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「コミュ障です」は武器になる



はじめに言っておくが僕は別に教育のプロでも学校の先生でもない。


そんな奴が教育を語るんじゃないと言われるかもしれないが、あえて語らせてほしい。


皆さんは日本の教育についてどう感じているだろうか。



いろんな意見があること、国民性に合わせているだの言われるのは大体予想がつく。



個人的に日本の教育はどうかと聞かれたら、

「個性を殺す教育」


なんじゃないかと答える。



どういうことかというと、主に内容じゃなくて方針に疑問がある。




日本の教育は、


短所をなくそう


そんな育成に感じることが多々あるのだ。




短所をなくすだけの教育の先に何が待っているのかを想像してみてほしい。



大きくいうとこんな感じだ。



みんな同じ普通の人間




こんなのが世の中をよくするのだろうか?



逆を考えてみると、長所というのは個性の中に含まれていることが多い。



もっというと、ちょっとおかしいんじゃないかと周りに言われる中に含まれているのだ。




僕が社会に出た1年目の時の話をしてみようと思う。



僕は社会に出た時に〝お客様の前ではプロ“という認識でいた。
今思ってもこの認識は正しいんじゃないかと思う。



でも、僕が言われたのは「自信を持って話しすぎ」だ。



怒られたみたいなものだ。1年目の坊主はもっとおとなしくしておけといった意味なんだろう。



この僕の行動が正しいか、間違っているかは別として、、、



「新人なのに堂々とやっている」


という個性であり、長所なはずだ。



なのに、新人だった僕はこの言葉を言われて萎縮してしまった。



次の日からおとなしく説明や会話をした。つまらなかった。




これが僕自身の長所を先輩が殺した瞬間だった。






しかし、僕はその後自分を信じることにした。


これは長所なのだと。





そうしたら、患者さんやもっと上の役職の人から「いい目をしてる」と褒めてもらえるようになった。



結果も出てきて、自信を持てるようになった。





考えてみてほしい、僕がこの場面で完全に自分を出すことをやめてしまっていたら今ここで文章を書いている僕はいないだろう。考えるだけで恐ろしい。




このエピソードだけ見てもいかに日本の教育のベースがおかしいかわかるだろう。



全てがこんな風だというつもりはないが、周りをみてみても多いんじゃないかと思う。


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ここから、僕が日本に浸透させていきたい考え方だ。



①個人の性格に合わせること
②個人の目指す場所を把握すること
③個人の才能を見抜いてあげること





教育者側の話が主になる。




①個人の性格に合わせること


A君とB君に全く同じやり方を強要するのはいかがなものだろうか。
同じ結果が出るわけがない。


個人個人としっかりと向き合って個人に合った教育が必要。


集団教育だったとしても、アドバイスする際などは絶対使えるだろう。

ここがめんどくさいと思ってしまうようなら教育者に向いてないんじゃないかと個人的には思うくらい重要。





②個人の目指す場所を把握すること


「その人は何をしたいのか」聞いてあげたこと、考えたことはあるだろうか。

9割型がこれをやらずに自分の都合を押し付けてしまっているのではないか。


上司が部下に対して個人の欲を叶えるために言うアドバイスなんて聞きたいわけがない。


せめて、お互いにとって意味がある状態にしてほしい。





③個人の才能を見抜いてあげること


先生や上司は、個人の魅力や才能を見抜いてあげてほしい。

そして、その個性を伸ばすように教育してほしい。


個人的にはここが1番足りていないと感じている。


みんなに同じ教育をし、0にしてしまうのはもうやめよう。


個性を100倍にしてあげれば良いじゃないか。







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偉そうに聞こえたなら申し訳なかった。

ただ、個性を殺されかけた自分としては強く主張したい。





僕は現在、上記の3つを軸として個人のビジョンを叶えていくことのお手伝いと新しい教育をしていくことができるリーダーの育成を行なっている。



別に僕がすごいわけじゃなくて、才能や個性がここにあっただけ。


いわば、使命のようなものだ。





こんな教育をしたい、受けたいと思った人は気軽にコメントやスキを押してほしい。




日本とあなたの未来が変わる教育の提案。


終わり。

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