「トップセールスを演じる」元役者志望のセールス今井晶也が教える、売れる営業に必要なマインドセット
「私の未達時代」では第一線で活躍するセールスパーソンを訪ね、失敗をしていた過去から売れるようになった現在までのストーリーを紹介していく。
第三回では株式会社セレブリックスの今井晶也さんへ突撃。Twitterのフォロワー数約19,000人(※2022年1月現在)、8月には初の著書「セールス・イズ」を出版するなど、セールス界隈にとどまらず多くの方から注目を集めている存在だ。
前編となる本記事では彼の学生時代にまで遡り、そもそもなぜ営業になったのか、これまでの失敗などを伺った。今井さんの営業人生を振り返り、彼にとって営業とは何なのかを紐解いていく。
役者への夢を横に、自分に嘘をついていた学生時代
——現在のお仕事について教えてください。
株式会社セレブリックス(以下、セレブリックス)の執行役員としてマーケティング本部の本部長をしています。セレブリックスはクライアントの営業代行や営業コンサルティングなど営業支援サービスを提供している会社です。
また「セールスエバンジェリスト」という役割も担っています。簡単に言うと、法人営業や新規営業の研究活動をするポジションのことです。他にもこれまでの営業支援で得たデータをもとにレポートを出したり、イベントや講演会を行ったりしています。
——今井さんはもとから営業を目指されていたのでしょうか?
いいえ、もともとは役者を目指していました。中学校の進路指導の先生には「芸能の道なんてあり得ない」と諭され、周りからも「馬鹿なのかお前は」と言われていましたね。
そこで高校卒業後は、逃げ道も選択肢もない専門学校に行くことに。旅行系の専門学校に通っていたのですが、当時は「この道に進むぞ」と覚悟を決めていたので国家資格もとりました。
でもどうしても自分に嘘をついていることが辛かった。学校に行く電車に乗る時は決まって吐き気と腹痛がとまらない。表面上では「サボっている」と言っていましたが、本当は辛くて。学校へ行けなくなった時期もありました。
——やりたいことがあるのに、動き出せないというジレンマがあったんですね。
そうですね。なので専門学校を中退し芸能活動を始めました。ただし24歳までに芸能の道で一流にならなければ辞める、と決めていました。
しかし結果は惨敗。オーディションには落ち続け、役者として芽は出ませんでした。
ただそこで自分のやりたいことに対して舵をきれたおかげで、自分に嘘をついていることへのストレスはなくなりました。
——そこからどのように営業の道へ進んでいったのでしょうか?
自分のありたい姿を見つめ直したら、僕はどうやら役者ではなく、誰かを勇気づけられるような影響力のある人になりたいことが分かりました。いうならば「誰かの心に火を灯すような影響力」を求めていたんです。
そこで思いついたのが営業でした。営業も役者と同じで、言葉を使って世の中に影響力が与えられる仕事です。自然と営業に進む道を選択していましたね。
また営業の道に進もうと覚悟を決めたのは、たまたま異業種交流会で出会った営業の方の影響です。彼は同じ年齢なのにもかかわらず、一つひとつの所作や発言が落ち着いていて、大人びている方でした。その方に出会って営業に対する価値観が変わりましたね。「営業ってかっこいいじゃん」と。
ナンバーワンにこだわり、役者から営業へ
——数ある会社の中からセレブリックスを選んだ経緯を教えてください。
例えばどこかの会社のナンバーワンになっても、所詮その会社のナンバーワンでしかない。しかしセレブリックスは自分たちを「営業のプロフェッショナル」と謳っています。
つまり、セレブリックスでナンバーワンになったら営業という分野でトップになるということ。トップになれば同時に世の中に対して影響力を手に入れられるんじゃないか。
そう思い入社しました。結果として今は誰かの役に立てているので、この会社を選んだことは間違っていなかったと思います。
——今井さんは最初から売れていたのでしょうか?
売れていたのではないでしょうか。誰も売ったことのない商品を超有名企業に売って、超優秀な営業マンだったと思います(笑)。
——もう少し詳しく教えてください……!(笑)
人生で初めて担当した営業がエンタープライズセールスでした。単価は安くて2000万円から。超大手企業向けに、大手企業の不特定多数の人が出入りする場所へのセキュリティーセットを売っていました。
初受注までは確かに不安でした。他のプロジェクトに配属された人で、早い子は1週間で受注をあげている。それに対して僕の商品は、クライアントも売ったことのないもので、売り方の正しさが分からずなかなか売れない。周りからも「今井くんもプロジェクトも大丈夫なのかな?」と言われていました。
結果、初受注までは半年かかりました。しかし受注をするまで上司は僕を信じ続けていてくれて。一度売れた後は、1〜2ヶ月のうちに何件も売れるようになりました。
——では営業をはじめた頃はどのように学び、トレーニングしていましたか?
これまでに学んできたことを「営業」と「それ以外」に分けると、実は「それ以外」のことが重要だったのではないかと思うんです。
セレブリックスに入った当初、自分は“営業”ではなく“コンサル”だと捉えていました。名刺の肩書きも『営業コンサルタント』で。コンサルに必要な論理的思考力やマーケティングを勉強していました。
論理的思考力は本を中心にインプットして、自分の仕事やお客様への提案など全てにおいてロジックツリーを書いて考えることを徹底。マーケティングは資格取得をゴールに置いて、購買側が何を考えるのか?広告は?など細かい部分まで一つひとつ学んでいましたね。
これまでの失敗は全て、他者への想像力の欠如
——これまでの失敗談は何かございますか?
もちろんたくさんありますよ。
例えば工場の方が昼休みに寝ていることを知らず、営業の電話をかけてしまい、激しい剣幕で怒られたり。クライアントとプロジェクトを始めるときに「とりあえず」と言ったら、その言葉に対して「ウチはそんな軽い気持ちで発注していない」とお叱りを受けたり。
細かい話をすれば本当に数え切れないですが、全てにおいて『他者への想像力を持たず、コミュニケーションを取ってしまったこと』が失敗の要因だと思います。
——売れなかった経験などもあるのでしょうか?
100人の中で最後の5番になった経験はあります。セレブリックスで会社のお客様を獲得するためのあるキャンペーンをやって。100人のセールスで、プロジェクト始業前の1時間、渡されたリストに対してひたすらテレアポするというものでした。
1日目、半数近くがアポをとる中とれず。「まあリストの運だよね」と。
2日目、半数近くがとるがとれない。さすがに焦り始めました。
3日目、ほとんどがとっているが僕はとれず。僕の周りがざわつき始めました。
1週間経ち、残ったアポがとれていない5人のうちの1人になりました。アドバイスをもらうのですが、実践してもうまくいかず、完全に負のスパイラルに入っていました。
もう逃げ道を潰そうと思って、最後「次の1週間でアポがとれなかったら退職する」と決めて、退職届を書いてのぞみました。すると、アポがとれたんです。
この話を論理的に説明することはできないのですが、一つだけ言えるのは負け癖がついていたということですね。僕の場合は退職届を書いたことにより、たまたま負のスパイラルから脱出できました。
——では、今井さんが売れ続けるようになったきっかけを教えてください。
きっかけというのはなく、全ては積み重ねの結果だと考えています。
その中で心がけていたのは、どんな状況でも「トップセールスを演じること」。営業は会社の代表でフロントマンです。もちろんお客様は営業を選べません。だからこそお客様の前では、常に世界で一番のトップセールスでないといけないのです。
具体的な手法としては、商談前には気分が高まる音楽を聞いていました。「演じる」ためにも、お客様に会う前にセルフイメージを固めることが大切です。
今井晶也が考える、売れる営業に必要な3つの要素
——最後に、売れる組織はどんな組織でしょうか?
勝ちパターンがあって、いいプロダクトがあって、いい人材がいる組織です。
——具体的に教えてください。
勝ちパターンは、「正しいお客様」に「正しい課題設定」をして「正しい解決策」を提示できていること。時代によって手段やコミュニケーション方法は変わっていきますが、これら三つの本質は変わりません。
いいプロダクトは、ちゃんとお客様の課題を解決出来るプロダクトです。お客様が幸せにならない、課題が解決されないプロダクトを売り続けることは組織として長続きしません。
いい人材は、いいマネージャーがいるということ。組織はマネージャーが全てだと思っています。いかにメンバーをしっかりと売らせられるかどうかが大事です。メンバーのエンゲージメントは売れているかどうかでほぼ決まってしまうので。
——なるほど。
セレブリックスでよく言っていることがあります。著書『セールス・イズ』でも触れているのですが、大事なのは買う理由と買わない理由を明確に分析できていること。その上でいかに買わない理由を潰していけるか、つまり勝ちパターンを作るためのPDCAを回すことが肝心です。
このフローが上手く回ればメンバーも自然と売れるようになり、個々のエンゲージメントも高まっていきます。ぜひ参考にしてみてくださいね。
ライター:フジカワハルカ