【PODCAST書き起こし】和田尚久さんに会社で一番落語に詳しい三浦さんが立川談志と談志のラジオについて聞いてみた。その2

【PODCAST書き起こし】和田尚久さんに会社で一番落語に詳しい三浦さんが立川談志と談志のラジオについて聞いてみた。その2

集まれ!伝統芸能部!!

【山下】立川談志師匠が落語協会を辞めたというのは、どこに理由があるんですか?

【和田】いや、それは、だから、ちょっと、私もその現場にいたわけじゃないからよく分かんないですけどね。だけど、いくつかの、例えば談志郎さんが本を書いたりだとか……、書いてますよね、証言を。

【山下】あ、その当時のことを。

【和田】その場にいた人の、お弟子さんの証言が書いてあって。直接的には、当時、落語の真打昇進試験というのがあって、試験で審査員が6、7人いて合議をすると。で、真打になっていいですよ、この人はまだですよというのをジャッジすると。だけど、ペーパーテストじゃないから数値化って難しいわけですよ。

【三浦】まあ、そうですよね。点数付けられないですもんね。

【和田】付けられない。付けられないんだけど、受からせたり落とすということは、ある種付けるわけですよね。

【山下】まあ、そうですよね。基準がないと、ですね。

【和田】でしょ? そう。で、その試験が83年にあったんだけど、そのときに、談志師匠のお二人の弟子が落ちた。その落ちた試験の中で、逆に、三平さんの弟子は受かっている。で、談志師匠がその結果を聞いて激怒して、今言ったように、どういう基準でうちの二人は駄目だと言っているのか、逆に言うと、じゃあ三平さんのとこの弟子はいい、優っていると。じゃあ、それ、どういう基準でやっているの? どういう採点をしているの? それ言えるのか? 言えないだろう? と言って、俺の弟子の、俺の育てた弟子が、三平さんのところの弟子に劣るわけがないと。まあ、そこがこじれて、協会側は、でも、それを覆さない。だったら、こんなところにはいられないと。じゃあ、出ますと言って出たというのが、直接の契機です。

【三浦】あ、そうなんですか。それはやっぱり、協会の、当時の、その審査した人たちが、若干忖度したみたいなことなんですかね。
あと、談志師匠が、ちょっと、こう、なんていうか、あの……。

【山下】もしかして、本流じゃなかったというようなことなんですか?

【三浦】いや、本流じゃないというよりも、うまいし目立つじゃないですか。だから、そういう意味で、ちょっと……。

【山下】やっかみされたみたいな?

【三浦】やっかみ、やっかみ。そうかもしれないです。そういうのあったんですかね?

【和田】どうだろうな?

【山下】嫉妬みたいなことなんですかね。

【三浦】嫉妬。嫉妬。そうです。

【和田】いや、でも、そこはちょっと非常に不思議で、やっぱり基準がなかったというのが問題だったと思います。だから、その会のときじゃないんだけど、志ん朝さんの弟子で古今亭志ん八さんという人がいて、古今亭右朝という名前になったんですけど、この人ほんとにうまい人だったんです。志ん朝さんの門下で、右朝さんがいれば志ん朝さんの芸は今日にあったなと、僕は思っている。志ん朝さんがいなくなっても、右朝さんが、たぶんそれを継いでいた。だけど、残念ながら、50代で早死にされちゃったんだけど、その志ん八さんは、誰が見てもうまい、ファンも認めている、寄席の関係者もうまいと言っている。だけど、なぜか、志ん八さん、落ちているんです。それ、結構、さすがに問題になったわけですよ。志ん八さんがなんで落ちているのって、じゃあ誰が受かるのってということになって、いろいろその声が大きくて、マア、それだけじゃないんだけど、真打昇進試験は廃止されたんですよ。

【三浦】そうなんですか?


【和田】廃止されたんです。

【山下】それが原因で? 

【和田】それが一因ですね。

【山下】あ、一因で。はあ。

【和田】それ原因とは言っていないけど、さすがにあのときは、志ん八さん落ちると言って、じゃあ何が基準なのというふうに、やっぱりなったんですよ。

【山下】やっぱり、それは世間的に、もうそうなっていったという、広く……。

【和田】なりました。落語ファンとかね、周りの人とか、幕内でもやっぱりなったみたいで。で、究極的には、だから、やっかみとかじゃなくて、なんか基準がないからそうなっちゃうらしいんですよ。

【山下】そうか、そうか。そもそものね、ちゃんとした基準が……。

【三浦】その審査している人間が話しているうちに、そうなっちゃったってことですよね。

【和田】なっちゃった。

【山下】あいつは、また次があるからいいだろうみたいなことですよね。

【和田】そう、そう。そういうこと。

【山下】いずれなるわけだからと。会社の取締役会みたいですね(笑)。

【和田】それで、半年後くらいにもう一回試験やるから、そのときに受かるよとか言うんだけど……。
【三浦】あれですかね、年次みたいなものがあるんですかね? 年とっているほうを先に上げちゃうみたいなやつ。

【和田】いや、いや。

【山下】あ、それはない?

【和田】基本的に真打の試験受ける人って、だいたい同じゾーンの人だから。

【三浦】それはそうですよね。

【和田】今の話にしても、志ん朝さんにやっかみがあって弟子が落されたのかと言ったら、そうではないと思うんだよ。

【山下】そうじゃないですよね。

【和田】そうじゃないと思うの。だから、談志さんの弟子二人も、別にそこまで複雑な世事性はなかったと思います。

【山下】感情論ではないということですよね。

【和田】ではない。ただ、これは誰かが書いていたんだけど、真打昇進試験って、理事がやるんですよ。当然、談志さんも理事なの。だけど、その試験のときに、談志さんは忙しくて出ていなかったんですよ。だから、出ていたら違っていたんじゃないかという説はある。

【三浦】ああ、そうですね。意見をね、やっぱりね。

【山下】そうですね、それはある。そこでちゃんと言えますもんね、そのとき。

【和田】言える。自分の弟子が二人出ているわけだし。だから、それは、言ってもしょうがないけど、あったかもしれない。だけど、まあ、真打昇進試験はひとつの契機ですよね。そこまでにもあったろうし。あと、これは、事実関係のデータとちょっと違うんだけど、これは談春さんと、前、お話したときに、彼が言っていたんだけど、やっぱり立川談志という人は、さっきの最初の話に戻るんだけど、落語が、このままだと、非常に世の中と関係ないものになってしまうとか、あと、例えば、柳家子さんというすごい人がいて、そこの門下で影響を受けた落語を自分もやっていると。で、それを、半ば無理やり離れなきゃならないし、離れたシチュエーションに自分を置くことで活性化させると、業界をね。ってなったときに、神が破門とか独立というかたちをとらせたんじゃないか。談春さんは言うわけ。

【山下】なんか、運命みたいな。

【和田】だから、真打昇進試験は、ほんとにただのきっかけ。

【三浦】あえて自らを苦境に置いたということですね。

【山下】すごいね。修行僧みたいですね、ほんとに。

【和田】そう。苦境に置いた、自ら置いたとも取れるし、談春的に言うならば、神がそういう道を作った。

【山下】そうさせたと。落語の神。そうすると新しい落語の潮流ができるわけですよね、そこから。

【和田】そう。だから、そこによって、小さんとは、バンって、もう離れた存在に、いやが応でもなりますよね。それから、寄席というところから出て、これもさっきのBコースというのもそうだし、いやでも世間とコミットしたところに立たざるを得ない。だから、それが自分の選択であったとも言えるし、もうお前はこういう役なんだよという……。

【山下】定めがあったと(笑)。

【和田】定め(笑い)。定めがあったともとれるかなという気はしますよね。

【三浦】運命だ。

【山下】なるほどね。言われると、なんか、そうかなという気もしてきますね、本当に。

【和田】なんか、いろんな証言がありますよね。あと、小朝さんがブログに書いていたのは、談志師匠が真打昇進試験でぶち切れて、弟子が落ちたことでね、協会側といろいろもめたときに、ほんとは別にそれを怒っている話……、なんて言うのかな、とりようによっては一時の立腹なわけじゃないですか。だから、Uターンできる道はいくらもあったと。そのときに、「でも、まあまあっ」と言って、冷却して戻るということも考えられたんだけど、これ、小朝さん曰くですよ、小朝さん曰く、そのときに、さっきの話になるんだけど、Uターンを望まない人たちもいたと。出てもらったほうがいいよと言って。

【山下】その協会の中に?

【和田】中に。あの人が、もう自分で出ると言っているんだから、その流れのほうがいいじゃんと言って。

【三浦】そう。いいんじゃないのと言って。それで、別に無理に元の鞘に……。

【山下】納めなくていいと。

【和田】納めなくてもいいんじゃないのと言って。

【山下】そういう意見もあったと。

【和田】Uターンさせる方法というのはあったし、それも、見え……、ある種答えは出ているんだけど、ちょっと、そういうふうに、それを望まない人たちもいたし、結果的にはUターンしない流れになったと、小朝さんはブログに書いています。それは、あったんじゃないかと思う。近くで見るとすれば。

【三浦】それは、やっぱり、Uターンを望まない人たちというのは、やっぱり、談志さんを、ちょっと扱いにくい……。

【和田】マア、そうでしょうね。

【三浦】邪魔者の感じがしたということですよね。マア、これ、いいきっかけだから出ていってもらおうぜと

【和田】そう。本人が出ていくと言っているんだから。

【三浦】いいじゃん、それでと(笑い)。

【和田】それでいいじゃんという(笑い)。自分が言い出していることだからね。

【山下】でも、改革者だから、余計そういうのありますよね。

【和田】うん、あるでしょうね。

【山下】スティーブ・ジョブズがアップルという会社を自分で作ったのに追い出されているじゃないですか、取締役会で。あれも似たような感じだと思いますね。

【和田】あります、あります。

【山下】だから、新しいことやろうと思う人は、そういうふうに、いやいや、そうじゃない……、面倒くさいなと思う人もいるという。

【三浦】改革者は常に疎まれる。

【山下】そう、そうかもしれない。それが、新たな落語のこのブームの潮流の発端になっていったんじゃないかなという気がしますけどね。


【三浦】ひとつのきっかけで真打昇進試試験の話が出ましたけど、立川流って、二ツ目に上がるのにも、すごく厳しい基準があるらしいですね。

【和田】厳しいですね。

【山下】らしいですね。なんか、踊りとか、歌とか。
【和田】落語が50席と。

【三浦、山下】50席!

【和田】うん。あと、歌、歌って、だから、なんていうんですか、小唄とか端唄みたいなものとか、あとちょっとした踊りができるとかいうのですよね。それ、真打のときにも求められる、歌舞音曲って求められるんだけど。

【三浦】でも、まず二ツ目でそれが必要って、すごくないですか、かなり。

【山下】そうなんですね。

【和田】そうですね。結果敵に他より厳しくなっていますね。

【山下】レベルがやっぱり高いんですね。

【三浦】みんな、二ツ目になった人たちは、それクリアしているわけですもんね。

【和田】いや、それがね、初期のころにはその基準なかったんですよ。

【三浦】あ、そうですか(笑い)。

【和田】あとから、なんか、設けたんですよね。

【三浦】あとからなんだね。

【和田】あとから設けた。

【山下】それもいいね(笑)。

【和田】それと、これ、なんか非常に面白いし、談志さんを表しているなと思うのは、例えば、弟子が真打になるときに「かっぽれ」のひとつも踊れなきゃいけないと、端唄のひとつも歌えなきゃいけないと言って、「俺は出来ないけど」って言うんですよ。

【山下】「俺はできない」って(笑)。これはいいですね。

【和田】「俺はできないけど」って言うわけよ。「俺はできねえ」って言うんですよ。

【山下】それでなんで(笑)?

【和田】俺はできないけどそれを求めるというわけよ。

【山下】それを言えるのがすごいですね。俺、言えないな、それ。

【三浦】いや、談志師匠は言っていいんですよ、それは。

【山下】談志師匠、すごいですね(笑い)。「俺はできないけど」って言って。

【三浦】お前らはやれと。

【和田】そう。

【山下】ええって感じですよね、弟子にしたら(笑)。おもろいわ、ほんまに。

【三浦】でも、できたほうがいいですもんね。

【山下】できたほうがいいですけどね(笑い)。

【和田】できたほうがいいです。当然、できたほうがいいです。要するに、僕が翻訳すると、そういうのがやりたいと思う、好きであるところに、自分を置けるということだと思うんですよ。

【山下】そうか、そういうことですよね。

【三浦】お前のためにもなるんだしと。

【和田】そう。で談志師匠は、よく踊りを踊れと言うんだけど、「別にここで鏡獅子を踊れって言ってるんじゃないんだよ」と言って、盆踊りくらいのものでいいんだからと言っているわけ。それは、僕、事実だと思うんですよ。そこで、別に、ものすごい踊りとか……。

【三浦】そうですよね。

【山下】それもあったら面白いけど(笑い)。

【和田】別に、難しい長唄を1曲やれとか、そういう話じゃないから。あと、講釈を覚えろとか言っていたんだけど。それはなぜかというと、そういうところにあまりにも無関係な人材がいるのは困るよということだと思うんです。

【山下】落語家だから落語だけやってりゃいいってもんじゃねえよということですよね。

【和田】そう。そういう伝統性というものに対して、それこそコミットするというのが、やっぱり大事だよという。だから、言ってしまえば、できなくてもすごく好きだったらいいとも言えるような気はする。

【三浦】落語だって、ひとつの伝統芸能の1ジャンルだから、他のこと知っていて、当然、芸の肥やしになるし、いいですよね。

【山下】そうですよね、なりますよね。

【和田】それを求めていたとは思いますね。ただ、いつぐらいから言い出したんだろうな……、結構あとのほうで……。

【山下】あ、そうなんですね(笑い)。

【和田】だから、さっき言ったマリオンの4人とかのときは、全然言っていなかった。

【三浦】言っていないですか。

【山下】あ、そうなんですか。

【和田】全然言っていなかったです、それは。

【三浦】だんだん弟子がついてきて、いろいろ基準を設けたほうがいいと思ったんですかね? 結構、どんどん入門が増えてきたわけですもんね。辞めちゃった人もいっぱいいるし。

【和田】あと、だから、これは自分の一門だけじゃないんだけど、自分が考える落語じゃない人が増えてきたとは言っていましたね、若手の高座を観たときに。

【山下】どういう意味なんですか、それ?

【和田】だから、自分が考える落語の口調、自分が考える落語の音程、それから、全体の、まあ、トーンと言ったらいいのかな、そういうものが、なんかしゃべって客はそれに反応しているかもしれないけれども、これは自分が惚れた落語じゃないし、自分の考える落語の定義じゃないというのが……。

【山下】増えてきていると。実感したと。

【和田】増えてきているということは言っていました。だから、それを最低限、そのスタイルを守ってくれと。ただ、よその弟子にそれ言えないから、自分のとこはそうしてくれよということはあったと思いますね。

【山下】「伝統を現代に接続する」とおっしゃったのって、談志さんなんですか?

【和田】そうです、そうです。

【山下】ですよね。それは、そういった意味もあるんですかね、今のお話を聞いていると。

【和田】それは時代によって変わるというか、変わらないんだけど、相対的な関係が、つまり、時代と落語がどういう関係にあるのかというのがあるんで、ある時期までは、「伝統を現代に」と言っていたんですよ。だから、伝統の中で自分たちはいるんだけど、現代にちゃんとコミットして……、まあ、まあ、現代性ですよね、それを打ち出すべきだと。それによって、今の、例えば、20歳の人、普通に新宿を歩いている人も、「ああ、落語って自分にとって意味があるじゃん」というふうに思えるというのを、長くスローガンにしていたの。ちなみに、「伝統を現代に」というのは、参議院選挙に出たときのスローガンでもあるんです、談志師匠が。

【三浦】ああ、そうなんですか。

【山下】参議院選挙のスローガンだったんですか。

【和田】そう。ポスターに書いてあった。だから、すごい古いキャッチフレーズなんですよ。だから、自分のテーマですよね。

【三浦】あれ、70年代ですもんね。

【和田】選挙?選挙は71年かな。

【山下】あ、じゃあ、和田さんが生まれた年じゃないですか。

【和田】くらい。うん。

【山下】へえ!

【三浦】それくらいなんですね。1回、衆議院選挙かなんかで落ちているんですよね?

【和田】そう。衆議院が東京8区。だから、台東区、中央区が8区なんだけど、そこから出て、落ちまして。

【山下】台東区、和田さんの地元じゃないですか(笑)。

【和田】そうです、そうです。

【三浦】それで、翌年かなんかに、参議院の全国区で

【和田】そうです。

【山下】それは受かった?

【三浦】それは合格したんですよ。

【和田】受かった。最下位でね。50位で。

【三浦】最下位だったんですか?

【和田】そうです。ギリギリ。だから、ものすごい発表が遅かった。

【三浦】無所属だったんですか?

【和田】無所属……、だから、一応、無所属ですね。石原慎太郎だとか、あの辺が一緒に、応援してくれて。

【三浦】石原慎太郎、仲良しですもんね。

【和田】仲良しです。

【山下】石原さん、落語会にもいらっしゃってましたもんね、談志師匠の。

【和田】それで、無所属で当選して、入ったあとに、自民党の会派に入ったわけですよ。要するに、1議席、ね、よくあるじゃないですか。

【三浦】ありますね。

【山下】それはあります。石原慎太郎さんの、そういうつながりとかもあったんですかね。

【和田】あったと思いますけどね。で、すごい批難されたんですよ。「無所属で俺たちは入れたのに、なんであとから自民党入っているんだ」と言って。

【山下】投票した人が。

【和田】そう、そう。投票した人が怒ったという話は聞き……、うん。で、「伝統を現代に」と言っていて、それがある時期まであった。で、そのあとに、晩年には、今言ったように、自分が守るべき、継承すべきだと思っていた落語のスタイルが、ちょっと危ういなと。

【山下】思い始めちゃった。

【和田】思い始めた。その、おそらく危機感があったんですよ。だから、着物着て正座してやってはいるけれども、内容的に違っちゃうんじゃないかと。その時期になると、「伝統を現代に」というのは引っ込めて、例えば、最晩年には、江戸の風みたいなこと言ったりとか、あと、江戸の風というのは、ちょっと僕も定義はよく分からないんだけど……。

【山下】江戸の風……?

【和田】要するに、下手な現代をやるくらいなら、しっかり守ったほうがいいということを言っていました、晩年に。

【山下】下手な現代をやるよりは、しっかり守って古典落語をちゃんとやるということですか、それは?

【和田】そうです、そうです。だから、半端な現代性を入れるよりは、ちゃんとしたスタイルを、これが落語という芸の基準、それこそ基準ですよね、基準なり、スタイルなんですよというのを……。

【山下】提示したほうがいいと。

【和田】提示したほうがいいと。

【三浦】それは、もう、和田さん、もう談志師匠とお付き合いができてからの、直接発言ですよね?

【和田】言っていました付き合っていました。それは、インタビュー、僕は、座談とか、インタビューとかのためによく指名されていたんで、それを、言葉はいろんな言い回しでしたけどおっしゃっていたし。例えば、『現代落語論』の一番最後のとこに、「落語は遠からず能のようになるだろう」というふうに書いているわけですよ。それはどういうことかというと、能の内容を否定しているわけじゃなくて、能みたいに世間と関係ないものになっちゃうと。どっかでやってはいるんだけど……。

【三浦】確かに、世間とは関係ないかもしれないな。

【和田】なんか、誰にも知られていないところで能をやっていますと、みたいな感じになっちゃうだろうと書いているわけです、『現代落語論』に。それは、括弧、心の中では、そうなっちゃ困るよという意味ですよね。だから書いているわけですよね。でも、最晩年に、僕が話していたのは、でも、例えば、能というのは、世間と、もう、あんまり関わっていない、切れている。でも、その代わりに守っている度合いがものすごく強いわけですよ。世の中がどうなろうが、令和になろうがなんだろうが、自分たちはこれでやりますと。観る人はこっちに合わせてくださいと言って、僕らはこれをやりますからというようなわけですよ。それがひとつのあり方ですよねと、僕は言ったんですよ。そしたら、確かにそうだねと言って、世間の風にさらされないで自分らはこうですと守る、その意義もあると。落語は、乱れ過ぎちゃうんだったら、その守るほうを、比重を高めるという言い方かなんて言うか、それはちょっと僕の翻訳だと思ってください。それをすべきだったし、ある意味で大事だねというようなことをおっしゃっていましたね。

【三浦】和田さん、晩年の談志師匠から直接そういう発言をお聞きになっていると思うんですけど、談志師匠と知り合われたというのは、だいたい、どういうきっかけでで、どういうことで仕事を一緒にされたりするようになったんですか?

【和田】それは、大学生、20歳超えたくらいのときに、浅草で、僕が談志師匠を、自分がお招きして、聴く会というのをやりたいなと思って……。

【山下】学生のときに。

【三浦】大学生で。

【山下】大学生で、すごいですね。

【三浦】すごいな。

【和田】そうです。企画して。

【三浦】プロデュースするということですもんね。

【和田】そういうことです。よく大学生って、例えば、早稲田の大学の学園祭に、談志さん、来てくださいとか……。
学園祭にね。小三治さん、来て一席やってくださいとか、それはみんなやるんですよ。周り見ていても、そういう催しってしばしばあるんだけど、それは僕に言わせると、例えば、早稲田なら早稲田という看板があるからできるわけ。早稲田大学でやるんですけど学園祭ちょっとやってくれませんかと言ったら、それは条件が合えばみんな行くわけですよ。

【山下】まあ、時間が空いているかとか……。

【和田】時間が空いているかとか、謝礼がちゃんとしているかとかね。が、あれば、当然行きますよ。だけど、僕は、そのときに、そういうんジャなくて、自分で、談志師匠をきく会というのをやりたいなと、看板なしで。

【山下】それは、自分の中で沸沸と湧き起こるものがあったんですか? やってみたいと思ったんですか?

【和田】まあ、そうですね。あと、まあまあ、いろいろ、ちょっと会場を使わせてくれるというか、もちろんお金は払うんだけど、そういうシチュエーションもちょっとあったりして、できるかなと思って、お話を持っていったんですよ。そしたら、談志師匠が、さっき言ったみたいに、当時、90年代ですけど、落語って今ほどはやっていなかったんですよ。だから、そういう若いやつが近づいてきたというのは、ご本人はものすごい喜んでくださって。

【山下】逆にね。

【和田】ええ。喜んでくださって。こんなやつがいるのかみたいな感じで、まあ、こういうストレートな言い方しないんですけどね、こんなやつがいるとはみたいな言い方しないんだけど、そこはなんぼか整理して思っているんですけど。そういう会をやっていたんです。それが、まず最初の知り合ったきっかけで、そのあと、ちょっと時代が飛ぶんですけれども、いくつくらいかな、20代の終わりくらいに、そのあと、僕が自分の意志もあって、ちょっと離れたんです、談志師匠から。で、20代の終わりくらいに、文化放送で知り合いのディレクターが、立川談志師匠で番組をやりたいということで、話もだいたいほぼまとまって、そのときに一緒にやらないと言って声かけてくれて。で、僕が学生時代談志師匠とそんなことをやっていたのを全然知らないんですよ、ディレクターは。

【山下】そのときは、もう放送作家はされていたんですね。放送作家をしていたからという話ですよね。

【和田】そうです。放送作家はしていて、偶然そういう声をかけていただいて、「ああ、それ、ぜひやりたいです」と言って。ただ、僕は、ちょっとぼかして言いますけど、談志師匠のところを、ちょっと意志を持って離れた時期があるんですよ。
別に隠す必要はないんだけど、談志師匠の弟さんがマネージャーをやっていたんです、談志師匠の。その人と、僕はもめまして。ちょっと、こっちからするとご一緒したくないなと思って。意志を持って、もう、関係もバンって、ある時期に突然切ったんですよ。で、弟さんと切るということは、弟さん、マネージャーだから、談志師匠とも自然に切れるわけですよ、切れてしまうわけです。

【山下】まあ、しょうがないですよね。

【和田】そのときに聴けなかった時期もあるの、ほんと残念なんだけど。

【山下】そうか。

【和田】そういうことがあったんで、ラジオの番組でやるってなったときに、当然僕のことは覚えているだろうけれども、どういうふうに受けとめるかなと、師匠がね、と思っていたんですよ。で、番組始まる2ヶ月くらい前に、ちょっと打ち合わせというか、ごあいさつみたいのもあるから、一緒に行こうとディレクターに言われて。で、NHKで談志師匠の収録があるというから、そこに、僕らの番組は文化放送だったんだけど、訪ねて行ったわけ、楽屋みたいなところに。そしたら、談志師匠が僕らのことを見て、僕が「大変ご無沙汰してます」と言って、「スタッフとして入っておりまして、ご一緒させ手いただきます」と言ったら、ものすごいうれしそうに、「おい、お前、なんかやんのかよ」と言って。「なんかやりますよ」と言ったら、「そうかい」と言って、いうのが、僕もすごくうれしかったですね。

【山下】談志師匠は、また、会いたかったんでしょうね。

【和田】だと思います。

【山下】だから、ちょっと、そういう、弟さんのあれで、ちょっとあったかもしれないけど、なんか学生で俺と落語のイベントやってほしいってやつが来たというね、それは覚えていますよ。

【三浦】覚えていますよね。

【山下】それは、僕らも学生が訪ねてくると、やっぱり、こいつ面白いなと思いますもんね、年上の人のところにやってくると。

【三浦】じゃあ、もう、再会して、一言で、和解じゃないですけど、通じ合うものがあったということですよね。

【和田】ありましたね。

【山下】いや、別れた子が帰って来たみたいな感じですよ。子別れみたいな話ですよ、ほんとに。

【和田】それがね、その言い方が、「お前、なんかやんのかよ」みたいな。

【山下】それ、いいですね。「お前、なんかやんのか」。いいことだよね。

【三浦】全てをその一言で、摺り込もうという。

【山下】言葉の達人だね。

【和田】そう、それがなんかすごい切れのいい感じでしたね。それとか、番組が始まっても、収録したりするときに、僕が隣に座るんだけど、そのときに、「ここにいるんだからしょうがねえよな」と言うんですよ。「ここにいるんだから、ああ」と言って。だからしょうがねえよなというか、なんて言うのかな、そういうシチュエーションのところに、お前が、椅子があるんだからということを、しばしば言っていましたね。そのあとは、非常にほんとにしょっちゅうお仕事なんかでも、指名していただいて、ありがたかったですね。

【山下】指名、すばらしいじゃないですか。でも、さっきの話でも、「ここにお前がいるんだからな」というのを、よく言われるんですけど、同じ場所で、同じ時間をどれくらい過ごしたかというので関係性が深まっていくという。それは、無駄な時間でもいいけど、とにかくこの場所にいる時間みたいなのが、やっぱりすごくそれがいい関係になっていくというのを、わりと先輩とかに聞かされていて、そうなんだなと、やっぱり思いました、ほんとに。

【三浦】そのラジオ番組というのは、実際、どういう……、すみません、私、そのラジオ聴いたことがなくて。いつごろから、どのくらいやって……。

【和田】そうですか。2つあるんですけど、その再会してやったのは、文化放送の『立川談志 最後のラジオ』という番組。

【三浦】『最後のラジオ』。

【山下】『最後のラジオ』。そうですね、書いてありますね。

【和田】ちなみに、この『最後のラジオ』とつけたの、僕なんですけど。

【三浦】ああ、そうですか。

【山下】なんで最後ってつけたんですか?(笑)

【和田】このとき、ご本人が、もう死ぬとか言っていたんで。

【山下】ずっと言ってますもんね、もう50代から。

【和田】ずっと言っていたから。

【三浦】じゃあ、最後ってつけちゃっていい……(笑い)。

【和田】じゃあ、『最後のラジオ』と言って、それは、いくつか案出して、自分で言いに行くのあれだから、言いに行きづらかったんで、でディレクターが、首藤さんという人で、この人もなかなかしっかりしたディレクターで、談志師匠のところに、『立川談志 最後のラジオ』ってどうですかと出したわけですよ。そしたら、「言うねえ」と言って、OK。

【三浦】OK。

【山下】でも、そういうのが、洒落で面白いと思う人なんですね、談志さんがね。

【三浦】好きなんですよね。

【和田】そう、そうです、そう。

【山下】それ、いいですよね。(笑い) 『最後のラジオ』、面白いね。

【和田】それも、今、考えると、『最後のラジオ』というんだけど、2001年だから、2001年でしょ? だから60ちょいなんだよね。

【山下】60ちょいだと、でも、死を意識するかな、なんとなく。僕もこの年になるとだんだん、なんか死ぬんじゃないかなって意識しますけどね、58ですけど。なんか。それ分かる……。

【三浦】2001年から始まった番組?

【和田】2001年から2002年、で73回やったんですけど。

【山下】73回も。

【和田】これは、録音、全部あるんで。

【山下】へえ、貴重ですね。

【三浦】それ、蔵出しで聴きたいですね。

【和田】いや、そうなんですよ。蔵出ししたいんですよ。

【山下】じゃあ、文化放送さんと相談して。

【和田】だから、本当はあれなんだよね、ラジオとかも……。

【山下】もったいないですよね、コンテンツ。

【和田】ネットとか、そういうので、再放送という概念で、出せればいいと思うんですよね。

【三浦】ほんとですよね。

【山下】そうですよね。それで1回聴いたら何円か入るみたいな仕組みとかができると、ほんとはいいですよね。

【和田】そうなんですよ。で、当時のことだから、喋りと後ろの音楽がミックスされちゃっているんで。

【山下】音楽が入っているのね。

【和田】BGMとかの。そこを処理、ちょっと難しいかなという気もするんだけど、つまり、今みたいな、ネットのこと考えてないですから、2001年当時は。

【三浦】そりゃそうですよね。

【山下】著作権の処理が難しくなってくるんですね。

【和田】とは言うものの、全部ありますからね、これに関しては。だから、なんか世に出せたら面白いかなと言う気はするんですけどね。で、そのあとに、2005年と2006年に、TBSラジオで『談志の遺言』というのがあったんですよ。

【山下】「最後」から「遺言」に(笑)。

【三浦】遺言にいっていますよ。さらに奥にいっていますね(笑)。

【和田】これは、だから、最後のラジオにならなかったんですけどね、結局ね。最後と言って、またあったから。『遺言』というのがあって。

【山下】遺言、いいね。

【和田】これはTBSでやって。

【山下】このタイトルも和田さんが考えたんですか?

【和田】『遺言』はディレクターだったと思います。

【山下】なるほど、なるほど(笑)。

【和田】ただ、このときって、もう『遺言大全集』というのを講談社から出していたし。

【山下】ああ、出ていましたね。

【和田】結構、それでネタみたいになっていて。

【山下】確かに。そうですよね、すごい大作ですよね、あの本も。

【和田】談志師匠は、でも、ほんとは著作の中からいいものとか、あと、本に入っていないインタビューとか座談とかまだあるんで、本当の全集を出したらいいのになとは……。

【山下】ああ、立川談志全集。それはいいじゃないですか。

【三浦】いいですね。

【和田】発言集。

【山下】うん、発言集。

【和田】で、逆に速記に関しては、もう…。…。

【山下】そうですよね、もう十分。

【和田】ご本人、十分あるから、とは思うんですよね。ちょっと講談社の『遺言大全集』というのが、僕みたいなマニアからすると、ちょっとコンプリートバージョンじゃないんですよ、あれは。

【山下】ああ、そうですか。なるほど、コンプリート……(笑)。

【和田】まあ、存命中に出していたというのもありますしね。

【山下】あれは、でも、何巻も出ていましたよね。

【三浦】十何巻じゃないですか? 黒い表紙のやつですよね。

【和田】あります、あります。黒いやつ、全部黒いやつで。

【山下】黒い表紙で、山藤章二さんのイラストで。

【和田】CDが付いている。

【山下】そう、そう。CDが付いているんですよね。

【三浦】そうだ、CDが付いていたわ。

【山下】そう。


担当 青山直美
いつもご依頼ありがとうございます。私は、立川談志師匠には、『笑点』の物腰の柔らかそうな落語家さんたちとは違う、いかにもヤンチャそうな雰囲気を感じていました。今回、落語にもお弟子さんにも深い愛情をお持ちの方であったことを知りました。相手を思いやればこそ、協会に物申したり、「なんかやんのか」「しょうがねえな」などの言葉で蟠りを一蹴しようとしたり、そんな自由さにも江戸の粋のようなものを感じます。周りの人のやっかみを生んだかもしれないほどうまい落語を、是非もう一度、何かで聴き直したいです。また、初めて寄席に行ったとき、朝から晩まで開いていて、飲食自由、出入り自由な場であることに驚きました。そこで、演者さんとお客さんがかけあっている、そして、みんなが笑っている。こんな、世の中とつながっている素敵な空間を、伝統芸とともに継承していってほしいと思います。ありがとうございました。
     ブラインドライターズ


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