あの日、あの街で、彼女は。〜九段下駅〜
曖昧な思い出に潜む、白いもの。
ドラマを観ながら、既視感の正体に気づく。言語化できないけど特有の街並みを知ってる、絶対に行ったことあるはずと思っていたら、「九段下駅」と書かれた地上出口の看板が映った。これからは聖地扱いされるのだろう。Googleマップのストリートビューで確かめたら、記憶の奥のほうに眠っていた「ゆるやかな坂道」と「オフィスビル内のスタバ」を思い出した。
九段下駅は、都営新宿線と、東京メトロ半蔵門線・東西線が通っていて、山手線の内側のちょうど真ん中あたりにある。武道館の最寄駅で、ライブグッズを身に纏った集団に飲み込まれることもしばしば。一層のこと、非日常世界に誘ってくれと現実との狭間で揺れる彼女は思う。
忘れたわけじゃない。思い出せないわけじゃない。でも、記憶は平等に管理されてるわけじゃない。九段下は、ふわふわとやわらかいなにかで包まれた曖昧な思い出の街。
新卒の頃に、彼女が自力で取った新規アポと受注。穏やかに微笑むおじいさんが担当者だった。白髪で、垂れ目で、シワもあって、毛足の長い老犬のよう。メガネもかけていたっけ。いつも真っ白なシャツを着て、第一ボタンは開けていた。寒くなると、薄いベージュのニットベストを着込む。余計に犬っぽさが増した。
アポまでに時間が空いたある日、駅の地上出口から左手側にあるオフィスビル内のスタバに向かう。坂道の記憶は、広めの交差点に向かって下るイメージと、オフィスビルの入り口にかけて階段を降りるイメージが強いからかもしれない。
静かで落ち着いた雰囲気にドキドキしつつ、シャキッと背を伸ばして入る。まだカフェでの作業に不慣れで、初々しかった頃。一時期ソイラテにハマっていた彼女は、アイスソイラテを頼む。癖になる美味しさを味わいながら、健康的な気分に浸っていた。
いつから九段下に行かなくなったのだろうか。明確な引継ぎをした覚えもないのに。失注したまま復活させられなかったのだろうか。
記憶の全貌はあやふやなのに、担当者の解像度だけは鮮明な彼女を思い出す。
あの日、あの街で、彼女は。
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