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【PODCAST書き起こし】桂米朝師匠を中心に上方落語について江戸に住んでいる和田尚久、三浦知之が語ってみた(全6回)その4

【PODCAST書き起こし】桂米朝師匠を中心に上方落語について江戸に住んでいる和田尚久、三浦知之が語ってみた(全6回)その4

【和田】その大店ものが西のものであるというのは、今言った通りなんですけども。逆に東京落語らしいというか、西に欠如しているのは、僕は与太郎ものだと思う。

【三浦】ああ、与太郎もの。

【和田】東京落語には与太郎ものというのがあるし、僕はすごく重要な演目だと思っているんですよ。上方落語は与太郎ものがないんです。

【三浦】あ、ないんですか?

【和田】ないんです。ゼロなんです。だから、ここはものすごく世界観の違いだと僕は思っていて……。

【三浦】それは大きい世界観の違いですよね。

【和田】いや、そうなんですよ。例えば『道具屋』みたいに、東西両方共通している演目ってあるんですけども、東京だと、おじさんが与太郎に「お前もう、ぶらぶらしてしょうがないんだから、道具でも売って来なさい」と言って道具屋をさせるわけなんですね。『かぼちゃ屋』というのもだいたい同じ話なんですけども。関西だと、同じ筋はあるんですけれども、与太郎じゃなくて単にぶらぶらしているやつ、単に頼りないやつにやらせるんですよ。

【三浦】なるほど。与太郎という設定にはしていないということなんですね。

【和田】していないんです。だからやっぱり、ちょっとタッチが違うんですね。

【三浦】単なる怠け者だったり、駄目なやつという。

【和田】そうそう。仕事していないくらいの人にやらせているというふうになっていて。

【三浦】与太郎って非常に特殊な性格設定ですもんね、江戸落語の与太郎は。ある種、江戸落語のスターですもんね。

【和田】そうなんです、そうなんです。だから、僕が江戸落語のスターで、落語を聞き始めたときにすごく面白いと思ったのが、三代目金馬の『孝行糖』という話なんですよね。

【三浦】ああ、『孝行糖』。

【和田】あれは、落語を新たに聞く人にも「何がいいですか」っていったら、僕は金馬をいつも薦めるんだけど。金馬を薦めた中で、じゃあ最初に……といったら、やっぱり『居酒屋』とか『孝行糖』なんですけれども。

【三浦】『孝行糖』、はい。

【和田】というくらいに、もう、めちゃくちゃ良くできた話だと思うんですよ。面白いしね。で、「ばかで与太郎」とか言って。その「ばかで与太郎」というのも、上方を横に置いてみると分かるんだけど、めちゃくちゃ東京っぽい世界観なんですよね。

【三浦】ああ、そうですね、なるほど。

【和田】理屈がないというか、ばかなやつを出して「ばかで与太郎です」とか言って始まるのが……。

【三浦】いきなり……。

【和田】僕はだから、東京落語のファンの人って、やっぱり与太郎ものって結構……スターっておっしゃったけど、真ん中にあるキャラの一つだと思うんだけど(笑)。

【三浦】そうですよね。どんなときでもいますもんね。

【和田】います、います。

【三浦】例えば、『錦の袈裟』みたいな話でもど真ん中にいますもんね。

【和田】そうそう、絡んできますよね。そうね、『錦の袈裟』は真ん中にいますね。なんだけど、だからここはすごい違いだな、というふうに思いますね。

【三浦】上方だと、与太郎という人間設定がちょっとしづらいんですかね、どうなんですかね?

【和田】しづらいんだと思います。要するに……上方落語のほうが実は題材が……落語の作者って基本的には無名なんだけど、無名の作者であり、無名のこれまでの人々が、実はいろんなことにセンシティブなんですよ。だから「これはやらないほうがいいだろう」というのが……。

【三浦】ああ、なるほど。触れないほうがいいとか……。

【和田】というのが多いんですよ、実は。と、僕は思っている。上方落語というのは、ざっくりいうと滑稽を真ん中に置いていて。『たちきり』とかありますけれどもあれは例外的で。江戸落語ほど人情話の比重が大きくないんです。

【三浦】そうなんですか?

【和田】うん。人情話は上方においてとても少ない。というふうにやったときに、「落語というのは浮世を忘れるハッピーな芸じゃなくちゃいかん」という世界観が強いんです。そのルールが強い、ゲームの規則が。そのときにこの、ばかな人というのがいたとして、これを絡めないほうがいいという判断をしたと思う。僕の考えは。

【三浦】なんかこう、嫌な感じになったりする可能性もあるということですよね、そいつのいじり方などを考えると。

【和田】いじり方がネガティブな感じになってしまうから。

【三浦】思う人もいるかも、ということですよね、受け取る側として。

【和田】うん、そうです。その一つの証拠に、例えば藤山寛美のもので、与太郎というか、知恵が足りない人が出てきますよね。

【三浦】ああ、出てきますね。10円ハゲ作って、ランニング着て。

【和田】出てくるでしょ? あれは見ていると、どっちかというと涙を誘うキャラクターなんですよ。ウェットキャラなんですよ。ウェットキャラは与太郎とは全然違うんで、扱いが違うんです。

【三浦】そうですね。東京の与太郎はもっと明るいですもんね。

【和田】明るいです、明るいです。ただ、この話を西の人とすると毎回「寛美のあれと与太郎は違いますがな」みたいな話になるから、すごい難しいんです。僕はネイティブ関西じゃないから難しいんだけど、そういうふうに思っています。それから、人形文楽でやる『敵討襤褸錦(かたきうちつづれのにしき)』というのがあって、あれの最初のほうの段に、やっぱり与太郎みたいなのが出てくるんですよ。読み書きもできなくて、なんにも分からないような。それもすごく悲しいキャラなんですよ。それによって一家が切腹したりするようになるという。

【三浦】そうなんですね。やっぱり悲劇性を帯びているんだな。

【和田】だから僕の考えだと、扱い自体が違うのかなという感じがして。

【三浦】そうですね。

【和田】それはなぜかというと、さっき言った、やっぱり上方はトラディショナルなヨーロッパ文化みたいな、ちゃんとした家があり、商家、商売があり、という社会制度があって……。

【三浦】それを大事に守っていくべきものであるという。

【和田】そうです。で、落語というのは、あくまでそこの難しい要素は極力なしにして、ユートピア的な感じでやりましょうというのも上方落語だと思うんですよ。江戸落語は、さっき言ったみたいにヤンキー文化、後進国文化だと僕は思っている。後進国の楽しさをやっているのが江戸落語だと思っているんです。だからよく昔の漫画雑誌とかで、夜になるとどこかの、箱根とかの峠でみんなで車でガーッと走ってレースするとか、そういう漫画ってあるじゃないですか。みんなでバイク乗っちゃってとか。あの感じだと僕は思うんですよ。

【三浦】まあ、なんか、1回ガラポンするみたいなことですかね? 覆すのか……。

【和田】そうね。そこが、どうでもいいところで……。

【三浦】それでも全然、その人物はちゃんと成立しているし。

【和田】しているということなのかなって。だからすごく刹那というか、すごく無意味なんですよね、東京落語って。

【三浦】その無意味性もたぶん、特徴としていいですよね。「意味ないじゃん、これ」という、「そこがいいんじゃん、でも」という(笑)。

【和田】そう、そう。だから、その与太郎がいて、半日釣りをしている人がいるとして、どこかで「一匹も釣れないのに半日釣りをしていたやつがいるよ」と言っていたら……。

【三浦】それ見ていたやつがいるってことですね(笑)。

【和田】そう。見ていたやつがいるって、俺が見ていたという話があるでしょ? そういう感じのような。いや、僕ですって話。

【三浦】「なんだそれ」ってことですよね。でも、面白いですもんね、それがね。

【和田】そう、そう。だから与太郎がいる余地があるというか。

【三浦】与太郎の、そうか……、存在理由がちゃんとあるんですね、大袈裟じゃなく(笑)。

【和田】かなあ、と。で、三遊亭萬橘という人と話したときには、与太郎というのは本当にカウンターというか、「『お前らはこう思っているけど、こうなんだぞ』というのを、与太郎だけが言える」って言っていました。

【三浦】ああ、なるほどね。

【和田】それは、実演家ならではの感覚だと思いますけども。ある物事を逆の部分から、本質みたいなことを言えちゃう。唯一言えちゃうのが与太郎のキャラだっていう。

【三浦】あ、萬橘ですか? 萬橘って面白いですもんね。

【和田】面白いですよ。彼はそう言っていましたね。それは、八五郎とか熊さんではなく……。

【三浦】……が、やる役割ではないということなんですね。そうか、なるほど。

【和田】そこは萬橘に聞いてもらうのが一番いいんだけど、熊さんとか八っつぁんというのはずらしたことを言う、と。だから「普通こうなんだけど違うこと言っちゃうよ」という面白さなんだけど、与太郎は真逆でくる感じなんですよ。

【三浦】そうですね。誰も考えもしないことをするし、言うし。

【和田】だからその意味で、すごく真ん中にいるキャラだというふうに彼は言っていましたね。

【三浦】それは、非常に分かりやすい解釈ですね。

【和田】与太郎というのは、僕も今言ったようなことは思っているんだけど、すごく本当に興味深いと思っていて。与太郎をどう扱うかって、その社会の一つのリトマス試験紙かなって気はするの。

【三浦】そうですね。時代時代によっても違いますもんね。場所でも違うだろうし。

【和田】そう。例えば、そんなに別に大好きなわけでもないんだけど、イギリスの『Mr.Bean』ってあるじゃないですか。あれってある種の与太郎ものですよね。でも僕は、江戸落語の与太郎とはちょっと違うと思っているんですよ。あれは、あのキャラがいるのがイギリスなら、イギリスの中での何か一つの意味を持つだろうと思う。それからアメリカでも、三ばか兄弟とかあるわけなんですよね。

【三浦】マルクス・ブラザーズ。

【和田】そうそう。マルクスのハーポとかね。ハーポなんかは、ある意味与太郎。意味がもう、コミュニケーション自体がちょっとよく分からないという。だから、それから見てみるといろんな文化が分かるのかな、とちょっと思っていて、興味深いな、と思いますね。……そうだな、今しゃべっていて思い出したけど、例えば志村けんのコントとかで、すごいばかな人って出てくるじゃないですか。

【三浦】はい、出てきますね。

【和田】それと、ダウンタウンのコントで、やっぱりアホアホマンとかいったかな、すごいアホなキャラ出ているんですよ。汚れたパンツはいて出てくるみたいなのがいるんだけども、それが、ダウンタウンのコントのほうがちょっと暗いんですよ。僕の見方だと暗い。なんかカラッとしていない。

【三浦】志村けんのほうが、明るい暗いという次元かどうか分かりませんけど、ダウンタウンより受け入れやすい感じということですか、それは。

【和田】ダウンタウンは、僕はちょっと抵抗がある。あそこに出てくる阿呆はちょっと、なんかきついなって感じが……。

【三浦】志村けんだと抵抗なく、「いるよな、こういうやつ」という。

【和田】そうですね。そんな感じかな。そこはでもすごい違いだな、といつも感じますね。

【三浦】これ、でも、落語の登場人物論というのもかなり面白い話ですよね。また山下さん、これ続いていくとして、登場人物論ももう一回与太郎も含めて掘り下げてみたいですよね。

【山下】はい、ぜひ、ぜひ。


 テキスト起こし@ブラインドライターズ
 (http://blindwriters.co.jp/)

担当 青山直美
今回もご依頼ありがとうございます。落語やコントの中で、一番共感してしまうのが与太郎のキャラクターですが、その中に、地域性があり、その文化、社会まで見えてくることに驚きました。与太郎さんたちの役割は、人を笑わせるだけでは終わらないのですね。ありがとうございました。

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