金が安くても、あまりウェルカムというか、「来た!」という感じではないだろうと思ったんで、とにかく、不文律で、まずは三鷹だけで観られる公演をやろうと思ったんですね。

それから、自分がいいなと思った劇団とだけ組もうと。それから、劇団の公演をまるごとやろうと、1日だけやるとかじゃなくて。

【山下】それは、最初に思ったんですよね? で、ちょっと1回話戻すと、森元さん、その、三鷹の新聞広告を見て、受けてというところに、ちょっと1回戻しますけど、そのときに、森元さん以外も応募されていたんですか?

【森元】ああ、すみません(笑い)。40人くらい受けに来ていました。

【山下】40人も来ていた? じゃあ、40倍の倍率だったということですか?1人だけ採ったんですよね?

【森元】そうですね、結果として。若干名と書いてありましたから何人採るのかなと思ったら最終面接の前に、「1人です」って。あ、1人かと思って。無理だろうなとか思っていましたけど、偶然通りましたね。

【山下】それ、もう、たまたまですか?

【森元】そうですね。なんにも、知っている人はいなかった。

【山下】それ、何歳のときですか?

【森元】30歳です。

【山下】30歳ちょうどの?

【森元】私、5月生まれなんで、29歳の正月、宣言して、半年くらい落ちるだけ落ちて。で、7月に受けて、7月に試験があって、8月、面接とかあって、8月の20日ごろですかね、内定出ましたって……。

【山下】じゃあ、お父さんとお母さんに宣言してから、8ヶ月で、一応、決まったという。2年かからなかった。

【森元】そうですね。親は全然支持してくれませんでしたけどね(笑い)。「何を言ってるの?」みたいな。

【山下】しかも、公共の仕事だし、お父さんとよく似ている……。

【森元】「演劇の仕事ってなんなの?」みたいな。「またお芝居やるの?」とか言っていましたけど(笑い)。

【谷】怪しまれちゃった。

【山下】逆に、それはちょっと……。

【森元】しかも、それ、タイミングがあったんですよ。実家のおふくろとしゃべっていて、しゃべっていたら……、東京の方?

【谷】東京……、神奈川ですけどね。

【森元】大阪の、山下さん、たぶん、お分かりになるかも分からないですけど、電話を、散々しゃべって、切ったと思ったら、またすぐかけてくることってあるんですよ。

【山下】ある、ある。

【森元】何を言い忘れたんだろう、みたいな感じで。だから、散々しゃべって、でも、就職活動していてどこを受けているかとか、全然言っていなかったんですよ。期待させちゃいけないと思って。今、最終までいっているとか言ったら、すごい期待しちゃうから。もう、オール オア ナッシングでいようと思っていたんで。全然言ってなかって、で、切って、そしたら、すぐ鳴ったから、「ああ、何?」とか言ったら、「三鷹市……。」みたいな(笑い)。「あ、すみません」みたいな。

【山下】やった、みたいな。

【森元】俺の素が分かってしまった、みたいな。ここで落とされたらどうしよう、みたいな。そしたら、内定ということで、と。「ありがとうございます」「9月1日から来られますか?」とか言うから、「はい、行きます」とか言って。

【山下】じゃあ、もう、すぐですよね。

【森元】言われて、切って、これ、1分で終わりますよね? で、すぐ電話したんですよ。「内定出たわ」とかいう。1分前まで内定出たって言わなかった息子が、1分後に内定の電話している。

【山下】怪しまれますよね。

【森元】「何を言っているの?」と。いつ受けていたの、と。どこを受けていたの、と。

【山下】ちゃんと言いなさい、と。

【森元】それで、お芝居をやるって。「あんた、また芝居やるの?」みたいな(笑い)。また、そっちの道に……。

【山下】不安になりますよね、お母さんね。

【森元】そうです。なかなか信じてもらえなかったそうでしたね。で9月1日から。

【山下】それで、ついに、これで森元さんが、公益財団法人、今の名前で、三鷹市スポーツ文化財団に勤務するまでのお話が終わりました(笑い)。


文字起し:ブラインドライターズ:担当者 青山直美

いつもご依頼ありがとうございます。森元さんの、大学時代から就職するまでのお話、楽しくて、引き込まれながら文字起こしさせていただきました。早稲田大学に見事合格して上京したときのワクワクした気持ち、真剣に遊んで演劇と向き合いながら学んだ、たくさんのこと、充実した青春時代は一つのストーリーですね。高田馬場駅徒歩30秒の部屋にみんなが集ったのは、ただ便利なだけではなく、周りの人のありがたさが分かる力を持つ森元さんのお人柄にひかれてのことだと思います。厳しくも温かいご両親の存在も素敵です。また、森元さんの人間性に気づいて財団に迎え入れた三鷹市も素晴らしい。そんな森元さんが選ぶ演劇はなんだろうと、とても気になっています。ありがとうございました。

ブラインドライターズ


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