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あの日、あの街で、彼女は。〜明大前駅〜

現実は、ロープレ通りには進まない。

5年間の営業時代を振り返ったときに、最も嫌だった業務はなにかと問われたら、100%の確率で「ロープレ」と答えるだろう。

京王線の明大前駅は、その名の通り明治大学の和泉キャンパスがある。京王線と京王井の頭線の乗り換え駅になっていて、新宿にも渋谷にも10分弱で行けるアクセスのいい駅だ。

新卒の初め頃、毎日の新規コール用に配られたテレアポリストから発掘した企業が、明大前駅にあった。上京したてで土地勘がないながらも、京王線沿いに住んでいた彼女は、直行や直帰ができるかも!ラッキー!くらいに思っていた。

テレアポと並行して、ロープレをしていた。先輩や上司にお客さん役をお願いして、仮の顧客情報を元に課題をヒアリングし、実際にプランの提案まで行う。なぜか、とっても苦手で、実際のお客さんとの商談よりはるかに嫌だった。場数のため、伝え方を身につけるため、頭ではわかっていても気持ちが乗らない。

絶対に梅雨入ったでしょと疑わない、雨降りが続いていたある日、初めての訪問に向かう。彼女のロープレを何度も見てもらい、ロープレを作成した張本人でもある直属の上司を連れて。高架下をくぐり、住宅街を進んだ先にオフィスがあった。明治大学のキャンパスとは真逆方面だ。

恥ずかしながら、彼女は置き物のように座っているだけで、上司主導で商談が進んでいく。数えきれないほど多くの商談を経験し、受注実績もトップで、爆速昇格した人なだけある。それはそれは流暢で、担当者の課題も引き出しつつ、商談の最終段階「プランの提示」と「クロージング」へ。

提示したプランに対する担当者の答えは「No」だった。実際にどんな断り文句を言われて、上司がどんな切り返しをしたのかは覚えていない。ただ、担当者の苦笑いような歪んだ表情だけは今でも思い出せる。

その場では決まらなかったものの、プランの出し直しを何度か行い、なんとか受注に至った。その後は彼女ひとりで訪問を続けたし、取引中はもちろんのこと、完全に失注して取引がないときも、頻繁に通っていた。直帰の理由に使いたくて、何度も夕方にアポを取っていた。

高架下の夕闇に、ロープレをあてにしなくなった彼女を思い出す。

あの日、あの街で、彼女は。


*プロローグ

*マガジン

※基本的には経験上のノンフィクションですが、お客さん情報の身バレを防ぐために一部フィクションにしています。

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