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未亡人日記41●「真夜中のわかめラーメン」


スーパーのカップ麺の棚で、息子は「これがいい」と、わかめラーメンをとりだした。私自身は絶対に選ばないメーカーなのでへえ、と思った顔をしたのを息子は気づいたのか

「これには思い出があるんだよ」

と、あまり自分からしゃべるほうではないのに、問わず語りで父の死んだ夜のことを話し出した。

危篤になってから、病室の夫の周りには私と息子を始め、きょうだいやめいたちもつめて、夫をかこんでずっと話しかけたり、手をさすったり、延々としゃべっていた。義母と義父は病室には入ってこなかった。

それはもう6時ごろから始まっていた。

病室というトラックの中でそのラストランはスタートし、夫はこれからもう引き返せないところにひとりで行ってしまう。自分の父を送った経験から私はもうそれがわかっていた。あとはみんなでこのフィールドを一緒に走って、夫が先に「じゃあ、お先に」とトラックからすーっと外の道へ旅だってしまうのを、私たちは見送るしかないんだ。でもこれはお祭りのようなものなのだ。もう最後はグランフィナーレとして賑やかに一緒に走るしかないんだ。

夫の脈が衰えてくると、末息子の手が、夫の体をさする。すると脈が戻ってきてモニターの数字が上がるんだ。不思議だった。

それで周りのみんなが「あ、下がってきた、てっちゃん、やって」という。また数字が戻ってくる。「こりゃあ、てっちゃん、名医だな、お医者さんになるしかないね」「お父さん、安心だね」と、みんなで軽口をたたいていると、まるでなにか楽しいことをしているような気持ちになる。涙がぐちゃぐちゃなのに笑っている高揚した変な気持ちだった。

何セットかそういうことを繰り返していたので、とっくに真夜中をまわっていた。

「俺、何も食べてなかったからお腹がすいてて、家族控室でなにか食べてきたら、って言われて、ばあばがいて、そこにわかめラーメンがあったんだよね。で、給湯器でお湯をいれて食べようとしたところで、おじちゃんが呼びに来て、『てっちゃん、早く来て』って」

「でも、お父さんが死んだあと、そのラーメン食べたんだよね。のびてたけど」

息子はそのとき10歳だった。

戻ってきてラーメンを食べた、その息子の年齢が切なくて、その食欲が愛おしい。

スカイツリーの見える、電気の消えた食堂のくらがりとか、そのへんにまだいたに違いない夫の魂も、匂いにつられて

「なあんだおいしそうだな、走っててちょっとお腹すいたから、お父さんも食べたいなあ」とか思っていたんじゃあないかな。


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