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【PODCAST書き起こし】アングラ演劇について「梅山いつき」さんに聞いてみた!全4回(その1)三浦さんがアングラ演劇史を語る!10000字!


【オープニング】TFC LAB presents みんなで語る小劇場演劇

【山下】皆さんこんにちは、みんなで語る小劇場のお時間です。MCを務めるのが私、山下とうちの会社の……。

【三浦】三浦です。よろしくお願いいたします。

【山下】今日はゲストに近畿大学で准教授をされている梅山いつきさんに来ていただきました。よろしくお願いします。

【梅山】よろしくお願いします。

【三浦】よろしくお願いします。

【山下】そもそもですね、私と梅山さんの出会いは、近畿大学の先生をされていた西堂行人先生が三茶の世田谷パブリックシアターで舞台芸術のクリティックという講座があって。

【三浦】批評の講座ですか?

【山下】そうです、演劇批評の講座があって、そこに参加したときに梅山さんも来ていたので実は同級生なんですね。

【三浦】ああ、そうなんですね。

【山下】年齢が20歳くらい違うのに同級生ということで、そのとき梅山さんまだ学生だったんですか?

【梅山】そうですね、大学2年生だったと思います。

【山下】なるほど、それで梅山さんがもう、アングラ演劇にすごく興味を持たれて、あれよという間にアカデミックな世界に進まれて大学院で博士課程までお取りになって、それで今、近畿大学で教えてらっしゃるということですよね。

【梅山】はい。

【山下】アングラ演劇をなんでやろうかっていう話なんですけど、そもそも三浦さんはこのポッドキャストで色々活躍していただいているんですが、私が新人の頃に三浦さんのデスクを見たらですね、寺山修司のビデオの全集が、あれ10巻くらいですかね?

【三浦】10巻もなかった、8巻かな?

【梅山】イメージフォーラムのDVD-BOX、そうですね6本……。

【山下】そのときね、VHSだったんですよ。

【梅山】ああ、だからまだこんな山になって……。

【山下】そう、30年くらい前だから。こんなのを見る人がいるんだ!うちの会社でって思って。

【三浦】VHSでしたね。

【山下】そうです。

【梅山】わかります、わかります。

【山下】こういう人がいる会社面白いなって思って、興味を持っていて、それで僕も30年以上働くことになったんですけど、で、三浦さんと1回アングラ劇の話をしようねということで、僕と三浦さんだけだとあれなので、ぜひ梅山さんに来ていただいて我々よりも20年以上若い世代の人が興味を持たれたとか、そういった話も聞いていきたいんですけども。

まず三浦さんに、そもそも寺山修司とかに興味を持ってビデオとかもお買いになったとか、なんかそのへんを。

【三浦】そうですね、演劇そのものっていうのは感心なかったわけじゃないんですけど、今から思えば1番最初は、私は学年で言うと5歳離れた兄がいまして、実は、今はもう亡くなっているんですけど、兄が早稲田大学の第一文学部に入っていて、そこでどういうわけか……早稲田大学の文学部って演劇すごく盛んですよね?

【梅山】そうです。

【山下】梅山さんが早稲田の大学院ですよね?

【三浦】あ、そうですか。

【梅山】そうです。

【三浦】それで、兄貴から「ちょっと今度、演劇やることになったから見に来ないか?」って言われて。

【山下】お兄さんが演劇をやるほう? へぇー。

【三浦】そう、1977年とか6年とかそれくらいで、どらま館ご存知ですか?

【梅山】はい、今もあります。

【三浦】森尻純夫さん?

【梅山】はい。

【山下】なんですか? どらま館って。

【三浦】森尻純夫さんっていう演出の方。

【梅山】早稲田小劇場という鈴木忠志さんが作った……。

【山下】劇場のこと?

【梅山】同名の劇場を大学の南門出てすぐの喫茶店の手前に……。

【山下】新しくなった……何回か行きました。あそこどらま館って言うのか。

【梅山】70年代の初めに森尻さんに代替わりして、漢字で『銅鑼魔』で、よくその時代……。

【山下】ああ、そうなんですね、当て字で。

【梅山】銅鑼の銅鑼。

【山下】ガーンっていう銅鑼ね。

【三浦】そうです、魔術の魔で。

【山下】へぇー。

【三浦】西行の話だったんですけど。

【山下】西行法師。

【三浦】いわゆるアングラという形式の芝居を見に行ったのはそれが初めてで、すごく面白かったというか、兄貴がしょっぱなから出てきたんで。

【山下】(大笑い)

【三浦】どこで出るとか聞いてないから、驚くわけですよ。

【山下】インパクトありますよね、アングラ演劇で、お兄ちゃんが。

【三浦】すごいインパクトあって。

【梅山】すごくちっちゃい空間ですよね。目の前に。

【三浦】そうですそうです、今だったら大変、みたいなことですよね。

【梅山】そうですよ、だからそうなんですよ。

【三浦】どんなところだったのかなってひも解いてみたら、1回建て直したりしてるんですか? 鉄筋コンクリート。

【山下】今は鉄筋コンクリートですごくきれいになってますね。

【梅山】そうなんです。森尻さんが管理されてる時代が長く続いて、それを大学が買い取ったという形で立て替えて現在の早稲田小劇場どらま館という名前に変えて。

【山下】なるほど、だから早稲田小劇場どらま館って言うのか。

【梅山】歴史を汲んでそういう名前になってるんですね。

【三浦】まだその頃は鉄筋じゃなくて木造だったような気がしますけど、記憶が定かではないんですけど。

【梅山】そこから1度雑居ビルみたいなものに変えて、更に今の形になったんじゃないかと思います。

【三浦】早池峰神楽とかも呼んだりしてましたよね?

【梅山】おそらく森尻さんが、民族芸能がすごくお好きというか、専門の方だったようです。

【山下】森尻さんという方はプロデューサーかなんか? 館長?

【三浦】演出家ですよね?

【梅山】劇場の管理運営をされてたようですね。

【山下】そうなんですね、ありがとうございます。

【三浦】芝居やるときは演出もされたという。
ていうのがまず1回、これが高3だったか大学に入ってたかちょっと覚えてないんですが。

【山下】すごい。

【三浦】その後大学に進んで3年くらいからゼミに入ったときにゼミの中に演劇好きがいて、それで1番最初に見たのが状況劇場の『唐版・犬狼都市』澁澤龍彦さんので。

【梅山】去年、新宿梁山泊で再演されましたね。

【山下】そうなんですね。

【三浦】『唐版・犬狼都市』っていうのを見て圧倒的な……。

【山下】インパクト。

【三浦】スピード感とエネルギーに満ち溢れていて。

【山下】わかります、わかります。

【三浦】その後、卒業してからかな? 両国の駅の跡地かなんかでやってた立て直し……。

【山下】空き地になってるとこですね。

【三浦】『お化け煙突物語』台東区の伝説でこっちから見ると3本っていうのがあるじゃないですか?

【山下】はいはい。

【梅山】はいはい。

【三浦】そのへんが始まりですね。やっぱり唐さんの状況劇場に強烈な刺激を受けて。
でも学生のときは、本来ならもっと見ることができたはずなのですが、なぜかそのぐらいの体験で、むしろ仕事始めてから見ることの方が多かったんですよね。
83年の5月に寺山修司さんが亡くなられるんですけど、その前年かな? 天井桟敷の『観客席』っていう非常に実験的な芝居があって、これは狭い閉鎖空間でする芝居で、私が見たのは渋谷のジァン・ジァンっていう。

【山下】ありましたね。

【三浦】もうないんですかね?

【山下】ないです。

【三浦】昔よく演劇やってたとこなんですけど。ジァン・ジァンでご存命の寺山修司さんが実際に舞台にも出てきて、評論家然と語るというシーンがあって。
『観客席』ってバージョンが1981とか82とかってあるんで少しずつ演出とか変えてるんですよね。
『観客席』見た時にこれもまた相当な衝撃が……。

【山下】どんな感じだったんですか?

【三浦】あのですね、まずジァン・ジァンに入ると舞台とかないんですよ、全部椅子。「これ何だ?」と思いますよね? 場内アナウンスなどがあり暗転すると、これ私がよく言ってる話なんですけど、天井桟敷の芝居ってそれが万有引力にも引き継がれてますけど、暗転が本当にすごいんですよ、真っ暗。

【山下】完全暗転っていうやつですね。

【三浦】これくらいに手をかざしても。

【山下】全く見えない。

【三浦】これが怖くて。で、音響担当って音楽シーザーさんで。

【山下】J・Aシーザー。

【三浦】音響、森崎偏陸さんとかそういう人がやってたんですけど、ものすごい轟音が。

【山下】響き渡るんだ。

【三浦】狭いジァン・ジァンの中で響き渡って、パッと音が止み明るくなると客席の1部が反対側向いてたりするんです。

【山下】相当驚きますよね。

【三浦】それって、あの暗闇の中でやってんの? 

【山下】ねえ、本当に。

【三浦】まずその衝撃が大きくて、それが何回か繰り返されると舞台ができてたりするんです。

【山下】ああ、なるほど。

【三浦】それで芝居が始まっているんですけど、とある人が遅れてやってきて「ここの席はここ何十年も俺の席なんだよ」って。当然座ってるやつもきっと役者だし入ってきてるやつも。

【山下】仕込みですね。

【三浦】仕込みっちゃ仕込みなんですけど、だから結局誰が役者で誰が客なのかが。

【山下】わからない、面白いですね。常識を反転するんですね。

【三浦】初めて見た天井桟敷がそれで、これもっと見とくべきだったなって思ったら翌年83年5月に亡くなって、たまたまその7月に天井桟敷名義の最終公演『レミング―壁抜け男』が横浜でやったので。

【山下】名作ですよね。

【三浦】それを見に行って、天井桟敷名義で見に行ったのはその2公演だけです。

【山下】生の寺山修司さんをご覧になってらっしゃると。

【三浦】まあ、そうですね。

【山下】うらやましいですね、本当にね。

【三浦】たまたま亡くなった83年の5月に、これ予定されてたんでしょうね、本多劇場で演劇団の流山児祥さんたちが『邪宗門』をやると、訃報を聞いてこれも見たいなと思って。
『邪宗門』っていうのは結構70年代初頭かな?

【梅山】そうですね。

【三浦】かなりセンセーショナルな。

【山下】そうなんですか。

【三浦】衝撃をもたらした公演で有名なものなんですけど。

【山下】『邪宗門』もアングラ演劇の1ジャンルという捉え方で大丈夫なんでしょうか?

【梅山】天井桟敷の公演です。

【山下】あ、そうなんですね、失礼しました。

【三浦】流山児さんって天井桟敷大好きなんで、事あるごとに寺山さんの本で演劇団でやったりするんです。
『邪宗門』を再演して、結構暴力的な芝居ですよね。
初演が、確かヨーロッパかなんかでやってるんだと思います。

【梅山】そうですね。

【三浦】寺山さんってむしろ海外の評価の方が高かったり……。

【山下】海外の公演、僕全然知らないんですけど、寺山さんはヨーロッパとかにも行かれてる?

【梅山】フランス、ドイツ、オランダ、あとアメリカの方にも。

【山下】寺山さんは欧米なんですね。なんかね、後で出てきますけど鈴木忠とか佐藤信さんはアジアを中心に、そこの差もあるのかな、と。

【三浦】寺山さんは基本的にヨーロッパですね。だからヨーロッパで市街劇とかもやってたんですよね。『人力飛行機ソロモン』とか。

【山下】衣装とか造形とか色とかが独特だから、ああいう文化ってヨーロッパにないんじゃないですかね?

【三浦】たぶんヨーロッパの人たち飛びついたと思いますよ。

【山下】なんかね、いい意味ですごく変なものというか異形のものみたいな感じがするから、それはありましたね。
その後、三浦さんわりとアングラ演劇の俳優さんと仕事をしたりっていうのがあったんですか?

【三浦】もう1つ自分の演劇体験としては重要なのが、太田省吾さんの転形劇場で、たまたま私の入った会社が赤坂にあるんですけど当時まだ転形劇場のアトリエが赤坂にあったんですよ。

【梅山】T2スタジオ。

【三浦】何スタジオでしたっけ?

【梅山】T2スタジオです。

【三浦】そこで、これは多分1983年くらいのことだと思うんですけど、沈黙劇の『水の駅』を再々演くらいになるのかな、やって同じく再々演で『小町風伝』と、青山にある観世流の

【梅山】銕仙会ですね。

【三浦】銕仙会の能楽堂で。僕はだから今でこそ能よく行きますけど能楽堂に入った初めてのが銕仙会だったんですよ。
銕仙会で『小町風伝』をやって、その後3部作の3つ。
よく沈黙劇3部作というと『水の駅』『地の駅』なんとかって、当時上演の3つ連続で転形劇場がやって、3つ目は『死の薔薇』っていうのをやって。
それも『水の駅』には大変衝撃を受けて、全く言葉を発しない役者の動きが本当にスローモーで。

【山下】そうでうすよね、あの動きは。僕は映像でしか見たことないんですけど。

【三浦】あ、でも1回他の人がやった再演行きましたよね?

【山下】そうですね、杉原邦生さんが演出をやったやつを、セゾンの稽古場。

【三浦】森下ですね。

【山下】一緒に森下スタジオに見に行ったんですけど、あのときは普通に移動のスピードも速かったけど。

【三浦】そうですね、だからもっとゆっくりだったと思いますし、水道の水がピチョンピチョンと落ちてくる象徴的な舞台、その周りをゆっくりとした動きで徘徊する人たちが、なんか見ていてとても悲しく見えましたね。

【山下】あれってやっぱり太田省吾さんって、能とそれをつなげようって言うこともあったんですかね?

【三浦】やっぱりどこでやろうかっていうときに能舞台っていうので1回やってみようって思ったみたいですよ。

【山下】能楽師も舞で入ってくるときにすごくゆっくりじゃないですか?

【三浦】そうですね。

【山下】あれとイメージが近い気がした、それは関係ないのかな?

【梅山】結果的にだと思います。

【三浦】そうですね。

【梅山】『小町風伝』も三浦さんがおっしゃったように試してみようってやってみたらむしろその空間に自分の言葉が跳ね除けられたという。だからこれは言葉はむしろない……。

【山下】なるほど、そういうことか。

【三浦】最初は『小町風伝』も主役の方、佐藤和代さんでしたっけ?

【梅山】はい。

【三浦】台本としては台詞ってもっとたくさんあったんですって。

【山下】それがそぎ落とされていった。

【三浦】今まさに梅山さんおっしゃった、能舞台だから跳ね除けられる体感というのを感じて、どんどん少なくしてああいう形になったっていう。

【山下】面白いですね、無にだんだん近づいていったんだ。

【三浦】『小町風伝』だけは全くの沈黙劇ではないんですけど、台詞もあるんですけどね。

【山下】いやいや、すごい興味持ちました。ありがとうございます。
それで仕事がらみでやられたというのは?

【三浦】仕事に関してはまた別であるんですけど。

【山下】アングラ演劇人たちと仕事をしたという。なぜかCMの仕事をしてるっていう。

【三浦】そうですね、大きく言うと2つあって第7病棟を見て。

【山下】石橋蓮司、緑魔子。

【三浦】85年の『ビニールの城』っていう……。

【山下】素晴らしいですよね。

【三浦】壮絶な舞台で。

【山下】あれは僕も生涯に残る傑作だと思います、本当に。

【三浦】常盤座行かれました?

【山下】僕はそのとき大阪だったんですよ。大阪の九条の安治川にあったすごい変なところで、それは本当に覚えてる。大学3年のときにね。

【梅山】大阪でご覧になったというのも貴重ですね。

【山下】僕は85年に東京へ出てきたんで、それはもうアングラのすごい体験でした。鶏も出てきました。

【三浦】常盤座は当時の古い劇場で天井がものすごく高くて、そこをフルに活用して。
第7病棟っていわゆる普通の劇場でやることを最初から拒否してたんですよね。

【山下】そうですね、それが面白かったですよね。

【三浦】劇場探しから芝居が始まるっていうことになっていて。
電車でたまに知ってる人がいて、転位・21の藤井びんさんとか。

【山下】藤井びんさんね。

【三浦】千代田線の電車の中で会って「何してるんですか?」って言ったら「ちょっとあの人たちにさ、劇場探し付き合えって言われて」

【山下】(大笑い)俳優も一緒に。

【三浦】ただ藤井びんさんって第七病棟の役者さんじゃないんですよ。

【山下】ですよね。

【三浦】ただ友達みたいで。当時、なんで藤井びんさんを知ってたかというと銀座にとあるシェリーのお店があって、そこの店長やってたんですよ。

【山下】ありましたね、泰明小学校の近く。

【三浦】そうそう、あの脇に。

【山下】「しぇりークラブ」とかなんかね。

【三浦】そこにたまたま行ったら、あの人どっかで見たことあるな、藤井びんさんかな? って声掛けたら「そうです」って。だから当然転位・21もよく見ていて。

【山下】山崎さんの。

【三浦】残念ながら最高傑作と言われた『子供の領分』というのは仕事で行けなかったんです。

【山下】1回も見たことないです。

【三浦】転位・21はなかなか重いですけど。

【山下】実際の事件を扱ったりしてるから。

【三浦】『イエスの方舟事件』とか『伊藤素子オンライン詐取事件』とか。

【山下】面白そうですね。

【三浦】克美茂の、羽田空港に車停めといてそこから死体が出てきたっていう『勝手にしやがれ』

【山下】すごいですね。

【三浦】『子供の領分』はね金属バット殺人事件の話ですね。結構伝説化されていますね。
そんなところで第七病棟については、その後も山下さんと同じ、僕も見続けたんですけど。

【山下】銭湯へ行ったり映画館へ行ったり。

【三浦】我々はCMを作っていたのでナレーションとかをお願いしたいみたいなことが……。

【山下】そうですね、ナレーションは俳優さんに読んでもらおうかってよくやるよね。

【三浦】とあるCMを石橋蓮司さんに読んでもらって。

【山下】甘い良い声ですもんね。

【三浦】そこで第七病棟の制作をやってた毛利さんという方と知り合って、第七病棟が芝居をやらなくなるまで見続けて。

【山下】全公演。

【三浦】あとはですね、状況劇場の後期、梁山泊の金守珍さんのことも結構好きだったので、あるCMでナレーションお願いしたりとか。

お世話になってる広告会社のクリエイティブディレクターの人で、これまたアングラ好きがいて。

【山下】白土謙二さんですね。

【梅山】寺山さん関係で知ってます。ちょっとしたやり取りですけど。

【山下】えー、もう天才っていうかものすごい人ですよ。

【梅山】ご一緒させていただいたことがあります。

【三浦】白土さんと結構長く仕事をさせてもらってて、一緒に今度時代劇っぽいものやろうということになって。

【山下】サントリーの白角。

【三浦】誰にやってもらおうかということを考えたときに信長・家康・秀吉みたいな設定でやったんですよね。
そのとき信長をイメージ合うかどうか置いといて第三エロチカの川村さんに頼み。

【山下】川村毅さん。

【三浦】徳川家康を麿さんに。

【山下】麿赤兒。今の時代中々難しそうなすごいキャスティングですよね。

【三浦】次のシリーズで、これはちょっとアングラではないですけど清水紘治さんにもお願いしたりして。

【梅山】黒テントですね。

【三浦】あ、そっか、清水さん黒テントですね。

【山下】アングラですね。

【梅山】まだ演劇センターと名乗っていた頃のメンバーですけど。

【三浦】清水さんが客演した状況劇場後期の『住み込みの女』っていうのがあって、これは新宿の十二社ってありますよね?

【山下】西口のね。

【三浦】十二社の場所でテント立ててやったことがあるんですけど、状況劇場の『住み込みの女』という公演があったときに屋台崩しのところででっかいパワーショベルが出てきて、そこの中には李さんがいるんです。そのパワーショベルの中から清水紘治がぶら下がって振り回されるっていう。

【山下】すごい怖いじゃないですか、危ないじゃないですか。大変な……。

【三浦】ヤバくないかと思って。

【山下】スタントマンみたいな。

【三浦】本当そうなんですよ。すげぇなって思って。

【山下】十二社って新宿西口公園ではないところ?

【三浦】西口公園からもうちょっと奥の方に行ったところですね。神社とかあるところかな?

【山下】そうなんですね、そんなとこあったんですか。

【三浦】その清水さんにも出ていただいたりとか、ていうのが会社に入ってしばらくしてからのアングラとの関りで。
もう1つだけあるのが、入社してCMを作る仕事をやっていたんですけどペーペーなので大変なことばっかりで言っちゃうと面白くないわけですよね。
よく若い頃って、ここにいる自分は自分ではないみたいに思うことがあるわけじゃないですか?

【山下】どこかへ行きたい私。

【三浦】会社に入ってもすごく演劇を見ていたので、ある劇団を見たときに「この劇団と関り持ったら楽しいんじゃないかな」って思ってブリキの自発団……。

【山下】片桐はいりさんのね。

【三浦】生田萬さん、奥さんは銀粉蝶さん。
その劇団の手伝いをしてたんです制作の。

【山下】へぇ-そうなんですか。

【三浦】チケット預かって売るみたいなことはしなかったんですけど、客入れ手伝ったりとかそういうことをちょっとしていて。
いい役者さんそろってまして、はいりさんはご存知の通りですけど。

【山下】超有名ですね。

【三浦】蒲生君平さんとかね、サギノミヤテルコさんとかすばらしい役者でしたね。

【山下】やっぱりみんなユニークな見た目の感じですか? そうでもない?

【三浦】いやー、ユニークですけど人としてみなさんすごいちゃんとしてらっしゃって、特にサギノミヤテルコさんとかとてもいい人でした。

【山下】ああ、そうですか。

【三浦】ただ、ブリキの自発団さんは劇団員の人みんな言うんですけど「うちの生田が書くのが遅くて」て言って、だんだん書かなくなって……。

【山下】ブリキの自発団って自然消滅?

【三浦】あんまり活動しなくなった感じですか?

【梅山】ちょっと終わりというかどうしてるか私の記憶はあれですけど、生田さんは今、座・高円寺で佐藤信さんと一緒に演劇創造……。

【山下】アカデミー。

【梅山】の講師を務められてて。

【三浦】そうですか。

【山下】なるほど。

【梅山】つい先日もその終了公演で演出をされていましたけどね。

【山下】わりと、教育の方に。

【三浦】じゃあしっかり演出の活動されてるんですね。

【山下】なるほど。三浦さんのアングラ体験人生でした。

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この度はご依頼をいただきまして誠にありがとうございました。
今まで演劇という分野に関わることがほとんどありませんでしたので、演劇の仲にも様々な分野に分かれていることや、とてもたくさんの劇団や役者さんがおられることを知りました。
中でも、台詞を言う演技だけでなく、台詞のない演技や、様々な空間を利用しての演出などがあることに興味を持ちました。
世代を超えて3人で会話がはずんでおられるご様子も、楽しく拝聴いたしました。
またこのような演劇のお話を伺えることを楽しみにしております。

ブラインドライターズ担当 角川より子

テキスト起こし@ブラインドライターズ
(http://blindwriters.co.jp/)


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