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なぜ変性意識状態を味わえないのか? 瞑想や呼吸法に苦手意識を持つ原因

変性意識状態…瞑想や呼吸法で作られる特殊な意識になれない理由

変性意識状態とはよく聞く用語ですが、変性意識に入った時、明らかに普通の意識から変性しているため、入った人は「これなのか!」と実感するはずです。
変性意識の入口に入ったかどうかの段階では「このフワーッとした状態は変性意識なのか? ただウトウトっとしただけなのか」と決めにくい状態にいます。


つまりまだ疑問符がつく変性意識状態は、変性意識に似たなにかであり、真の瞑想状態でもなく、身も蓋もない言い方をすれば、ただのリラクゼーション状態なのです。
瞑想や呼吸法をやると、リラクゼーション効果は割合早く味わえるようになります。
それだけでもストレスが少しは抜けますし、やらないよりはやったほうがいいと思います。


瞑想に苦手意識を持ってしまう原因

しかし、もっと瞑想を深めたい人、超瞑想状態に入って人生を大きく変えたい人は、ただのリラクゼーション、ヒーリング効果だけでは満足しません。
そこでもっと深めようとがんばります。

この努力は素晴らしいことなのですが、瞑想への苦手意識をもたせる原因ともなります。
どんな人であってもです。
例えば、瞑想の歴史における偉人や各瞑想法も創始者であっても例外ではありません。
お釈迦様
空海
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー
バグワン・シュリ・ラジニーシ
中村天風
ディーパック・チョプラ
などなど、彼らも変性意識状態に入ろうと頑張ると、私達と同じように雑念に囚われ、瞑想のスランプに陥るに違いありません。

ただしこの愚を犯さないからこそ、瞑想の歴史に名を残しているわけでして(実際に超瞑想状態に入れていたかどうかは誰にも断言できないが)、彼らはなぜ瞑想がうまくいかないのかもよく知っているでしょう。


変性意識状態に入ることを妨げるのは何か?

変性意識状態に入ろうと意識してしまうと、誰であれ入れるものも入れなくなるものです。
力みが出てきて、自分が感じる受動態脳が妨げられるため、理性と表面的な意識の世界で瞑想や呼吸法を続けることになります。

なぜかと言いますと、完璧にうまくやろう、やりたいという思いが、自分の思考や雑念の有無のチェックをしてしまうからです。
常にうまくいっているかどうか判断し始めます。
うまくいっていなかったら修正したいからです。

その考えが仇となります。


雑念との不毛な戦いでのエネルギー消耗

うまく完璧にやろう、頑張ってうまい具合に運んでやろうという考えは、雑念を生み出します。
雑念を今度はチェックし始めます。
瞑想状態や変性意識状態の妨げとなることを知っているからです。

雑念に付き合うと、完璧じゃない自分と理想の瞑想を比較して、うまくいかない状況にヤキモキしてくるでしょう。
それでも様々な手段を講じ、理想を求めようとしますが、一切を受け入れて感じる脳がいつの間にかなくなっていきます。

つねに受け入れられないものとばかり戦い、戦えば戦うほど敵となった雑念は肥大化していきます。
これこそ不毛です。
だから、ストレスを感じ始め、瞑想や呼吸法そのものに苦手意識を持ってしまいます。


無意識的な苦手意識を瞑想に持ってしまったら、自力解決は不可能に近い

ある教科に苦手意識を持ったら、自動的にだるくなり、めんどくさくなり、眠くなるのが人間です。
これと同じような状況に瞑想を追いやってしまうのです。
嫌いな教科と違って、瞑想は明らかに自分にとって有益な効果を与えてくれるという可能性を信じているからこそやり続けたいと思うわけですが、無意識に刻まれた苦手意識はそうそううまく消せるわけがありません。

雑念は自分にとって不利益なことは一つの真実でしょう。
しかし、雑念とはまさに自分自身です。
瞑想とは受け入れることです。
受け入れた時、つまり受動態脳に完全に入っていった時、変性意識状態がどんどん深まっていきます。

呼吸法をやっても、マントラを唱えても、チャクラを開いても、イメージ瞑想をしても、超瞑想状態へと入っていけるのです。

雑念を生み出している自分も受け入れ、許して受け流し、芯から緩みが生じた時、すべての流れが変わっていくでしょう。
雑念も自分なのだから、否定することはできません。
否定するから、頭が重くなったりもやもやしてしまうのです。
体も固くなっていくだけです。


意外なことに、完璧にやらないのが瞑想です。
不完全だからこそ、うまくいってしまうのが瞑想なのです。

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