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ヘイトビジネス


 差別ほど、儲かるものはない。歴史的に、差別はつねに知的なゴロツキどもの飯のタネにされ続けてきた。人類最初の商売は売春だと言われているが、差別ビジネスはおそらく、それに次ぐものだろう。


 
 じつは差別とはたいてい、ある特定の人間たちにより意図的に作りだされるものである。そして差別を作りだすには、古代から継承されてきたか確立した技法というものがあるのだ。フェミニストとリベラリストは、このヘイトの技法を駆使し、この国に差別を作りだしている。

 
 差別を意図的に作りだすヘイトの技法とは、いたってシンプルである。まず「ある属性」に狙いを定める。そしてその属性に特有の悪徳のみをひたすら強調する。どの属性の人間にも美徳と悪徳があるのだが、ここではただひたすら悪徳のみを強調しつづけるのだ。するといずれ人々は、その属性の人々を悪の権化であるかのように錯覚し始める。


 逆にヘイトを煽っている側の属性の人間には、美徳にしか焦点をあてない。こうすると人々の意識の中に、「正義であるAという属性」対「悪の権化であるBという属性」という、偽りの構図が出来上がる。こうして、新たなる差別が作りだされる。ヘイトをつくりだす方法とは、ただこれだけのことだ。


 この古来から伝わるヘイトの技法を駆使し、ヘイトビジネスで20世紀最大の成果をあげたのが、ナチスである。ヘイトの対象は、もちろんユダヤ人。ユダヤ人にも、もちろん美徳と悪徳がある。しかしナチスはユダヤ人の悪徳にのみ焦点をあて、ひたすらヘイトを煽りまくった。ユダヤ人は強欲で嘘つきで、道義というものを理解できない劣等民族なのだ、といった具合のヘイトスピーチを、ひたすら絶叫しつづけた。


 ヒトラーに言わせれば、ドイツが戦争に負けたのも、ハイパーインフレがおこったのも、ドイツの青少年男女が性的に堕落しているのも、すべてユダヤ人のせいなのだ。逆にドイツ人に関しては、神に選ばれた優秀な民族であると決めつけてしまう。


 こうして、「神に選ばれた優秀な民族であるドイツ人」対「精神的に腐敗した劣等民族であるユダヤ人」という偽りの差別の構図ができあがる。ドイツ人はこの大ウソのプロパガンダを信じこみ、異常なまでに熱狂し、けっきょくは600万人のユダヤ人を虐殺してしまった。人間は、絶対に差別を止めることができない。ひとたびその差別心に火がつくや否や、こういう大惨事がおこってしまう。


 結果だけ見ればナチスは規格外であり、誰もができることではないと思うかもしれない。しかしそうではなく、ナチスはすでに確立された技法に則り、確信犯的にやっただけのことなのだ。いわばナチスは、ヘイトのマニュアルを見ながらやっただけだ。マクドナルドのようなものだ。


 ヘイトの技法を使い、新たな差別をでっち上げる。社会公認の差別ができあがれば、誰かを差別したくてたまらない連中が、大挙して押し寄せてくる。そして大勢の人間が集まれば、そこに金と権力が生まれる。こうして、差別ビジネスは盤石のものになるわけだ。


 ヒトラーはともかく、ナチスの幹部の大半は、おそらく反ユダヤ主義など信じてはいなかっただろう。反ユダヤのヘイトを煽れば煽れるほど、人々は熱狂し、ナチスの得票率が上がっていく。政治家からすれば、こんなに楽でおいしいことはない。もう、止められないだろう。


 こうやっていつの時代でも、その社会で最も怜悧で狡猾な連中は、差別をでっち上げ、莫大な富と権力を手にしてきた。人類は、なぜ差別を止められないのかと人は言う。それは、差別を意図的に作りだし、大儲けをしている極悪人どもがいるからに他ならない。


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 ヘイトビジネスの元祖は、ヨーロッパではキリスト教だろう。中世のキリスト教指導者たちのやったことは、ヘイトビジネスそのものである。


 彼らはまず、異教(異端)を悪であると決めつけた。異教(異端)は悪魔の教えであり、滅ぼすことが神の意志に叶うことなのだ、といった具合だ。そして、キリスト教は神聖なる神の教えであると決めつける。

 
 
 こうして、「神聖なるキリスト教徒」対「悪魔の手先である異教徒」という、偽りの差別の構図をつくりあげた。

 
 ナチスの「神に選ばれた優秀な民族であるドイツ人」対「精神的に腐敗した劣等民族であるユダヤ人」と瓜二つである。


 こうして、この偽りのヘイトの論理を刷りこまれ、異教、異端の人間を悪魔の手先であると信じこんでしまったキリスト教徒たちは、数多くの戦争と虐殺をひきおこした。十字軍遠征、魔女狩り、宗教戦争、南北アメリカ大陸の原住民に対する大虐殺・・・、虐殺した人間の数は、ゆうに億を超える。根本にあるのは、意図的に作りだされたヘイトの論理である。


 ヘイトは、最終的には人間を、しかも目も眩むほど膨大な数の人間を殺してしまう。まさにヘイトとは、人間社会を壊す劇薬である。


 Aという属性には美徳のみに焦点をあてる。Bという属性には悪徳のみに焦点をあてる。そして、「絶対正義のAという属性」VS「絶対悪のBという属性」という偽りの差別の構図をつくりだす。このキリスト教指導者たちのやったヘイトの技法を継承したのが、ナチスなわけだ。要は宗教差別者たちの使っていたヘイトの技法を、人種差別主義者が受け継いだ。ヨーロッパの負の伝統が、こうして受け継がれたわけだ。


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 このナチスが受け継いだヘイトの技法をさらに受け継いだのが、誰あろう、フェミニストである。フェミニズムはヘイトの論理に従い、理論を構築している。


 フェミニズムは男、または男社会を悪であると決めつける。男にも美徳と悪徳がある。そしてかつての男社会にもまた、良い点と悪い点があった。しかしフェミニズムは、男も男社会も絶対悪であると決めつけてしまう。


 男とは傲慢で下品で暴力的であり、男社会は女の自由を抑圧し、虐げるろくでもない社会だった、という具合だ。そして女たちに関しては、ひたすら善良で可憐な存在であると嘯くのだ。いまどきの女たちを見てみたらいい。拳か言葉かの違いはあるが、暴力性はまず女の方が強い。これで女たちが善良で可憐一辺倒な存在であるなどといわれても、笑うしかない。しかしフェミニストたちは、この厚顔無恥な大ウソを平気で押し通してくるのだ。


 そして「悪の男社会に抑圧される、善良な女たち」、「傲慢で暴力的な男たちに虐げられる、純情可憐な女たち」という、偽りの差別の構図が作りだされる。女たちが弱い男を集団でいたぶっていることも、かつての昭和の女たちが稼ぎの少ない男を嘲笑っていたことも、どこ吹く風だ。とんでもない厚かましさだ。


 フェミニズム
「悪なる男社会に抑圧される、善良な女たち」

「傲慢で暴力的な男たちに虐げられる、純情可憐な女たち」

 

 
ナチズム
「ユダヤに蝕まれる、偉大なドイツ国家」

「神に選ばれた優秀な民族であるドイツ人」VS「精神的に腐敗した劣等民族であるユダヤ人」


 
 
 どうだろう、Aという属性に対しては、美徳にだけ焦点をあてる。Bという属性に対しては、悪徳にだけ焦点をあてる。そして「絶対正義のAという属性」VS「絶対悪のBという属性」という偽りの差別の構図をつくりあげる。ここには、絶対正義の属性にあてはまるのが「ドイツ人」か「女たち」か、絶対悪の属性にあてはまるのが「ユダヤ人」か「男たち」かの違いしかない。フェミニストたちが、ナチスと同じ「ヘイトの技法」を利用しているのは、明白だ。


 
 「ユダヤにドイツが乗っ取られている!オレたちが戦う!俺たちに権力与えてくれ!」

 ナチスはこう絶叫し、ドイツの独裁権力を手中にした。ナチスは半分、ユダヤ人と共産党に対するヘイトで国家をのっとったようなものだ。


 「こんなに悪い男たちに、女たちは虐げられ続けてきた。男女平等!私たちに償い(利権を)を!」

 フェミニストたちはこう絶叫し続け、ある時期までは参画予算10兆円を税金から引きだしていた。なんと当時の税収の5分の1である。デタラメの極みだ(現在は8兆円)


 「ヘイトの技法」を駆使し、新たなる差別を作りだし、富と権力を手にする。フェミニストとナチスのやっていることは、まったく同じである。要は、ヨーロッパの人種差別主義者が使っていた「ヘイトの技法」を、日本の男性差別主義者たちが受け継いだ。


 ナチスは、ヘイト一つでユダヤ人を600万人殺した。対してフェミニストたち(マスコミ)は、女たちの心の中に男に対する強烈な敵愾心と軽蔑心をすりこみ、この国の男女関係をボロボロにしているのである。


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 リベラル文化人もまた、この「ヘイトの技法」を確信犯的に利用している。ヘイトの対象は、中高年世代の男たちである。いわゆる、「おっさん差別」である。リベラリストのやっていることは、フェミニストとまったく同じである。彼らもまた、「ヘイトの技法」を使い、この国に意図的に差別を作りだしている。


 おっさん世代の男たちもとうぜん、美徳と悪徳から成り立っている。昭和の時代もまた、良い点と悪い点があった。リベラリストは、このおっさん世代の男たちの悪徳と、昭和の悪い点にだけ焦点をあてる。「おっさん世代の男は傲慢で下品で、救いようがなく粗暴である」、「昭和は野蛮で劣った時代である」といった具合だ。


 逆に若者世代に対しては美徳を、そして令和の時代に対しては良い点にしか焦点をあてない。「若者世代はマナーもセンスも良く、優秀である」、「令和は進歩的で優れた時代である」といった具合だ。若者世代が優秀かどうかはまだ証明されてないのではないかと思うのだが、しょせんは差別主義者、そんなことはどこ吹く風だ。


 リベラリストは、この歪んだプロパガンダをやり続ける。すると、「傲慢なおっさん世代の男たちに抑圧される、善良な若者たち」、という偽りの構図が出来上がる。何かにそっくりではないだろうか?そう、フェミニストのいう「傲慢な男たちに虐げられる、純情可憐な女たち」という偽りの構図と、まったく同じなのだ。


 
 フェミニスト
「傲慢な男たちに虐げられる、純情可憐な女たち」

「悪なる男社会に抑圧される、善良な女たち」

 
 リベラリスト
「傲慢なおっさん世代の男たちに抑圧される、善良な若者たち」

「野蛮で劣った昭和」対「進歩的で優れた令和」


 
 Aという属性に対しては、美徳にだけ焦点をあてる。Bという属性に対しては、悪徳にだけ焦点をあてる。そして、「絶対正義のAという属性」対「絶対悪のBという属性」という偽りの差別的な構図を作りだす。リベラリストはフェミニストとまったく同じ、「ヘイトの技法」を使っていることが見てとれる。絶対正義の属性に「女」か「若者」が入るか、絶対悪の属性に「男」か「おっさん世代の男」が入るかの違いがあるだけだ。


 
 フェミニストからはこの後に、「だから利権をよこしなさい」という居丈高な要求がくる。リベラリストからはこの後に、「だから僕に課金して下さい」という卑しい無心がくる。こうやって若者たちの優越感をくすぐり、本だのネットの記事だのを売りつけようとしているわけだ。ありもしない差別を作りだし、金や利権を得ようとしているという点で、リベラリストとフェミニストは同類である。


 要は、この国の男性差別者たちが使っている「ヘイトの技法」を、「年長者に対する差別者たち」が引き継いだ。そして彼らは若者たちの心の中に年長者に対する激しい軽蔑心を植えつけ、日本の男たちのあいだに憎悪と対立を生み出しているのである。リベラリストは、日本の素晴らしい伝統はいっさい継承する気はないが、ヨーロッパ最大の負の伝統である「ヘイトの技法」は嬉々として継承し、日本を荒らしまくっているのである。こういう人間を、本物の極悪人という。


 日本の中高年の男たちは、お人好しすぎる。まるで自分たちが時代遅れで下品な人間だから、ヘイトの対象になっているのだと思い込んでいる。バカを言ってはいけない。彼らリベラルは、あの極悪ナチスの、600万人のユダヤ人を殺した起爆剤になった「ヘイトの技法」を使っているのだ。


 悪徳にだけ焦点をあてるのならば、どんな属性の人間だって劣った人間に見えるに決まっている。この論理に嵌まった人間が、「ユダヤ人寄生虫」、というあり得ぬ妄言を信じてしまったのだ。


 若者たちもまた、同様だ。いまどき「ドイツ人は神に選ばれた民族である」などという与太話を信じているドイツ人など、さすがにいないだろう。


 
 「令和の若者たちは、昭和の野蛮なおっさんどもよりはるかに優秀」、これは、ナチズムと同類の思想である。この2つの思想は、まったく同じ「ヘイトの技法」をつかって構築されている。目的も同じ、金か利権である。白人優越思想も若者優越論も、チンピラがでっちあげた下劣な差別思想でしかない。


 真実は、若者世代も昭和のおじさん世代も、美徳と悪徳をたして見れば同レベルである。若者世代はマナーが良いが自己愛が強く、中高年世代は傲慢ではあるが、反面おおらかである。若者世代もおっさん世代も、同じくらい善良で、また同じくらいめんどくさい。しかし、「ヘイトの技法」を使えば、おっさんたちを悪の権化であるかのように錯覚させることができる、というだけだ。


 
 「キリスト教は神聖なる神の教えである。悪魔の手先である異教徒を滅ぼせ!」

 こう言って宗教差別者たちはヘイトを煽り、いくつもの民族を絶滅寸前にまで追いこみ、数億人の人間を殺した。


 
 「ドイツ人は神に選ばれた民族である。腐敗した劣等民族であるユダヤ人を追放すべし!」

 こう言ってドイツの人種差別主義者たちはヘイトを煽り、600万人のユダヤ人を殺した。



 「こんなに傲慢で暴力的な男たちに、女たちは虐げられ続けてきた。傲慢な男たちを絶対に許すな!」

 こう言って男性差別主義者たちはヘイトを煽り、女たちの心の中に男たちに対する憎悪を刷り込み、莫大な利権を手にしている。



 「こんなに傲慢で粗暴なおっさんたちに、善良で優秀な若者たちが抑圧されている。傲慢なおっさんたちをキャンセル(排除)しろ!」

 こう言って「年長者に対する差別主義者たち」はヘイトを煽り、若者たちの心の中に年長者に対する激しい敵愾心を刷りこみ、大金を稼いでいる。


 結果、この国に巨大な憎悪が生み出された。90年代に比べて、イジメやパワハラはもう、激増した。今では、どこにいってもイジメやパワハラだらけである。それは名の通った企業や役所でパワハラ自殺が頻発するなどという、かつての日本ではあり得ないことが起こっていることからもわかる。もうすでに、イジメやパワハラがおこるのが当然、という文化になってしまっている。


 その根本の原因が、ヘイトを煽るフェミニズムとリベラリズム(マスコミ)にあるのは明白だ。女たちは嫌いな男に対し、とことんむごい仕打ちをする。若者たちもまた、嫌いな年上の弱者男に対し、ありえぬえぐいイジメをする。こういうことは、90年代にはほとんど見られなかったことだ。


 女たちも若者たちも、ありもしない差別を盲信し、見当違いの被害者意識をかかえ、その暴力性を男やおっさんたちに向かって吐き出している。暴力的なふるまいを正当化するというのは、差別主義者に特有のものだ。狂信的なキリスト教徒もナチス党員も、自分たちのやっていることが差別などとは、一ミリたりとも思っていなかった。目の前にいる人間を悪の権化であると信じてしまえば、人間はいかなる残酷なふるまいをも正当化してしまう。


 いまどきの一部の女たちや若者たちには、確実にこの傾向がみられる。そしてその反動で、傷つけられトラウマを抱えた男や「おっさんたち」もまた、苛烈な復讐をしなければ収まらなくなっている。そして、老若男女が憎みあう、最低の社会ができあがる。日本は「和の国」である。日本人同士の連帯と信頼こそがわれわれの最大の強みだというのに、差別主義者たちにより、それが破壊されつつある。


 歴史上、差別に憑りつかれた人間たちは数えきれないほどの人間を虐殺してきた。20世紀だけでも、虐殺された人間の数は億をこえる。そして人々が虐殺に走る時、そこには必ず差別思想があった。さらにそこには、「ヘイトの技法」を駆使し、意図的に差別をでっちあげる差別運動の指導者たちがいた。


 その恐るべき状況が、日本にも浸透しつつある。人間の心の中にひそむ残酷さや狂気を解放する作用をもつ差別思想をもてあそぶ人間を、決して許してはいけない。ヘイトとは、いわば精神の核兵器なのだ。


 人を騙して金を奪う詐欺師は、厳しく断罪される。しかし、人を傷つけて金を儲ける差別主義者に、この社会の人々は甘すぎる。特に、同じ属性の差別主義者に、人はとことん甘い。民族主義者は桜井誠に甘すぎたし、女たちも上野千鶴子に甘く、そして若者たちもまた、御田寺圭に甘すぎる。


 (最近では、おっさん世代に対するヘイトはやや薄れ、それが老人世代に移行しつつある。その老人世代に対するヘイトのインフルエンサーが、成田悠輔というわけだ。成田もまた、やっていることは上野や御田寺とまったく同じである)


 
 真の差別は、差別だとは認識されない。感覚がマヒしてしまうからだ。この無自覚の差別が、日本を覆いつつある。しかしここで男女と世代間の対立を食い止めなければ、日本は、どこまでもおかしくなってしまう。


 
 

 
 


 

 


 

 

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