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ladybirds

※『ボーはおそれている』の感想

マンションの毒クモ注意のポスターに
“The price of greatness is responsibility “と記載があった。
噛まれたら親愛なる隣人になれるのかも!と思ったり。
ちょっとしたコミカルなシーンや遊び心が散りばめられてて笑ってしまった。

溺愛と渇愛

モナ(母親)を「毒親じゃん〜」と呑気に思って観ていた。恐怖でボー(子供)を支配し、大人になってもモナに怯えるボーは可哀想に見えた。

母は命懸けで子供を産み、遊べたであろう若さや時間、体力…自身の人生の大半を差し出して子供を育てる。自分が注いだ愛を返して貰えるわけではない。
子の可愛さや無垢さに従って与えて、与えて与えるだけ。
(終盤、モナがボーに対してこんなことを言っていた。)

モナは薬や食品、不動産、セキュリティ関連、テレビ局(これはやり過ぎだけど)の会社まで立ち上げて一人で育ててきた。バリキャリの成功者だ。

家の螺旋階段には愛するボーの成長記録が飾られている。
赤ちゃんの頃から高校生ぐらいまでの写真が支柱に掛けられているが、
高校生ボーの次に並べられた写真は隠し撮りされたと思われるおじさん姿のボーだった。ボーが高校以降帰省していないことがわかる。(お母さんが怖くて帰れないわな)

雄としての役割

森の孤児の創設者と紹介された男は木の上に座り、遠くを見つめている。
木の下で子供(と思われる)が「お父さん、お父さん」と呼んでいるのに目を向ける事もしない。

幼い頃からボーは「父親は死んだ」と教えられてきた。
しかし森で演劇を見ているボーに実の父と思われる男が話しかけてくる。
ボーは父親(かもしれない)に会えたことに戸惑いつつも嬉しそうだ。

演劇と自身境界が曖昧になったボーは架空の人生を歩み3人息子をもうける。
その人生でボーは幼い子供達と離れ離れになってしまう。
しかし最後にはボーはすっかり大きくなった息子達と涙の再会をする。

父親は子供が手のかからなくなった頃に現れる。
手のかかる時期には存在しない。
絶え間なく愛情を注ぎ育てたのは父親ではない。しかし子供は父を求め、感謝し、彼らの涙の再会は美しく描かれる。

目の前にいる母より父を気にする幼少ボーにキレるモナの気持ちも分からなくもない。

聖母の像

グレース(外科医の妻)は「カメラで常に監視されていること」、「自分を責め過ぎないで欲しいこと」を夫の目を掻い潜ってわざわざボーに伝える。
彼女は一人の母親としてモナのやり方に疑問を抱いていたのだと思う。
グレースは他人のボーやジーヴスを気遣い、優しく接する。
(実の娘のことは二の次だったが。)

そんなグレースも娘(トニ)が自殺を図った際には凄い剣幕でジーヴスにボーを八つ裂きにしてと命令する。
母である限り優しくあり続けるのは無理なのだろうと思った。

沈む

ボートに乗ったボーが水上コロシアムのような場所で裁判にかけられるシーン
聴衆と母親の前でボーの人間的な部分が暴かれていく。
それに耐えられないかのようにボートのモーターが爆発し、ボートは転覆する。

結局、グレースのアドバイスは効かずボーは自分を責める事を止められなかったのではないかと思う終わりだった。
人間すぐに変われたら苦労はしないよな。

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