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第1章 子どもに与えた愛情は永遠に残る
〈愛情を与え続けると離れてもあなたを思う人になる〉というテーマで書いていきます。
私のおじいちゃんは私が6歳で亡くなった。当時は亡くなった概念がわからず、「なんでお母さんは泣いているの?」と私の背中にいるお母さんを見て思っていた。
だけど、だんだんおじいちゃんがいなくなったことを理解した。
それが『死』ということも子供なりにわかり、家族が寝ている中で声を殺して涙を流していた日を忘れたことはない。川の字で布団を並べて同じ方向に頭を向けている家族だが、私はお母さんの足元で自分の毛布に包まって泣いていた。
これは、これからも忘れることはないでしょう。でも、不思議なことにおじいちゃんと過ごした記憶は覚えていない。
お母さんから聞いた話だと、私は幼稚園からおばあちゃんの家へ行くとすぐにおじいちゃんのところへ行っていた。おじいちゃんと2人で何かをしていたらしい。
おじいちゃんの机で集中して何かを書いている写真も残っていた。それぐらいおじいちゃんの机は私にとって居心地の良い場所だったんだろう。
そしてもう1つおじいちゃんの机の近くに置いてあった揺れる椅子。ここに座ると安心するし大事なもので実家に移して置いてある。
大事なことは中身や時間なんかじゃなくて、「安心」「居心地がいい」「落ち着く」「大切な存在」となっていること。
これが愛情を作る材料。
私とおじいちゃんは6年と短い期間でしか関わることができなかった。だけど、今でも亡くなったことに対して「私にできることはなかったのか?」と悔やむことがある。
客観的に見て6歳の子供にできることなんて大したことない。むしろ、おじいちゃんが病院に来て、何か移ると困るからあまり来ないようにとおばあちゃんとお母さんに言っていた。
大人になるとおじいちゃんの考えに納得出るけど、6歳の私は子供なりに真剣に思っていた。そして、「おじいちゃんにできなかったことをおばあちゃんにしてあげよう!」と決意した。
小学1年生の子でも大人のようなことを考えることができる。
会えない存在になっても、人生を決めるきっかけをくれるし、道標として残してくれるもの。それが愛情。
続きはまた来週^ ^
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