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【PODCAST書き起こし】劇団チョコレートケーキの演出家:日澤雄介さんに聞いてみた(全2回)その1

【PODCAST書き起こし】劇団チョコレートケーキの演出家:日澤雄介さんに聞いてみた(全2回)その1

【山下】皆さん、こんにちは。みんなで語る小劇場演劇ということで、東北新社がやっているTFC ラボ Podcast Stationの番組です。この番組は、小劇場をたくさんの人に観てもらおうと思って始めました。

【日澤】ありがたいです。

【山下】そんな中でいろんなゲストにきていただいてということで、今回は劇団チョコレートケーキの演出家の日澤 雄介さんにきていただきました。
このあと、劇作をされている古川 健さんもゲストにきていただいているのであとで、お話したいと思いますけれど、まずは私と日澤さんからお話をしたいと思います。よろしくお願いします。

【日澤】よろしくお願いします。劇団チョコレートケーキの日澤 雄介です。よろしくお願いします。

【山下】日澤さんは1970……?

【日澤】1976年生まれです。

【山下】1976年生まれ?

【日澤】はい。

【日澤】だから今年で45歳になりますかね。

【山下】日澤さんは東京都のご出身ということですが。

【日澤】東京杉並ですね。今も杉並に住んでいますけれども。

【山下】じゃあ、もうずっと地元なのですね?

【日澤】子どもの頃に1度、親の仕事の関係で地方にいったことがあるのですけれども。島根県のほうですね。3年くらい。

【山下】僕、鳥取で生まれたんです。

【日澤】あ、本当ですか!? (笑)いきました。鳥取砂丘いきました。それくらいですかね。そこで小学校の1年から3年まで向こう(島根)にいて。そのあとはもう、ずっと東京ですね。

【山下】……ということは東京の、普通の東京弁を喋って。

【日澤】だから俳優さん。地域の俳優さん、お国言葉を持っている方がいるでじゃないですか。

【山下】あ、僕関西人……

【日澤】すごく羨ましいです。

【山下】ほんまですか? (笑)。

【日澤】羨ましい。

【山下】でも東京の人は。この前も話したのですけど、やはり地元と。まあ住んでいる場所と働いている場所が一緒じゃないですか。それが羨ましいなと思いますけどね。

【日澤】……まあねえ。

【山下】例えば学校の友だちが周りにみんないるという環境は。やはり、すごくいいなと思っていまして。

【日澤】それはね。例えば小学校からの友人とかみたいなのは、もう近くにいますし。まあ今、親が。実家が千葉のほう引っ越してしまったので実家は千葉のほうなのですけど。千葉くらいの距離なので親にもすぐに会いにいけますし。今はね。ちょっと会いにはいけていないのですけれど。

【山下】コロナで?

【日澤】(そう)なのですけど、そういう意味ではね。知り合いが多いですから。

【山下】いやー。いつも、羨ましいなと思って。昔は大阪出身の人たちで、なんか小さなコミュニティ作って「リトル大阪」みたいな感じでね。最初は、本当に出てきたときには友だちもいなかったので。

【日澤】それを言われると、そうですね。もう誰1人知り合いがいないみたいなことは1回もないですね。そういえば。

【山下】日澤さんは、小学校のときは。いつも、これを聞くのですけど。小学校5、6年に好きだったことが割と今の仕事につながっていたりするみたいな話しをよく聞いて。どんな小学生だったのですか? というのを。いつも聞いている。皆さんに。

【日澤】あー。僕は、それこそ小学校ですよね?
小学校5、6年。家が、父が会社員だったのでサラリーマンだったので、本当にちょっと厳格なというか、ちょっと堅い方だったのでファミコンとか買ってもらえなかったです。

【山下】じゃあ、家でできなかった?

【日澤】家でできなかった。

【山下】友だちの家にいって?

【日澤】だから友だちの家に行ったりとか。あとは本当に外で、ドロケイとかやっていた子だったから。

【山下】ドロケイ。いいですね。

【日澤】あまり、いわゆる今の芸事と言いますか。のほうには、まったく。まったくなかった。テレビもそんなに見なかったですし。

【山下】じゃあ、割と外で子どもたちで遊ぶというのが? 
でもワークショップみたいなものですものね? それ実は(笑)。

【日澤】あー。でも、それはそうかもしれないですね。

【山下】本当に。人とつながって。

【日澤】ごっこ遊びは。でも好きだったです。

【山下】だから今も。ねえ? ごっこの1つ一種かもしれないし。演劇というのは。

【日澤】(笑)昔からごっこ遊びは好きでした。ヒーローものとかやっていましたし。

【山下】あ、やっていたのですか?

【日澤】(頷く)やっていました。

【山下】やはり、つながっていくのですね。そうやって。ね? いつも思うのです。
あれですか。もう小、中、高と普通に地元の学校にいかれていたのですか?

【日澤】高校が私立だったのですけど、都内の私立の高校で。それまで小、中は。

【山下】地元? 学区から?

【日澤】杉並区内でした。

【山下】じゃあ、歩いて通うみたいな感じ。
劇団チョコレートケーキさんは駒澤大学?

【日澤】駒澤大学です。

【山下】日澤さんも駒澤大学にいかれて、そこで旗揚げをされるということなのですか?

【日澤】僕の代と、僕の1個上の代の人たちの有志で卒業するまでの間に1回、外の小劇場の小屋で講演をやりたいねという話しを僕が提案をして「やりませんか?」という。

【山下】それはクラブか何かで? 友だち同士で?

【日澤】いや、劇団研究部。

【山下】(劇団研究部)が、あったんだ?

【日澤】(劇団研究部)に劇団ARGOと言うところに僕ら入っていて。

【山下】それは駒澤大学?

【日澤】駒澤大学の演劇研究部だったのですけれども。

【山下】劇団アル……ゴ?

【日澤】劇団アルゴ。エイ・アール・ジー・オーでARGOと言うのですけれども。だいたい学内でテントを立てたりとか談話室改造したりだとかして講演をやっていたので、外の劇場を使ったことがなかったのですよ。

【山下】学校の学内でやると、小屋代かからない。

【日澤】なので「外でやろうよ」と言って。同期のやつと、1個上の代の先輩を誘って1回やったのがこの劇団チョコレートケーキの第1回公演なのですよ。

【山下】これですか? このシアター・チャンネル・パレード(※ 2001年6月 シアター・チャンネル・パレード『宇宙飛行士仮死状態』@下北沢OFF・OFFシアター)というやつですか?

【日澤】これは違いますね。これは客演。僕の客演なので。

【山下】じゃあ、チョコレートケーキのやつを見た方がいいのか。

【日澤】『それが、こたえのような。』という。これが2000年ですね。
(※:2000年1月 劇団チョコレートケーキ第1回公演 『それが、こたえのような。』 出演 @荻窪アールコリン)

【山下】荻窪アールコリンでやった2000年の11月にやった『それが、こたえのような。』という。

【日澤】今、荻窪小劇場と名前が変わってしまっているのですけども。

【山下】今もあるんですか?

【日澤】今もあります。青梅街道沿いなのですけれども。ちっちゃい。もう50人も入らないちっちゃいところだったのですけど。そこで、やったときに、この「劇団チョコレートケーキ」という名前で初めてやった講演。これが。

【山下】じゃあ、本当に最初の? 2000年?

【日澤】最初の。

【山下】ということは今年21年、2年目?

【日澤】21年目です。

【山下】このときの劇作はあれですか。オリジナル企画?

【日澤】いや、劇作がそのときの僕の同期に。まあ、そのあと、ずっと本を書いてもらうのですけども劇作演出がいたんですよ。

【山下】日澤さんが演出ではなかった?

【日澤】ではなかった。

【山下】じゃあ、出演されていたのですか?

【日澤】僕、結構な年数、俳優をやっていたので。あの、そもそも僕、俳優志望で、俳優で身を立てようと思っていたので。それで、その彼の書く本が面白いと思っていて。それで学内でやるARGOの講演でも書いていたのだけど、彼は声優になりたかったのですよ。

【山下】声優。うちの学校、声優の学校なんですけど。
昨日も授業をやっていましたけど声優の。はい。

【日澤】(小声で言う)よろしくお願いします。(笑)

なので、彼は卒業したらもう演劇やめるというか声優のほうにいくのだろうなと思っていて。
それで、みんなでやるのは最後だなみたいなものもあったから、ここでやったんですね。

【山下】記念講演みたいな感じ?

【日澤】だから1回だけの講演のつもりで。
だからチョコレートケーキという名前で。あの、あまり考えていない。

【山下】それで割とちょっと、まあ名前も、じっくり考えなくてもいいんじゃないかという。

【日澤】なんかね。それを。僕いなかったんですけど。その企画会議じゃないけれども。そのときにいた喫茶店のお勧めメニューが。

【山下・日澤】チョコレートケーキ。

【日澤】だったんです。それで次の日に行ったら、なんか「名前チョコレートケーキにしようと思うんだけど」ってなって。あ、あ、そう。みたいな。

【山下】もう自動的に決まっていたという。

【日澤】今は、チョコレートケーキって僕は甘い物が嫌いだけれども好きな食べられる物なんですよ。チョコレートケーキって。

【山下】おいしいですよねー。

【日澤】だから「誰にでも愛される劇団になりたいな」と思って。劇団チョコレートケーキなんですという話しをしているのですが、本当の一発目はそういう。あまり考えていなかったです。

【山下】でも一発で終わらずに続いていくわけですよね? これはどうやって、なぜ続くことになったのですか。

【日澤】1回、先輩が2人くらい、ん? 2人? 3人……? 2人いて。僕の同期がいて。それで先輩なので先に卒業するじゃないですか。(先輩は)卒業していって自分たちで活動していて、僕らが卒業するタイミングで「やっぱり劇団チョコレートケーキやらないか?」みたいな話が再燃してくるんです。

【山下】それは仲間たちが、そういう話をみんなでして?

【日澤】僕もそれがすごく、嬉しいことだったし、僕も続けたかったので。やろうか、やろうかとなって。この第2回公演のヒーローが。だから、ここ1年。2002年の4月なので、ちょっと時間が空いているというのは。

【山下】1年半ほど。

【日澤】外でまったく活動をしていなくて。それで、このヒーローの第2回公演から古川くん。うちの今の劇作の古川くんとか、俳優の参加をしている岡本くんとかが、ここで劇団員になるんですよ。なので、古川くんと岡本くんも劇団アルゴで撃剣の1個下の後輩になるんですよ。

【山下】古川さんと岡本さんは、日澤さんより1個下の後輩なんですね?

【日澤】後輩なんです。1個下の。

【山下】やっと分かってきた。

【日澤】だから、それで、この第1回公演も見てくれて。それで彼らも演劇を続けていく気持ちがあったので、じゃあ一緒にやろうみたいな感じで。そのときは古川くんも俳優として参加して。

【山下】古川さん、俳優として参加されたのですね。

【日澤】僕も古川くんも俳優として参加をして。それで劇作演出は別にいて。だから僕、制作業務とかを主にやっていました。チラシを作るときの段取りとか劇場とのやり取りとか、スタッフさんとのやり取りとかそちらのほうをやっていました。

【山下】制作業務。私はCM業界なのですけど最初、制作進行から始めるのですよ。プロダクションマネージャーと言うのですけど。だから制作をずっとやっていたのです。そこからプロデューサーになって。それで、色々なやり取りをずっとやっていたんですよ。

【日澤】もう制作業務は本当に面倒くさいので(笑)。

【山下】面倒くさいけれど。そういう人と結婚をすると、すごく便利と言われています。

(2人 笑う)

【日澤】まあ……そうですね!

【山下】旅行とかチケット全部、手配してくれるし、予約を全部してくれるしというのは。

【日澤】それは、非常に制作さんは。本当に、本当に助かります。

【山下】大変ですよね?

【日澤】いつも、どの現場にいっても本当に。制作さんは本当に大変だなと思いますね。

【山下】でも、よく言うんだけど。制作さんがいないと「うまく回らないよ」というのは言うので。やはり、そこは、みんな色々言うけど愛されていると後輩には言うのですけどね。

【日澤】本当にそうですね。

【山下】俳優をしながら制作業務をしながら、劇団チョコレートケーキを立ち上げて2回公演は王子小劇場でやったと。これ、なぜ王子小劇場だったのですか?

【日澤】これねえ。僕らの、この2002年とかの時期って何というか、何も分かっていなかったのですよ。劇場がどういう劇場があるとか、どういう稽古場があるとか。外に出たことがない人間、学内だけでやっていた人間が。

【山下】演劇業界、小劇場業界のことすら分からない?

【日澤】まったく分かっていなかったので。なんか「早稲田は演劇が盛んらしいぞ」くらいなことで出てしまったので。そういった中で王子小劇場って、ちょっと元気があったんですよね。

【山下】ありましたよね。佐藤佐吉演劇祭。

【日澤】そう。玉山さんがすごく、グイグイやっていたところだったので。そういうのもあったりだとか。あとね。安かったんですよ。

【山下】場所もちょっと北区の王子のほうだからという。

【日澤】それで、確か1週間とかではなくて4日とかでも貸してくれるみたいな融通も利いて。

【山下】色んなことの条件がよかった?

【日澤】なので。それで、このヒーローという作品でちょっと大きいヒーロー賞の話しなので、ちゃんとした劇場でということで確か応じ小劇場になったと思う。あまり考えていなかったと思いますけど。

【山下】こうやって見ていくと、この2002年のところ結構、公演をされているではないですか。3公演。

【日澤】今思うと、本当に申し訳ないなと思うのですよ。まったく分かっていなかったので、それこそ僕が。「どんどん書いて」って言っちゃったんですよ。作家さんに。だから、これ、次に古川くんがきて話すと思うのですけど。本当に書くのって大変。大変なんだけれども、この作家さんが、ほぼ書き上げて持ってくる人だったのですよ。前編あった。確かあった状態でだと思ったので。

【山下】稽古をするときには、もう全部できていたと?

【日澤】確か、そうだと思ったので。その苦労が分からなかったんですよね。とにかく僕らは知ってもらわなきゃいけないから。

【山下】オリジナルをたくさん色々やってみたいと?

【日澤】とにかくオリジナルを何本もやってお客さんに観てもらおうと思って。新作をバンバン作ろうよという話しで、ちょっと無理をさせてしまったのですよね。だから、こんな年3本新作という。

【山下】すごいですよねー。新作。

【日澤】まあ古川くんもたまにやるんですけど(笑)。

【山下】追々そこも。古川さんも圧倒的な仕事量があるので。

【日澤】だから、ちょっとね……ここらへんは、だから本当にすごく多いです。

【山下】本当にすごく多いですよね。何か転機になるようなことは、どの辺りなのでしょうか。

【日澤】転機になるのは、やはり古川くんが本を書き出してからになるんですよね。

【山下】それは何年くらいからになるんですか?

【日澤】この2009年の第16回公演のa dayという作品があるんですけれども。

【山下】中野ザ・ポケット。

【日澤】この話は古川くんに詳しく聞いていただければと思うのですが、ここから書き出しを。

【山下】このときは古川さんは俳優をしながら劇作家をしていたということではない?

【日澤】俳優をしながら劇作家をしていたときですね。

【山下】それも大変ですね。

【日澤】古川くんは……2013年の「熱狂あの記録の記憶」が2012年かな。くらいまで確か古川くんは出ていたような。

【山下】ギャラリー・ル・デコには出ていたのですか?

【日澤】出ていました、出ていました。……出てたよなあ……出ていました。なので、そこまではずっと出ながら。

【山下】出演しながら出ながら?

【日澤】(頷く)

【山下】もう1個、戻ると日澤さんが演出を始めたのはどこのタイミングになるのですか?

【日澤】僕は17回公演の「そういうものに」という。2010年ですね。ここから。

【山下】2010年から日澤さんが演出を始められたと。

【日澤】この「a day」に関しては演出クレジットに関しては劇団チョコレートケーキというクレジットで。

【山下】劇団がクレジットになっているのですね。ということは、日澤さんも少し関与されたのですか?

【日澤】まあ、そう。みんなでやるよ。確か、このときは基本的には古川くんに色々、選択をしてもらっていたような気がします。

【山下】劇作家でもあるから? 2006年のときから。

【日澤】だから、僕がその演出としてどうこうということは確か、ここは。だから、ここは本当に過渡期で色々なことがあったので。それで、この「a day」というやつも、これは中野のザ・ポケットなのですけど。大きい劇場を頑張って。ちょっとここでチャレンジだと取ったところ。そのときに、ちょうど作演出家さんが、もう劇団をやめるということで抜けられたのですよ。

【山下】「もう、こんなにたくさん書けません」と?

【日澤】いや、なんか、ちょっと方向性の違いというか、演劇をライフワークとして続けていくのか、いわゆるライスワークと言いますか仕事として続けていくのかというところで、ちょっと話しが分かれたというか。頑張って大きくしていきたいし、みんなに見てもらえるようになりたいと言う人と、できる限りのことでやっていこうよという考えでちょっと分かれていて。僕は何とかちょっと頑張ってという方だったので。それで劇作の彼は、そうではなかったので。ちょっと、そこで合わなくなって色々あって。ここが抜けてしまったので。でも劇場を押さえているので。

【山下】それで「どうしようか。困った」と。

【日澤】それで古川くんは以前、書いたことがあったのです、本を。

【山下】それは皆さん、ご存じだった?

【日澤】はい。それは知っていたので。じゃあと言ったのですけれども、古川くんもそれは俳優でやっていたので、それはちょっとという話しになって。じゃあ、みんなで書こうとなったのですよ。

【山下】劇団「青い鳥」の市堂礼みたいな感じですね。
(※劇団「青い鳥」は劇団員 みんなで創作をされていた)

【日澤】それで、この「a day」という作品のプロットは古川くんが持ってきたんですね。

【山下】プロットを考えてくれていたんですね。

【日澤】4つの。1つの街で起こる4つの話しが交差していって。

【山下】同時並行的に書かれている。面白そう!

【日澤】色んなところでというのを。そのプロットを持ってきてくれて。その4つの話しをみんなで考えようよ。4人で考えようよって。あ、いいじゃん! いいじゃん! 短いのだったらいけるよ! って。

【山下】楽しそうですね!

【日澤】ほとんど誰も考えてこなくて。

【山下】それ、もう困っちゃいますね。

【日澤】1人なんか考えてきた方がいたの。僕なんかは言われたけど、まったく出なくて。それで、ほぼほぼ古川くんが要は考えて構成してっていう。

【山下】相当、頑張って考えてくれた。

【日澤】「a day」を踏まえ。それで、これが評判よかったのですよね。

【山下】そこが、やはり、才能があったのですね。ここが転機になったんだ。

【日澤】それで古川くん、どうよ? と。続けてみないか? と。

【山下】書く力があるのではないでしょうか? と。

【日澤】古川くん、劇団のために書いてくれないか? ということで書いてもらい。でも古川くんの条件として演出は絶対にやらないと。演出は絶対にやらないというふうに。

【山下】へー。面白いなあ。あとで聞いてみよう。

【日澤】それで、じゃあというところで僕、主宰なので。誰もやる人がいなくて。じゃあ私がやってみましょうということで、やったのがそういうものです。

【山下】これも中野ザ・ポケットの近くのテアトルボンボンという。ものすごい近くにある。

【日澤】ここも。新しくボンボンができたときに使ったのですよ。だから

【山下】そうか! できたばっかりだ!

【日澤】だから……本当にできて何カ月か。

【山下】隣にできましたものね。ポケットの。

【日澤】だから、その建てているときの内装とかを見ながら。

【山下】そうか。工事中も見ていらっしゃる。

【日澤】それで、やって。それで、もう、ちょっと劇場でやるのは、しんどいってなってギャラリー・ル・デコにいって。

【山下】ル・デコはね。また、ちょっとアートスペースだから。ちょっと、またパフォーミングアーツみたいな感じで。

【日澤】あとは、ちょっとお金が安いというのと、あとは大きいというか劇場の客席と舞台が分かれているというよりも、もう少し緊密な空間。お客さんとの共有をするというのを。

【山下】密度が濃くなりますよね。ル・デコは確かに。

【日澤】そういうのを目指していったほうが劇団いいんじゃないかな。古川くんのほうがいいんじゃないかなみたいなものもあって。まあ財政的なものが一番だったのですけども。ちょっとギャラリー公演。ちょっと、ちっちゃい公演からやっていこうよと言ってやったのが「起て、飢えたる者よ」ですね。

【山下】これ、実は再演を私が初めて見たのが2013年のサンモールスタジオでした。ちょっと先ほどお話しした話に戻ると、私が初めて劇団チョコレートケーキを知ったのが、その前にここ。映像テクノアカデミアの学校のすぐ近くのサンモールスタジオで。「なんか、すごい人が並んでいる講演がある」と。それが僕が見た「起て、飢えたる者よ」の前の講演の「熱狂あの記録の記憶」というやつで。これ2本立てだったのですか?

【日澤】これは基本的には2本立てで。1日だけ。この「熱狂あの記憶の記録」というのが古川くんが連作で書いてもらったやつなのですけれども。このあとに僕が若手演出家コンクールというコンクールに出品するときに、古川くんにもう1本、演出物を書いてもらっているのですね。それが「親愛なる我が総統」という作品を。

【山下】まさに、ヒットラーの総統の話ですね?

【日澤】取り調べの予備審問のところの話なのですけども。それを書いてもらって。それがすごく、2ステージしかなかったのです。そのコンクールのときが。見ていただけたお客様が少なかったので、それを1日だけ3連作でやっていたりはするのですよね。

【山下】それが2013年の3月。サンモールスタジオで?

【日澤】これです。

【山下】ですよね? そのときに、すごく人が並んでいたのです。これ、何でかな? と思って。あのときって朝日新聞か何かにも取り上げられていましたよね?

【日澤】確かね……。このへんから、すごく注目をいただいていたので。

【山下】僕はそれを読んで「こんな劇団チョコレートケーキというやつなのに。こんなハードな内容なんだ」というので、すごく刺さったわけですよ。「あ、チョコレートケーキなのに。こんななんだ」と思って。それで、いったら「いや、チケットいっぱいです」って。「並んでいる人がいるから。もう無理です」と言われて。すごく、悔しい思いもしました。そしたらまた次、同じスタジオで。これ6カ月後ですよね?

【日澤】そうなんです。

【山下】この「起て、飢えたる者よ」という連合赤軍のお話ですよね。

【日澤】そうです。

【山下】をやるというので。また、これハードだなと。チョコレートケーキなのにというので見にいきました。

【日澤】これ、実はサンモールスタジオさんの提携講演で、普通は2週間とかでやるのですけれども、そのとき僕らのキャパシティから言うと2週間は長すぎるので、お願いして1週間、1週間に分けてもらっていたのではないかな。これ。

【山下】そうなんですね。「熱狂あのときの記憶の記録」?

【日澤】「熱狂あのときの記憶の記憶」で1週間で、その次の「起て、飢えたる者よ」で1週間。

【山下】あー。そういうことか!

【日澤】そう。それで2週間一気に使ってもいいし1週間、1週間分けてもいいですよって言われていて。

【山下】そうか。年度で1週間、1週間に分けてもいいですよと。柔軟な。

【日澤】そうなの。そのときは、そんなに溢れると思っていないから。1週間、1週間で分けてお借りしていいですかということで、日にちをロックしていたのですよ。そうしたら、この「熱狂とあのときの記憶の記録」が、その劇場さんが見に来てくれて。この再演の前のやつを、ル・デコのやつを見に来てくれて。そうしたら「君たち次、うちでやるでしょ? だったら、この熱狂とあの記憶の記録をすぐに再演しなさい」と。

【山下】それはサンモールのスタジオの方に言われたのですか?

【日澤】劇場主さんに言われて。だから本当は、この「起て、飢えたる者よ」が、この「熱狂とあの記憶の記録」のところにくるはずだったんですよ。1個前に。

【山下】じゃあ、ル・デコの公演に、あのサンモールスタジオの人が見にこられたのですね?

【日澤】そうしたらもう「これは、いいから。もう、すぐにうちの劇場で再演しなさい」というふうに。だから1個ズレしたのですね。1個ズレして、その「起て、飢えたる者よ」が次のところにいってというかたちになったんです。

【山下】いや、連合赤軍のあの若者の。若いからやんちゃで。あまり何も考えていない感じとかがすごい、よく出ていて。当時、若松孝二監督も映画を作っていたり、あともう1個、赤軍系の映画があって。
(※「突入せよあさま山荘事件」)
それで若松孝二さんが、よく行っていたバーがこの近くにあって。「Bura」というところがあって。そのへんでお話も色々。足立正生さんとかからも聞いたりしていたので。それで「あ! こういう解釈か!」と思って。ある意味、僕はこれは別荘の中で起きた。すごく今思い出しましたけれど、奥さんとかとの交流を最後、描いていたのをすごく、思い出してきました。

【日澤】あれは。まあ本当の史実の連合赤軍ってもう浅間山荘に入ったらもう、すぐに警官隊に囲まれてというところなのですけれども。古川くんがそこの。なぜか警官隊がまったくこないという。

【山下】そうか! だから、あれは古川さんのそこは創作なんだ。

【日澤】完全に創作です。

【山下】あれが、すごい残ってるなあ! 「あ、こうやって。もしかしたら交流があったのかもしれない」と思わせてくれた。あれは映画とかにもなかったから新鮮だったのです。

【日澤】そうですね。あれは。


【日澤】初演は僕も出ていて。僕が最後なのです。劇団でやったので出たのはこの18回講演のこれが。そうです。古川くんも、これに出ていて。それで作家と演出家なので、演出家はすぐに演出に専念しなければいけないからということで、一番始めに死ぬ役。それで(古川さんは)作家だから2番目に死ぬ役だったのです。

【山下】そういうのは、ちゃんと計算をして。

【日澤】それで最後に残るのは俳優たちみたいな。確か、やっていましたね。

【山下】でも、やはり、このヒットラーの話とか、連合赤軍の話とか。あと、この1911年ね。今度また再演されますけれども大逆事件の話とか。割と法廷劇でも、この「12人の怒れる男たち」これは向こうのやつの焼き直しだと思うのですけれど。こういう割とハードなお芝居というか、史実を中心としたものになっていったのは、これはやはり古川さんが劇作をされるようになってからちょっと変わったんですか?

【日澤】もう間違いないです。まさに、そうです! これはもう古川くんの特性ですね。もう詳しくは古川くんに聞いていただきたいのですけれども。これはもう僕らではなく古川くんです。

【山下】分かりました。

-----ここまで
 テキスト起こし@ブラインドライターズ
 (http://blindwriters.co.jp/)
担当は松田昌美でした!
このたびは、ご依頼をありがとうございました!
日澤さんのお話を聞いて、日澤さんご本人をはじめ劇団チョコレートケーキの皆さんの熱意が伝わってきました。それに、とても仕事熱心なのだなと感じました。続きのお話が気になります!
またのご依頼をお待ちしております!!
引き続きどうぞ、宜しくお願い致します!!

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