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考え事#39 個別最適な組織

2023年の自分にとっての最も大きな出来事として、とある学校さんにて研修講師をさせていただいた、というものがある。
いただいたテーマは「個別最適な学びを達成するための授業デザイン」ということで、こういう方法がなぜ求められているのか?にはじまり、反転授業についての実践報告や、どうやって個別最適な学びを達成するための授業をデザインするかについて、自分との壁打ちワークのようなものを実施させていただいた。

その中で、「次の社会構造」についてややぼかしながら触れた。
工業社会・情報化社会ときて、この次にはどのような社会が来るのか。

今の子供たちは、そこに向かって成長していく。
と、捉えていたが、実際にはちょっと違うかもしれない。
10年そこらで次の形態には一変しないということだ。

今までの世代は、基本的に一斉授業という形式で多感な思春期に学んできた。○○世代とか色々あるし、学ばないといけなかった量や入試でライバルとなる同じ年齢の集団の人数は異なるかもしれないけれど、同じような時間の過ごし方を共有してきているはずだ。

そのやり方が限界に達してきていて、次の一手として打ち出されたのが「個別最適な学び」だ。

この学び方というのは、一周前の「主体的・対話的で深い学び」とは一線を画すものだ。主体的・対話的で深い学びは一斉授業でも達成できるけれど、個別最適な学びはそうはいかない。教育現場にありがちな"いままでのやり方に一工夫加えるだけでできますよ!"は通用しない。抜本的な見直しが必要だ。

さて、僕は教育には良くも悪くも、ものすごく大きな力があると考えている。自分が受けた教育の力を自認するためには、どうしても世代間や集団間の比較が必要だ。
ただ、教育はある種の開かれた洗脳である。洗脳されたままの状態では排他的な批判的態度が前に出てしまう。いつの時代にも存在する"若者いじり"や、それに対抗するかのような"老害への陰口"は、まだ自分が施された教育による洗脳の中にいることを意味すると言っても良いかもしれない。
話を戻す。

個別最適な学びは、簡単にいえば
一人ひとりの学習特性や理解状況に合った学び方
ということになる。

この方法で教育を実施していき、子供たちが大人になった時
彼ら彼女らはどのような価値観、やり方、文化を持つ大人になるのだろうか。

一斉授業のような、決まった時間座り続けないといけない、我慢する力みたいなものと引き換えに、次の世代はどんな力を身に付けて世に羽ばたいていくのだろうか。

彼らが自分の現場にやってくるまでに、
彼らが鍛えてきた力を潰したり、批判したりせずに、
個別最適な環境で力を発揮できる仕組みが整備できるだろうか?

昔と違って、物凄い勢いの少子化だ。
10年後の新社会人は、個別最適な環境がない組織には、きっと来ないだろう。

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