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あの日、あの街で、彼女は。〜高円寺駅〜

サブカルなイメージとは裏腹に。

サブカルなイメージが先行する高円寺と下北沢。彼女が好きなカツセマサヒコさんの小説『明け方の若者たち』にも登場する街で、いまや聖地となっている。高円寺に限らず、中野・荻窪・吉祥寺など、新宿駅から西側に続く中央線沿いを"そういう街"だと認識していた。

イメージだけが一人歩きしていた高円寺駅に初めての訪問が決まったとき、この街にも会社があるんだ!?と心の中に驚きをしまい込んだ。上京してから少なくとも3年以上が経っていたのに、まだプライベートでは行ったことがなかった。

月末、Q末、半期末と、すべてが重なっていた秋の入り口。ただでさえ毎月末は数字の追い込みに胃がキリキリとやられるのに。彼女の数字だけではない、課や部、事業部の実績にまで影響を与える。そして、半期の実績によって評価も給与も変わる大事なタイミングでもあった。

そんな大事な局面で、新規で取れたアポ。しかも、具体的なニーズや予算も明確になっている。商談相手は社長、つまり即決が可能で確度が高い。自分が持つ予算に対して、どれくらいの金額で受注が見込めるか、事前に上司や組織メンバーに共有しなくてはならない。受注が確定して申込書が回収できるギリギリまで、隠しておきたかった。ダークホースになりたかった。

隠し通せるはずもなく、上司に同行をお願いすることになった。高円寺初上陸に浮かれている場合ではなくなった。形容しがたい変な会社の、変な社長だった。会議室もあるのに、わざわざ社長室に案内され、高級そうなブラックコーヒーの色をしたソファに通される。ひとりだったら絶対に耐えられなかった。重たく沈んだ空気が、彼女の鼓動を早くし、呼吸を浅くする。

その場で決まらなかったことだけは、今でも記憶にある。ただ、その後はあっさりと長期の契約に繋がった。契約後は社長以外にも、複数部署の何人もの担当者と会ったが、後輩に引き継ぐ最後の瞬間まで"変な会社"という違和感は拭えなかった。やっぱり形容しがたい。

駅ビルの2階に入っているデニーズを重宝していた。広々としたボックス席が並んでいて、のんびり食べて、パソコン作業もできて、BGMも相まってか穏やかな時間が流れていた。利便性を重視した結果、一度もサブカルな街並みを確かめることなく、高円寺から離れてしまった。

転職サイトから届いたスカウトメールに、社長室で必死に呼吸を整えていた彼女を思い出す。

あの日、あの街で、彼女は。


*プロローグ

*マガジン

※基本的には経験上のノンフィクションですが、お客さん情報の身バレを防ぐために一部フィクションにしています。

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