モナリザ・オーヴァドライヴ

2022年10月10日
東京都現代美術館で開催された MOT 美術館講座「《モナ・リザ》スプレー事件をめぐって―ウーマン・リブと障害者運動」を聞いてきた。この講座は「MOT アニュアル 2022 私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」展に関連したものであり、 講師は障害者文化論を専門とする荒井裕樹氏。
モナリザ・スプレー事件とは、ウーマン・リブの活動家で自身も足に障害を持っていた「米津知子」氏が、1974 年東京国立博物館で開催された「モナ・リザ」展において、「身障者を 締め出すな!」と叫びながら《モナ・リザ》の入っているガラスケースに向け、赤いスプレ ーを噴射したことを指す。この展覧会では、会場が混雑することを理由に、介助を必要とする障害者や乳幼児連れの入場が断られており、米津氏の行為はそのことへの抗議として行われたものだった。
荒井氏によれば、米津氏は事件について後悔している部分があり、決して武勇伝のようには語っていないという。「事件について語ると今でも体が震える」、「しかし悪いことをした とは思っていない」、「あのときの自分にはあのようにしかできなかった」と荒井氏に語ったという。事件の背景には当時の「ウーマン・リブ(女性解放運動)」の盛り上がりと「障害者運動」の盛り上がりがあり、その交差点に米津知子という存在がいたのだ、と。女性であり、 障害当事者でもあった米津氏はリブの運動にいるときは障害者であることを意識し、障害者運動の場では女であることを意識せざるをえない存在だったという。

現在でも日本には堕胎罪があり、人工妊娠中絶は違法。別法の範囲内でのみ、中絶は容認されている(旧優生保護法=現母体保護法)。事件当時の 1972 年~74 年にかけて優生保護法の改悪が進められようとしていた。ひとつは「経済条項」の削除、もうひとつは「胎児条項」 の新設だ。前者は実質的に中絶を不可能とするものであり、後者は障害児の中絶が増える可能性が高まるものだった。当然、ウーマン・リブ側からの反対と障害者運動側からの反対が 起こる。しかし、両者の反対の理由は異なる。問題となったのは「中絶を決定するものは誰か?」ということだ。通説では、ここでウーマン・リブと障害者運動の決定的な対立・衝突が起きたと言われてきた。しかし荒井氏によれば、これは研究者のなかでも議論が分かれるところであり、事実としては曖昧なものなのではないかという。
次に荒井氏がテーマにしたのは、「美術館は開かれているか?」。美術館にとって「障害者 差別解消法」とは、「美術館は障害者が普通に鑑賞できる場所なのか?」、「障害者差別解消法について美術館でやっていることはあるか?」という質問を荒井氏が学芸員の人に投げかけていた。その質問にたいしての学芸員の回答は「バリアフリー」、「ウェルビーイング」 といわれる研修はある、合理的配慮と作品・展示がどう関わるかについてはこれからの課題 であるというものだった。
また「アート・芸術」と「医療・福祉」の嚙み合わなさについての荒井氏の体験談が語られた。福祉施設の子供数人が書いた詩のなかから 1 人の詩をある本に掲載しようとしたところ、「なぜ彼だけなんですか、全員載せてください」と施設の人から言われたというエピソードが印象的だった。

モナリザ・スプレー事件の判決は、東京高等裁判所で有罪判決。罪名は軽犯罪法違反・悪戯による業務妨害。過料3000円というものだった。ここでひとつの問いが生まれる。抗議は悪戯なのか、障害者差別への抗議は悪戯なのか、そして違法なのか、ということだ。裁判で米津氏は日本国憲法の一部を引用したという。これはウーマン・リブや障害者運動、あるいは学生運動でも稀な例だったのではないかと荒井氏は指摘している。おもしろいのは、 3000円の罰金を米津氏は一円玉3000枚で払ったというエピソードだ。ここには自分の抗議が悪戯扱いされたことへの抗議が示されている。米津氏は二重に抗議しなければならなかったのだ。
また米津氏も当事者として関わっていたウーマン・リブのメンタリティの複雑さが指摘されていた。リブは簡単に「権利」とは言わない。たとえば「中絶」を権利といっていいのか彼女たちは悩んだ。世間一般の「正しさ」からは距離をとる。「等身大の自分」 で抗う……。

 自分たちがやってきた運動の歩みと、「青い芝の会」から寄せられた批判と、両者を突き合わせて、リブは一つのスローガンにたどり着いた。「産める社会を! 産みたい社会を!」この時の彼女たちにとって、このスローガンは、迷いながら、傷つきながら、ようやくたどり着いたぎりぎりの着地点だった。

(荒井裕樹『凛として灯る』p168。

講座を聞いて思ったのは、障害者運動と女性運動の対立と呼ばれる(/た)ものが単純ではないこと、その体現者としての米津知子という境界線上にいる存在、そして複雑なものを複雑なものとして捉え(続け)ることと社会運動を両立させること(複雑な要素を持った運動が単純なスローガンに回収されないこと)は可能なのか、ということだ。

「MOT アニュアル 2022 私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」展自体は、相模原事件を相模湖という土地性に着目し、近代日本の歴史的(負の)側面から捉えた工藤春香氏の一連の作品が印象に残った(障害当事者運動の歴史を綴った巨大な年表にも圧倒された)。

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