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精神分析家でアマチュア落語家の藤山直樹さんに聴いてみた。5、夏目漱石と落語、同じ空気を共有する大切さ

精神分析家でアマチュア落語家の藤山直樹さんに聴いてみた。
5、夏目漱石と落語、同じ空気を共有する大切さ

【和田】漱石がね、やっぱり落語が本人の随筆にも書いていて好きだっていっているじゃないですか。

 

【藤山】そうね。確か、当時の小さん(こさん)が好きだったんだよね。

 

【和田】そうそう。

 

【三浦】三代目小さん。

 

【和田】三代目小さんですね。 圓遊(えんゆう)って人も好きで。でも、三代目小さんのほうが、はるかに上だっていう風に書いたりしているんだけども。
漱石が……突然巨大な主題になっちゃうけど「漱石が落語好きだったというのは、なぜなんだろう」みたいなことをちょっとしゃべってみたいんですけど。

 

【藤山】それは、楽しみだね。ちょっと話してみてくださいよ。

 

【和田】いやいや、どうですか? つまり、さっきの三角形の話でいうと。漱石って、自分の家があって、ちっちゃい頃に親類の家に養子に出されて、また元の家に戻るっていう。昔、よくあったといえば、あったのかもしれないけど。

 

【藤山】漱石は、悲惨な人生でしょう。

 

【和田】そこの三角形が、多分うまくできない。

 

【藤山】そうですね。漱石は発病したわけですよね、一回。完全に。

 

【和田】そうです。

 

【三浦】そうなんですね。

 

【藤山】イギリスで具合悪くなっちゃって、戻ってきて。本当に。彼は胃を悪くした時期には精神状態は良いんですよ。胃が良くなると精神状態は悪くなるという、シーソーのように生きていますよ。最終的に胃で死んじゃっているわけだけど。胃潰瘍なので、今ねー漱石が生きていたら絶対死なない病気なんだけど、残念だと思うけど。漱石は49歳で死んでいるんですからね。36から49歳の13年間だけですから、あの人がものを書いていたのは。本当にもったいないと思うけど。具合が悪い時期……だから、具合が悪いですから、本当に。本当に……。結構悪いときには奥さんを殴ったり、子供ひっぱたいたり、とんでもないですもんね。

 

【三浦】胃じゃないときに悪いときってことですか?

 

【藤山】精神の調子が悪いときにはね。だけど、彼がすごいのは、そういうときにでも弟子の前では非常に泰然自若をした態度をとれているわけよね。すごく……ある種、家族に甘えていたんでしょうね。そういうことは、最低限できたんだけど、甘え方がとてもハッピーではない甘え方。
『坊っちゃん』なんかは、漱石は自分のことをずっと応援されていると思うんですけど。
「きよ」ってでてくるじゃないですか。きよっていうばあやだけが、彼のこと、坊っちゃんのことを良くわかってくれてたっていう。ああいう人はきっと、漱石にはいなかったんだよな。坊っちゃんっていうのは、基本的にはすごくおかしな人でね、松山に行って……結局、教頭とか殴ってそれでやめちゃうわけでしょ。半年もしないうちにやめちゃって、やめて帰ってきたら電車の運転手になっているってわけですよ。今でいえば相当変わり者ですよ。

 

【和田】そうですね。

 

【藤山】そういう人でも、あれを読んだときに誰でも坊っちゃんの味方をして読めるのは、坊っちゃんは、本当はよい子で、かわいそうな子なんだと言っていた「きよの視点」でみんなが読むからですよね。そういう風にうまく作っているんですよ。そこがうまいのだけど。
だけど、やっぱり……夏目漱石というのは、相当病んだ人だったことは確かで、病んでいたけど、ものすごい頭良い人だと思うんですよ。漢文がすごかったんです。今でも漱石がつくった漢文を、中国人なんかにみせると腰抜かすみたいですよ。すごいものが書けている。でも、漢学をやっていたのに急に英語に転向するわけじゃないですか。彼の全集なんかに入っている英語の論文や詩なんかもすごいことね。ものすごい英語ができる。こんなきれいな英語を書ける日本人って、どうなのって思うくらいなものが書ける。言語の天才っていうのかな、そういう人が東京帝大の英語学の教授になった人ですからね。
そういう人が、落語を聞いて、小説を書いて、大学やめて、ああいう生活に入る……なんかやっぱり……独特の人だったんだろうなって思うんですよ。落語は彼を支えていた、救っていたんじゃないですかね。

 

【和田】漱石が書いた『正岡子規』という、ちょっと短い文章があって。正岡子規が亡くなったときの追悼文てきな感じで書いているやつなんですけど。「正岡くんとは、知り合ってすぐに友達になった」それは、帝大の同級生だから知っているあれなんだけど。それだけじゃなくて「僕と彼の間には共通の趣味があったからである。それは、寄席通いである」って書いてあるんですよ。あの二人が寄席通いでくっついたっていうのがすごい。

 

【藤山】二人とも俳句をやっていたっていう。僕も一応俳句やっているんですけど。何かね、つながるんでしょうね。

 

【和田】さっきの話でいうと、自分がいて母性があって父性があってっていうのが、できる人がいるのかどうかは知らないけど。きちっとトライアングルになっちゃう人っていうのは、えっと……。

 

【藤山】もちろん、いないですよね。

 

【和田】難しいんでしょうね。

 

【藤山】本当にパーフェクトの人なんていないわけで、どこかほころびがあるわけで。そこが、その人の個性になったり病気になったり。僕はこころの病気っていうのは、生物学のほうからいえば、ここがどうとかあるんだけど。人間っていう風な視点で考えれば、ひとつの生き方だと思うんですよね、病気もね。昔だとイエス・キリストも今、生きていたら病気でしょう? 急に何も食わなくなって、シナイ山に行ったり、あれ病気ですよ。もちろん、ジャンヌ・ダルクは病気です。とにかく、病的なものによって文化ってものは生まれてきたと思うわけで。どんなやつもみんな病気だから、薬だせば良いとかなっちゃったら、文化はやせちゃうし。まー談志なんかは、ギリギリのところで生きていた人なんじゃないですか。

 

【和田】談志さんは、病気ですよね。めちゃくちゃ病気だと思います。落語があったから、自分は社会の範疇(はんちゅう)にいられるって自分でも言っていましたからね。本格的なドロップアウトしないですんでいるって言っていたから。

 

【藤山】サラリーマンとかには、なれないですよね。

 

【和田】そりゃ、そうでしょうね。

 

【藤山】サラリーマンとかになれるような人が落語家……。でも、志の輔さんがサラリーマンある程度やっていたのはびっくりするね。

 

【和田】志の輔さんもミステリアスではあるな。つまり、談志師匠の場合は「あの人、病気だよね」っていう風に言えちゃうんですよ。志の輔さんには言えない。

 

【藤山】志の輔さんにはなかなか言えない。「ためしてガッテン」とか、ずっと務まっているし。

 

【和田】言えない人って、だからつまらないよねってなりがちなんだけど、志の輔さんの場合は、落語の結果だしているから。つまらなくないわけで。

 

【藤山】逆にいえば、志の輔さんはどんな落語の初心者を連れて行っても、ちゃんと満足して帰ってくるし、玄人が見ても面白いわけで。談志なんかは、最初にいきなり聞いたらちょっと「えー」みたいな人もいたと思いますけど。晩年なんかは、愚痴ったり、ピタって倒れたりするんだから、大変ですよ。

 

【和田】米朝(べいちょう)師匠が「落語っていうのは、お客さんに1000人なら1000人の人たちに催眠術をかける芸だ」って言っているんです。

 

【藤山】すごいこと言っているんですね。

 

【和田】これが大事なところで。「だけどテレビ中継されちゃうと、テレビの向こうの人は催眠術をかけられないから、同じ楽しさにはならない」ってなことをおっしゃっているんです。

 

【藤山】それはそうです。素晴らしいですね。

 

【和田】その……なんでしょうね。催眠術っていうのは、先生の専門につなげちゃっていいのかどうかよく分からないけど。

 

【藤山】今の話だと、精神分析を「Zoom」でできるのかっていう話につながりますよね。

 

【和田】そっか、精神分析も同じ空気じゃなきゃ……。

 

【藤山】僕は思っていますね。患者さんが寝てやれるわけだけど。
例えば、患者さんが僕のことをすごく憎くなったり。人によっては、われ患者さんがよく言っているのは、「ここの本なんかを全部ダーンとたたきつぶしておろして、ガラスのドアを全部たたき割るということを夏休み中に考えていました」とかよく言うんですよ。僕のことを憎い。実際はやらないですけどね。

強い憎しみとか、強い愛情みたいなものが、治療は出てくるものなんですよ。その関係っていうのは、結局は親との関係がこれに再現されている部分ですよね、プリミティブなものが。そこを使って、何かをやっていくわけで。強力に僕のことを好きになったり憎んだりするわけだけど、そういうのって患者はそういうこと言われるとドキッとするじゃないですか、こちらも。ドキッとするから、それによって、こちらもいろいろ感じたり考えたりして、それに言ったりできるけど、「Zoom」越しでそんなこと言われてもドキッとしないもん。ドキッとしなかったら精神分析にはならないよって僕は思って。
実際に「刺せる」とか「抱きつける」とか、「可能性」というものがある空間だから意味があるのであって。「先生と抱きつきたい」とか言われても、ドキッとするから意味があるんで。「Zoom」越しで言われても「あーそうですか」って言うだけになっちゃいますからね。

 

【和田】なるほどね。

 

【藤山】その本にも書いたのだけど、幼稚園の時にラジオ時代の落語が大好きだったわけですよ。テレビになったらコント55号のほうが面白いんですよ。それは、全然面白いんですよ。落語は、おっさんやじいさんがそこに座って、ただ喋っているだけじゃないですか。だから、なんとなく子供は、だんだん落語は見なくなるわけですよ。ラジオの時はワクワクしたのに。

 

【和田】そうですよね。落語はラジオとテレビだと圧倒的にラジオが向いてます。そこに自分で絵を維持するものだから。それは、面白い話ですね。「Zoom」の精神分析がだから……。

 

【藤山】「Zoom」でやるとか言っている人もいたり、海外ではもっとそういうことを研究している人が出てきたりしたけど。僕は、「Zoom」でやったら精神分析ではないので、「Zoo」でしかできなくなったら休むしかないと思っていました。もう休むしかないって。しょうがないと思っていました。僕はずっと患者さん来てくれていましたけどね。全然なにも、コロナ時代は普段と変わらない、違うことをやっていないで生きているんですよ。外ではマスクはしていますよ、殴られたりするのは嫌なので。

 

【和田】先生の、藤山さんの話は、すごい触発される部分がありますね。僕も落語でも文学でも、何を描いているかというと。さっき言ったみたいな、自分がいて母がいて父がいてっていうのが、みんな何かしら壊れていると。それが巨大なというか中心的なモチーフだと思うんだけど。さっき先生がおっしゃったように、イエス・キリストが今いたら、たぶん病人だよね、ジャンヌ・ダルクがっていうのも、イエス・キリストもジャンヌ・ダルクも宗教と関係していますね。そして、異端と言われていた人じゃないですか。西洋の映画でいうと、ベルイマンの映画とかって、そういう人たちをモチーフにしていると思うんだけど。あれも宗教が関係してくるわけですよ。

 

【藤山】宗教がなかったら成り立たない映画ですよ。

 

【和田】「神の沈黙」とか、成り立たないでしょう。落語が面白いと思うのは、宗教ぬきの三角形をやっている気がするの。

 

【藤山】宗教っていうのがない。日本人は宗教っていうのが何かよくわけ分からないけどね。願掛けに行く落語とか、お祖師様まわり行ったりとかするけど、この人はどういう宗教心をもっていたいのかと思いますよね。

 

【和田】それを強くはでていないよね。

 

【藤山】一神教的ではないことは確かですよ。

 

【和田】僕が自分で書いた本に記した意見なんですけど。古い時代の浄瑠璃とかっていうのは、ものすごい難病の人がいて、観音様に願掛けして、最後にあまりにも願掛けして崖に身投げみたいなのをすると観音様が出てきて「おまえの病は、これこれで治してやる」って言って、その30分後に立たなかった人が歩けるようになったとか、そういう話があるじゃないですか。それって奇跡じゃないですか。それで昔の人は、涙したり、良かったねってなったと思うの。落語って、江戸の末から近代のものなので、そこはもう捨てたんですよ。そういうのが、起きない領域をやっているのかなと気がするんですよね。基本的にポジティブな奇跡は起きない。

 

【藤山】起きないね。ものすごい落語ってリアリスティックなんだよね。だけど、日常的な世界を扱っているんだけど、本質を突いているんだよね。そこがいいんだよ。

 

【和田】奇跡でも、胴切りみたいに、人がバンって切られました。だけどなぜか、生きている。上半身と下半身でセパレートされてディバイドされて生きているっていう、あれも奇跡っちゃー奇跡なんだけど。だから、変な奇跡ですよね。

 

【藤山】そんな奇跡があっていったいなんになるのっていう(笑)。

 

【和田】そうそう。なんになるのって。

 

【藤山】なんにもならんでしょう。みたいな。

 

【和田】*どういうあげ孝行(00:15:28)でいくみたいなね。


transcribed by ブラインドライターズ<http://blindwriters.co.jp/



担当者:星野
この度は、ご依頼いただきありがとうございました。行きたいと思いながらも、落語に行く機会を逃していたため、今回のお話を伺えたことで、落語を目の前で感じられる空気感と共に味わいたいと、より一層思いました。
またのご依頼を、心よりお待ちしております。

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