Mustマインドと自肯定感 ⑴Mustマインドに至った背景
なぜ、こんなにも仕事がつまらないのか
突然だが、私は社会人になってからというもの、ほとんど仕事を「面白い」と思ったことがない。
当然、雑談が楽しいときはあるし、要所要所で「面白いなあ」と思ったことはある。
そうではなく、「これは自分にとって天職だな!」とか「仕事に行くのが楽しみで仕方ないぜ!」というように、常に前向きに仕事を捉えて、楽しんでいたことがない、という意味である。
今回、「Mustマインド」という概念を考え付くに至ったのは、「なぜこんなにも仕事がつまらないのか」とう考えを深めていった結果である。
そのため、Mustマインドについてを語る前に、まず私がいかに「仕事がつまらない」と思っていたか、と、その自分なりの分析結果を述べておきたい。
以下はnoteに投稿するつもりで、当時「いかに自分の仕事がつまらないか」について書きなぐったものである。
そのため、表現はすべて現在形で書いてあるが、今は違った考え方をしており、どう違うのか、についてはその次の節以降で述べたいと思う。
なぜ過去の自分の考えをあえてそのまま記載するかというと、コンサルタントに限らず同じような悩みを持つ人やコンサルを目指す人に対して、少しでも不安や悩みを解決する助けになればと思ったからである。
内容的にはチラシの裏レベルであるが、恥ずかしげもなく記載しておきたい。
コンサルはつまらん
自分は今コンサルティングファームで勤めており、業界に入ってまだ5年以内で、同業界内で転職もしている。
そういうと、コンサルが好きなのかと思われるかもしれないけど、実際、こんなにつまらない仕事もない。
コンサルの仕事とは、「誰かがやりたいことをお助けすること」で、本来「主体性」というものはない。
経験豊富なパートナーくらいになれば、「自身の経験で誰かを助けたい」という主体性が出るかもしれないが、そうでなければ、とりあえず受注できたプロジェクトにアサインされる。
当然、「どういうプロジェクトに入りたいか」という要望は聞いてもらえるし、主体性の大事さは耳がもげるくらい問われるわけだが、根本的に主体的な職業・ビジネスモデルではないので、正直かなり矛盾していると思っている。
何事においても主体性というのは大事だというのはわかるし、気の持ちようで、どんなことにも主体的に取り組むことはできる、というのは理屈としてはわかるし、実際に実感もしている。
しかし、結局そんな誤魔化しで一生やっていけるかというと、いつか発狂してしまうのではないかと思っている。
コンサルティング業界ってなんだか冷たいというか割り切るのが得意な人や、悟った雰囲気の人が多いという印象があると思うが、実際そうで、そういう人が向いているとも思う。
もちろん熱い思いを持っている人はたくさんいて、単純に割り切ったり頭を切り替えたりするのが得意な人が多いという意味で、彼らがみんな「誤魔化し」で生きているという意味ではない。
ただ、自分にとっては「でも、これってそもそも俺のやりたいことじゃないしな」という気持ちをぐっとこらえて、「いやいや、大きな視点で見ればこれもやりたいことと同じことだ」という感じで、一旦抽象化して納得しなおすのはかなり気力が必要な作業で、すごく難しい。
大げさに言うと、「桃が好き」と思っているのに、「果物」「甘くてジューシー」という要素だけとらえて、味は無視して「マンゴー」も好きになる、みたいな感じである。(少々、例えに無理がありますかね・・・)
甘い蜜は自分で啜る
それともう一つ、コンサルの仕事がつまらないシンプルな理由がある。
それは「本当に面白い(おいしい)仕事だったら、外注しないで自分たちでやるよね」ということだ。
どれだけ「クライアントとは一心同体だと思え!」という誠に正しい心持ちでこちらが臨んでも、受発注の関係がある以上、クライアント側に主導権はあるし、どこまでをコンサルにやってもらうかのコントロールはされる。
新規事業立上や新商品開発に加わったり、中長期のビジョン作成の仕事もあったりするが、どちらかというと求められているのは、「正確な市場調査結果」などの「誰もが納得する理由作り」であり、一番根本の「こういうのがかっこいいからこういう方針でいこう」的なところは、すでに決まっているところからスタートになる。
まれにそういうところも含めて、コンサルに依頼するケースもあるかもしれないが、それを受注できるのはかなり差別化ができているコンサルタントであり、逆にそこを他社に依頼しちゃうのって、「それはそれでどうなんろう・・・」とも思う。
コンサルで働くメリットとコンサルの陳腐化
じゃあ、なんでコンサルやってるのかというと、とりあえず武器を揃えようとしている。
何に使うのか、自分でもまだわかっていないわけだが、来るべきに備えて、とりあえず短距離と中距離くらいとで戦えそうな武器と、刺されない程度の防具を揃えている。
「とりあえずコンサルに行っておけば諸々鍛えられる」、というのは、今のところの感触としてはあながち間違っていなくて、論理性とか資料作りとか、単純なPC操作とか、自分よりも社会的な立場が高い人たちの中での立ち回りだとか、そういうのが身につく機会は多く、いろんな会社の内部事情を知れる、というオプションまでついてくる。
それで一生戦っていけるか、と言われるとそれはもちろん無理なのだが、とりあえず、接近戦で刺されない程度の武器・防具は手に入れられるかと思う。
ただ、最近はAIとか様々なビジネスツールが発達し、いろんなナレッジも比較的簡単に手に入れられるようになってきたため、コンサルで得られた武器の大半は遠からず陳腐化するだろう。
そもそも「コンサルタント」という存在自体が陳腐化をすでに始めていて、世界中に「コンサルタント」が大増殖している。
半面、その中での差別化が必要になってきており、コンサル業界は真っ赤なレッドオーシャン時代に突入していく。
「コンサル=高給取り」というのが続くのは、一部の「差別化」ができたコンサルタントだけになり、徐々に一般的な仕事と同水準となる。と勝手に予想している。
その時、「そもそも自分のやりたいことじゃないし」という点が、とてつもなく大きなネックになるだろう。
本来興味のある分野でないところで、極めて主体性を発揮しにくい状況において、給料も特別高いわけではない、となると、仏陀並みに悟りを開くか、「コンサルティング」という仕事を心から愛していないと無理だろう。
そうでなければ、自分の好きで得意な領域を作り、そこでお客さんを開拓するしかない。
戦うフィールド
残念ながら、自分も「やりたいこと」が明確にない残念なゆとり世代の人間なため、とりあえず武器を揃えている状態なわけである。
ただ、厳密に言うと、「遊ぶように働いて暮らしたい」という漠然とした希望だけがあって、それを具体化するビジョンが全くないという状態である。
「遊ぶように」というと語弊があるかもしれないので、補足すると、「毎日Youtubeだけ見てくらしたい」というような趣旨ではない。
(それこそ発狂しそうである)
「遊び」と「仕事」の境界がないくらいに「楽しいなあ」と思える仕事をする生活をしたい、という意味になる。
(落合陽一さん的に言うと、「Work As Life」ということになりますかね)
ただ、それと同時にある程度の生活を(少なくとも中長期視点での計画上は)成立させていかなければならないので、そこが難しいポイントになる。
なので、コンサルはつまらんけど、そこそこのお金をいただいて、色々と勉強になるという意味では非常に恵まれた環境なので、続けている次第である。
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以上が当時の思いの丈をそのまま表現したもので、内容的に突っ込みどころが満載なわけだが、一旦今日のところはここまでとし、次回、「なぜこんなにもつまらないと思ってしまっているのか」という話をし、以降は脱・Mustマインドについて深めていきたい。
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